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ルドルフ王子は空に

 カランと氷がグラスの中で音を立てた。デイジーは空になったグラスを片付け、布巾でテーブルに付いた水滴を拭き取る。


「オレンジティー、とても爽やかな香りがして美味しかったわ」

「では、副料理長にお伝えしておきますね。きっと喜びます」


 厨房で大量の試作品を作っていた副料理長カーターの忙しさとは対極の王女ロザンヌ。

 舞踏会が目前といえども、薔薇が咲き誇る庭園を歩き、図書室で本を選んで自室に持ち帰る王女の習慣は変わらない。

 城内は慌ただしいが、王女ロザンヌの部屋だけはいつも通り静かな時間が流れていた。

 実際、どんなに大きな催事があろうとも王女がやらねばならないことなど皆無であり、忙しさとは無縁である。

 そして、いつも通り何も変わらない時間を過ごせるというのは、デイジーにとっても有難い事柄だった。

 とうとう舞踏会が始まると思うと、気持ちだけが逸りそわそわと落ち着かなくなってしまう。

 けれど、今日も窓の外には青空が広がり、ゆるやかに雲が流れているのが見てとれる。ソファーに座る王女が細い指先で本のページをめくる音がする。


(とにかく私がすべきことは、ファーストダンスを踊りきることよ。きっと大丈夫)


 ここ数日、デイジーは心の中で幾度も自分に言い聞かせている。「きっと大丈夫」だと。


「不安な時はね、一度大きく深呼吸して成功した自分をイメージするの。そうそう、目を閉じて思い描くといいわ。大丈夫よ、自信を持って取り組みなさい」


 魔法学園で実技試験が追試となった時、母と一緒に自宅で火を灯す練習をしたことがある。


「魔力は心の影響をとても強く受けるから、一流の魔術師になるには精神力も鍛える必要があるの」

「……お母様、私には難しいです」

「あら、まだ何もしてないでしょう?難しいとか、無理かもしれないとかは頭の中から弾き出しなさい」

「それはむっ」


 無理ですと言おうとしたところで母が人差し指をを顔の前で左右に振った。


「ほら、とにかく深呼吸して。そう、それから自己暗示よ。『私は大丈夫。いつもと同じでいい』って心の中で強く思って」


 デイジーは母の言葉を思い出しながら、小さく息を吸い込んだ。

 二階の窓からは晴れ渡る青空だけでなく、庭園や城壁、渡り廊下など様々なものが見える。


(今日は随分人が多いのね)


 午前中は静かだった東庭園がざわついており、デイジーは何をしているのかが気になり耳を澄ました。


「もう少し右へ!」

「もっと手前に!」


 どうやら上官らしき人物の指示により、立ち位置の確認をしているようだ。

 また、少し離れた場所では藍色のマントを翻しながら歩く集団も見える。騎士団と共に国防を担っている魔術師団の面々である。

 何分、物騒な噂の王子様が部下を引き連れやってくるのだから警備が厳重になるのも致し方ない。


(こんなに多くの人達が守ってくれるのだから、きっと何が起きても大丈夫)


 デイジーは窓から離れ、グラスを返却するために再び厨房へ向かった。






 デイジーが城内の警備に安堵した同時刻、遠く離れたシュテルンの国境付近でルドルフ・ノア・シュテルンは長剣に魔力を乗せて振り回し、轟音と共に巨木をなぎ倒していた。

 山裾に広がる樹海の中で盗賊達の悲鳴が響き渡る。


「全く、こんな大事な時に手間をかけさせやがって」


 ルドルフは眉間に皺を寄せ、忌々しそうに吐き捨てると倒れた巨木に飛び乗った。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う盗賊達に向けて掌から炎を放つ。

 炎は真っ赤な帯となり、盗賊達の身体に巻き付き締め上げる。幾つもの叫び声があがり、人影が崩れ落ちた。


「俺の役目は果たしたぞ。後始末はお前に任せる」


 ルドルフは後ろを振り返り、部下にそう告げると首もとから下げた小さな銀の笛を吹いた。

 ピューッという音は甲高く澄んでおり、見た目からは想像出来ないほど遠くまで届く。その笛の音に応え一頭の獣声が樹海に響き渡った。

 グォーッ!という声に驚いた動物達は森の中を走り回り、鳥の群れが一斉に飛び立った。

 そして、その喧騒の中心から一頭の巨体が空に舞い上がる。

 黒光りする硬い鱗に覆われた身体は馬車のように大きく、広げられた翼は力強い風を巻き起こす。軍事用に調教された翼竜が笛の音に呼ばれて上空をぐるりと旋回した。

 漆黒の瞳が眼下に広がる樹海にいる主を探して動く。主は直ぐさま見つかった。ルドルフが巨木を斬り倒したおかげで樹海の一部が切り開かれているからだ。

 翼竜はバサッと大きく羽ばたくと、一気に降下した。

 腰に手を当て上空を見上げていたルドルフの赤茶色の髪が風圧によって舞い上がる。


「モリオン、待たせて悪かったな。やっと帰れるぞ」

「グフォッ」


 翼竜はその名の通り黒水晶(モリオン)のような瞳を見開き、翼を広げて喜んだ。

 硬い鱗に覆われた首を軽くなで、ルドルフは早速手綱を掴んで騎乗した。

 兄達の嫌がらせによって盗賊退治を押し付けられたのだが、待ち望んだ舞踏会に赴くためには一刻も早く離宮に戻り身支度を整えなくてはならない。

 急いで帰ろうとするルドルフに、細身の青年が歩み寄る。

 軍服を着ているが、彼の身体は女性のように華奢で背も低くとても戦えるような見た目をしていない。また頭上のふわふわとした獣の耳もより一層可愛らしさを増幅させている。

 しかし、副官を務める彼の性格はそんな見た目とは真逆のものだ。


「閣下、念のため申し上げますが、舞踏会に行く際にはモリオンではなく馬車に乗って下さいね」


 副官の言葉にルドルフは小さくうなづく。


「分かってる。深窓の姫君を怖がらせたくはないからな」

「それからその御髪も束ねることをおすすめ致します」

「ん?髪を?どうしてだ?」

「ダンスの際に邪魔になりますよ」

「ああ、なるほど。では、いっそのこと短く切ってしまうか」

「いえ、それは困ります。その赤髪は相手を威嚇するのに必要ですから」

「あー、まあ馬鹿馬鹿しいとは思うが一理あるな。では切るのは止めておこう」

「ありがとうございます。では、後始末が済み次第私も後を追いますので、どうぞお先にお戻り下さいませ」

「ああ、出来るだけ急げよ。馬車での移動は時間がかかるからな」

「承知致しました」


 軽く頭を下げた副官を横目に、ルドルフは翼竜の手綱を引き樹海から飛び立った。

 モリオンは他の翼竜達よりも抜きん出て早く、わずかな羽ばたきで長く飛べる持久力にも優れていた。

 通常、離宮まで二時間ほどかかると言われれば遠いと感じるかもしれない。しかし、馬で移動することを考えれば驚異的な早さである。


 本来なら隣国ダナンへの移動も翼竜に乗って行きたいところだが、見合いを兼ねた舞踏会に軍事用の翼竜で登場しては無粋というものだ。

 非効率だが、王族らしく馬車を使うことにしたのはロザンヌ王女に少しでも良い印象を持たれたいからである。


「俺のこと、覚えてるかな……」


 翼竜の背中でルドルフは呟いた。

 やっと再会出来る喜びと、たった一度しか顔を合わせていない自分のことなど覚えていないかもしれないという不安で感情の波が揺れ動く。


(いや、会うことが出来ればまた親しくなれるはずだ。彼女は俺の運命の番のなんだから)


 ルドルフは手綱を握る手に力を込め、しっかりと前を向いた。


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