全ての準備は整った
「カーター、僕は貸し出し不可だって言ったよね?」
呆れたような声が静かな厨房に響く。
デイジーが振り返ると、そこにはジャック本人が立っていた。
「えっ、どうしたの?その格好」
厨房の入り口の扉を体で押し開けて入って来たジャックは何故か真っ白なフロッグコートを着て、色付きメガネをかけていた。
大きな木箱を二つ重ね持っており、顔の半分しか見えないがジャックであることに間違いはない。
「どう?本物の料理人に見える?」
「そうね。料理人見習いに見えるわ」
厨房の制服であるフロッグコートを着るだけで、確かにそれらしく見えてしまう。初対面であれば、まさか魔獣だとは思わないだろう。
「おお、さすが魔獣。かわいい顔して力持ちだな」
「は?『かわいい』はない。欠片もない」
「いやいや、その顔はかわいいという言葉がぴったりだよ。なあ?」
カーターに話を振られたデイジーは即座に「はい。もちろん、かわいいです」と答えた。
常日頃思っていることだからその言葉に迷いはない。
(最近ちょっと大人っぽい顔になってしまったけどね)
デイジーが真顔で答えるものだから、カーターはニヤニヤしながらジャックを見た。
しかし、褒められた方は全く嬉しくなかったようだ。抑揚のない口調でおざなりな言葉を返す。
「あー、はいはい。褒めてくれてありがとう」
無表情のまま木箱をどさりと床に下ろし、中から大きな薄い金属の板を複数枚取り出した。それは食料保管庫に使う保冷板であり、魔力を注ぐことにより長時間冷却効果が保たれる魔道具だ。
便利だが金属製であること、魔力を必要とすること、その二点が値段を吊り上げ高額で売買されている貴重な品である。通常は、溶けたらおしまいな氷で保冷するのが一般的だ。
「こんなにたくさんの保冷板をどうするの?」
木箱から出した保冷板は全部で十五枚。よく見れば、「第一騎士団」「第二騎士団」という刻印がある。
「カーターが西食堂で使う氷の心配をしているように、城内にある他の厨房でも夏に向けて氷不足を心配してるんだ。だけど、僕がそれぞれの厨房を巡って氷を作っていくのは面倒くさい。で、とりあえず保冷板をたくさん用意して各職員に取りに来てもらうことにしたんだよ」
「よくそんなにたくさんの保冷板が用意出来たわね」
「騎士団が遠征する際に使うやつなんだ。カーターが騎士団長に話を通してくれたから、僕が厨房職員として引き取ってきたってわけ」
カーターが保冷板を重ならないように作業台に広げなから言葉を付け足す。
「フロッグコートさえ着てればそれらしく見えるだろう?騎士団の棟に入るには制服を着てた方が楽なんだ。まあ、身分証代わりだな。ただ金色の瞳は目立ちすぎるからメガネをかけさせた。意外と似合ってるよなぁ」
メガネのフレームは黒く、レンズは薄茶色。レンズの色味のおかげで上手く金色の瞳を隠せている。しかし、かけなれないものだから鼻の上が気持ち悪いらしい。指でぐいっとメガネを押し上げ早々に外している。
「もうすぐ王城を離れるからね。美味しいご飯を食べさせてもらったお礼にこのくらいは手伝おうと思ってさ」
「そう、それは良いことだわ」
「作業が終わったら僕も王女様の部屋に行くよ。デイジーはこれ持ってくんだろう?先に行ってて」
差し出された木製トレイを受け取ろうとして視線を落とすと、ジャックの親指の付け根にうっすらと血が滲んでいるのに気が付いた。
木箱は表面がザラザラとした板で出来ており、釘の打ち付け方も荒っぽい。手袋もしないで持ち上げたためにどこかで引っ掻いてしまったのだろう。
「ジャック、指を怪我してるわ」
「え?ああ、ほんとだ」
「一度トレイを置いてくれる?治すから」
「別にいいよ。こんな傷――あ、やっぱり治してもらおうかな」
ジャックは全く気にならない小さな傷の治療を断ろうとしたが、思い直して右手を差し出した。
「そうよ。小さな傷だってバカにしてはいけないわ」
デイジーは両手でジャックの右手を包み込み、短い治癒の呪文を唱えた。
若草色の瞳に光が宿り、赤茶色の前髪が風を受けたようにふわりと動いた。あたたかな魔力が手の内いっぱいになるのを感じてから、そっと手を開く。
滲んだ血は消え、皮膚は傷もなく元通りの状態になった。発動したのは初歩的な治癒魔法の一つである。
「ありがとう」
ジャックの目元が緩み、綺麗な唇の端が上がる。その笑顔は見慣れたもののはずなのに何かが違う。
「どういたしまして」
言葉を返しつつ変化の要因を探す。金色の瞳の輝きは変わらないが、やっぱり少年のようなかわいらしさが消えている。
突然成長スピードが上がり、背が伸びて顔立ちが変わった。今、手の内にあるジャックの指でさえ少し骨張った気がする。
なんだか少し寂しく感じながら手を離そうとすると、逆にぎゅっと手を握られた。
「何?」
驚いてジャックの顔を見ると、不思議そうな顔で見返された。
「なんか、デイジーの手が縮んだ気がする」
「縮まないわよ。ジャックの手が大きくなったんでしょ」
「ああ、ほんとだ」
ジャックは自分の手を広げて、デイジーの手と重ね合わせる。いつの間にか指の長さや掌の大きさが全く違っていた。
「僕の手の方が大きいね」
そう言ってジャックが嬉しそうに笑ったので、デイジーはなんとなく恥ずかしい気持ちになり、慌てて手を引っ込めた。
「あー、イチャイチャするのは俺がいない時にして」
カーターが余計なことを言うので、デイジーは急いでオレンジティーを載せたトレイを掴み「変な言い方しないで下さい。ジャック、先に行くわね」と言い残して厨房から出ていった。
耳が赤くなったという自覚はある。もしかしたら頬も赤いかもしれない。
(ああ、もう本当に困る)
デイジーは飲み物がこぼれないように気を使いながらも、いつもより更に早い足取りで王女のもとへ向かうのだった。




