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この世の外で  作者: 伊田 千早
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遠くの空はまだ青く3

「わ! わ!、わあああ!」

 聖が叫んだ。

「聖、静かにしてくれ、ゆっくり、こっち……、あ、いや、だめだ。だめだ、ダメえええええ!」

 慌てた亘自身何を言っているのかよくわからなくなった。


 亘はもうこれはダメだと、聖の手を掴んで、斜面を駆け下りた。所々に岩があって、草の茂みに所々段差があっていつ転んでしまうかわからない。しかし、走る音に混じって、焦る空気に混じって、激しい動悸に混じって、ブンブンという音がしている気がする。


 聖が踏み込んだ茂みに、蜂の巣があったのだ。まるで絵に描いたように、黒だかりの蜂が吹き上がり、聖が見たことのない慌てっぷりで叫んでしまった。そのために、動揺してしまった亘は言葉を選べず、結果斜面を走って逃げるという愚行をしてしまった。きっと、背後を蜂の大群が追っかけてきている気がするが、怖くて振り向けない。そして、緩いといえど、斜面を駆け下りてしまったがために、勢いがついて、止まらない。このままではどこかで、二人とも転んで怪我をしてしまうだろう。


「あっ! あああー、亘さああああん。あそこ、止まってくださあああい」

「え、なにいいいい?」

「ひだりいいいいい。しんりゃくしゃああああああ」


 このとき、確かに亘は侵略者という言葉を聴いて、連想で超能力を思い出した。そうだったのだ。


 亘は必死に集中して目の前に、柔らかな空気を作り出す。そしてそのまま、そこから、背後に硬質な壁をイメージする。それから、必死に足を止めようと努力する。が、止まるわけはなくつんのめりになって、二人ともども前につっこんだ。


 柔らかな空気に満たされて地面に激突する事はなかったが、背後からそのまま聖が亘の背にぶつかってきてしまった。それはなかなか痛かった。動悸しすぎた心臓に、人間一人分の衝撃は、亘の呼吸をしばらくの間止めるには十分であった。


 そして、背後で蜂の無数の羽音。亘は焦るな、慌てるなと自身に言い聞かせる。超能力を発動させ続けろ――。


「……痛い、です。あー亘さん。ごめんなさい」

 その声はすぐ耳元で聞こえた。ふるえて、少々びっくりしてしまい、それはバレただろうか、という想像をしたが、それもすぐに消えた。


 侵略者!


「聖、侵略者は?」

「えっと、見えません」

 聖は亘の背から退こうとしない。


「聖?」

 ブンブンと甲高い羽音。

「まだ、蜂が。わたしは動きたくありません」

 彼女はぐっと亘の肩を握る。


「ああ、わかった」

 しかしぐっと体を押しつけられるのは、なかなか複雑であった。

 しばらくして蜂は近づけなくて諦めたのか、去っていった。


「もう、いいかな」

「そうですね」

 聖が亘の背から退き、まさしく亘は肩の荷が下りた。よろよろと亘は起きあがる。弱くではあるが、しばらくの間超能力を使い続けたことと、背に聖が乗り続けられたために、体がびっくりするほど疲労していた。


 ぎしぎしと体を持ち上げる。

「亘さん、大丈夫ですか?」

「なんとか、それで、侵略者は?」

 隣で周囲を見渡していた聖は、苦笑いでこちらを向いた。

「いません。見失いました」

 その笑みは力なかった。


「そう。……刺されなかっただけよしとしようか」

 とは言うものの、なんだか、こんな疲労はただの徒労だったようだと思うと亘はへとへとになってしまった。


 二人して斜面を降り、下の道路に出る。日の元に出ると自分たちが汗と泥で全くひどい有様であることが判明する。

 気を振り絞って、道路から侵略者を探したが、影も形もない。


「そろそろお昼ですね」

「そうだね」


 もう諦めて亘と聖は道路沿いで木陰を探すことにした。選んだのは、道路から少し外れたコンクリートが敷かれたわき道。その道は、上り坂になって段々畑につながっているようだ。わき道の上には高い木が多くあり、木陰があって、木漏れ日が揺れている。


 亘も聖もその場でだらりと崩れ落ちた。とても、とても疲れていたのだ。

 やれやれという思いでオカに連絡を行った。オカの返答は、「それは災難だったな。まあ、ゆっくり休め」であった。



 辺りは。緑の山々。蝉の声。風の音。そんな中を遠い南の異国を思わせる賑やかな暖かい風が吹き抜けていけば、葉すれが満開となる。


「非日常ですよね」

 しみじみとぽつんと聖が言う。

 この今見える世界には、一つも不思議はない。けれど、それは、非日常に違いなかった。

「そうなのかな。こんな生活が段々と日常になっていくのかな。普通じゃ考えられなかった」

 それもこれも超能力を得て、それを活かそうと思ったからによる。


「超能力を持っているということは確かに普通じゃありませんけど、林業の人や、工事する人は山に立ってきますよね。だったら、これも普通ですよ。わたしたちにとっては、非日常なだけです」

 聖にしては、現実で建設的な言葉であった。


「なるほど、なら、まだまだ未体験の世界があるということだな」

「そうですね。わたしたちはこの世界のことを何もわかっていないんです。亘さんだってわたしのこと全然わからないでしょう?」

 少し含んだ笑みを聖に向けられる。


「まだ会って半年くらいなら、知らない側面だってあるさ」

 現に今、こんなことを年下の女性と会話している未来があるとは想像していなかった。

「じゃあ、もっと知りたいですか?」

 今度はわざとらしい笑みになる。


「一応、パートナーだからね」

 と亘は、僅かに頷いた。

「一応って一体なんなんですか?」

 と、今度は無邪気そうに笑う。


 晴れた空の緑の賑やかな時間。

 見上げれば、時折、風がさざめく山の向こうには、何ががあるように思われた。それは、夏の暑い中に見る水の流れに似ていて、触れれば心地よい冷たさのような、形のない大きな期待に満ちていた。


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