16話 身分の違い
女将さんは『私』に向かって
両親のいないアナタと息子は釣り合わない。
身分の違いを知りなさいと…
『私』は酷く傷つき
この場から逃げたくなる思いだった。
隣で聞いていた彼は
『私』を庇うように女将さんに反発した。
旦那様もそれは言い過ぎだという顔をする。
どうにか認めてもらおうと
自分の母親に思いを伝えてくれる彼。
時折、大きな声を荒げながら…
『私』なんかのことで
ここまで必死になる人は初めてだった。
「愛されるってこんな感覚なのかな」
彼の姿を見て感じることができた瞬間だった。
……
でも、、
それでも女将さんは結婚に猛反対してくる。
交際期間がまだ短いから
それならまだ反対されても少しは納得がいく。
彼はお金持ちのお坊ちゃまで
今の『私』は安いアパート暮らし。
貧富の差であれば
それもまだ納得はいくかもしれない。
『私』は思った…
「両親がいない理由で!?」と。
胸にナイフが刺さったようだった。
ジワジワと傷口が開いていくような感覚。
胸の奥がギューッと痛くなる。
……
何も言葉がでない。
女将さんの言葉はあまりにもショックで
涙もでないくらいの深い悲しみを覚えた。
親がいないと冷ややかな目で見られる。
心のどこかでそんな気はしていた。
片親だけで偏見を持たれるこの時代に
ましてや両親が2人ともいないだなんて…
やはり周りは認めてはくれないんだ。
「これが一般的な答えなんだ…」
女将さんの立場なら
きっと間違ってはいないのだろう。
過去を言わずして生きていて
やっと受け入れてくれた彼がいたのに…
その母親に認めてもらえないのなら
『私』から身を引くしかないのだから…
その場から席を後にした女将さん。
あとを追いかけるように旦那様も席を立つ。
始まりは笑い声さえあった穏やかな空気も
一変して静かな空気へと変わっていった……
残された彼と『私』は少しの沈黙が続く。
……
最初に口を開いたのは彼だった。
そして『私』の手を握りながら
もう一度、母を説得してみせると
彼は真剣な眼差しで言ってくれた。
「嬉しい」
本気で思ってくれていることに
その熱い思いに『私』は小さく頷く。
……
けれど彼の思いは届かなかった。
『私』の思いも女将さんには届かなかった。
お互いどんなに想い合っていても
好きな気持ちだけでは無理なんだと…
恋愛と結婚は違うということを知った。
2人で駆け落ちすることも考えたけれど
『私』には彼の人生を奪うことができない。
いつか呉服屋を継ぐことが決まっていたから。
いや、、、今思えば
それは『私』の言い訳だったかもしれない。
本当はあの時に感じていたんだ。
女将さんに反対されたあの日…
きっと結婚は無理なのだと
心の隅っこのほうで思っていた。
もし彼と『私』の思いに打たれて
女将さんが許してくれたとしても
『私』という人間を認めたわけではないはず。
その後の結婚生活を想像すると
何かと辛い思いをするかもしれない。
その時の感情だけで突っ走れない『私』と
その時の感情だけで突っ走る彼との思いに
切ないほどのすれ違いが起きる。
「彼のことが大好き…」
その気持ちに嘘はない。
彼も『私』を好きでいてくれる。
でもダメだった。
結果的に、、
…
……
この恋は終わりを迎えた。
「ごめんね…Yおばちゃん」
あの綺麗な着物は袖を通すことなく
『私』の部屋で眠ることになってしまった。
…
涙が止まらない。
その日は目が腫れるほど泣いた。
声など殺さず思い切り泣いた…
でも彼と出会えて良かった。
こんな『私』でも
価値があると思えたし
愛される喜びを知ったから。
同時に失恋の辛さも知ったけど
彼と一緒に過ごした時間は
きっと忘れることはないだろうと。
そして、、
この恋に終止符を打った『私』は
呉服店にもさよならを告げ去ることになった。
心の中にポッカリと穴があいたまま
しばらく何も手につかない日が続く…
次の仕事も決まらぬまま
貯金を切り崩し生活をしていた。
狭い部屋は
以前よりも『私』を孤独にさせる。
失恋の傷は簡単には癒えない…
手放したあとに残るものは
何とも言えない虚無感だった。
…
……
セミの鳴き声も聞こえなくなったころ
やっとの思いで少し前向きになっていく。
「いつまでもこの思いを引きずるのは嫌だ」
そう思った『私』は独り、傷心旅行をする。
敢えて、海の見える場所へと…
寄せては返す波の音を聞きながら
いつかこの心が癒されますようにと。
”思い出”になるまでには時間はかかるけど
「前に進まなきゃ何も始まらない」
…
……
そして、、
気持ちの整理をしながら働き口を探す。
『私』が次に選んだのは
ファッションとは関係ない職種だった。
飲食店。
なぜだか違う仕事をしたくなった。
とは言っても接客という意味では同じだ。
『私』は、お寿司屋さんで働くことに。
ここでも経験を活かせることができるから。
……
こじんまりとした小さなお店は
心優しいご夫婦が2人きりで営む。
テーブル席はなくカウンター席のみ。
奥にあるお手洗いまでの通路が狭く
お客様が通るたびに他の方にぶつかる。
でもその空間が『私』には温かく感じた。
ほっこりするようなお寿司屋さん。
常連さんが多いのもわかる気がする。
ここでは
奥様から渡された”着物”を着て
接客をするのがお店の決まりだった。
『私』はカウンター内に立ち
初めて”着物”を着て仕事をすることに。
あの綺麗な着物ではないけれど…
「まさか仕事で着るとは」
皮肉なものだなと思ったりした。
『私』にとって窮屈な着物も
いつしか抵抗がなくなっていった頃…
ここで働けて良かったと思うことがあった。
『私』のことを
今では娘のように思っていると
ご夫婦が何気ない時に言ってくれたのだ。
両親がいない『私』には
その言葉がどれだけ嬉しかったことか…
そんな2人のことを
父と母のように思いながら仕事をしていく。
……
ご夫婦は子供に恵まれなかった。
そのことをあとから『私』は知る。
「だから娘のように思ってくれるのか…」
きっと、、
ご夫婦にとっても
『私』にとっても
救われる思いだった。
心にあいた穴を埋めるかのように…
気づけば互いに大切な存在になっていた。
こんなにも居心地の良い場所で
必要とされることに喜びを噛み締める。
常連さんの笑顔が絶えないのも
ご夫婦の人柄なのだと改めてわかった。
…
……
そんな穏やかな日々が続いたある日のこと。
今まで見たことのないお客様が来店された。
ご新規2人組は
1人は大柄で、もう1人は細身の男性。
席に着くなり早々に瓶ビールを頼まれ
『私』はカウンターからお出しした。
接客をしながら2人の会話が聞こえてくる。
どうやら上司と部下の関係らしい。
〇〇新聞で働いていることがわかった。
働きながら
自然と内容が耳に入ってきてしまう。
細身の男性が部下で
なにやら仕事で悩んでいる様子だった。
そんな中、その男性と目が合い
『私』は思わずニコッと笑ってしまう。
営業スマイルとでも言うのだろうか…
会話を聞いてしまった罪悪感からなのか
とりあえず笑って誤魔化そうとしていた。
……
そしてその日を境に
細身の男性は1人でよく来るようになった。
必然的に会話をするようになり
この店の常連さんになっていく……
名前は、Iさん。
彼はいつも瓶ビールとマグロを頼む。
そのあとは決まってイカを注文する。
お寿司とお酒が大好きで
他の常連さんとも会話を楽しんでいた。
その光景を見ながら
『私』はなぜだか幸せな気持ちになる。
まさか彼とのこの出会いから
今後の人生が大きく変わっていくなんて…
想像さえもしていなかった。




