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双天の共鳴者  作者: 月山
第一章「共鳴者覚醒」
20/126

別離


 都市の道路は、さすがに深夜帯で、おまけに戦闘が行われているとなると車など一台も通っていなかった。時折聴こえてくるのは、遠くで響く戦闘音だけだ。

 三人はそんな都市の闇を南へ駆けている。

 一人足りないように思うがそんなことはない。――一人は敏也の背中にいるのだ。


「…………屈辱です。こんな扱いってっ……」


 エリーネが赤い顔をし、敏也の首にしがみつきながら悔しそうに言った。


「……仕方ないだろ……お前、早く走れないし……」


 敏也が困ったように答えた。だが、その表情は心なしか嬉しそうである。

 ことの発端は南に向かおうと、ビルを出た時であった。



「よし、すぐに南に向かうぞ。D班が全滅する前に辿り着かなければ」


「ほいほい。ほんじゃまあ頑張りますかねぇ~」


 マサルと奈々はそう言って身体に肉体強化を発動させていた。練り上げられた魔力が彼らの身体を駆け巡り、膂力を強化する。

 敏也もそれに習い、強化を発動する。


「……よし、完了だ。じゃ、行くか!」


 そう言って駆け出そうとした時。


「……あの」


 今にも消えそうな程のか細い声が三人に届いた。三人は思わずピタリと止まる。

 え、誰? こんな弱弱しい声、誰が発するの?

 それは、三人が同時に思ったことだった。

 その声の主はエリーネ。彼女は俯きがちで言い辛そうにしながらこう言った。


「私……早く走れません……」


「あ」



 ――そんなことがあり、一番肉体強化の度合いが高い敏也が、エリーネを受け持つことになったのだ。

 本当はこの後、奈々が「わたしがエリー持つの~!」などと駄々をこねたのだが割愛する。


 敏也は走りながらエリーネに言う。


「……エリーネ。ちゃんと掴まってないと落ちるぞ」


「わかっていますっ。でも……」


 恥ずかしいです、とエリーネはぼそっと呟いた。そして、その声はちゃんと敏也に届いている。いくら高速で走っているせいで過ぎ去る風がうるさく耳に打ち付けているとはいっても、首元で囁かれればさすがに聴こえてしまう。


(俺だって恥ずかしいっての……。マサルと奈々はニヤニヤ見てくるし……)


 マサルと奈々は敏也たちの前方を走りながら、時折チラッと見てくるのだ。その視線が妙に生暖く、ねばっこい。


 前方を走る二人の声が聴こえる。それは、後ろを走る敏也たちにも聴こえるように少しだけ張り上げた声だった。


「……もうすぐ端末に表示されている交戦ポイントの近辺だ。――気を抜くな」


「うっふっふー、憂さ晴らしの時来たれりっ、って感じだねー」


 二人がそう言った矢先だった。

 

 何かが砕けた。


 前方、道路を挟んだ左右にあったビルの六つほどが突然爆ぜたのだ。

 轟音とともに飛来する物体――ビルの巨大な破片だ。しかも一つではない。おびただしい数の破片が雨あられと押し寄せてきている。


「っ、躱せぇッ!!」


 マサルが咄嗟に叫ぶ。


「エリーネッ!」


「わかってますっ!」


「うわわぁっ!?」


 敏也は彼女に呼び掛けた後、急制動を掛ける。

 道路に力の限り右足を横に突きたて、減速を試みた。右足が、ギャリギャリ、と音を立て道路に跡をつけながら、徐々にスピードが緩くなっていく。


 彼が急制動を掛けると同時に、エリーネは全方位に障壁を展開。自分と敏也を強固な殻で完全に覆い、防御の姿勢を盤石のものとする。

 ――大小様々な破片が障壁にぶつかるものの、触れたものから問答無用ではじかれていた。


 マサルを見てみると、ほとんどスピードを落とさず、破片と破片の隙間を縫うように駆けて、避けきれない小さな破片は障壁でこまめに弾いている。相変わらずハイスペックだ。


 奈々は……「ぐおおぉぉー!?」とか言いながら破片に埋もれていくところだった。実に相変わらずである。


 すぐに破片の雨は止んだ。静寂と土煙りが辺りを覆っている。


「……エリーネ、大丈夫か?」


「ええ。あなたも大丈夫ですか?」


「ああ」


 お互いに怪我のないことを確認し終えるとエリーネを背から降ろし、障壁を解除すると、二人の安否を確認しに行く。

 と、そんな時に巨大な破片の後ろからマサルが現れた。


「無事か? お前たち。……八咫神はどこだ?」


 そう言えば姿が見えない。彼女があれだけでくたばるとは思えないのだが。

 三人は辺りの敵影を警戒しながらも、奈々の姿を探す。すると、


「どっせーーーーーい!!」


 そんな掛け声とともに奈々が、破片の山を貫きながら大空へ向けて飛び出してきた。昇竜拳のポーズである。


「いやー、さすがに今回は死んだかと思ったよー。ゴーレム造る時間は無いわ、あれだけの数を見切るスペックはないわで」


 着地した後、そう言いながら身体についた汚れをはたいていた奈々にマサルが言う。


「……障壁で防ぎながら敏也たちの後方に隠れると良かったのではないか?」


「……ぁっ…………くぅ~」


 後の祭り。今更気付いても、もう遅い。

 マサルの言葉にショックを受けた奈々は、両手両ひざを地面に着きプルプル震え始めた。よほど衝撃的だったのだろう。時折グーで道路を殴りつけている。


「それより敵は? なんでこんな暢気に隙見せてんのに、追撃してこないんだ?」


 敏也は敵の不可解な点をマサルに問いかけた。


「恐らくこれは、我々の出方を見るための陽動。…………やつらは距離を取ってこちらを伺っている。……数は三。それぞれ別の場所で、二つは魔術師、一つは魔動機だ」


 マサルは、まるで敵の様子を見てきたかのように言った。


「……どうしてわかるんですか?」


 エリーネが驚いた様子でマサルに問う。

 しかし、敏也が代わりに答える。


「今、こいつは一時的に知覚神経に強化を全振りしてんだ。それで魔力とか物音を鋭敏に感じ取ってる。――――もちろん姑の小言もバッチリ聴こえるぞっ!」


「……姑の小言は余計だろう……」


 敏也の悪ふざけにマサルが短くツッコんだ後、情報を補足する。


「どうやら他に仲間はいないようだ。……恐らくはD班が粘って引きつけているのだろう。そして、機動力のある奴らがD班を無視してここまで来た。そして、俺たちの接近に気付いた奴らはトラップを設置した、と考えるのが妥当だな」


 それを聞いたエリーネは、少々考え込んだ後、


「……反応が三つということは、三手に別れたほうがいいですね。ここを通すわけにはいきませんし」


「ならば、俺と八咫神で魔術師をそれぞれ引き受けよう。敏也とエリーネ嬢は魔動機を頼む」


「え、それ本気か? 俺たちに第三世代を殺れって? 悪い冗談だろ……」


 マサルの提案に敏也は難色を示す。

 どちらかといえば、この中で一番の実力者であるマサルが引き受けるべきではないだろうか?


「いや、お前たちが魔動機の相手をする――これが最善だ。心配しなくても、お前たちが実力を出し切れば必ず対抗できるはずだ」


 その後、何度か食い下がったがマサルは意見を曲げようとはしなかった。

 だから敏也はしぶしぶながら了承した。



「俺と八咫神は次の交差点を左右へ。敏也とエリーネ嬢は直進しろ」


 二人と別れ、敏也とエリーネは徒歩で慎重に進んでいた。

 いつ、どこから、もしかしたらビルの壁を突き破ってくるかもしれない魔動機を警戒しているのだ。


「……」

「……」


 二人とも一言も発しない。それだけ緊張しているのだ。

 なぜなら、彼らはまだ第三世代魔動機との戦いを経験した事がない。

 どう戦えばいいのか。

 どこが弱点なのか。

 どんな攻撃をしてくるのか。

 それを知識としては知っているが、恐怖を押さえつけるほどの経験――自信が、身体にないのだ。


(第三世代の弱点は……なんだっけ…………そうだ、今までの魔動機と同じで魔動コアが弱点……でも装甲に守られてるから……どうするんだっけ……?)


 緊張のせいか思考が乱れる。心を強く持とうとしても、恐怖がそれの邪魔をする。

 二人の頬に一筋の汗が流れる。


(……ビビるなよ、俺。……俺がエリーネを護らないと……)


 しかし、緊張すればするほどあの時の、家族を失った時の惨状が頭をチラつく。恐怖で身体がガチガチに固まっていく。怖い、あの時のように失うのが……。


「……大神くん」


 そんな時、エリーネがギュッと敏也の右手を握った。とても柔らかく、優しげな感触。

 彼女の暖かな体温が、敏也に伝わる。


「エリーネ?」


 敏也は周囲の警戒を続けながら彼女の名前を呼ぶ。


「大丈夫です、怖がらないで。……あなたは一人じゃありません」


 彼女は魔動機への恐怖で顔を強張らせながらも、口元を懸命に綻ばせてそう言った。

 それを見た敏也は不思議と安心していた。心が満たされていくのを感じる。


〈ギシリ、と胸の中で錆び付いた何かが動く音がした〉


「……ありがとう、エリーネ」


 あんなにも怖かったのに、たったこれだけで恐怖は消えた。一人じゃない。それがこんなにも心を溶かすとは思いもしなかった。


(絶対に、護るからな)


 左拳を右肩辺りまで振りかぶり、水平に左へと、全力で振り抜く。

 ガンッ、と金属音が鳴り響いた。


「出やがったなッ!!」


「っ!?」


 目前まで急接近し、二人を跳ね飛ばそうとしていた魔動機を、敏也が思い切り殴りつけたのだ。エリーネには見えていなかったが、敏也の強化された視野はそれを捉えていた。


 敏也の強化された筋力で加減なしに殴り飛ばされた魔動機が、風を切りながら道路の上を吹っ飛んでいく。

 しかし、途中でスラスターの噴射で体制を立て直し、着地する。どうやら対魔素材の装甲には、拳程度では大したダメージにならなかったようだ。


「――間違いない。第三世代だ」


 敏也は敵の装備・フォルムを確認し、呟いた。

 以前見た紫苑専用機とだいたいの構造は同じ。だが、こちらは量産時のままのようで、武装やスラスター、頭部センサーは標準的なものだし、色合いは深い青だ。


 装備は、バックパックの右側にマウントされた、通常の対魔剣よりも一回りほどサイズ差のある大型の対魔剣。そして、左手に持った短剣型の対魔剣だ。

 だが、携行型の火器は使い切ったのか、見られない。


 そして、第三世代の代名詞ともいえる高火力射撃武装が見受けられないのは、おそらくD班と戦闘を行った際に破損したのだろう。――バックパックの左側にある武器保持用のアームが破損しており、火花とスパークを散らしている。


(背部スラスター、半分が壊れてるみたいだな。滞空していないのはそのせいか)


 ――フェイスガードに覆われた顔のバイザーから、カメラがこちらを捉えている。


「……まさかとは思ったけど、なんでテロリストなんかがレガリア持ってんだよ……」


「……確かにおかしいですね。誰かが横流ししたんでしょうか……?」


 第三世代が製造ラインに乗ったのは、ほんの数ヶ月前だ。生産されたものは軍や治安維持部隊に優先的に配備されていると聞く。

 技術が漏えいしたわけでもないのにテロリストが所持しているとなると、誰かが横流しした以外には考えられない。


《……》


 どうやら敵魔動機は、こちらの出方を伺っているようだ。

 敏也はそれを見据えながら、左手に刀を生成した。

 そして、彼女に言う。


「エリーネ。ここからできるだけ離れた場所へ逃げろ。そこで障壁を張って待機だ」


「!? なにを言ってるんです!? あんなものを一人で相手にするつもりですかっ!?」


 エリーネは信じられないといった様子で敏也に喰ってかかる。

 しかし、そんな彼女の訴えを敏也は冷静に受け止める。


「仕方ないだろ。あいつは見たところ射撃武器を破損してる。だから、近接戦闘に持ち込むしかあいつには選択肢がない。……そうなると、お前に危険が及ぶ」


 そう、ヤツはきっと死に物狂いで接近してくる。そうなると近接では障壁以外にできることがないエリーネは……。


 それに魔動機の対魔武器は、どんな強固な魔力障壁であれ、一撃でそれを著しく損耗させるのだ。いくらエリーネの防御力でも、そう長くは持たないだろう。

 そんな危険な相手と彼女を戦わせるわけにはいかない。


「っ……わかり……ました」


 今の状況を、敏也の心境を理解したのか、彼女は辛そうに目を少しだけ伏せると悔しそうに唇を噛んだ。

 その様子に胸に突き刺さるような痛みを覚えるが、今は――


「……ごめん。――――俺がヤツに仕掛けたら走れッ!」


 そう言って、彼女と繋いでいた右手を離す。心を溶かしていた暖かさが失われた。

 名残惜しむ暇もなく、刀を両手で構える。

 それを見た魔動機も、駆動音を鳴らしながら左手に持った短剣を構え、バックパックのスラスターを確認するかのように稼働させる。


 人間対機械。

 一メートル七十六センチと、四メートルの戦い。

 想像するだけで無理だと言いたくなる。人間の負けだと、そう言いたくなる。

 だが、敏也はその弱音を切り捨てる。それがなんだ! と自分を鼓舞する。


(今は勝ち負けじゃなくて、エリーネが逃げる時間をっ!)


 そして、彼は全身の筋力を最大限に強化した状態で、全速力で突進した。

 魔動機もそれに反応し、スラスターに火を噴かせ、飛び立つ。

 

 二つの軌跡がぶつかり合った。


 両者の武器が激しく衝突したことで、それによる衝撃が周囲を襲う。

 その衝撃の余波は、周囲の道路に亀裂を走らせ、ビルのガラスを割り、街灯を破壊するほどのものだった。


 彼らが衝突すると同時に、エリーネは駆け出した。自分がこの場でできることはないと痛いほどに理解したから。


(でもっ! 私はっ……)


 敏也と魔動機の剣劇を背に走る彼女の目には、涙が溢れていた。



「うわわっ!? タンマタンマ! ちょっと待って~!?」


「逃がさん!」


 その頃奈々は必死に逃げ回っていた。

 どうやら相手は近接寄りの魔術師のようで、左手には大剣、右手にはスパイクの付いた籠手を装備していた。さらに、隙あらば魔力の塊を飛ばしてくる厄介な相手のようだ。


「あ~もう! めんどくさいなぁ……。お兄さん、おとなしく捕まってくんない?」


 奈々は、飛来する複数の魔力弾を、余裕を感じさせる動きでひょいっとかわしながら、心底面倒くさそうに言った。

 しかし、それは相手の気を逆撫でするだけだった。


「黙れっ、政府の狗がぁッ!」


「ん~、わたしは別に国の為に戦ってるわけじゃないんだけどねぇ……」


 ヒュンッ、と鼻先を掠める大剣を、背を逸らすことでかわした後、話を続ける。


「正直この都市がどうなったって構わないし、国がどうなろうと構わない。……興味無いんだよね、そういう漠然としたものって。わたしは巻き込まれただけだしさぁ」


 そう言いながら奈々は相手が打ち込んでくる籠手による殴打を、右手に生成した短剣で器用に受け流す。

 キン、キン、と受ける度に音が鳴る。

 何度も何度も、彼が打ち込んでくるたびに受け流してやる。


「っ……このっ!! 生意気なぁぁ!!」


 そんなやり取りに業を煮やした彼が大剣を上方に大きく振りかぶる。防御できないほどのパワーで押しつぶそうという考えだろう。

 しかし、そう来ることは奈々には予測がついていた。


 彼が大剣を振りかぶった瞬間、加速し懐に潜り込む。

 そして、ガラ空きになったその腹に正拳突きを叩きこんだ。

 ズンッ、と腹に拳がめり込み、メリメリ、と軋む音が聴こえる。


「ぐっ……うっ!」


「あれまっ、さすがに近接戦闘に持ち込んできただけあってしぶといねぇ……」


 奈々はそう言いながらバックステップを踏み、彼から距離をとる。そして、うずくまった相手を見ながら余裕の表情をしていた。

 しかし、本心は違う。


(おかしいなぁ、弱すぎるよ。この程度なら警備班で対処できるはずだし。それだけ魔動機が強かったってことかな? それとも別の何か……?)


 油断ならない心境で、奈々は彼の動きを観察する。


(……拷問でもして、吐かせちゃおっかな……?)


 そんな恐ろしいことを彼女が思いついた時、蹲っていた彼が突然笑いだした。


「…………くっ、ははははははははは」


「……何がおかしいの?」


 奈々は問う。

 だが彼は熱に浮かされたように、彼女にまともに取り合おうとしない。


「十分だ……これで…………これでぇ! ここからが本番だぞぉ小娘ぇぇぇ!!」


 蹲っていた男が跳ね起きた。その目は血走っていて、口からは涎が垂れ、それらが、彼が正気ではないことを如実に表している。

 奈々がそんな彼の様に引いていると、次の瞬間、彼は大剣の腹を両手で掴むと自らに突き刺した。ズグッ、と肉に剣が沈み込んでいく。


「ぐふっ…………死……ね、死んでしまえッ!!」


 辺りにビチャビチャと真っ赤な血液が飛び散る。

 彼は血に濡れた口で怨嗟を叫んだ後、ゴフッと血を噴き出し、腹に大剣を突き刺したまま地面に崩れ落ちる。

 ベシャッ、と吐き出した血の上に倒れた彼の周りには、血溜りができ始めた。血の、鉄臭くもあり、生臭くもある匂いが周囲に立ち込める。

 しかし、それはほんの僅かな間だけで、彼が流した血は、まるで生きているかのように彼の身体に戻り始めた。

 そして、彼の身体がボコボコと音をたてて別の何かへと組み換わっていく。


「……あー、そういうこと。厄介なもん持ってんじゃん」


 奈々はその光景にまったく怯えはせず、心底面倒くさそうにぼやいていた。

 ――彼の行ったことは、魔具による肉体変異だ。


 本来、武装魔術は、力を持たない通常の武具か、主に魔剣や聖遺物と呼ばれる魔を付加された武具――魔具しか生成できない。だが、時折こういった特殊な武器が生まれる。

 ――それが、肉体を変異させる能力を持った魔具。


 発動条件はものによるが、絶大な力を使用者に与える代わりに、なにかしらの対価を要求する。今回の場合は……。


「痛み……もしかしたらダメージとかかな。わりと軽めの条件だけど……わかってる? 肉体変異は命削るんだよ? いったい何回使ったのさ……」


 呆れたように奈々が言うが、もう彼には届いていない。


 彼はすでに化物に変わってしまっている。

 腹の傷は消え、体躯は三メートルほどになり、その皮膚は漆黒の体毛に覆われ、爪は鋭利に尖り、筋繊維など人間の比ではないほど迫り立っている。しかも、鋭利に研ぎ澄まされた刃物のような尻尾まであり、もう、とても人間とは思えない。


「ガアアアアアアアアア!!」


 獣が咆哮する。

 そのあまりの騒がしさに、敵の目の前であるにも関わらず、奈々は思わず顔をしかめ、耳を塞いだ。そうしたくなるほどの声量だった。


(うっさっ! ほんとっ、めんどくさいやつッ)


「……っ! このぉっ!」


 奈々は左耳を塞ぎつつ、右手に持っていた短剣を投擲する。

 それはまっすぐな軌道を描きながら、咆哮し続けている獣の胸に吸い込まれていった。


 ――短剣が肉に突き刺さる。

 しかし、獣は止まらない。その程度では、死なない。

 それどころか、短剣が獣の再生した肉に押され、胸から押し出されかけていた。

 ついに短剣が、カランッ、と音をたて地面に転がる。


(再生持ちかぁ……どうしよう)


 こうなってしまった相手は、魔力切れまで粘るか、気絶するまで肉体にダメージを与えるか、その命を一撃で断つかといった選択肢しかない。


(もうっ、さっさとゴーレムで倒しちゃおう)


 こうなってしまっては、周りの被害など気にしてはいられない。複数のゴーレムを生成し、多数の手数で翻弄しつつ、敵の魔力切れを待つまでもなく、叩き潰す。

 そう思い、術式を展開しようとしたが――。


「ガアアアア!!」


(嘘っ!?)


 瞬間、目の前に獣が迫っていた。

 腰を低く屈め、下方から覗きこむその黄色の目がギョロリと奈々を捉え睨めつける。

 そして、獣は右腕を下方から奈々へ向けて振り上げた。


「っあ!」


 奈々は咄嗟に腕をクロスしてガードした。しかし、強化しているはずの腕が、ミシミシ、と嫌な音を奏でる。

 それに加え足の踏ん張りがきかず、そのまま道路からビルの方へと吹っ飛んでいく。


「うあぁぁっ!!」


 そのまま壁を突き破り、奈々の姿は見えなくなった。



 一方、マサルはというと。


「……いいかげん、出てきたらどうだ?」


 いまだ敵と遭遇していなかった。

 いや、正確には違う。目の前のビルに敵が隠れていることはわかるのだが、一向に姿を見せようとしないのだ。

 ――まるで時間を稼いでいるかのように。


「出てこいと言っているッ!!」


 声を荒げ、そう叫ぶが、敵対者はその極小の気配を動かそうとしない。


(……この程度の挑発には乗らないか……。こちらから仕掛けるか? だが敵のテリトリーである以上、迂闊に飛びこむわけには……。しかし、そう時間をかけるわけにもいかん。早くほかのやつらのところに援護に行かねば)


 そう決心すると、マサルは術式を展開する。


「術式、展開。――水流よ、建物ごとやつを破壊しろ」


 その命に従い、十二本の水流が目の前のビルへと押し寄せた。

 壁、窓ガラス、柱、何もおかまいなしに貫き、蹂躙する。

 水流の破壊力によって押し出されたデスクや椅子が道路へと降り注ぐが、マサルは構わない。

 

 約一分、水流は荒れ狂い続けた。

 

 目ぼしいところはあらかた潰し終え、無残な姿を晒しているビルを眺めながら、マサルは思考する。


(……おかしい。敵はまだ生きている。なのに、何故反撃してこない?)


 知覚神経に強化を割り振りながらマサルはそう思っていた。

 と、その時どこからか大人の女性の声が響いてきた。


《さっき四人でいたときに、動きは見てたわ》


 その声に反応し、マサルは剣を前方に構え臨戦態勢をとる。

 ビルへと目をやるが人影は見えない。


《その中で一番厄介なのは、あなた。あれだけの攻撃を完璧に避けられる人は、大人でもそうはいないから》


 前方、後方、左右、上方、下方、どこを見ても敵がいない。


(……こいつっ、気配を遮断できるのか……?)


 マサルの強化された聴力を持ってしても、声の発信源が捉えられない。


《だから作戦のためにも時間稼ぎをさせてもらおうと思ったの。まともにやり合えば、下手をすれば相討ちになってしまいそうだし》


 ビシッ、と前方の半壊したビルから亀裂が入った音がした。そして、そのビルの奥から、ほのかに光が漏れている――術式の光だ。


「っ!!」


 それを見たマサルは咄嗟に後方に飛び退き、それと同時に、十二本の水流で自分の前に壁を作る。


《でも、これで終わりかしら? あなたに恨みはないけれど。――さようなら、坊や》


 次の瞬間、ビルが弾け飛んだ。

 大小さまざまな破片が降り注ぐ。まるで豪雨のようだ。

 飛んでくる破片の密度がさっきよりも高く、避けることができない。

 そのほとんどは水流の盾に阻まれるが、徐々に徐々に水流が削られていく。


「……くっ、やってくれる」


 マサルはそう言いながらも不敵に笑っていた。

 そんな彼の上に、水流を突き破った破片が降り注いだ。



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