第41話『裏切りの瞳』
王都の街並みは、どこも浮き立つようなざわめきに包まれていた。
翌日に迫る《公開小審査》。研究院の掲示板に貼られた告知は瞬く間に広まり、庶民も商人も噂話に夢中になっている。
「規格外の魔素水らしい」
「偽物を暴くんだと」
「いや、逆に危険かもしれない」──。
すれ違うたびに、耳に断片が流れ込む。王都の空気そのものが、試験を待つ舞台のように張り詰めていた。
カイルたちはその日の準備を終え、宿を出て広場を抜けようとしていた。
ラティナは帳面を抱え、冷静な声で確認を繰り返す。
「舞台の配置は確認済み。幻影師の契約金も支払い済み。……残るは“観客の目”をどう味方につけるか」
フィノは観測器を胸に抱きしめ、きらきらとした眼で弾む声を上げる。
「だいじょうぶ! 鈴はちゃんと鳴るよ。あの澄んだ音が響いたら、誰だって分かる。偽物と本物の違いを!」
ミリエルが優しく微笑んだ。
「ええ。あの音が、皆の心に届けばいいわね」
その時だった。
人波の中に、ひときわ静かな影が揺れた。
白布の庇帽。
淡い灰色の外套に包まれ、庇の影で顔を覆った人物。
なぜか視線が吸い寄せられる。
カイルの足が、不意に止まった。
庇帽の人物が、ふと振り返る。
──淡い栗色の髪。長い睫毛。
その瞳が、驚きに大きく見開かれた。
「……カイル?」
声はかすれ、震えていた。
群衆のざわめきが遠のき、時間が止まったかのように思えた。
セリーヌ・ラフィネ。
かつて同じ隊で肩を並べ、そして最後の瞬間に背を向けた少女。
ミリエルが息を呑む。
ラティナは瞬時に周囲を見回し、警戒の色を浮かべた。
フィノは観測器を抱きしめたまま目を丸くしていた。
庇帽を押さえ、セリーヌは唇を震わせながら言葉を紡ぐ。
「そんな……生きて……いたの……? あなたは、あの日、確かに──」
カイルの胸に、冷たい痛みが走る。
血の匂い、冷たい石の床、心臓を貫かれた痛み。
あの日の光景が鮮烈に甦り、彼の視線に重なる。
──振り向かなかった背中。
それが今、目の前に立っている。
「……本当に、あなたなのね」
セリーヌの頬に、一筋の涙が滑り落ちた。
「わたし……ずっと後悔していた。あの時、声を上げられなかったことを。あなたに手を伸ばせなかったことを。……謝りたくて、でも、どうすればいいか分からなくて……」
庇帽の影の下で、彼女の肩が震える。
通り過ぎる人々はただの偶然の再会だと思って足を止めない。だが、この場にいる者たちにとっては、時を越えた刃のように鋭い瞬間だった。
「……どうして、あの日、声を上げなかった」
カイルの低い声が、石畳に沈む。
セリーヌは胸の前で拳を握り、震える声で答えた。
「怖かった……! レオンに逆らえば、わたしまで……! でも、それでも──」
言葉が途切れ、嗚咽が混じる。
「でも、失ったものの大きさに気づいたの。あの日から、ずっと……!」
ミリエルは小さく唇を噛んでいた。
彼女にとってセリーヌは、裏切った者であると同時に“自分と同じ少女”でもある。その震える姿に、複雑な感情が胸に湧く。
フィノは混乱したようにカイルとセリーヌを見比べ、「こんなの……」と小さく声を漏らした。
ラティナだけが冷静な声を保ち、短く言った。
「──ここは目立つわ。続きは別の場所で」
その言葉で現実が戻ってくる。
通りの角から、巡回兵の列が近づいていた。
庇帽の女に注がれる視線が、不審の色を帯び始めている。
セリーヌは必死に涙を拭い、か細い声で訴えた。
「カイル……お願い。ほんの少しでいい、話を聞いて……!」
その瞳には、後悔と恐れと、今も消えぬ罪悪感が宿っていた。
カイルは深く息を吐き、セリーヌに告げた。
「……場所を変えよう。全部は聞く。だが、今はここじゃない」
セリーヌは何度も頷いた。
「はい……! お願いします……!」
五人の影が、群衆を抜けて裏通りへと移っていく。
石畳に落ちる白布の庇帽の影が、夕陽の中で長く伸びていた。
──その影を、遠くから見ている瞳があった。
酒場の窓辺に腰を下ろし、杯を傾ける男。
レオン。
唇に薄い笑みを浮かべ、低く呟いた。
「やはり、生きていたか」
杯の中の葡萄酒が、夕陽を受けて血の色に輝いた。
その冷ややかな笑みは、次に訪れる波乱を告げるものだった。
──公開小審査まで、あと一日。
再会は必然。
贖罪と真実の物語が、王都の心臓部で交差しようとしていた。
《つづく》
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