広場の舌戦
大変長らくお待たせしました。
今回は少し長め、結構な難産でした・・・・・・
広場には、人々に時を伝える為に設置された巨大な砂時計が存在している。
大人程もある砂時計は一日に二回だけ回転し、行きかう人々に時の流れを示し続けている。
レーヴェが戦いの舞台に上がったのは、先触れの宣言通り時計の砂が流れ切り正午の鐘が打ち鳴らされた時だった。
舞台に上がった放浪者の姿を認めた衆人は、それまでの喧騒が噓のように静まり広場は静寂に包まれた。
宣言通り堂々と舞台に現れたレーヴェの顔を確認しようと屈んでレーヴェの顔を伺うものがいるが、フードを目深に被り顔に影を落としているため、顔を見て取ることはできなかった。
耳に下げられた耳飾り≪オーアリング≫が発する光がぼんやりと顔を照らすことで、かろうじて顔の輪郭を確認できる程度だ。
「まずは、私の主張を聞いてくれる為に集まってくれたことに礼をいいたい。そして、予想より多くの人が集まってくれたことに感謝を」
決して大きな声ではない。しかし、不思議と耳に残る声が広場にいる人間の耳に届く。
「知っての通り、私がここで主張したいのは、今現在のアヴァール商会の元に存在する権利書の本来の持ち主が私であるということだ。つまり、アヴァール商会 は私から強奪した権利書を恥じもせず店に飾っているのだ。あまつさえ、盗品である権利書を法外な値で売りつけようとしている」
レーヴェの言葉に人々にどよめきが走る。
「断言しよう!アヴァール商会は卑劣な極まりない存在であると!!」
大きな宣言に煽られ、どよめきがさらに大きくなる。
「かの建物の正当な権利者は、ワイス氏より譲り受けたこのレーヴェ=ヒルベルトだ!私は、ワイス氏が求める貴重な薬草の採取を頼まれた!その対価としてかの物件を譲り受けたものだ」
レーヴェの言葉に反論するように民衆の中から野次が飛ぶ。仕事と報酬があまりにも釣り合いが取れていない事に疑念を感じているのだ。
「本来ならその程度で手に入れられるものではないと処置している。いくらかの金を払ったがとても対価としては釣り合わないものだ。しかし、この街に来て疑問が氷解した。それは、アヴァール商会代表であるロプス氏が街の少年達を騙し、かの建物を使わせることで悪評を広めていからだ」
息継ぎをすると同時に、周囲を見渡す。
多くの人間が次の言葉を待ち望んでいることが見て取れる。周囲を固める守備兵達の動きが忙しないが、こちらに突っ込んでくる動きは見せていない。包囲を縮めて確実に捕らえるようとしている。
レーヴェはそれらを一瞥した後、通りを伺うローゼリアを視界に捉える。しかし、ローゼリアから合図は出ていない。彼女の場所からでもロプスらしき人影は確認できないようだ。
ロプスがこの場に姿を見せないのは意外だが、構わずレーヴェは口を開いた。
「アヴァール商会の悪行は、それだけに留まらない。事情をしらない他の街の人間には疫病患者を受け入れたことで、家族が皆死んだという悪魔のような噂を流し、意図的に価値を落としワイス氏より管理を委託された人物を不安にさせていたことも分かっている」
語られたあんまりな事実に、周囲は唖然となった。開いた口が塞がらないとは正にこのことだろう。
街の恩人の家を荒らしただけでも許せないのに、金儲けの為に愚弄する噂まで流していたのだ。もはや、持ち主だけの問題ではない。アヴァール商会は、十年前の疫病でワイスに家族や友人を助けられた人間全てに喧嘩を売ったのだ。
十年前、アヴァール商会が患者を見捨てたことに街の多くの人間は反感を持っていた。だが、それを理由に弓を引くことができなかったのは、街を支える商会のほとんどが同様の対応を取ったからだ。
当時とは状況が何もかも違っていた。
多くの者がアヴァール商会に対し、明確な怒りを現していた。ざわめく大衆の中からロプスを引きずり出せと怒号が上がるありさまだ。
レーヴェの言葉がデタラメと証明できなければアヴァール商会は終わりだ。
信用こそ全ての客商売で、度し難いほどの悪評が根付いた。これまで通りのまっとうな商売はできないだろう。例え、レーヴェを殺して表面上を繕ったとしても悪評は消えずいずれ終わりを迎える。
そう確信させるほど、場に篭る怒り大きかった。
疫病と関わりの無い者であっても、この怒りを目にした商会と関係を持つことに尻込みするだろう。
信用に足る商会は他にもある。人の反感を買ってまで関係を持つ理由が彼等にはないのだから。
「そこの男!武器を捨てて跪け!」
怒号を引き裂く声が、広場に響き渡った。
場は静まりかえり、広場の人間の視線は声を発した者に向けられる。
視界の先に確認したのは、街の治安を預かる守備隊。それも最高責任者である守備隊長バルバーである。
「聴こえなかったのならもう一度言う。武器を捨てて跪け!」
現れたバルバーは、治安を守る存在として堂々とレーヴェに言い放った。
こうすることで自らが秩序を守る存在であることを周囲にしらしめているのだ。評判は悪くとも公に認められた立場を活用し、場を味方に付けようとしていた。
「貴様には窃盗と誘拐に加え、流言の容疑が掛かっている!大人しく縛に付け!!」
沈黙を保つレーヴェに対して、バルバーは鞘に手をかけ鋭い警告を発する。完全な言いがかりだがバルバーは、自分が優位に立つ為だけにそれを行っていた。
バルバーの思惑は見え透いていた。
容疑を丁稚上げ再三に渡る警告で形だけの説得を試みる。完全な言い掛かりに応じる筈もなく、男は当然抵抗する。後は、その場で殺して仕舞えば『抵抗の末の不幸な事故』の状況ができあがる。相手は余所者の放浪者だ。例え、その後に無実が証明されたとしても、『次は気をつけろ』とお達しが来るだけでお咎めはない。
複数の罪状を並び立てたのは、レーヴェが信用ならない人間であり、その言葉に一切が嘘であると主張するためだ。周囲を味方に付け、さらに悪評を消してロプスに大きな恩を売る。国に騎士として仕えていた時期に身に着けた処世術だ。
当然、バルバーの言葉を信じた者達からレーヴェは疑惑の目を向けられる。
「守備隊長バルバー殿。ご足労痛み入る。事実確認もせずに宿からオレの権利書を強奪した張本人に会えるとは嬉しいな。早速だが、奪った権利書を返して貰おうか?本当の所有者が定かでないのに、守備隊の手を離れているのか知らんがあれはオレの物だ」
周囲から投げ掛けられる疑いの視線を軽く受け流し、バルバーに向けさせる。
守備隊に非難の目が向けられるよう意図的に、バルバー達の不手際を周知させる。
「罪人風情が、虚言を吐くな。貴様が権利書を盗んだ事実は、多数の人間が証言している。貴様の罪状は明白だ」
「金を掴ませて用意した偽の証人だろう。あんたらが用意したのか商会が用意したのか知らんがご苦労なことだ。商会からいくら金を貰ってる?」
「抜かせ。確かに商会からは、守備隊に寄付金が入れられているが便宜など図っていない。貴様は、流言をまき散らし言い逃れようとしているだけだ」
真偽を見定めようとする人の群れの前で、二人は言葉の応酬を続ける。
言葉のひとつでも間違えば、周囲を敵に回すことが分かっているだけあり二人は慎重だった。
バルバーとレーヴェ、どちらも周囲を味方に付けようとしている点は一緒だが決定的な違いがひとつあった。それはレーヴェの言葉が真実で、バルバーの言葉が虚言だということだ。
都合の悪い事実を隠しつつ事実を話せばいいだけのレーヴェに対し、バルバーは商会と自らの立場を考えた上で嘘の事実を作り上げなければならない。言葉のやり取りという舞台場では、バルバーは圧倒的に不利な立場にいる。
このまま言葉の応酬を続ければ必ずボロが出るのは、バルバーが自身分かっていた。
そうなる前に、戦いに持ち込み罪人として処断するのがバルバーの役目だ。本来なら好戦的な態度を示した時点で、相手が逃げると見込んでいたのだが、予想に反してレーヴェは逃げなかった。それどころか堂々と己の主張を声高に語って、こちらの力押しを許すそぶりをみせないでいる。
問答無用で抑え込む手段も残されているが、途中で主張を抑え込めば周囲の反感は高くなる。こちらが押している状態で、捕縛しなければ後々尾を引くことになる。
(流れ者の癖に頭が予想以上に回りやがる。顔は良く見えねぇが、肝も据わってる。面倒な野郎だ)
バルバーは内心で歯噛みするが決して表情には出さない。表向きは、罪人を油断なく見据えている守備隊長を演じ続ける。
「本当のことだろ。オレを殺そうとしてるのが何よりの証拠だ」
「ふざけるな。我々は貴様を捕えるのが仕事だ」
「それだけ殺気を撒いて殺すつもりがない?なんの冗談だ?」
無表情を決め込んでいたレーヴェの顔が大きく変化し怒気を孕む。
その変化を見て取った者の目がバルバーの身から発せられる見えない物を感じ取ろうと殺到する。
(コイツ!心得てやがる!!)
見えない物が存在していると主張することで、バルバーが嘘をついていると主張する。
それまで冷静に問答を続けていただけに、レーヴェの変化は周囲の人間に与えたものは大きかった。あれだけ反発するのだからバルバーは殺気を纏っているのだと、周囲はそう思い込んだ。
バルバーは、確かにレーヴェを殺すつもりでいる。生かして置いても良いことがないのだから当然だ。しかし、敵意を向けていたものの殺気を放ったりはしていない。
部下達が囲い込む時間を作る為に、レーヴェの意識をバルバーに向けさせることに注力していたからだ。
「沈黙は、肯定と取らせて貰う」
考えを巡らしていたバルバーへと放たれた一言で、レーヴェの言葉は周囲にとっての真実として認識された。
場の支配する上で優位に立たれたことを理解したバルバーは、顔を怒りで染めた。
元々、腹の探り合いなどバルバーの領分ではない。しかし、己と一回り以上の年の差がある若造に場を良いように転がされたとあっては、怒りを感じずにはいられなかった。
「おい、若造。あまり調子に乗るなよ。其処に立って居られるのは俺の恩情のおかげだと理解していないらしいな」
「周囲を囲んでる奴等のことか?随分、粗末な動きをしているな。それに、こちらは罪状を認める気はないから、殺されてやるつもりはないぞ」
「罪状は明らかだと宣言しただろうが!?」
「『はい、そうですか』と認める馬鹿が何処にいる。処罰したかったら証拠を並べたらどうだ?それが、できないなら只の言い掛かりだろ」
「権利書がお前の手元にあった時点で、罪人であることは確定している」
「あんたの言う罪状は、権利書がロプスの物だと言う前提条件によるものだろうが、その前提が成り立たなければ窃盗でオレを処断すること不可能な筈だ」
「誘拐と流言の罪状がある!」
「流言に関しては成立しないな。権利書がオレの物と証明されれば話したことは全て事実となるからな。で、残りは誘拐だったか。一体、誰が被害者で目撃証言はどんなモノなんだ?まさか、容疑をかけた癖に答えられないとか言わんだろうな」
傾いた流れは戻ることなく完全にレーヴェの独壇場だ。
怒りを露わにするバルバーとは真逆で、ただ淡々と変わらぬ口調で反論する。どちらの主張が正しいのか。見る者達からすれば一目瞭然だった。
手玉に取られたバルバーは腸が煮えくり返っていたが、それを強引に押さえつけた。そして、これ以上主張を続けさせないように方針を変更した。
「……言い分は理解した。だが、事実確認を行うために同行して貰おう」
「商人の言葉を鵜呑みにして人の財産を奪っている人間を信用できる訳がないだろう。オレは自分の命を捨てるつもりはない。どうしても調べたいと言うならこの場でやれ。答えれる範囲で答えてやる」
どうにか場を繕い主導権を取り戻そうとするがレーヴェに一蹴される。レーヴェ側からすれば当然の言い分であるが、一言一言がバルバーの勘に触った。
「そうそう、オレが本当の持ち主と証明する物はこれだ。ワイス氏より管理を委託されていたヤルダ氏との取引を証明する証文だ。そこのアンタ、声が大きそうだな。すまないがこれを大声で読み上げてくれるか」
壇上の真ん前に立っていた男にそれを頼むと、男は喜々として証文を読み上げた。
証文の内容は、至ってシンプル。金貨二十五枚で件の物件を買い取る旨が記されているだけだ。日付は、一期前の夜期だ。
周囲のざわつきが一気に大きくなった。
僅か金貨二十五枚で売却されたこともそうだが、正式な証文が発行されていることでレーヴェの言葉の信憑性が一気に増したからだ。
「ヤルダ氏は、グラスダールに向かうと途中にあるカルナ村の顔役をやっている。ワイス氏もその村に身を寄せている。疑うなら確認を取って貰って構わない」
この一言で集った群衆は、レーヴェの言葉を信じる方向へと一気に傾いた。
なにしろ、元の持ち主に確認を取って良いと主張しているのだ。所有者が曖昧な今、これ以上の保障はどこにもないだろう。しかも、保障を行うのは街の恩人だ。ここまで言われて疑う方がどうかしている。
群集の心の変化は、当然のように守備隊の批判につながる。
レーヴェの言葉が本当ならば、守備隊長が吹聴する「多数の目撃者」は偽者ということが確定する。街の秩序を守る筈の存在が、商人と結託していたとあっては穏かでいられるわけない。
ただでさえ日頃の行いが悪く反感を買っていたので、怒りは一気に広がり守備隊への罵倒が始まる。
「でまかせだ!!そいつは、噓で皆を騙そうとしているだけだ。目撃者は確かに存在しているのだ。証文も偽物に決まってる」
焦って反論を口にするがバルバーの言葉を聞き入れられない。
何しろ日頃の行いが悪すぎる上に、寄付金を受け取っている話は自ら肯定しているのだ。目に見えない証拠をいくら並び立てが通じる訳がない。
すでに周り込んでいた守備兵達は、周囲の人間に囲まれ今にも襲いかかる寸前である。
これで少なくとも不用意に剣を抜かれる心配は無くなった。
もっとも袋叩きにされる覚悟があれば話は別だが。
一触即発の雰囲気が漂う中、広場の端で通りを見張っていたローゼリアが大きく手を振り合図を送る。ロプス来訪を告げる合図だ。
「セルド様、当人が駆けつけたようです」
バルコニーの上からそれを見て取ったアリアは、セルドに耳打ちをした。
「ようやくか。ボクからすれば、この場に来ていない方が驚きだけどな。耳には入っていたはずだが」
遅すぎるロプスの来訪にセルドは半ば呆れていた。
「貴族相手の商談か何かでは?守備隊が張っていたようですし、大事に至ることはないと考えたのかと」
「だとしたら運が無いな。まあでも、商人お得意の弁舌を披露したとしても、あれだけ口が回るヒルベルトを相手に一方的な展開に持ち込むのは難しいだろうがな」
「ヒルベルト様は、多才な方でいらっしゃるようです。協定相手として頼もしい限りでございます」
「そうだな。大いにあの才能をボクのために役立てて貰うとしよう。準備は?」
「滞りなく」
アリアは問いかけに淀みなく答えた。
「なら、盛大に恩を売りに行くとしよう。ここまで奴の手の平と面白みに欠けるからな。統治者としての度量を見せ付けてやる」
いたずら心を働かせたセルドは、広場の中央で口論を続けているレーヴェを見て笑いを漏らした。




