第六章 父の嘆き
マルクスはヴィクトルの卒業祝賀会で祝辞を述べることになっていた。息子に内緒で驚かせてやるつもりだった。
アマデウスもそれに伴い参加する。
グイドも今期卒業だったこともあり、晴れの舞台を父として見守ってやりたい、ささやかなアマデウスの親心であった。
今でもぎこちない親子であるが、マリアから授かった大切な息子である。これから改善すれば良い。時間はたっぷりあるとアマデウスは考えていた。
会場へ向かう回廊をマルクスが臣下を伴い歩いていると、途中、甲高い悲鳴があがった。
それは恐怖からくるものだとアマデウスは察した。胸騒ぎがして、アマデウスはマルクスを残し会場へ走った。
マルクスは護衛騎士に囲まれていた。
アマデウスが扉の前まで来ても、不思議なことに会場から誰も逃げてこない…。
会場内では何か混乱するようなことが起きているはずなのにだ…。
アマデウスは静かに扉を開放した。
会場内にいるものはアマデウスが入ってきたことに気づかない。ただ、一点を見つめていた。
「…。ルキア?」
中央へ一人の女生徒が倒れていた。それは見知った己と同じ銀髪。いつもなら綺麗な輝きを放っている銀色がどす黒い何かに穢されている。
「ルキアぁああぁーーー⁉︎」
アマデウスは人並みを掻き分けて横たわっている娘へ駆け寄った。
側にいたフェリクスはルキアの手首に触れるも脈が感じられない。そのまま、呆然としてルキアの手首を握っていた。アマデウスはフェリクスからルキアを奪いとるように抱えた。
「何でっ⁉︎何故…。何が起こったんだ⁉︎」
アマデウスはルキアを胸に寄せるも、項垂れ、手は力が抜けてダラリと落ちる。ドレスはルキアが吐いただろう血で真っ赤に染まっている。
「どうして…。どうして…。ルキア?お前のお父様だよ…。なぁ、ルキア?何故、返事をしてくれないんだ?」
既に息のない娘へ何度も話しかけている父親を群衆は固唾を呑み見守る。
重苦しい空気が場内へ漂っており、女生徒の中には気を失っているものや、咽び泣いているものもいた。
「ルキアがヘレナを毒殺しようとしたのです。それで追求していたのですが、ヘレナを殺すはずだった毒でルキアが自害したのですよ…」
一人の生徒が果敢にもアマデウスへ近づき、淡々と説明する。アマデウスは虚ろな目をして、その生徒を見仰いだ。
「それは…。お前は毒だと気づいていて…。止めもせず…。黙って見ていたのか?」
「…」
無言のまま否定も肯定もしないグイドへアマデウスの叱責が飛んだ。
「お前はルキアの血の繋がった兄なんだぞっ!」
「ですが…。ヘレナはミザール公爵家の娘です。王の血族を害するものは極刑かと?」
ヘレナがミザール公爵の愛娘だったと判明した際、箝口令を敷いていたのだが、壁に耳とはよく言ったもので、宮廷内ではこの話題で持ちきりだった。
「それが、どうした…。ルキアが死ぬと分かっていて…。誰も止めなかったのか?」
集まった人々の顔を見渡すアマデウスに皆が顔を背けた。
「これだけ多くの人間がまだ16にも満たない少女を取り囲んで…。ルキア…。可哀想に…」
状況を把握した臣下たちより報告を受け、マルクスが漸く到着した。安全確認後、入場したのだ。
鎮痛な面持ちのアマデウスへ何と言葉をかけてよいかマルクスは迷っていた。そこへ愚息が口を開く。
「ヘレナを殺そうとしたのだぞ…。罪を問うて何が悪いのだ…」
喉が渇いた衝動に襲われながら、ヴィクトルは言葉を絞り出した。
「殿下…。そのお言葉…。貴方の婚約者であったルキアが目の前で死んで…。貴方は何も思わないのでしょうね…。そこの恋人に夢中なのですから…。どうして、娘が愚行に走ったのか?貴方に何の責任もないのでしょう…」
いつもの精悍さが今のヴィクトルには欠けていた。唇を噛み締める。
「私は…」
「所詮、王家の人間だ…。貴方に全く罪はないのでしょう…」
王族への不敬とも捉えられかねない罵りをアマデウスは吐き出した。
「侯爵!口が過ぎますぞっ!陛下の御前でっ!」
臣下の一人がアマデウスが諌める。マルクスはその臣下を手を挙げて制した。
「構わぬ…。許す…」
「私は…。ルキアが…」
ヴィクトルが言葉に詰まる。泡沫のようなあの弱々しいルキアの笑顔が脳裏にこびりついて離れない。
まだ生きているのではないか…。思わず、手を伸ばして確かめたくなる。
「触らないでいただきたいっ‼︎」
アマデウスが声を荒げた。
「…。ルキア…。生きているのだろう…。目を開けてくれ…」
尚、接触しようとするヴィクトルの手をアマデウスは容赦なく払った。
「触れるなっ‼︎」
立ち尽くすヴィクトルの横で、ヘレナが両手を胸の前で組み、アマデウスへ懺悔した。
「私がっ!私がっ…悪いんですっ!私がルキア様を追い詰めてしまったんだわ…。ルキア様…。どうして…。何故、毒を飲んだのですかっ⁉︎私は…。私は…こんな結末…」
ヘレナは腫らした目でルキアへ訴えたが、当たり前のように返事はない。
「今更…。もう遅い…」
代わりにアマデウスが告げた。
「あのとき、ルキアからの婚約破棄の申し出を…。真面目に取り合っていれば…。王命などと…。いつも私は気づくのが遅いのだ…」
アマデウスの後悔はルキアへ届かない。アマデウスの呟きにヴィクトルは狼狽える。
「ルキアが…。私との婚約破棄を考えていた…。いや…。そのようなわけが…」
マルクスはただ左右に頭を振った。ヴィクトルの行動を認識しておきながら、放置していたマルクスにも責任の一端がある。
王命でルキアはヴィクトルの婚約者へ決まったのだ。もっとルキアを慮るべきだった。
「…」
アガタは途方に暮れた様子でルキアを眺めていた。舞台の一場面の観客のような気分だ。これは夢に違いない。
だが、生気を感じさせない青白くなった肌、吐き出した血で汚れた口元、開くことのない目蓋…。
崩れるようにアガタはその場でへたりこみ、側にいた従者が慌てて身体を支えた。
父と娘の間にしばらく静寂な時間が流れた。ルキアへ微笑みかけたままアマデウスが口を開く。
「陛下、私は罪人の父でございます…。まず、職を辞したいと存じます」
決意を固めたアマデウスは娘を抱きかかえて立ちあがる。
「何を勝手なっ!職務を放棄するのかっ⁉︎」
「宰相…。落ち着いてくれ…。其方がいなければ国が立ち行かぬ…」
マルクスへ付き従っていた侍従たちがアマデウスの発言に騒然として様々な意見を口走る。
アマデウスとしては意にそぐわぬ大役であったが、国のため、延いては領民のため、懸命に職務を勤めてきた。今では国に欠かすことができないほどの実力をもった優秀な宰相になっていた。
「追って沙汰があれば…。それが極刑であろうとも私は応じます。ただ、そこにいるグイド・アークトゥルスは私の子ではありませんので、お許しいただきたい…」
「父上っ!」
グイドは人前で初めてアマデウスを父と呼んだ。アマデウスはそのことに気づいたが、グイドに対して何の関心も持てなかった。
「私に息子はいない…。父と呼ぶな…」
アマデウスが冷たく言い放つと、グイドは動揺した。どれほど、グイドがアマデウスを無視し続けようとも、アマデウスは常にグイドへ心を開いていてくれていたからだ。
「息子でないとはなんだっ!グイド卿もお主の息子であろう…。この期に及んで息子には罪がないというのかっ!」
先ほどアマデウスへ抗議した臣下が怒りを抑えられず叫んだ。
「えぇ…。この子を見殺しにしたのですよ?罪人が死ぬことを望んだのです。妹だろうがね…。私は今後それを息子と呼ぶことはないでしょう…。血縁であろうとも、この子の兄ではありません。ですから、罪人の兄ではないでしょう?」
それでも、侍従たちはアマデウスが息子を護りたいのだろうと判断した。アマデウスは国の政務を執り仕切る宰相にしては穏和なことで有名な男だ。
だが、マルクスやグイドは違った。ルキアの兄である事実を否定した。今ここで、親子の縁が切れたのだと悟った。
「侯爵…」
マルクスは立ち去ろうとするアマデウスへ声をかけたが、彼の眼差しを見て口を噤んだ。
王の勅令であろうとも彼が役職へ戻ることはないだろう。マルクスはアマデウスへ罪を問うことはなかった。娘を失ったのだ。それ以上、アマデウスを追い詰める意味があるだろうか…。
「さぁ…。父と一緒に帰ろう。ルキア…」
アマデウス・アークトゥルス
その後、政界を引退…。娘の亡骸を抱えたまま領地へ戻り、田舎の片隅で一生を過ごした。
冬の大陸から呼ばれた魔導士の魔法により、ルキアは生きた人形さながら美しい姿を保っていたという。
安楽椅子へ腰掛けたルキアは父が死ぬまで笑みを絶やさず、アマデウスの死後、漸く土へ還されたというのはまことしやかに流れた話である。
ご報告いただき誤字訂正を致しました。
ありがとうございます。
誤字脱字が多いと自覚しております。
至らないことも多々ございますが今後とも宜しくお願いいたします。