20 蒼穹の射手
眼下には広大な砂漠地帯が広がっている。
ケインはホバリングしていたアカツキを上昇させた。
大きく弧を描きながら、徐々に高度を上げていく。
ブレイン・ギアを仮想空間で飛行させるには、引力を相殺する斤力と推進力をイメージする。
だが、簡単に飛べる人間と、どうやっても『飛ぶ』ことを想像できない人間がいる。イメージにも個人差がある。それはブレイン・ギアにはっきりと現れるのだ。
ケインは上空を見上げた。
太陽光を反射して銀色に輝く小さな点が静止している。
サラ・アルブライトのブレイン・ギア、エリクシールだ。
美しい球形であるエリクシールは、サラがそうありたいと願う姿を構築したものだ。
つまり、完璧、または完全なる調和。
アカツキは回転する銀色の球体に接近し、その隣に並んだ。
頭上には蒼穹が広がっている。
深い紺色が美しい。
成層圏に向かって吸い込まれていくような感覚になる。
高度は約四千メートル。
地表は遥か下方にあり、周囲を取り巻く地平線は緩やかに丸みを帯びている。
そして、無音。
風の音さえも聞こえない、静寂の世界だ。
「よくできたステージだ」
ケインは感心し、銀のスフィアに意識を向けた。
「サラ、行動可能範囲は?」
「移動に伴い、マップは生成される。」
エリクシールからサラの声が響く。
「つまり、どこまでもってわけね」
ここはマイス社の制作した、最新にして最大の地球環境型ステージだ。
本社のスパコンと直結し百年を超える地球規模の大規模気候変動シミュレーションも可能だ。
ケインとサラはセント・トーマス病院のコクーンから特別に、この公開前の仮想空間ステージにエントリーしていた。
ケインはミオの深層記憶探査でパニックを起こし、ロスト寸前で強制回収された。そしてセント・トーマス病院へ送り返され、今は再び検査と治療を受けている。
回復は順調だった。今日は担当医であるサラ・アルブライトと共に、アカツキとの同調状態をチェックするためにエントリーしたのだ。
「しかし、広すぎる」
ケインはぐるりとアカツキの機体を水平回転させた。
「ブレイン・バトルでは使えない。バトルが散漫になる」
「まったく!」
サラは呆れて言った。
「仮想空間で可能なのはブレイン・バトルだけじゃないのよ。気象や農業シミュレーション、軍事演習まで多種多様なニーズがあるの」
「ふうん」
「それより、ケイン。この最新の未公開ステージにエントリーできることがどれだけ特別なことか、わかってないわね?」
ケインはそっぽを向いた。
「別に、来たくて来たわけじゃない」
「う」
サラは言葉に詰まった。
確かにこの最先端ステージへのアクセスコードを与えたのはサラだ。
そしてそれは、マイス社の意向でもある。
「このステージは、売れると思うの」
サラは気を取り直して言った。
「マイス社としても、この秋一押しの新製品なのよ」
「航空パイロットの訓練にならいいかもな。しかしこれ、本当は軍事用じゃないのか?」
「もちろん、軍も重要なクライアントよ」
サラはあっさりと肯定した。
「この間、アーペンタイルの構築実験があったわ」
「アーペンタイル……あれか」
ケインはその映像を思い出し、顔をしかめた。
「あ、これは国家最高機密だからね。絶対にいっちゃだめよ」
サラは慌てて付け加えた。
しかし、いずれは公表される情報のはずだ。
アーペンタイルはアメリカ空軍が保有する、自律AIが創り出した想像的構築体だ。
黒く扁平な円盤型の超大規模仮想サーバで、米国の全防衛システムを統合し、完全に移行できるといわれている。
だがケインはニュースでその黒い姿を見た時、不気味さしか感じなかった。
ケインは皮肉っぽくサラに言った。
「軍事目的の仮想装置か。そのうちここで戦争を始めるんじゃないか?」
エリクシールがアカツキに接近し、銀色の表面にさざなみを立てた。
「それより、アカツキの具合はどう? 同調は上手くいってる?」
ケインはアカツキの体幹と四肢を強く意識した。
指の一本一本や足の爪先まで、しっかりと力強いイメージが行き渡っている。
「いい感じだ」
そう言ってから、ケインは少し首を傾げた。
「逆に、前よりもなじみが強くなっている気がする。不思議だ」
「ふうん」
サラは素っ気なかったが、エリクシールからは強い意識が向けられている。
それははっきりとした『関心』で、サラはそれについて『知りたがって』いるのだ。
ブレイン・ギアを扱いなれていないと、かえって心理が読み取れてしまう。
「ただ、こうしているだけでは、わからない」
「それもそうね。実際にバトルをしてみなければ、本当に回復したかはわからないわ」
サラは同意した。
「同調レベルが低ければ、まだしばらくは入院ね」
「それは、いやだ」
変化のない環境は苦痛でしかない。
いや、変化があり過ぎることも問題だ。
今日、ジェイミーはケインの代理として、連盟の査問委員に会っている。
最重要事項はケインの国際S級ライセンスだ。最悪、没収もあるとジェイミーは予想していた。
そうなったら、バトラーしての収入が激減してしまう。
それだけではない。ミオの深層記憶には、謎の男の声が埋め込まれていた。
日本に帰り、あの言葉の意味を確かめなくてはならない。
今の自分は予想もしなかった、不安な状況に立たされている。
「ケイン?」
ケインは銀色のスフィアを振り返った。
呼びかけられていたことに気がつかなかった。
「どうしたの? 聞こえてる?」
「ああ、大丈夫だ」
サラは吐息をつき、ためらいがちに言った。
「ねぇ、ハルトマン博士の所で、何があったの?」
「それは」
ケインは言いかけて、口をつぐむ。
「……いいの。でも、気持ちが落ち着いたら、私には教えてね?」
スフィアの輝きがくすむ。
サラは担当医としてだけでなく、姉や母親のような保護者的な言動を取ることがある。肉親と触れ合うことの少なかったケインにとって、それは嬉しいことでもあったが、どう反応していいかわからない場面もある。
「そうだ!」
サラは急に声を上げた。
「あなた、思いっきり飛んだことはある?」
「思いっきり?」
ケインは戸惑った。よく話題を跳躍させるのはサラのほうだ。
「そう! もう、これ以上できないってところまで!」
サラは自分の思いつきに声を弾ませた。きらきらと光の粒子が流れる。
「これ以上?」
「イメージに、限界はあるのかしら?」
「どういうこと?」
「ブレイン・ギアを動かすのはイメージよ。その限界はどこにあるの?」
確かに自分のブレイン・ギアを限界まで飛ばしたことはない。
過去のブレイン・バトルでそんな局面はなかったし、その必要もなかった。
必要のないことをする理由はない。
今の自分は、ブレイン・ギアを思いのままに動かせるレベルに到達している。
しかし。
─いつか自身のイメージに限界を感じる時が来るのだろうか。
アカツキの中で、ケインは小さくつぶやいた。
─そんなことは、わからない。
未来の自分が考えることなど、想像できるわけがない。
ふと、微かな気配を感じた。
ざわざわとした、何か落ち着きのない波紋が心に広がる。
─何かが、近づいている……。
ケインは周囲を見渡したが、風景に変化は見当たらない。
─上か!
視線を上げ、ケインは息を呑んだ。
「何だ……?」
遥か高空を人工衛星のように白く輝く光点が高速で飛行している。
それはちかちかと閃光を瞬かせた。
「来たわね」
ケインの視線を追って、サラが小さく言った。
「ケイン、私の友人を紹介するわ」
「え?」
ケインは銀色のスフィアを振り返った。
「ただのテストじゃつまらないでしょ?」
エリクシールの表面にさざ波が立った。笑ったように見えた。
「思いっきり飛んでね、ケイン?」
『着弾認識』
コンピュータ音声が響いた。
アカツキは一瞬でスフィアから離脱していた。
銃弾が機体を擦過。
垂直に近い角度。
上空からの射撃だ。
『着弾認識』
警告は繰り返される。
着弾認識とは『自分が誰かから撃たれている』ことを伝えるものだ。
物理的な弾丸が存在しない仮想世界での射撃とは『相手を破壊するイメージ』を仮想の銃弾に込めて撃ち出すことになる。
ケインはアカツキの機体を猛スピードで飛翔させた。
急激な加速、減速、反転。ランダムな回避軌道を取る。
エリクシールを見失ったが、今はそれどころではない。
『着弾認識』
続く警告に、ケインは歯ぎしりした。
─どこから撃ってるんだ!
今度は水平に近い角度から弾丸が飛来する。
相手はいつ移動したのか。いや、狙撃手は複数いるのか。
天と地が目まぐるしく回転する。
視界の隅で、ちかちかと閃光が走った。近い。
─避けられない!
ケインは直撃を悟って上腕部の盾を展開した。
被弾した瞬間、固く強靭な盾は激しい音を立てて変形する。
─くそっ!
ケインはアカツキを急降下させた。
身体をねじって仰向けになり、空に向かって全周の視界を確保する。
相手を認識しなければ、弾丸を浴び続けることになる。
─どこだ!
それは、直上の太陽の中にいた。
構えたライフルを連射しながら、猛スピードで突っ込んでくる。
相手を認識したアカツキは、空中の壁を蹴り飛ばしたように急反転した。
既に高度は数百メートルにまで落ちている。
躱した弾丸が背後の地表に土煙を上げた。
アカツキは、襲撃者に向かって垂直に急上昇した。
一瞬で相手は眼の前にあった。
ライフルの銃口から焔が吹き出す。弾丸を躱す間もない。
集中被弾した盾が砕け散ると同時に、ケインは交差した襲撃者に日本刀を一閃させた。
手応えがあって、相手のライフルが弾き飛んだ。
急制動をかけて反転したアカツキに向かって、下方から細い槍が突き出された。
襲撃者もアカツキと擦れ違うと同時に急制動をかけ、槍を仕掛けたのだ。
槍はアカツキの首筋をかすめていた。
下方の襲撃者から数十メートルの長さに伸びている。伸縮するタイプの武器だ。
つまり。
槍の先端でかぎ爪が十字に開いた。
槍が縮む。
かぎ爪が肩に食い込む寸前、アカツキは槍を切り落としていた。
襲撃者は白い人型のブレイン・ギアだった。
手元に戻した槍を捨て、両手のリボルバーをケインに向かって発砲する。
相手を認識していれば、至近距離の銃撃でも対処は可能だ。
ケインは十二発の弾丸すべてを刀身で弾き飛ばし、襲撃者に肉薄した。
白いブレイン・ギアは拳銃を投げ捨て、腰の剣に手をかけた。
アカツキは空間を切り裂く勢いで剣を振り下ろした。
刃がぶつかり合い、空中に火花が散る。
激突した二体のブレイン・ギアは瞬時に体を入れ替え離脱する。
アカツキはすぐさま反転し、上昇する襲撃者に向かってダガーを連投した。同時に猛スピードで急上昇する。
白いブレイン・ギアは空中で再び急制動をかけ、下方から迫るアカツキに対峙した。
突進してきたアカツキの斬撃をサーベルで弾くと、そのまま上昇するアカツキを追って反転、加速しようとする。
その背中にダガーが突き立った。
「ダガーを追い抜くなんて!」
白いブレイン・ギアはのけぞった。
その首筋に、背後から日本刀の刃がぴたりと押し当てられる。
「動くな」
ケインは小さく囁いた。
「動けば、首を落とす」
「くっ」
白いギアは硬直した。
ケインは、はっと息を呑んだ。
「おまえ、女なのか?」
「そこまでよ、ケイン!」サラの声が響く。
その瞬間、白いギアは肩越しの日本刀をサーベルで跳ね上げた。
距離を取って向き直った白いギアは、細いサーベルを中段に構える。
その剣先から強烈な殺気が迸った。
過去に対戦したブレイン・ギアから向けられたことのない、たじろぐ程の激しさと鋭さだ。
ケインは猶予を与えたことを後悔した。
これはブレイン・バトルではない。相手は本気でアカツキを突き貫こうとしている。
─こいつ……。
アカツキの眼が赤く光り、全身に殺気が膨れ上がった。
蓬髪が赤く染まって逆立ち、墨衣が焔のようにゆらゆらと揺れる。
アカツキは納刀して腰を落とし、居合いの構えをとった。
白いギアが変化した。
顔やボディが見る見るうちに血にまみれたように赤く染まっていく。
「貴様!」
血まみれのギアは、苦痛にうめくように、声を振り絞った。
「私を、侮辱、するな」
「やめなさい! 二人とも!」
再びサラの声が響いた。
「きゃーっ!」
悲鳴と共に、銀色の球体が空間を横切った。
サラのエリクシールが二体のブレイン・ギアの間を通過する。
ぎくしゃくと軌道を変えながら必死に戻ってこようとするが、上手くいかないらしい。
「ケイン、助けてーっ!」
サラは情けない叫び声を上げた。
アカツキからふっと力が抜けた。
ケインは姿勢を正すと、ふらふらと漂うスフィアに向かって飛んだ。
片手で銀色の球体を押しながら白いギアの前に戻ってくる。
白いブレイン・ギアからも殺気は消え、色も戻っている。
「お前、超むかつく!」
白いスリムなギアはアカツキを指差し、少女の声で叫んだ。
「私が負けるなんて信じられない!」
「やめなさい、アッシュ!」
エリクシールからサラの声が飛ぶ。
「ケインに失礼でしょ!」
白いのに灰なのか、とケインは思った。
白いギアはフェンシングの選手のようなスリムなデザインだ。
しかし、頭部や手足は胴体から離れて浮遊し、さらに身体のまわりには武器が収納されているらしい立方体や球体が輪になって循環している。
楕円形の白い顔には目鼻もなく、シュールな人形のようにも思えた。
「サラ、説明してくれないか?」ケインは静かに言った。
「ええと」
サラは気まずそうに咳払いをした。
「紹介するわね。彼女はシンシア・アシュクロフト。私の大切な友人よ」
「ギアはアッシュ・ガール!」
少女は高らかに名乗りを上げた。
「おまえ、今度はギッタギタにしてやる!」
「もう……」
エリクシールがしゅんと小さくなる。
「でも、久しぶりに面白かった。そのサムライなら、家に来てもいい!」
サラが驚いたように声を上げた。
「本当に?」
アッシュはこくりとうなずいた。目鼻のない顔が赤らんだように見えた。
銀色のエリクシールがきらきらと輝く。
「とても嬉しいわ、アッシュ」
「じゃあな!」
アッシュの全身のパーツが遊離してさらさらと塵のように崩れていく。
ケインは眼を見張った。こんな特異性を持つブレイン・ギアは初めてだ。
分離し結合することで空間内の移動も可能なのだろう。
異なる角度からの銃撃もそれで説明がつく。
─なるほど、だから灰なのか。
アッシュは微細な灰となって、空間に消えた。
「ケイン、ごめんなさい。ちょっと驚かそうと思って」
サラはすまなそうに言った。
「でも、まさか本気で攻撃するなんて……」
「サラ、あの子はいったい誰なんだ?」
「あなたのタッグパートナーよ」
「なんだって!」




