淫夢を見せる魔物
話がついたかのような沈黙が、辺りを包み込んでいく
「私は全然納得はしていないけれど、話の決着がついたようだね?ルシフェル様、疲れてない?そろそろこんな立ち話やめて応接間に行こうよ」
沈黙をいち早く破ったのはインキュバスであった。先程までの息をのむような緊迫した表情は既に和らいでいる
応接間といい、インキュバスが見つめる先には階段が広がっており、階段の上の階にその部屋はあるということのようだ
「あぁそうだな、しかし、アザゼル。お主は応接間に行く前にそのボロボロの服と、血で汚れた身体をどうにかしてこい。インキュバス、風呂場まで案内してやれ」
「えぇ!?私は男の裸には興味ないよぉ?それにルシフェル様は応接間に行くんでしょう?私もルシフェル様に着いていきたいな!サッキュバスだけさっきから贔屓しすぎじゃないかい?」
案内役を頼まれたインキュバスは口先を尖らす。
折角待ち望んだルシフェルに会えたというのに、共に行動できない事が不満のようだった。
「うるさいのよインキュバス、ルシフェル様の命令も聞けなくなったのかしら?さっさと黙ってアザゼルを風呂場に連れて行き、手取り足取りしてあげたらどうかしら?淫夢の能力を持つお前が男の世話をする姿を想像するだけで滑稽なことだわね、クスクスクス」
口元に手を当てながら馬鹿にするかのようにサッキュバスは、笑っている。
しかしその笑い声は棒読みなもので、面白さで笑うというよりはインキュバスに不快な思いを与えたいが為に、というのが相応しいだろう
「サッキュバス、いい加減にしないか。アザゼルを連れて行けとはいったが下の世話をしろとはいっていない」
「いや、ルシフェル、サッキュバスも下の世話という具体的なことはいってなかったと思うんだけど気のせい?」
止めに入るルシフェルの具体的な言葉に、素早く突っ込みをいれたアザゼル。
そうだったか?と返事を返したルシフェルはとぼけた表情を見せ、首をかしげている
「あぁーもう、わかったよ!連れて行けばいいんでしょ!アザゼル、仕方がなく案内をしてあげる。そのかわり風呂場につれて行って適当な着替えを用意したら、私は応接間に先に行かせてもらうからねぇ!わかったらはやく来る!」
頭をガシガシと掻き、渋々了承したインキュバスはドシドシと足音をたて自らが出てきた左側の扉に向かって歩き出した。
置いて行かれたアザゼルは慌ててそのあとを追う
「すまない、インキュバス、ありがとう」
と背中を向けて少し怒ったように歩いていたインキュバスに微笑みながら礼を言うルシフェルの声が聞こえてくると、ドシドシという足音がやんだ。
「ルシフェル様はずるいなぁ、いいよ、後でいっぱい可愛がってもらうから」
立ち止まったインキュバスは少しだけルシフェルの方を向くと、俯きながら答えた
彼の頬は紅潮し、表情が少し柔らかくなり、再び歩き出した足音からは先程のドシドシという音は消えた
ルシフェルからの礼が、よほど嬉しかったのか次第に鼻歌まで聞こえてくる始末だ。
軽快に歩くインキュバスの少し後ろを歩くアザゼルは、なるほどね。と小さくつぶやいたが、インキュバスの鼻歌によってかき消されてしまった。
扉の前までつくとインキュバスが開き、それに続いてアザゼルも中へと入っていく。
扉が閉まると、目の前に広がるのは、長い廊下。
ボルドー色のカーペットが敷かれた床、花瓶がいくつか飾られているが、わりとシンプルのようにも見える
右側には、一定の間隔をあけ、扉が五つほどだろうか、並んでいた。
「おいおい、なんだよこっちも広いんだな、てっきりお前の部屋かなんかだと思ってたんだけど…」
広がる光景は思っていたよりも、広く廊下を歩くアザゼルはあたりをキョロキョロ見渡しながら驚きの声をあげる
そんなアザゼルの方を振り返りもせずに歩くインキュバスは、入り口から入って二番目の扉を指さしたと思えば、立ち止まった
「ここが私の部屋だよ、でも入れてあげなーい、ルシフェル様の側近だなんて正直、腹立たしいからね、それに生憎、私は潔癖症なんだよぉ、だからだめー」
腕で大きなバッテンを作るインキュバスの行動は見た目とは違い子供っぽいものだった。
「はいはい、別に男の部屋に好んで入りたいとか思わねぇよ、ていうかこの世界にも潔癖症とかいう言葉、存在するんだな」
その子供っぽい行動を呆れながら見たアザゼルは、発せられた潔癖症という言葉に驚く
ここに来る前の世界ではよく聞く言葉であったが、この世界、魔王国にも存在するというのは意外なものだった
「この世界?あぁ、なるほど、人間の国で聞く言葉をこの魔王国で聞くとは思わなかったってことかな?」
「まぁそんなところだよ、ていうか風呂場ってのはどこなんだ?」
インキュバスの部屋よりも風呂場の位置が気になるアザゼルはまた辺りをキョロキョロする
その問いに答えるかのように、インキュバスの部屋よりも一つ奥にある扉を指さす
「あぁ、あれだよ」
案外近くにあった扉を指さしてからその扉の前に移動し、ゆっくりと扉を開けた。
そこには小さな脱衣場があり、その先が浴槽のある風呂場といった感じであろうか、これまた洋風の作りのようだ
「なんか、思ったより普通なんだな、もっと馬鹿でかいもんかと思ってたよ」
中に通されたアザゼルは、屋敷の大きさに比べるといくらか普通ともいえる脱衣場を見て、意外だったといわんばかりの声を漏らす
もしかしたら、風呂場がものすごく広いのでは?と考え奥にあった扉を開くも、それほど驚くほど広いというものでもなく、小さな旅館の露天風呂ほどの広さしかなかった
「当たり前だよ、人間とは違い我々魔物からしてみれば、風呂なんてそれほど重要性のあるものではないからねぇ?血で濡れた身体を洗い流す場所程度の認識でしかないんだよ、まぁ私はそれ以外にもよく利用しているけれどねぇ?」
「潔癖症だからってんだろ?」
風呂場を不思議そうに眺めていたアザゼルにそう言うと、返ってきた言葉に、チッチッチッと人差し指を出し、横に振る
「違うんだなぁアザゼル少年、私が何の魔物かわかっていないようだねぇ?私は人々に、淫夢を見せる魔物だよ?身体についた愛液を洗い流すためさ」
「淫夢?」
聞きなれない言葉だが、ある程度の認識はあるアザゼルは首を傾げ、続けた
「そういえば、サッキュバスもそんな事言ってたなぁ、淫夢っていやぁあれだろ?人間の夢の中とかに現れて、性欲を掻き立てるようなエロい夢を見せてくれるっていう奴だろ?なんでもそいつはその人間の好みのドストライクな姿で現れるとか…」
「そうだね、大体正解かなぁ?それがこの私、インキュバスだよ、でもただ単にえっちな夢を見せるだけのいい魔物ではないかな、夢見心地、というだけで実際に夢の中というわけじゃないんだよ、目的だけ言うならそうだねぇ?人間を犯し、孕ませ、魔物の子を産ませる為といったところかな?」
「はぁ?なんだよそれ、そんな事してなんか意味あんのか?魔物の数を増やすためとかにしても母親が人間ならハーフしか産まれないだろ?それともハーフが最強みたいな話か?」
インキュバスの人間を孕ませ、子供を産ませるためという行動の意図が全く掴めないアザゼルは、問いを返す
確かに謎めいた発言だった。仮にインキュバスが父となっても母となるのは紛れもない人間。
まがい物しか産まれないのではないだろうか?数を増やすのであれば相手もまた魔物の方が良いに決まっているのだ
しかしながら、仮にハーフこそ強いという世界なのであれば話は別だと考えたアザゼルであったが、その考えは呆気なく崩された
「ハハハ、ハーフなんてまがい物が最強だなんて笑わせてくれるね、確かに君の言う通りだ。普通であればハーフが産まれてしまう。しかしそこがこの能力を持たない魔物との大きな違いだよ、だって私が孕ませた人間は純血の魔物を産むことになるんだから、さ?」
「はぁ?なんで?」
インキュバスの言葉に単純な疑問の言葉を投げかける。
「なんでと言われても困っちゃうなぁ、これは生まれ持った能力だから私もなんでだろうね、としか答えられないよぉ、君にもあるだろ?その自己再生能力。なんでそんなのあるの?と聞かれたらうまく説明できるかい?」
アザゼルは首を横に振る。自らが急に持たされた能力を何故?と聞かれても答えられないと思ったからだ
首を横に振り、否定するアザゼルを見たインキュバスは、そうだろう?とニッコリ笑うと
「さぁ、そろそろ無駄話はおしまーい、はやく風呂に入っておいで。着替えは適当に昔、人間から奪ったものを用意するよ、なにせ私は―――」
「潔癖症、だろ?」
「…その通りだ!」
インキュバスが言おうとしていた言葉をアザゼルが代わりに言うと、歯を見せた笑顔でそう答える
ルシフェルのように牙がはえているわけではないが、整った顔立ちから見せるその笑顔は可愛らしい、ともいえるものだった
笑顔を見せた後、脱衣場から出ていくインキュバスの背中を見ていると、バタンと扉が閉まった
脱衣場に一人になったアザゼルはおもむろにボロボロになった衣服を脱ぎながら、
「淫夢を見せる魔物って案外えげつない理由で夢見せてたんだな…」
と、ポツリ呟くと衣服を脱ぎ終え、裸体のまま風呂場へと姿を消した