08 合わない二人
魔物の拳がリュードの爪先すれすれを突き抜け、彼の立っていた岩を派手に打ち砕いた。
後方に飛び退いて足場の悪い荒磯に着地したリュードは、背中の鞘から短剣を抜き取って構える。
向こうは向こうで、岩に刺さった己の拳を引っこ抜いていた。勢いに任せて腕を振るいすぎたらしい。
バランスを整えた魔物と改めて向き合う。
灰色の甲殻に覆われた魔物の名は『ジャヴズ』。見た目はメザリガの色違いと言ったところだが、両腕の先には鋏の代わりにカマキリの鎌にも似た捕脚が備わっている。それと、メザリガが川辺に出現するのに対しこちらは海の近くで現れるという違いがある。
ざばん、と荒磯に波が打ち寄せた。
それを合図にジャヴズが飛びかかった。尻尾を器用に動かして岩を跳ね、リュードに接近して彼の顔面にパンチを繰り出す。目にも留まらぬ速さとは言うが、リュードは迫る拳をその目でしっかり見てから避けた。
灰色の甲殻に覆われた拳が風を切って「ビュウ」と鳴る。それくらいのスピードだ。
攻撃はそこで終わらない。ジャヴズは両方の拳を連続で叩き込んでくる。リュードがそれを避けるたびに、彼の身体の横で風を切る音がした。
ジャヴズの攻撃は素早く、そして重い。生半可な盾や鎧なんて容易く貫いてしまうほどの高い威力を持ち、頑丈な防具で直撃を防いだところで人間に伝わる振動までは誤魔化せない。防御に徹して反撃のチャンスを窺っている間に全身を揺さぶられ、体力を奪われてしまうのがオチである。
生身で喰らえばどうなるかなんて考えるまでもない。
だから回避に専念する。
一撃が死に繋がる拳。それを躱すリュードはひどく落ち着いていた。魔物を前に慎重になっているからではない。通り過ぎる攻撃を見送る彼の目に籠る感情は、ただの退屈だ。
(……もういいか)
リュードは何度目かも数えていないジャヴズの拳を避け、その付け根に思い切り短剣を突き立てた。「ざしゅっ」という音を立てて剣先が刺さる。
彼がそのまま意識を集中させるだけで、黒い刀身がライムグリーンの光を帯びた。
霊操術。霊気を宿して威力の増した短剣で、ジャヴズの腕を瞬時に引き裂く。
火花が散って、よく分からない声を発しながらジャヴズが仰け反った。普通の生き物と同じような神経が魔物に通っているのかは分からないが、切られた方の腕が力なく垂れ下がっている。
地面を蹴ってリュードは魔物の懐に踏み込んだ。ジャヴズが残った腕でカウンターを仕掛けるが、リュードはこれを難なく回避。そのまま逆手に持った短剣でジャヴズの胸の中心を貫いた。
魔物の動きが止まる。コアにまで到達した短剣がより強い光を発した。杭のように打ち込まれた刃を通して霊気を注げば、魔物の体表にライムグリーンの亀裂が走る。
全身を駆け巡る過剰なエネルギーに耐えきれなくなったジャヴズは瞬く間に爆散した。
紫電と爆風を間近で受けながら、リュードは平然とその場に立っていた。短剣を順手に持ち直してゆっくりと息を吐く。
「…………面白くないな」
魔針盤のチャイムを耳に、少年はつまらなそうに呟いた。それなりに危険視されているらしいジャヴズを相手にしておきながら、彼の心は至って平静だ。胸の鼓動が早まることもなく、敵を前にした昂りも感じられない。
(何かが足りない)
最近はずっとこうだ。今までだって弱い魔物を相手にした時に味気なさを感じることはあったが、それがずっと続いている。
原因に心当たりはあった。
思えば数日前、天気塔が壊れ街中に出現した巨大なパラズマと戦って以降、魔物との戦いに魅力を感じられなくなっている。
それはより強い刺激を求めるようになってしまったからなのか。
それとも……。
(何が欠けている……)
灰色の空と灰色の海。彩りのない世界でリュードはあの時一緒に戦った人物の姿を思い浮かべる。
静かにその名を声に出す。
「…………フレイベル・ベニーロ」
「呼びましたか?」
ひょっこりと背後から現れた影をほぼ反射的に切りつけてしまった。が、その影は「うわあっ」と本気なんだかふざけてるんだか分からない声を上げながらリュードの振り向きざまの一撃をあっさりと回避した。
誰もいなかった海岸に、紅い髪の天使が立っていた。どこからともなく現れた彼女に対してリュードは、
「何の用だ」
「あなたが一人で寂しく戦っていると聞きまして」
「それでわざわざ飛んできたのか、まったく優しいことで」
リュードは短剣を仕舞って海岸を見渡す。ここはレグナンテスの街からはかなり離れたところにある。
「はい! 空からあなたを探すのは苦労しましたわ」フレイベルは両手を合わせて言った。「それで、わたくしは何を手伝いましょうか」
「そうだな……もう魔物は倒したから君も帰るといい」
固まる彼女を脇に置いてリュードは遠くに待機させている走り鳥のもとへ向かう。しばらくしてもう一つの足音が後ろについてきた。
「待ってください。それではここに来た意味というものが」
「君もしつこい奴だ、僕なんかに構っていないで他の人のところに行ったらどうだ。食堂で一緒にいた彼女とかさ」
「トトゥーナちゃんにはお店を追い出されてしまったので。それにわたくしはあなたの力になりたいのです、リュード。あなたのおかげでギルドに入れたのですから、そのよしみですわ」
「じゃあそのよしみとやらで言っておこう」
地面に座り大人しく待っていた走り鳥の近くに来たところで、リュードは立ち止まる。それから振り返って、言った。
「これ以上僕に付き纏うな」
リュードの言葉に、その天使は口を結んでしまう。
「そもそも僕は君を認めてなんかいない。ギルドに入れてやったのは天気塔の修繕費を半分押し付けるためだ」リュードは続ける。「確かに君は強い……だが僕には必要のない強さだ」
走り鳥の背中に乗ったリュードが手綱を引っ張ると、羽毛に覆われたその生き物が立ち上がった。
「あの」
リュードが海岸から離れようとしたところでフレイベルがようやく口を開いた。彼女はリュードが乗っている走り鳥を指さしながら、
「鳥……苦手なのですが。歩いて帰れと?」
「は?」
さすがに意味が分からず、リュードは顔をしかめてしまう。もっと小言でも言われるのかと身構えていた。
「君はどうやってここまで来たんだ? 同じ方法で帰ればいいだろ」
フレイベルがリュードの言葉を理解し、納得したようにぽっかりと口を開けたのは、彼が走り去った後だった。




