引きこもり 6
イスマエルは、今回の騒動に対して頭を悩ましていた。先のガルドノール伯爵令嬢襲撃事件に帝国の関与が疑われ、調査委員会から国の重鎮により構成される特別審議会に引き継がれ、宰相である自分が取りまとめることになった。しかし、派閥抗争の場と化している審議会をまとめる自信は無かった。お飾りで宰相になったと自分でも分かっている。イスマエルのフゥベー家は、派閥間対立が激化したときも態度を保留し続けていたらいつの間にか中道派として組み入れられていた。そのため、中道派と言うより日和見派と陰口で言われていたが、父親も自分もそれでよいと考えてきた。
状況が変わったのは、七年前の政変で当時の宰相であり穏健派の事実上のトップであったガルドノール侯爵が罪に問われ、伯爵に降爵されたうえ宰相の任を解かれた。傍から見てもこの時のヴォロンテヂュール侯爵の糾弾には無理があったと思っている。他国では知らないが王国の宰相は、王が皇太子時代にアカデミーで築いた上級貴族の人脈から選ばれ、次代に王権が継承されるまで続く。言わば国王のパートナーとなる存在だ。政変で無理を通した強硬派も宰相までは自分の派閥からは出せず、かといって穏健派からの選出は許し難く、結局人畜無害のイスマエルに白羽の矢は当たった。
当然のように、派閥抗争でもめる議会を治めることもできず。相変わらず、国王はガルドノール伯爵に信を置いている状況が続き、置物と揶揄される状態ではあった。
イスマエルは自分の手元にある、ミュールエスト辺境伯の手記の扱いに悩んでいた。熱心な中道派では無いイスマエルは、ミュールエスト辺境伯とは距離を置いていた。とはいえ、同じ派閥のトップである辺境伯の極めて個人的な思いが綴られたこの手記を、杓子定規に特別審議会に出して良いのか考えていた。本来なら真っ先に、国王に相談を持ちかけるところなのだが、体調が思わしくないことも聞き及んでいる。そして、襲撃を受けた当事者の令嬢の父親であるガルドノール伯爵が、先行しての開示を強く求め、体調の優れぬ国王にかわり、政務を執り始めた皇太子からも開示の要求が来ていた。
手記の内容は、他界したミュールエスト辺境伯の夫人について綴られたものだった。ミュールエスト辺境伯夫人のマヤは、強硬派のペリン子爵の二女として生まれた。幼いころから、容姿が整っていたと言うが、性格は内向的で友人も少なく社交界では壁の花になっていた。そんな彼女も父親の友人で同じ派閥のルアール男爵家の嫡男を兄のように慕っており、それに気づいた父親は友人と子供たちの縁談を進めようとしていた。とこが、当時皇太子であったジャンが皇太子妃候補を探し始めると、強硬派の上級貴族に年頃の娘がいなかったことから、マヤをブロール伯爵の養女にして強硬派の候補とする動きが出た。下級貴族であるペリン子爵家は、ヴォロンテヂュール侯爵家からの要請に逆らえるはずもなく、マヤは流されるままに皇太子妃候補とされた。
この時既に、穏健派からはブクリウエスト辺境伯令嬢のルイーズ、中道派からはオリヴィアが候補として挙がっていて、これにマヤが加わり三つ巴の争いとなった。皇太子妃が決まると、大きな問題が無ければ二人程度であれば側妃として迎えられるが、どの派閥も自分たちの候補を将来の王妃とするべく、陰に日向に策をめぐらした。それは、綺麗ごとのアピールばかりでなくスキャンダルを流すような妨害工作も日常茶飯事である。むしろ、現在のアレクシスのように、エマ以外は娶らないと宣言し候補選びが紛糾することを抑えた例は稀である。ただし、その場合でも血筋を絶やさぬ意味で数年様子を見て子供に恵まれなければ、側妃を最低一人は迎えることになる。
ジャンのときは、三つの派閥が争う形となっていた。その中で、マヤに対してスキャンダルの話が持ち上がった。素行の悪いことで有名な子爵の三男マクソンスとふしだらな関係があるというものだった。よくある根も葉もない中傷であったのだが、この時マクソンスがスキャンダルを認めたことで話がこじれた。三男であるマクソンスは、長男が家督を継ぐと平民に落ちる。素行が悪い彼は、準男爵や騎士になるための努力は全くしていなかったが、降ってわいたスキャンダル騒ぎに乗り、皇太子妃候補から落ちたマヤと婚姻することで伯爵家の係累となり資金援助を受けようと浅はかな考えを持った。
形式だけで養女としたブロール伯爵家は、事態を軽く見てスキャンダルに対して積極的な対策を打たず、噂は大きく広がった。結局、皇太子妃候補としてふさわしくないとの理由でマヤは外されてしまう。
マクソンスの思惑が外れたのは、ブロール伯爵はさっさとマヤを絶縁し実家に戻したことだ。ブロール伯爵としては、誤解であったとしても国中に知れ渡ったスキャンダルを抱えた娘には政略結婚の価値はなく、マヤに思い入れも無い。金目当てのマクソンスは、下級貴族で家も継げないマヤに付きまとうことは無くなったが、間の悪いことに慕っていたルアール男爵の嫡男はマヤをあきらめ既に別の女性と婚約してしまった。結局マヤだけが取り残されてしまった。
このとき、彼女に求婚をしたのが、当時ミュールエスト辺境伯の嫡男であったノエである。犬好きのノエがアカデミー時代に、早朝の習慣としていた愛犬の散歩をさせていたとき、同じように愛犬の散歩をさせているマヤを見知るようになった。あるとき、リードから逃れた彼女の犬を捕まえたことで、その後は、出会えばマヤと会話をするようになった。ノエは密かに彼女の奥ゆかしく淑やかな性格を好ましく思っていた。しかし、派閥も違い、爵位も離れたマヤとの間は進まないものと諦めていた。そのような中で起こったスキャンダル騒ぎの結末を聞き、ノエは行動に出たのだった。
戦争で足を痛めたノエの父親を献身的に介護していた母アガタは、理不尽な戦争暴力により孤児や寡婦となった者たちの境遇に心を痛め、救いの手を差し伸べていた。形こそ異なるが理不尽な力に翻弄されたマヤの境遇を聞き、頭からの否定はせず、ノエの説得を聞いた。その後、接してみるとマヤの心根の良さを感じたアガタが、二人の後押しをしたことで婚姻が成った。
結婚後も夫婦仲はよく、また、マヤがアガタと共に領内の寡婦や孤児の救済の活動を行い、嫁姑の仲も良好だった。
マヤは七年前に他界した。死亡原因は流行病であり、その死に不信は無かった。成人間際の多感な時期に大きな不幸に見舞われていたが、その後は良い伴侶と家族に囲まれて過ごすことが出来た。まだまだ亡くなるには若い年齢であり、漸く良い人生が送れるようになったと思うと不憫でならないが、彼女はノエと巡り合うことが出来、その一生は後悔ばかりではなかったはずとイスマエルは思った。だが更に続く手記に言葉を無くしてしまった。
「マヤを看取るとき、彼女の希望で二人きりになると、最後の言葉を私に残した。私は、その言葉を一言も忘れることは無かった。
”あなたと巡り合えたことが私の幸せ。絶望した私を救い、傷を癒してくれた優しいあなた。ありがとう私のノエ。あなたと、人生を歩めたことを神に感謝します。フェリックスのことをあなたに託します。そして願わくば、私のような不幸が少女たちの身に訪れることが無いように気を配ってあげてください”
マヤはそう話し、静かに目を閉じ逝ってしまった。
私は、いつも笑顔で側に居てくれたマヤが、最後まで心に刺さる棘を抱えて生きてきたのかと思い知らされた。それを放置して安穏と暮らしていた我が身を呪った。マヤを貶めながら今ものうのうと生きている者たちにも、この想いを届けなければならないと強く誓った。
しかし、これは私個人の恨みだ。事に当たり、当家のものを使うことは憚られた。そこで、許されない行為と知りつつ、かつて休戦交渉に際して得た伝手により、帝国よりこの手のことに適した者を引き入れた。
最後に、幼き頃より兄弟のように育った執事のアシルにだけは、私の心情を吐露し協力をしてもらった。アシルは、ただ私の命に従ったまでだ。そのことは、ここに明記する」
結局、イスマエルは自らの判断を放棄し、ジャン、アレクシス、サイモンを集めこの手記を託すことにした。
「私怨と言っていいのだろうか」
ジャンの困惑した呟きが、王の執務室に広がる。先程まで、宰相のイスマエルが、ミュールエスト辺境伯の手記ついて報告し、それをジャン、アレクシス、サイモンに託して去っていった。
「逆恨みに近いと思いますが。この手記を信じるならば、すくなくとも動機は個人的なものです」
「筆跡も間違いなくノエのもので、薬物や強要されて書かされた痕跡も無いとのことだ。サイモン。スフォルレアン家としては如何する」
「当家としては、この手記の内容を信じ、罪を辺境伯個人に限定し断罪します」
「しかし、当のノエは自殺しているぞ」
「生前に戻り、ミュールエスト辺境伯の爵位の剥奪を願い出ます」
「・・・それは、死人に鞭打つ行為ではないか。逆恨みの被害者だとしても批判の声が上がるぞ」
「そこは、陛下が温情をお示しになれば、当家は矛を収めます」
「ふむ、その茶番はアレクシスにさせよう。その後は、中道派の糾合をするつもりであろう。お前が宥め役になった方が都合がよかろう」
「良いのですか」
「余も身体が思うようにならなくなってきた。それに、お前が考えるように穏健派もこのままと言う訳には行かぬだろう。お前の時代になる。やってみるが良い」
「有難うございます」
「サイモン。意に沿わぬこともあろうが、これを支えてやってくれまいか」
「古参が何時までも横から口を出せばやり難いでしょう。皇太子殿下には、愚息ライアンを付けております。未熟ですが、私のように途中で降ろされるようなことはないでしょう。それより陛下、何を弱気なことを仰います。浮世の雑事は若いものに任せ我々は、好きなことをさせてもらいましょう」
「積年の派閥抗争も雑事とは、お前には敵わぬな。・・・して、アレクシス。帝国には如何するつもりだ」
「基本的には、この度のことを引き合いに高位の者を出席させる会談を開かせるつもりです。どうせ帝国は我が国が勝手に犯罪者を引き込んだだけと白を切るだけでしょう。これは、会談を開く口実ですので特に結果は求めませんが、話の決裂をもって国交は閉ざしたままとし、難民の流入は防ぎます。その代わりとして、人道支援として借款で穀物の提供を申し出ます。そして、これを契機に、経済的な支配を進めます。三年もそれを続ければ結構な借財を負わせることが出来るでしょう」
「返済に困った時点で、その一部を権益の譲渡にするといったところか」
「そんなところです」
「既に、独自に穀物を抑えにかかっておったな。始めからの計画通りと言う訳か。交渉に高位の者を呼び出す口実が転がり込んできたようなものだな」
「正直に話せば、この計画を検討していたときは、父上とは異なる政策を打ち出し、未熟との誹りを新しい動きに変え王権の移譲を滞りなく進めようと考えておりました。周囲も状況が先に動き出してしまったようで、なにやらおかしな気持ちです」
ジャンから直接王権を託すと耳にして、毒気が抜けたようにアレクシスは吐露した。
「しかし殿下、帝国の行動に一貫性が見えないことは気になります。現状の国力を考えると戦端を開くことが出来ないはずです。皇帝ヘンリーは絶対王政を敷きつつもパランス感覚に優れていると聞き及んでいます。飢饉のためにただでさえ国民に不満が募っている中で、敗戦となれば不満分子を抑えられなくなるでしょう。マルグリットへの襲撃は偶発的に起こったとしても、スタンピード、カルの盗賊は計画的に仕掛けています。ミュールエスト辺境伯の意向を受け当家を狙ったものに違いはありませんが、一つ間違えば開戦となる事態もつながるリスクを孕んでいたはずです」
「噂程度は聞いていると思うが、帝国にも王家の守りを潜ませている。そこからの報告を話しておこう」
「やはり、そう言った者がいたのですね」
「帝国に根を張り既に数世代を経ている。情報が漏れると根付かせた諜報ルートが根絶やしにされかねぬこともあって、この情報に触れることの出来るものは限られた者だけとしている」
実際の情報はトリグランドの商人や教会の流れの中に紛れ込ませるもので、頻度は多くなく、暗号で伝えられる量も少ない。更に内容も断片的なものだ。王家の守りを司るヴァリーニュ子爵は、その他の情報をインテリジェンスとしてまとめ、統括しているブクリエウエスト辺境伯に提出する。その報告は直接国王にだけ伝えられていた。さらに、その情報の使いどころもよくよく吟味する必要がある。ジャンは今がその時と考えた。
「帝国は、王国と違い皇帝が崩御して皇権が移譲するが、若き皇太子はそれが待てぬらしい。不満分子を煽って皇権を奪う機会を狙っているようなのだ」
「今回我が国に手を出したものは、皇太子派が帝国内の飢饉により政情が不安定になっているところに、更に揺さぶりを掛けようとした訳ですか。それであれば、簡単に帝国の関与が表に出たことも頷けます」
「しかし皇太子も、危ない賭けに出たものですね」
「そうだな。とにかく帝国は絶対王政の一枚岩ではない。そう心得よ」
「ですが、帝国対応の基本方針は変えずに進めるつもりです。ただし、ダンスの相手を皇帝とするか皇太子とするかは改めて吟味いたします」
「まだ机上の空論だが、大筋は了解した。それで、ユリスは黙ると思うか。数だけで言えば強硬派の方が上だぞ」
「ユリスにも、国の大事として本件の一端を担うよう誘います。知り得た情報から事件に関与していない中道派が分かるとなれば、取り込みが再開できると考えて話しにのるでしょう。実際には、残っている者たちは日和見派が多いので、こちらが取り込んでも実は少ないと考えています。あとは、成功時の帝国の権益の一部をちらつかせましょう」
「心するのだぞ。形は違えど、この策は王家に権力の集中が進む。我が国が絶対王政に踏み切らなかった理由を良く考えるのだぞ」
「承知しました」
そのあと、特別審議会の段取りを決めて、アレクシスは退出した。ジャンとサイモンは二人きりになると、一旦メイドを呼び紅茶を変えさせ一息つく。ジャンの表情も砕けた。
「良いのか、余に付き合ってお前まで引退することはなかろう」
「ご覧の通りですよ。マルグリット程ではないにせよ、ライアンもエマも発想の根幹が異なっています。新しい考えを躊躇わずに進もうとしています。どうも自分は過去の因習に縛られ過ぎているようです」
「お前の言う通り、我らは好きにさせてもらうのも良いかの」
「ところで、クロエ殿下がマルグリットを引き取るとお話になりましたこと、如何いたしましょう」
「あれにも困ったものだ」
「ルイーズ様の指示では無いのですか」
「クロエがやりたいならやらせるだけと言っておる。クロエはルイーズに似てあのようなことが性に合っているので、それを見越して直接指示をしていないだけかもしれぬが」
「クロエ殿下御自身のお考えでしたか」
「クロエ自身は、エマと二人で次代の社交界を掌握したいと考えているようだが、マルグリットをどうしたいのか、その辺りはいまひとつ分からぬ」
「あの一件で怪しい動きを見せていた貴族たちを留めましたし、マルグリットの今後のことを考えるとクロエ殿下の後ろ盾は心強いものと」
「アカデミーに通っている内にと考えていたが、マルグリットの処遇を早めに決めねば成らぬな。やはりアクセルに娶らすか」
「また、ご冗談を。既にエマがアレクシス殿下との婚約が決まっています。姉妹揃って王族に嫁ぐなど、強硬派どころか全ての貴族が容認しません。まして出自が分からぬ者です」
「先程、因習にとらわれ過ぎたと、自ら言うたばかりではないか。いくら個人の罪に留めても、ノエは上級貴族の頭首なのだ、バルセンヌ家は一旦取潰しとなろう。嫡子に再興させても降爵は必定。ミュールエスト領は一時的に直轄地としても誰かが治めなければならぬ。そこで、地均ししたところで成人になったアクセルを辺境伯としようと思う。その相手に、マルグリットは最適と思わぬか。実はな、アクセルもマルグリットのこと満更でもないようでの」
「・・・そこまでお考えとは・・・」
答えに窮するサイモンを、ジャンは楽しそうに見ている。ジャンとしては、自ら盾となって謂われ無き罪を負い、宰相の職を解かれ降爵された友に対する気持ちがやや暴走している様子ではある。
「今の話しもまだ先のことだ、それまでクロエにマルグリットを預けるでどうだ。ただ、アクセルのこと冗談では無く考えておけよ」
「・・・御意」




