アカデミー 10
王都から西に五キロほどの草原に、三十名ほどのアカデミーの生徒が集まっていた。もはや夏と変わらぬ日差しを受けた草原は草いきれで満たされていた。ここは王都に近い西の魔の森の辺縁。直ぐそこに森が始まっている。今日は、騎士科と魔法科の一年生による野外討伐実習である。夏季休暇前の恒例行事で、クラスを分割して数回に分けて行われる。今日が第一陣になる。構成は騎士科十五名、魔法科五名で三年の騎士科と魔法科の有志十名がサポートとして付く。あとは騎士科と魔法科の担当教師である。討伐と言ってもホーン・ラビットが目的で、平民で冒険者見習いをやっていた者たちから見ると”何を大げさな”と冷めた目で見ている。貴族の子供たちは討伐が初めてという理由もあるが、三年前の事故による処置だった。
それまでは、魔の森に少し入っての討伐実習で、ホーン・ラビット以外の魔獣も対象となっていた。その年は天候が不順で魔の森の中の食物連鎖が乱れていたが、実習の二日前にあった季節外れの嵐のためか、普段は中層にしかいない窮奇が三頭現れ怪我人が出た。この時、最上級生としてサポート役で同行していたエマが、現場から一歩も引かずヒールで怪我をした生徒を救い続け、聖女の異名を確定させた。アカデミーは、この事故を重く見て、現在の草原で討伐に変わっていた。
昨年は生徒の集団を恐れたためか、中には一頭もホーン・ラビットが現れなかった班もあり、討伐実習とは名ばかりだと生徒には不評であった。しかし、危険を冒すわけにもゆかず今年も森には入らない。その話しを先輩たちから聞いている一年生はピクニック気分である。アカデミー側も昨年は同行させた補助教師二名の参加を取り止め、担当教師にだけに任せることにした。その中でも、クロエは熱心に取り組んでいた。何せ大好きなエマが活躍した行事である。三班に分けられた実習の全てにサポートとして出席すると言い出し、エステェに諌められていた。
先ず教師による実習の説明と注意事項が改めて話され、その後三グループに分かれて実習が始まる。クロエはエステェとやや後方で全体を眺めていたが、みなのんびりと散歩に出ている感じだ。中には草むらに生える花を摘む少女達もいた。
三十分もそんな状態が続いた時、森の近くまで行っていたグループから歓声が上がった。どうやら、目的のホーン・ラビットが現れたらしい。
「あっちに逃げた」
「何処へいった」
などと、騒がしくなり始めたとき、近寄ってきたもう一つのグループでも歓声が上がる。どうやらもう一頭いたらしい。わいわい言ってホーン・ラビットを追いかける様は、討伐と言うより追いかけっこになっている。
その時、森から更に三頭のホーン・ラビットが飛び出してくるのがクロエの目に入った。
「何かおかしいです。姫様」
教師たちもそれに気づいて、生徒にこちらに戻るように指示を出し始めた。しかし、獲物を追いかけるのに夢中な生徒にはその声は届かず、近くにいた一グループだけしか戻ってこない。
教師たちが、クロエに戻ったグループを見ているように頼むと、騒ぐ生徒たちの方へ声を掛けながら駆け寄って行った。
数人の生徒が教師の声に気付いて、こちらに戻り始めたとき。森から六頭のオークが姿を現した。
「オークです。みんなこちらに来なさい」
クロエが、声の限りに叫ぶ。教師がそれに気づいて、オークを確認し叫び声を上げながらオークの前に立ち向かう。しかし、二対六だ分が悪い。それでも教師は一歩も引かぬ構えで生徒を庇い立ち向かう。
生徒にもようやく事態が伝わりこちらに逃げ始めるが、パニックを起こした生徒もいて、サポート役の三年生が焦りながらもこちらに向かわせようと奮闘している。その脇では、騎士科の腕自慢の三年生が教師に支援に向かおうとして、教師に止められている。
「エステェは、オークの足止めに行くのだ」
「ダメです。私は姫様の護衛。あなたの下を離れません」
「このままでは、先生方は殺される。生徒にも被害が及ぶぞ」
「何と言われましても」
その時、魔法科の教師が狙いすましてミディアム・ショットを撃った。出鼻をくじくように、先頭にいたオークの眉間を打ち抜いた。撃たれたオークはそれで倒されたが、続く五頭は酷く興奮している様子で怯む様子が全くない。騎士科の教師が専攻して、オークの進路をふさぐ。オークたちは手にした棍棒を振り回して威嚇しながら、騎士科の教師へ向かう。騎士科の教師は、真っ先に突っ込んできたオークの棍棒を躱し鋭い突きで喉元を刺し、後ろに下がる。オークは一瞬怯むだけだ。その隙に右手から次のオークが襲い掛かる。今度は叩きつけられた棍棒が地面を叩いた時の伸びきった腕を切る。しかし、骨を断ち切るには至らない。その時には左脇からもう一頭が回り込んできたが、二発目のショットが後頭部を撃ち抜く。騎士科の教師は、大きく下がる。魔法教師は槍を構え、次の詠唱を唱えながら騎士科の教師が囲われないようにオークの気を引こうとしている。二人の基本的な作戦は、騎士科の教師がオークの足止めに専念して時間を稼ぎ、魔法科の教師がミディアム・ショットで倒してゆくものだ。手堅い戦いと言えるが、この場合騎士科の教師の負荷が重い。三発目のミディアム・ショットも決まり三頭目も倒れた。しかし、オークは仲間が倒されても、まったくひるむ様子を見せない。
クロエは教師を気にしながらも指示を出し、集まった生徒に点呼させて人数の確認をさせる。そして揃ったグループから三年生を付けて避難をさせる。2班がこの場を離れるが、最後の一班がまだ集まらない、見るとうずくまった一年の女子生徒を三年の女子生徒が必死に引きずっているのが見えた、こちらまでまだ距離がある。
騎士科の教師は何とか凌いでいるが、疲れが見え始めたようで動きが鈍くなっている。焦ったためか四発目のミディアム・ショットは、硬い肩の筋肉に当たり致命傷に至らなかった。オークは逆に激高し、持っている棍棒をむやみやたらに振り回し始めた。それを見た、クロエは逃げ遅れている生徒に向かって走り出した。それを止めようとするエステェに叩きつけるように叫ぶ。
「エステェ。命令です。あのオークを討伐なさい」
命令することを嫌うクロエのその言葉に一瞬怯んでいるエステェに。
「王族命令です」
エステェはここに至って、クロエは絶対に引かないと思い”拝命しました”の声を残し、瞬歩を使い教師達の下に向かった。クロエも逃げ遅れている二人の下に駆け寄る。後ろから騎士科の三年生の騎士科の男子が続く。クロエが逃げ遅れた女子生徒の下につたときには、既にエステェはオークと戦闘に入っていた。騎士科の教師は、怪我したのか左腕をだらりと下げている。それでも彼は、エステェが動きやすいようにオーク一頭を引き付けていた。
クロエが助けようと頑張っていた生徒と二人掛で倒れていた女子生徒をおこしたところで、追いかけてきた騎士科の生徒が“私が変わります”といって、クロエの代わりに生徒の腕を取った。逃げ遅れた女子生徒は左右の三年生の肩を借りて移動を始めた。気になっていたエステェを見ると、彼女は、難なく一頭のオークを切り伏せていた。騎士科の教師と対峙していたオークは、五発目のミディアム・ショットの銃弾をこめかみに受けて討ち取られた。残りは一頭。こうなれば、エステェは難なく仕留めるだろう。クロエは、安堵しつつも逃げ遅れた生徒の後を追って皆のところに戻ろうとした。その時、背後の草むらからザワザワと音がして、一頭のホーン・ラビットが飛び出してきた。ホーン・ラビットは逃げ遅れた生徒の背中めがけ、角を立てて突っ込んでゆく。支えている三年生も気付くが、肩を貸しているため動けない。ホーン・ラビットは、初心者向けの魔獣で冒険者でなくとも討伐は出来るが、それは装備を着けて構えているからで、無防備なところを角で体当たりされれば怪我を負う。
クロエは咄嗟に、一年生を守るようにホーン・ラビットとの間に身体を割り込ませる。ホーン・ラビットがクロエの背に当たろうとしたとき、胸のペンダントが光り背後にホーリー・シールドが出現した。ホーリー・シールドに頭から突っ込んだホーン・ラビットは突進を止められ、ポトリと地面に落ちその場に蹲る。ホーリー・シールドは、接触した相手の運動エネルギーを奪う魔法だが、頭の角から突っ込んできたホーン・ラビットの場合、当たった瞬間は頭部が止まっても身体はシールドの影響下では無いのでそのまま進む、直ぐに影響下に入るので身体も止まるが、時間差がありその瞬間はホーン・ラビットに大きな負荷が加わる。ホーン・ラビットがこれで死ぬことは無いが、静かに落ちたように見えてダメージは入っていた。
逃げる生徒を支えていた、騎士科の三年生は我に返り、もう一人の三年に生徒を預け、蹲るホーン・ラビットに剣でとどめを刺した。
「殿下。お怪我はございませんか」
「大事ない。さぁ行こう」
クロエたちが、生徒達の下へ着いた時には、オークの討伐も終わり、教師たちとも合流した。騎士科の教師は左腕に大きなけがを負っていたが、用意されていたヒールの魔法スクロールにより処置された。
「姫様、今のは」
エステェが勢い込んでクロエの下へ来る。
「メグが守ってくれた。大事ない」
見ると、クロエのペンダントのサクランボに見立てた赤い魔石が白く魔力が抜けていた。
「申し訳ございません。私の判断ミスです」
「よい、私が命じたのだ」
「ですが」
「それ以上は申すでない。お前が行かねば、教師たちは助からなかった。生徒にも被害は及んだであろう」
「皆、揃っているか・・・よし、では戻るぞ」
魔法科の教師の声の下、生徒たちは黙々と帰路に就いた。
「メグ。あんなもんも作ったんか」
「まぁね」
午後の錬金科の講義の席で、恵はぐったりと机に突っ伏していた。伯爵令嬢の姿ではない。
「うちのとこにも、工房仲間からぎょうさん問い合わせが来てるで」
「もう私、ダメだわ。クラスの方は貴族多いでしょう。友達がガードしてくれてるけど、持ちそうにないわ」
「ここの連中も、メグが上級貴族だから遠慮しているけど、内心は興味津々だわ」
「わかる」
「どないするんや」
「とりあえず、領地に帰ることにした。どうせすぐに夏期休暇だし。ショールのこと悪いけどお願い」
「その方がええな。ショールの件はなんとかする」
「恩に着るよ。何かで埋め合わせする」
「あ~。埋め合わせの方法は、事前に相談してな。埋め合わせが、大事になるかもしれへんし」
「信用無いな」
「信用ってのは実績やで、メグはトラブルばっか積み上げてるやないか」
「あぁ。自覚は少しある・・・」
「少しなんか」
リラとの会話は、今の恵にとっては心を落ち着ける貴重なものであった。
討伐実習の事故は直ぐに話題になった。直接的な被害は騎士科教師の怪我に留まったが、事態は重く見られている。当然、それ以後の班の討伐実習は取りやめとなり、事故調査委員会が立ち上げられた。だが、通常の調査委員会と異なるのは、この事故の参加者にクロエが同行していたことによる。調査委員会のメンバーに近衛や王族の日常を管理する秘書官も加わることになったからだ。
もう一つ問題を大きくしていることに、発生原因の調査の結果がある。事故の翌日、早々に騎士団による調査が行われ、西の魔の森の中層部にオークの集落の討伐跡が発見された。今回イレギュラーとして現れたオークは、討伐から逃がれた個体の可能性が高いと結論付けられた。更に、この討伐には冒険者ギルドが関係していなかったことが分かると王族に弓引く陰謀説まで唱えられ紛糾した。
表面上の結論としては、引率教師の人数を減らした、アカデミー側の安全管理体制の問題となる見込で、陰謀論は水面下のものとなった。
エステェの処遇については、王女の護衛から降ろされた。これにはクロエが猛反発したが、どんな理由があっても護衛が護衛対象の下を離れたことは問題とされた。エステェが討伐に加わったことで大事に至らなかったことは事実であり、その際、彼女に対しクロエの強い命令があったことを現場に居合わせた生徒たちが証言した。これが認められ処分は見送られたが、護衛として不適格とされ外されることになった。
また関連して、今回サポートとして同行した騎士科、魔法科の三年生には、下級生救出の働きに対して王妃ルイーズより感謝状が贈られた。
一方、表立ってはいないものに、守りの魔道具の噂があった。噂の内容としては次の三つになる。
クロエが一年生救出の際にホーン・ラビットに襲われ、守りの魔道具により難を逃れた。
クロエと一緒に救助に当たっていた騎士科の三年生が発動の瞬間にペンダントが光るのを目撃した。
避難待機していた生徒がホーリー・シールドを目撃しており、戻ったクロエのペンダントの飾りが魔力放出後の魔石状態になっていた。
これらは、何れも口止めが行われていたにもかかわらず、調査委員会での事情聴取内容を含め噂として流れた。そして、ペンダントについては、今期が始まったばかりのときクロエ自らが恵の作ったと周囲に話していたのを多くの者が記憶していた。
これにより、表立っての動きは無いものの、水面下でスフォルレアン家の者、及び関係者に接触を図るものが続出している。
「マルグリット何とかならないか、仕事にならんのだが」
「このようなときこそ、お兄様として妹をお守りください」
「おまえは、都合の良いときだけそれを言うな」
「それが妹というものです」
「何か間違ってるぞ」
「私も大変困っています。中には事実関係をかなり把握していらっしゃる方もいらして、認めざるを得ない方には陛下から口外無用と厳命されていますとお伝えしているのですが、とてもしつこいのです」
「それは、お前がホイホイ甘いものを受け取っているからだと思うぞ」
「それとこれとは違います」
「同じだ。・・・マルグリット。お前少し太ったな」
「!」
恵とライアンは、投げやりな会話をすることが日課になりつつあった。ただ、エマだけはニコニコとその会話を横で聞いていた。王妃ルイーズのガードは鉄壁であった。
「とにかく私は、早急にガルドノールへ戻ることにいたします」
「ほとぼりが冷めるまで、籠っていろ」




