1話 終わりの見えない始まり
「残酷な描写あり」
ほっぺに生温かい液体のようなものが飛んできた。
サラッとでもなく
ドロっとでもなく
あまり感じたことのない感覚。
薄っすらとオレンジ色の寝室のなか
眠りにつこうとしていたときだった。
少し寝ぼけながらも
その液体は、一滴また一滴と…
顔全体にまで浴びてしまうほどだった。
口の中にも広がってくる。
とても嫌な気持ちだ。
この変な違和感は何だろう?
言葉では表せられない感覚だった。
「ん?」
何か感じる…
やっぱり凄く凄く嫌な感じ。
体全体で感じとってしまう。
ただごとではない気配を…………
恐ろしい何かが起きている。
今『私』のすぐそばで。
目をつぶっていても感じた。
一生に、絶対経験などしたくないことだと…
そんな思いはされど
子供ながらに嫌な予感は的中してしまった。
……
…………
『血』!?
これは血だ。
生温かい…
人の血だった。
え?
「なんで血が!?」
「いったい何が起きてるの!?」
頭の中がグルグルまわる。
眠気が覚め
だんだん意識がハッキリしてきた。
でも怖くて目をあけられない。
体が動かない。
金縛りにあってるかのような感覚を覚えた。
一体どんな状況になっているのか
今は耳だけが
耳だけが頼りだった。
「いやぁーーーーーーーーーっ!!!」
「やめてーーーーーーーーーっ!!!」
聞こえてきたのは恐怖に怯える女の絶叫。
「ハァ、ハァ、、」
男からは荒々しい息が漏れる。
どこかで聞いたことのある声と
聞き覚えのある声。
いつも名前を呼んでくれる
その優しい声がひどく怯えている。
今まで1度も聞いたことがない。
その声が『何か』を振りかざす音と共に
だんだんと薄れていく……
もう声にさえならない声が
力尽きていくのがわかる。
ドサッ。
…………
そしてもう…
その声は聞こえなくなった。
…………
静まり返った寝室には
男の息づかいだけが聞こえてくる。
「まさか…」
…………
……………………
!?
殺されてしまったの!?
すごく聞き覚えのある声…………
そう、、、
それは大好きな人の声
……
…………
母だった。
大切な人が…
大好きな人が……
『私』の目の前で殺された。
「ある男」に、母の命を奪われた。
え?
父は……
「お父さん…お父さんはどこ!?」
恐怖の中、父のことが気になりはじめた。
聞こえてきたのは母の声だけ…
父の声は聞いていない。
「お父さんは生きてるよね!?」
何かにすがる思いだった。
神様どうかお願い…………
……
…………
あぁ……
母だけではなかった。
『私』がまだ気づかない間に
父は先に殺されていた………
両親を同時に殺されてしまった。
厳しくも優しい父と
物静かで陽だまりのような母。
そんな2人を…
「これは夢?」
いや、夢であってほしい。
そう願いつつも
ヌルっとした感触が現実だと語っていた。
何気ない一日の終わりに起きた殺人事件。
家族に起きた悲劇。
『私』の実話だ。
毎日を普通に過ごして
今日も幸せにご飯が食べれて
また明日が当たり前のように
くるものだと思っていたのに……
「私も殺される!」
そう覚悟したのは
布団をはぎ取られたときだった。
まだ妹と弟は幼く
状況を判断できる年齢ではない。
3人きょうだいで長女だった『私』
その時は小学生(中学年)だった。
もちろん言葉を話せるし
いま起きてる状況も判断ができる。
だから口封じのため
ターゲットにされてしまった。
「怖い!怖い怖い怖い!!!」
心臓の鼓動が速くなる。
ここでもし目をあけてしまったら
恐ろしい光景を目の当たりにしてしまう。
「寝たふりをしなきゃ」
とっさに判断した。
「目を開けたら絶対ダメだ」
心の中で何度もそう呟いた。
どうしよう…
まぶたが震える。
「どうしよう、、どうしよう」
起きていると気づかれたら
『私』も確実に殺されてしまう。
……
そんな緊迫した状況のなか
とにかく寝たふりを続けた。
…………
……………………
数秒後、パサッと音がした。
「助かった…」
去っていく足音に耳を傾けながら
雑に置かれた布団を見る。
恐怖から解放されたことで深く息を吐く。
ホッとしたと同時に
死を覚悟した瞬間だった。
たった数秒の時間が
とてつもなく長く長く感じた。
……
今思えば本当は
殺されてもおかしくはなかったかもしれない。
やろうと思えば家族全員始末できただろうに。
「ある男」はなぜ両親を殺したのか?
憎しみがこみ上げる。
同時に悲しみ怒りさえも覚えた。
でも…
どんなに願ったって
大好きな2人はもう戻ってはこない。
悲しい現実がそこにあるだけ。
…………
思いもしない突然の両親との別れだった。
見るに堪えない……
まるで血の海だ。
明かりをつけたこの寝室。
両親の…
見るも無残な姿がそこにはあった。
悪夢だ。
ただ呆然と立ち尽くすだけだった。
…………
本当に
本当に
夢であってほしかった。
数時間前まで一緒に話していたのに
すぐそばで生きていたのに
息絶えた両親が赤く染まって倒れている。
何とも言えない光景だった。
信じたくない。
こんなの信じたくなんかない…
『私』の目に飛び込んできたのは
パックリあいた額と
タンスに飛び散った血しぶき。
変わり果てた父と母。
この現実を受け入れられないでいた。
「ねぇ…起きてよ」
2度と起きることのない両親に声をかけた。
何も言葉が返ってこない。
そんなことはわかっていた。
そんなことはわかっていたのに…
『私』の手は、赤い血で染まっていた。
…
…………
鋭い刃物。
『何か』を振りかざす音は
草を刈る鎌だったことを知った。
死神の象徴としても使われる
《生命を刈り取るもの》
「こんな鋭いもので父と母は………」
命を奪われてしまった両親。
『私』も、奪われそうになった。
ブワっと、涙が一瞬であふれる。
頭がグチャグチャでどうにかなりそうだった。
もう心はズタズタだ…
…………
心に受けた衝撃が
ずっと大人になっても消えないまま……
いくつになっても忘れられないでいる。
忘れることなどできない。
いや、忘れてはならないんだ。
「あの男」だけは…
絶対に絶対に忘れない。
憎き存在を。
名前は今でもフルネームで覚えている。
ラジオに流れ新聞にも載った。
両親を殺した
「あの男」のイニシャルはT.Sだ。
我が家には雇人がいた。
その雇人が「あの男」T.Sだ。
ただ草を刈ってるおじさんとしか
その頃は思っていなかった。
…………
ある日のこと。
父と母が大金を数えていたその現場を
あの男が偶然見てしまったみたいだ。
殺した理由は
「お金欲しさだった」
と、そう警察に供述したらしい。
……
お金なんてなければ、、、
お金なんてなければ、、、、、
両親は生きていたのかもしれない。
殺されずにすんだのかもしれない。
途方に暮れる思いだった…
もう甘えられる人はいない。
頭を撫でてくれる人もいない。
愛情をくれた父と母。
もう2度と注がれることはない。
寂しさを感じた。
でも『私』は長女だから…
しっかりしなくちゃいけない。
泣いてはいけない。
その時、まだ幼すぎる妹が
代わりに泣いたのを覚えている。
強くいなくちゃいけないんだ。
「お姉ちゃんなんだから」
……
母の言葉を思い出す。
でも…
本当は不安でたまらなかった。
悲しくてしかたなかった。
誰かに抱きしめてもらいたかった。
「大丈夫、大丈夫だから」
優しい言葉をかけてもらいたかった。
起きてしまった残酷な出来事…
もうこの家には住めない。
ここは家族みんなの居場所なのに…
幸せだった場所を奪われた。
『悲劇の場所』へと変わってしまった。
悲しみをこらえながら
「これから『私』はどうなるんだろう」
そんなことを思いながら…
でも
わかっていた。
本当はわかっていた。
親を亡くした無力な子供は
大人がいないと生きてはいけない。
チカラなんてないし
お金を稼ぐことなんて無理だもの。
仕方なく我が家を…
両親との思い出の家を……
離れることになる。
両親を失ったいま
住む場所を選ぶ権利など『私』にはない。
そんなものは残されていない。
こんなことになるなんて
まったく想像もしていなかった。
仕方なく……
住みなれた東京の家から福井へと
遠い親戚の家で暮らすことになる。
その先に
耐え難い現実が待っていることも知らずに……




