第六章 王宮儀礼のリデザイン
王都エルダンの王城は、想像していたよりも、ずっと派手だった。
外壁は白い石灰岩。
だがその表面には、大小無数の金色の彫刻がびっしり貼り付けられ、夕日に反射して、目が痛いほど煌めいていた。
門のアーチには、十二人の天使を象った彫像が、両脇から覆いかぶさるように飾られていた。
「派手な城ですね」
俺は思わず呟いた。
王女が苦笑した。
「父の趣味です。年々、装飾が増えていきます。維持費だけで、辺境の村が三つは食べていけるほどに」
馬車を降りた俺は王女に案内されて、登城した。
廊下は、左右の壁に油絵の肖像画がひしめいていた。
代々の王、王妃、その家族。
誰もが、誇張された胸板と、金色の冠を持って描かれていた。
「王女様、戻られましたか」
廊下の途中で、年配の侍従が一礼した。
その侍従の頬は、こけていた。
眼の下に、深い隈があった。
俺はその時ふと、彼の足元を見た。
靴の踵が、すり減っていた。
かなり、走り回って仕事をしている人だ、と直感した。
「お疲れですね」
俺は声を掛けてしまった。
侍従は、面食らったように、目をしばたかせた。
「……はい。先月から、儀式の準備で、夜が短く」
「儀式というのは」
「来週の春の御前会議の儀でございます。陳情を聞く儀式が、毎年、この時期に行われます」
王女が補足した。
「全国から、民の代表が王都に集まり、王に直接、陳情を行う日です。理念は素晴らしい儀式ですが」
「ですが?」
「儀式が長すぎて、半数の陳情が、王の耳に届かないまま、日が暮れます」
俺はその話を聞いて、ぽかんと口を開けた。
これはまさに、UXデザインの仕事の領域だった。
「儀式の流れを、見せてもらえますか」
俺はベルカ翁を見た。
翁は、嬉しそうに頷いた。
「設計師よ、お前の出番だ」
翌朝、俺は王女と侍従とともに、空の謁見の間に立っていた。
謁見の間は、長方形の広間だった。
奥の正面に玉座、その左右に大臣たちの席。
入口から玉座までは、二十歩ほど。
壁には、これまた、過剰な装飾が施されていた。
「儀式の流れを、最初から順番に教えてください」
俺はノートを構えた。
侍従が、ゆっくり説明し始めた。
陳情者は、まず、王城の門で身分検査を受ける。
そこから第三の門まで、徒歩で進む。
第三の門で、衣装の確認を受ける。
それから、控えの間で二時間ほど待たされる。
名前を呼ばれて、ようやく謁見の間へ。
入室時には、決まった作法で三礼。
玉座の前で、もう一度三礼。
そこから、陳情を述べる。
だが、述べる前に、自己紹介と、王への賛辞を長々と読み上げなければならない。
俺は、それを全部、ノートに書き出した。
そして、ジャーニーマップに変換した。
ジャーニーマップというのは、利用者がサービスを使うときの、感情の流れを描いた図だ。
横軸は時間。
縦軸は、ポジティブとネガティブの感情。
人が、いつ、どこでどう感じるかが、ひと目でわかる。
陳情者の感情の流れを、書き起こしてみる。
門で待たされて、不安。
身分検査で、緊張。
徒歩での移動で、疲労。
控えの間で、二時間の待ち時間、これは退屈と諦め。
名前を呼ばれて、緊張のピーク。
三礼、また三礼。
自己紹介と賛辞でもう、本題に入る前に、頭が真っ白。
ようやく陳情を述べるときには、声が震えて、王にもよく聞こえない。
「ひどい設計ですね」
俺は思わず口に出した。
侍従が、慌てた顔で周りを見た。
誰もいないことを確認して、ほっとしていた。
「儀式は、王の威厳を示すためのものです。改めることなど、できません」
「いえ、できます」
俺はノートのページを破って、王女に渡した。
そこには、新しい儀式の流れが、書かれていた。
「冗長な賛辞を廃止します。陳情者は、控えの間に着いた時点で、書記官に陳情内容を要約してもらう。要約は、王の手元に届く。陳情者本人は、要約のあとに、補足を口頭で述べるだけでよい」
「な、なんと」
「身分検査と衣装確認は、城門の一箇所で済ませます。陳情者の足取りを減らせば、彼らは緊張せずに、王と話せます。緊張せずに話せれば、本当の困りごとが、ちゃんと王に届きます」
王女は紙を見つめながら、唇に手を当てていた。
ベルカ翁がふむ、と頷いた。
「これは本当に、儀式そのものを、書き換える設計だな」
「ええ。儀式の目的は、王の威厳を示すことではなく、民の声を王に届けることのはずですから」
侍従が、ぽつりと言った。
「私も、そう思っておりました。けれど、誰も、口に出せなかった」
俺の隣で、王女がふっと笑った。
それはこれまでで、いちばん柔らかい笑顔だった。
「司、この提案を、父に上奏します。父は派手好きですが、合理に弱いところもあります。きっと、面白がります」
三日後、新しい儀式の運用が試された。
謁見の間に、陳情者が次々と通された。
要約された書類が、王の手元に届き、王はそれを目で追いながら、陳情者の補足を聞いた。
一人あたり、十分以内で処理が進んだ。
夕方には、その日の陳情者の半数以上が、王と話を終えていた。
これまでの三倍以上の処理量だった。
王は、最後に、玉座の上で満足げに頷いた。
「面白い儀式の進め方を、誰が考えた」
宮廷の老臣たちが、互いに顔を見合わせた。
誰も、答えなかった。
答えられなかった。
「……第三王女、アリーシャでございます」
王女が進み出た。
「私の客人、設計師の高梨司の助言を、いただきました」
宮廷の空気が、ざわめいた。
老臣の一人が、囁いた。
「設計師、だと?五百年も前に滅びたはずの……」
別の老臣が、息を呑んだ。
「あの男、何者だ」
俺は王女の後ろで、ノートを抱えたまま、目を伏せていた。
慣れない場所で、慣れない服を着て、慣れない言葉を聞いていた。
だが、胸の奥に確かなものが、灯っていた。
これはたぶん、はじめての感覚だった。
自分の仕事が、自分の名前と一緒に、誰かに見られている感覚だった。
その夜、宮殿の客間に戻った俺はベルカ翁と二人で、夜風を浴びながら茶を飲んでいた。
バルコニーから、王都の夜景が見下ろせた。
無数の松明と、家々の窓の灯りが、暖色の絨毯のように広がっていた。
東京の夜景とは違う、揺らぎを持った光の海だった。
「儂は、嬉しい」
ベルカ翁はぽつりと言った。
「五百年前、設計師たちは、こうやって、地味に、人を助けて回った。だが、目立たぬから、軽んじられた。派手な魔法を使う宮廷魔術師に追われ、姿を消した」
俺は、湯気の立つ茶を、両手で包んでいた。
温かさが、指先から、ゆっくりと芯まで沁みた。
「五百年も、待っていたんですか」
「儂自身ではない。儂の師、その師、そのまた師。代々、設計師の徴を持つ者の出現を、待ち続けた」
ベルカ翁の白い髭が、夜風に揺れた。
彼の灰色の瞳の奥に、長い長い時間の影が見えた。
「司よ。お前の世界では、お前のような仕事は、軽んじられているのか」
俺は苦笑した。
「ええ。地味だと言われ、目立つ人の手柄になり、消えていきます」
「奇妙な世界だな」
「同じです」
俺は夜空を見上げた。
「この世界も、同じ、です」
ベルカ翁はしばらく黙っていた。
それから、低く笑った。
「だからこそ、お前はここに呼ばれたのだろうな」
夜の宮殿の廊下を、誰かの足音がこつこつと歩いてきた。
振り返ると、銀の鎧を纏った、大柄な男が立っていた。
腰に、長剣を下げている。
口元には立派な髭、目に深い精悍さがあった。
「お初にお目にかかります、設計師殿。私は、リエンガルド王国第一騎士団長、ガレウスと申します」
その声は、低く、よく響いた。
彼は、俺の前で片膝をついた。
俺は慌てて茶を置いた。
「い、いえ、そんな、お立ちください」
「いえ、私は聞きました。今日の謁見の儀の改革を」
ガレウスは頭を下げたまま、続けた。
「我が騎士団もまた、長年、命令伝達の不備に苦しんでおります。前線では、よく、伝令の文書が遅れ、誤読され、兵が命を落とします」
ベルカ翁が笑って茶を啜った。
「ガレウスよ、お前は人を見る目はあるな」
ガレウスはようやく顔を上げた。
「もし、お時間があるならば、明日にでも、騎士団の伝令文書を、見ていただきたい」
俺は頷いた。
ノートを開いた。
新しいページに、書き付けた。
「次の依頼・騎士団の指示書改革・命に関わる」
ベルカ翁が横から覗いて、にやりと笑った。
「お前は本当に書く男だな」
俺はペンを置いて、息を吐いた。
窓の外で夜風が、長い旗をぱたぱたと揺らしていた。
銀色の旗。
グランエル王家の紋章が、月明かりに淡く浮かんでいた。
明日も、書こうと思った。
東京で、誰にも見られずに書いていたあの夜と、今は何が違うのだろう。
書くこと、それ自体は、同じだった。
だが、今夜は、待っている人がいた。




