思惑
リアムは胸に湧き上がる思いの正体を持て余していた。
理性は止めておけと囁く。だが感情が許してくれない。パトリシアの笑顔が浮かんでは消えた。剣を振るって身体を虐め抜いた。
そうして決心した。もう一度だけ顔を見たい。もう一度だけだ。
リアムは一人馬を走らせ郊外に向け走ってきた。近くまで来ると歩みを止まらせた。
貴族街の外れにある男爵家から弾けるような笑い声が聞こえてきた。令嬢と侍女なのだろうか。
平民から男爵に叙爵された成金として知られるジョンソン家だった。
鉄鉱石の山々を掘り当て国に多大な貢献をしたというのが理由だと言われている。その中には貴重なミスリル鉱山もあるらしく数々の家が繋がりを求めていた。古い貴族屋敷に手を入れタウンハウスにしていた。
その時あの時の侍女が門の外に出て来た。
「まあ、お嬢様リアム様がお見えですよ」
「いや、来たわけではない。馬を走らせていたら偶然通りかかっただけで…」
急いで出て来たらしいパトリシアが花の咲くような笑顔を見せた。
「またお会い出来て嬉しいです。今日こそお茶をご一緒させてくださいませ」
「では少しだけお邪魔します。立派なお屋敷ですね」
「父が男爵位を賜ったのでタウンハウスとしてこちらを買いましたの。
貴族街の端ですので治安も良くいい場所ですわ。丁度侍女に使いを頼むところでしたの。
リアム様にお会い出来て幸運でした。もう諦めてお付き合いくださいませね」
いたずらな妖精のようだった。
「ご在宅であれば男爵様にご挨拶をさせていただきたい」
ぎこちなく返事をした。
「父は鉱山に行って留守にしておりますの。この間のお礼を言ういい機会でしたのに残念ですわ」
リアムはほっとしたような残念なような複雑な気持ちになった
応接間に案内された。磨き込まれた上品な家具がどっしりとした風格で置かれていた。
「ようこそお出でくださいました。本日はお会いでき光栄です。漸くお礼が出来そうで感激ですわ。ミルお茶の用意をお願いね。あっ、さっき焼いたアップルパイもお出しして」パトリシアが侍女に言いつけた。
こんなことになると思っていなかったリアムは内心で焦った。これ以上のめり込むのは不味いと脳が警鐘を鳴らしていた。
「お茶だけ頂いたら失礼するので気遣いはいりません」
「つい最近まで平民でしたので、行き届かないところがあるかと思いますがご容赦願えれば幸いです。
家庭教師の先生を付けて一生懸命勉強中ですの。実はお菓子作りが好きで先ほど自分でパイを焼きましたの」
そう話していると艶々にコーティングされて焼き上がったアップルパイと紅茶が運ばれてきた。
「そんなに畏まらなくて大丈夫ですよ。ご自分で焼かれたのですか?美味しそうですね」
「ほんの手慰みです。あっ毒は入っておりません。先に食べますのでご安心くださいませ」
「そんなことは思っておりませんが、イメージと随分違いますね」
「もっと大人しいと思われましたか?とんだお転婆でがっかりされたとか」
「何もしないクールなお嬢様といったイメージがありました。
でもあの時は侍女の方を逃がそうとされていましたし案外と行動的なのが本当のあなたなのかなとも思います」
「家庭教師の先生には猫を三匹くらい被るように言われておりますのに失敗しました。きっと叱られてしまいますわ」
恥ずかしそうな笑顔だった。
「猫を三匹ですか?被らなくても充分チャーミングだと思いますよ。
これは美味しいですね。林檎がたっぷり入っている」
「お口にあって良かったです。甘いものはお好きですか?」
「ええ、疲れた時に食べたくなります」
そうしてリアムは恋に落ちた。
何度か会う内にお互いに惹かれ合っているのを感じたリアムはオリビアに婚約破棄を告げた。
想いはまだパトリシアに告げていない。先に婚約を破棄するのが筋だと思ったからだ。
告げた瞬間のオリビアの悲しそうな顔が胸に焼き付いて離れないが自業自得だ。
そんなことは一度も考えていなかったという表情だった。慕ってくれた婚約者を酷く傷つけた。
それでもパトリシアを諦めたくなかった。罪悪感は一生持って生きていこうと思った。
護衛のサムはいつの間にか辞めていた。
婚約を申し込もうと先触れを出し、正装をしてパトリシアのタウンハウスに行った。
「パトリシア嬢に取り次ぎを願いたい」
「お嬢様はここにはおられません」表情のない家令が返事をした。
「えっいない?領地にでもお出かけですか?」
「王城です。お嬢様は陛下の愛妾になられました」
「陛下の愛妾…。何故です?この前会った時には何も言っていなかった…」
「詳しくは聞いておりませんし申し上げるつもりもありませんが、ご褒美を貰えるのと嬉しそうにしておいででした」
家令は哀れむような目つきでそれだけを告げ扉を閉めた。
「…ご褒美……」
ウイリアムズ伯爵家は貿易で大きな力を持っている。そしてリアムのスミス侯爵家は外交官を沢山輩出している一族だった。
その結びつきを危惧した陛下の指図だったのだとその時漸く理解した。
それの何処に懸念があるのだろう。国に有利なだけではないのか。
リアムには彼の方の考えが分からなかった。
自分のやらかしに背筋が冷たくなったリアムは急ぎ自宅に戻った。
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