19 貪欲な腕
「ケイン・ミカドの残虐行為に対して」
太った老人は確認するように指を立てる。
「世論の批判が非常に高まっている。軽い処分では到底収まらないだろう。それは君もわかっているはずだ」
「ですからそれは事実ではないと」
ジェイミーの抗議を手で遮り、マックスウェルは言った。
「ライセンスが没収されれば、ケイン・ミカドは困ることになる」
ジェイミーはさすがに怒りを抑えかねた。
「では、いったいどうしろと?」
マックスウェルは視線をそらし、さらりと言った。
「相手は今後も連盟に対して攻撃を仕掛けてくる恐れがある」
「相手?」
ジェイミーは身を乗り出して叫んだ。
「連盟に接触があったのですね!」
「彼等は要求してきた。NYでの一連の事件が、あの夜のブレイン・バトルの影響で起きたということを公表しろと」
「それはできませんね」
ジェイミーは即座に言った。
「因果関係が立証されていない」
「その通りだ。彼等自身も証明できない。それは彼等のジレンマでもある」
「彼らはテロリストですか?」
「まだわからん。連盟が全力で調査中だ」
「理解できません。テロや金が目的でないのなら何のために行動しているのですか?」
「少なくともブレイン・バトルを利用しようとしている」
マックスウエルは苦々しげに顔を歪めた。
「来年はワールド・バトルだ。全世界で数億人があの光パターンを見たらどうなると思う?」
ジェイミーは口をつぐんだ。
可能性は否定出来ないが、連盟を相手にしてそれを実行できるとは思えない。
マックスウェルはおもむろに薄いファイルを取り出し、デスクの上に広げた。
「このブレイン・バトラーを知っているかね?」
ジェイミーは立ち上がり、デスクに歩み寄った。
ファイルの写真は、険しい表情の痩せた白人。
暗い動物のような眼に、粗暴さと残忍さが滲み出ている。
「名前はサイモン・フィリップス。ギアはグリーディ・アームズ『貪欲な腕』。ドーピングで昨年連盟から追放処分を受けている。その後、プロモーターと一緒に東欧・ロシアを転戦し、2ヶ月前にアメリカに帰って来た。それ以来、連戦連勝だ」
「追放されたのに、ですか?」
ジェイミーは、はっとしてマックスウエルを見た。
「まさか?」
「そう、アンリミテッドだ」
ジェイミーは暗然とした。
アンリミテッドは、地下組織が開催する非合法のブレイン・バトルだ。
攻撃・防御の数値設定がない、無制限のデスマッチ。
ギブアップは許されず、戦闘不能になっても攻撃される。文字通りの殺し合いだ。
ただ、知ってはいるが、見たことはない。
顧客は紹介制であり、高額の掛け金を払うことが前提になっている。
「この男は、あの地の底で勝ち続けている」
老人は不快げに鼻を鳴らした。
「当然まともな勝ち方ではないと思うが、それでも生き残っている、それがどれほどのことか君にもわかるだろう」
マックスウェルはデスクの前のジェイミーを見上げた。
「こいつは周囲に吹聴している。『ロシアで先生に会いケインは生まれ変わった』」
「黒い子供達も『先生』と言っていました。関係があるのですか?」
「その『先生』がサイモンを変えた。異常なほどの戦闘力を手に入れたのだ」
「『先生』とは、いったい……」
マックスウエルは吐き捨てるように言った。
「呼び名などどうでもいい。我々は相手を追いつめなくてはならない」
いつの間にか『我々』になっているが、気にしている状況ではない。
ジェイミーはデスクに両腕を突き、声に力を込めた。
「はっきり言ってください。ケインの処分を軽くする条件とは、この」
「そうだ」
マックスウェルは低く声を落とした。
「相手はアンリミテッドでの、アカツキとの対戦を要求して来た」
「復讐戦ですか。まるでマフィアの発想だ!」
ジェイミーは声を荒げた。
「あなたは、連盟は、それを受け入れたんですか!」
「選択権はケイン・ミカドにある」老人はとぼけた。
「拒否すればライセンスは没収。対戦するしかない」
ジェイミーは怒りを押し殺して言った。
「ケインをアンリミテッドで対戦させ相手の組織を探る。連盟は所属するバトラーを囮に使う気ですか?」
太った老人は顎を肉に埋め、首をすくめた。
「マックスウェル評議委員!」
「連盟も動いているのだ、ジェイミー」
老人はなだめるように言った。
「すでに何人かが顧客として地下組織に接触しバトルステージへのアクセスコードを入手する。相手の尻尾がつかめればテロ組織として国防総省を動かす」
「国防総省?」
顔をこわばらせるジェイミーに、マックスウェルは重々しく言った。
「これは明らかに、アメリカの脅威でもある」
ジェイミーは疑念を感じた。
この老人は、連盟内での地位を強めるため、意図的にことを大きくしようとしているのではないか。
「……わかりました」
ジェイミーは静かに言った。
「ですが、約束してください。必ず、ケインの処分を撤回すると」
「……」
「マックスウエル評議委員」
老人はしぶしぶうなずいた。
「……わかった。約束しよう」
「ありがとうございます」
ジェイミーはジャケットの内側に貼った録音チップを見せた。
「これを使わせないでください」
「くそっ!」
マックスウェルは小声で毒づき、椅子の肘掛けを叩いた。
ジェイミーはデスクから数歩下がると、落ち着いた声でいった。
「このグリーディ・アームズとの対戦は?」
「10日後だ」
「ステージタイプは?」
「わからない。アンリミテッドのステージは瓦礫の山、空中楼閣、溶岩地帯、どれもクレイジーだ。いずれにしてもコクーンから指定された仮想空間に行くしかない。それから」
マックスウエルはさらりと付け加えた。
「このバトルは、タッグマッチだ」
「タッグマッチ? なぜですか? 理由は?」
「向こうの条件だ。呑まざるをえない」
「……タッグマッチ」
ジェイミーは素早く考えた。アカツキと相性のいいパートナーは……。
「パートナーはこちらで選んだ」
「え?」
「一切のデータが公表されていない特殊なギアだ。とてつもなく強力な」
老人はジェイミーをじっと見ながら言った。
「不満だろうが、従ってもらう」
ジェイミーは抗議の言葉を飲み込んだ。
「なぜそのバトラーを?」
「連盟直属なのだよ。もちろんその情報は相手にも伝わる。奴らは連盟が本気で対応することを知るだろう」
太った老人は一呼吸置くと、眼を細めてジェイミーを見た。
「これでも連盟がアカツキを捨て駒にすると思うのかね?」
「いいえ」
ジェイミーは小さく頭を下げた。
「感謝します。マックスウェル評議委員」
ジェイミーはある噂を思い出した。
連盟には直属のブレイン・ギア集団、一種の隠密部隊が存在しているという。
「ケイン・ミカドの回復を祈る」
マックスウェルは椅子に深く座り、盛り上がった腹の上で指を組んだ。
「これは彼自身にとって、最大の試練になるだろう」
よく言えたものだ。ジェイミーは憮然とした。
それよりも、この話をケインにどう伝えたらいいのか。
「きっと」
老人は眠たげな目になり、ぼそりといった。
「アカツキの本当の姿が見られるはずだ」
マックスウェルの立体映像が消えた。
ジェイミーはデスクのキーに触れ、電子ブラインドを全開にする。
窓ガラスに蝉のようなニンジャ・バグが貼り付き、集音マイクを吸着させている。
マックスウェル自身でさえも、連盟から監視されているのだ。
ジェイミーはゾクッと身体を震わせた。
なにか、得体のしれない大きな流れに巻き込まれてしまった。
それも、暗い濁流に。
ジェイミーは自分を奮い立たせるように、大きく息を吸い込んだ。
それから右腕を伸ばして人差し指をバグに向ける。
バン! 撃つ真似をした。