引きこもり 7
本音のところでは、恵は退屈していた。確かに本調子ではない。パニックにはならなくなったとはいえ、悪夢を見たり軽いフラッシュバックを起こすことはまだあり、治療も続いている。しかし、既に三十日以上外出できない状況だ。予定では、夏期休暇中ずっとなので、後三十日弱はこのままだ。伯爵邸は広く、訓練場にも通えるようになり、ガスパールと錬金談義を行っているが、アカデミーに通い、アシエ錬金術工房、錬金術師ギルド、図書館などを巡り、邸内にも商家を招き商談をするなど目まぐるしく動き回っていた身からすると違いは大きい。
(自分も勝手よね。あの時は、忙しいことに辟易としていたのに)
でも、焦りもある。護衛部隊の強化は、やらねばならないと考えている。エギルとジョシュアが加わり、護衛隊の力は戻りつつある。あの後、護衛達は自らの力の未熟さを痛感し、これまで以上に厳しい訓練に明け暮れ、力量は一段上がった感じだ。エギルの剣技もかなりのもので、その後成長したニコラにも引けを取らない。もはや、スフォルレアン家の従士でトップの実力になっている。ジョシュアも詠唱破棄をマスターし今は魔法改変に取り組んでいる。エギルは盗賊系、ニコラはヤンキー系でやんちゃ坊主が増えた格好だが、ガスパールが王都に来たせいかルシィの精神も安定しており、この二人の手綱をしっかり握っている様子だ。いつも横でアリスがルシィに囁いているのが気にはなるが。
それでも、恵は今後のことを考えて、装備の充実が必要と強く感じている。
(それには、強い魔獣の素材がほしいんだよね。自分では、だいぶ良くなってると思うんだけど、遠征許してくれないよね。実際、私として一番怖いのは周りの人が傷つくこと。今はこうしているけど、同じことがあったら平気でいられる自信は無いよ。自分一人でみんなを守れないことは今度ことで十分わかったから、皆を強くする。私がこんな立場になってしまったから、皆には迷惑でしかないけど、自重はしないことに決めたし)
更に、護衛隊のパワー・レベリングの検討も始めていた。全員、最低でもレベル30程度にすることを決意していた。そのためには、恵も遠征に出なければならない。実のところ、その許可を取ることが今一番の課題かもしれない。
(まずは、出来るところから始めるしかないよね)
そこで、意を決して、鑑定術、剣術、魔術、錬金術をランク10まで上げた。恵は、護衛隊をより強くするために、鑑定を強化する方法をとった。その鑑定を使い、自分の計画を検証してゆく。
(これで、カンスト。どこまで見えるか・・・お、やった。これならスキルやテクニックの取得条件がある程度推測できるよ、それに発現したスキルの上達方法も“定説”程度だけどわかる。狙い通り護衛の皆により効率的な訓練ができる。・・・自分が未収得のものは情報が少ない?・・・でも分かっているスキルの取得傾向から他の取得条件の推測はできそうね。・・・あれ、これ矛盾してない。鑑定さんバクった?いや“定説”ってことは、皆の思い込みって可能性がある。これ真実は違うんじゃない?もしかしたらいけるかも。ギフトだけじゃなく発現条件もちゃんとあるよ)
ただその中で、思っていなかったものを見つけたてほくそ笑んだ。
「メグ様、何かいいことありましたか。また悪い顔してます」
「もう。私は元々こんな顔ですよ」
「良いでしょう。アカデミーへ通うのは問題ないと判断しました。これからは、毎節季の始めに経過観察とし、改善していればその期間も伸ばしていきましょう」
「先生、有難うございました。このようなもので恐縮ですが、この風のショールを奥様に差し上げてください」
「おぉ。これは今はやりの。うちのも欲しがっていましたが、手に入らなくて。かえって恐縮です」
「いえいえ。先生は親身になってお世話頂きました。どうぞお納めください」
ブロンシュが礼を伝えると、上級貴族の婦人の丁寧な対応に治療師は恐縮した。今日は恵の最後の治療になり、家族そろって治療師の報告を受けたのだ。
夏期休暇も最後の週になり、治療に通ってもらった治療師からアカデミー通学の許可が出た。実際のところでは、籠るより人と交流して笑ったりしたほうが良いとされている。もっとも邸内に籠っていたと言っても、ここは広いし多くの従士や使用人が働いている。決して孤独ではなかった。治療師から運動や人との交流で笑うことが治療につながるとの話が流れると、従士たちがやたらと訓練に誘い、使用人がこぞってボケるなどを始めて、恵が辟易し、サイモンの雷が落ちたこともあった。しかし、誰もが恵をこいさんと呼び慕う姿を見て、彼もため息をついて使用人たちを許していた。
恵の外出禁止は、流れた中傷を聞かせたくないという配慮が大きかった。一節季が過ぎ噂も下火になり、特別審議会も集中して行われ、先週には決着がつき事件のあらましが開示され解散となった。頃合いととしても良かった。
治療師を見送り、家族が居間に残るとサイモンが話を始める。来週から、恵がアカデミーに通い始めれば、いやでも耳に入ると考え家族がそろったこの場で、状況を恵に伝えることにした。この一節季の間、治療に影響する可能性を考慮され、恵は外部の情報を何も聞かされていない。
それまでは、アデルとアリスと毎晩のように情勢を話し合ってきたがそれも途絶えていた。暫く姿を消していたアデルは、二週間ほど前に屋敷に戻ると不在時のことは一切口にせず、元のようにエマの付き人をしていた。どうやら、アリスにも留守にしていた時のことを何も話していないらしい。アリスも、暫くジラール邸に通っていたが、今は恵の付き人としていつも側にいるようになっている。杖が変わっていたが、彼女も何も言わなかった。
サイモンは、初めに特別審議会で決定された内容について説明を始める。今回のミュールエスト辺境伯の暴挙の動機は、七年前に他界した婦人マヤが亡くなる際に告げた言葉に端を発した。それは、現国王ジャンが皇太子時代に妃を娶る際の、穏健派と強硬派の妃候補の争いで、強硬派の候補者となっていたマヤが謂われなきスキャンダルにより貶められ候補から落とされたことだった。そのスキャンダルを仕掛けた者をサイモンと判断し、スフォルレアン家を執拗に攻撃してきたという。そして、この部分は非公開だが、実行役として引き込んだのが帝国の工作員だったとまとめた。
恵としては、亡くなった夫人の言葉が何故これほどまでの事になったのか理解できなかったが、話を止めることなく聞くことにした。
審議会での最初の論点は、これが反逆罪になるかどうかであった。事実関係だけで言えば、派閥を掌握する貴族の頭首と執事が直接かかわり、敵国の兵を招き対抗派閥の上級貴族を襲撃したので、単なる貴族同士の諍いを超えた行為とされてもおかしくなかった。しかし、被害当事者のサイモンがそれを個人的な逆恨みと指摘し、生前に渡るミールエスト辺境伯の功績を無かったことにし、爵位を剥奪するよう過激な申し出を行うことで、審議会はいつの間にか個人としての辺境伯への罰の軽重の話になった。それに対し、皇太子のアレクシスが辺境伯の自殺は、貴族として自らを裁いたことでもあり、これまでのミュールエスト辺境伯の功績を無かったことにすることには値しないと、サイモンの発案を否定すると審議会の流れはそちらに向かった。しかし、貴族頭首が罪を犯したことに変わりはなく、領地は召し上げられ一旦直轄地とされ、未成年の嫡男フェリックスは、恵の救援に向かった実績を加味し、成人した際に温情を与え、下級貴族としてバルセンヌ家を再興させるとなった。
また、帝国から来た者たちは、国の諜報、工作を行う機関の者で、詳細は伏せられたが執拗にガルドノール領に仕掛けていたことが事実として確認されたとし、強く抗議をすることが裁決された。さらに、この件に関しては国としての対応であることから、アレクシスをトップとする組織をつくり対応するよう国王ジャンからの指示が出された。
見る者から見れば、サイモンは狂言回しの役を振られ、王家の思うとおりの筋書きを進めたことは分かったが大きな反対もなく決議された。実のところ、強硬派を掌握するヴォロンテヂュール侯爵との間では、瓦解すると予想される中道派の取り込みの線引きと、将来期待される帝国からの利益に対する配分の密約がアレクシスとの間で出来上がっていて、強硬派は審議会で静観することになっていたのだ。
審議会の決定は、帝国の関与の部分は除かれ今週始めに布告されていた。これにより、恵とフェリックスに痴情の縺れがあったとするあらぬ噂は一掃されるだろうとした。サイモンは、この話については言い難そうにしていた。恵は”そんな話になっていたんだ”程度であった。しかし、ブロンシュとエマが悲痛な面持ちで”ひどい、ひどい”と繰り返していた。そのため、ライアンが当家の従士がその噂をしていたものと大立ち回りの末、懲らしめたが騎士団に捕まった話を、冗談を交え披露し、ブロンシュを呆れさせながらも沈んだ雰囲気を持ちあげた。
(私が貴族のお嬢様感覚とズレがあるだけなんだけど、お母様からは、まだ幼くて分からないと思われちゃったみたい。でも、ライアン兄、グッジョブ)
そして、サイモンは改めて恵に向かい、言い聞かせるように話し出した。
「マルグリット。時期はまだ決まっていないが、近い将来お前はクロエ王女殿下の付き人となることが決まった。心しておくように」
貴族の令嬢が、上位の貴族のメイドや付き人になることは別に珍しい事でない。行儀見習いや婚活の一環とされ、その最たるものが王族付きである。恵も調査委員会で気絶していた時のクロエから話が出たことは聞いていたが、まさかこんなに直ぐにその話が出るとは思っていなかった。
「お父様、それは何時の事でしょう。アカデミーを卒業したときでしょうか」
「まだ決まってはいないが、それよりも早くなるであろう。知っている通り、この度のことでお前が持つ力について、多く者が知るところとなった。クロエ殿下の采配で主だったものに誓約書を書かせることは出来たが、帝国への対応が進んで行けば効力はなくなる。次女と言う立場も含め、今のお前は、当家の力だけでは懸念を拭いきれない。強い後ろ盾となって頂ける方が必要なのだ」
そして、異例なことに恵の護衛隊はクロエ王女付きとなった後も、スフォルレアン家内で存続させるとした。これに異を唱えたのはライアンで、恵の鍛えた護衛部隊を譲り受けアレクシスのために使うのが正しいと主張した。しかし、それには従来通りこの屋敷の他の従士を当たらせればよいとし、頭首が決めたこととだと突っぱね、その理由に対し一切説明しなかった。ライアンは不満に思いつつも裏に何かあると考えそれ以上言い募ることは控えた。
(護衛達をそのままにしてくれるのは有難いけど、今のやり取りちょっと気持ち悪いな。姫様のお付きになること自体はいいけど・・・、今でも難しいのにお付きになったら、ちょっと出掛けますとはいかなくなるよね。素材集めやパワー・レベリングが出来なくなっちゃうよ。いや、今でもちゃんとした理由がいるか。早いとこ説得材料を考えないと)




