第五章 断罪
どうして…。このようなことになってしまったのか…。
「いいこと…。ルキア様…。殿下はルキア様との婚約破棄を考えておいでよ…」
アガタはルキアの両手を握った。ルキアの手中へアガタから渡された瓶が覆い隠されている。
「アガタ様…。これは…」
「毒ですわ…」
ルキアの顔色が一気に青褪めた。
「何故ですか…」
「これでヘレナ様へ毒を盛るのです…。あの女さえいなくなれば…」
例え、ヘレナを毒殺しても、ヴィクトルの心へルキアの居場所がないのは初めから分かっている。
「いいえ…。必要ありません」
ルキアは左右に首を被り振る。
「蔑ろにされたままで構わないと仰るのっ!」
学園でルキアの風評は散々だった。
最初はルキアへ同情する意見が多かったのだが、いつからか、圧倒的多数の生徒たちの噂でルキアは二人の恋路を妨害する悪役令嬢へと変貌してしまった。
グイドがあることないことを吹聴したことも手伝っている。実際、兄の目に映るルキアは、母親を狂わせた娘で、忠誠を誓うヴィクトルや愛おしいヘレナの敵役、悪女であった。
「…」
アガタの瞳の奥へ赤い焔がたゆたう。ルキアは怖くなり目を逸らして沈黙した。
「貴女へ疑いが向かぬよう、手回しはしております。ご安心なさって…」
そう言い残し、アガタの背中はルキアから遠ざかっていく。
こんなこと…。望んでいたわけではないのに…。
今日、ヴィクトルはこの学園から卒業する。
滞りなく卒業式を終えて、これから全生徒が招かれた卒業祝賀会が始まる。
ヴィクトルは既にヘレナを伴い入場していた。
アガタと別れたルキアは会場前で一人残されていた。
婚約者がいないものは、生徒間で交渉をして同伴者を探すのだが、婚約しているものは婚約者に付き添ってもらうのが前提である。
もし、仮に婚約者と共に入場できなければ、身内が一緒でも許される。しかし、ルキアはその選択肢はなかった。
恥をかくのは致し方ない。一人で入る覚悟を決めたときであった。
「ルキア嬢?」
馴染んだ声がかかる。
「…。フェリクス卿」
振り返ると王国第一騎士団近衛隊の正装をしたフェリクスであった。
鮮やかな赤色でボサボサしている短髪がフェリクスの特徴なのだが、目の前のフェリクスは髪も撫でつけて整えており、いつもより勇ましいとルキアは感じた。
ヴィクトルと同い年のフェリクスもヴィクトルと一緒に卒業する。フェリクスは本来であれば、ヴィクトルの護衛騎士として共に行動せねばいけないのだが、ヴィクトルがヘレナと二人だけの時間を過ごしたいと願ったので別行動していた。
フェリクスは会場の周辺の警備兵たちへ一通りの指示を出し戻ってきたところであった。
「お一人ですか…」
「えぇ…」
「殿下は…。ヘレナ様とご一緒でしょうね…」
フェリクスが膝をつき、ルキアへと手を伸ばす。フェリクスは体躯が逞しくヴィクトルよりも背が高い。凛々しい顔立ちで常に騎士然としていた。
「…」
戸惑っているルキアを認めて、フェリクスは苦笑し太い眉毛が困ったように八の字へと曲がる。
「お差し支えないようでしたら、私がパートナーになりましょう…」
「でも…」
ルキアが何に躊躇っているか察したフェリクスは断言する。
「殿下も別の女性を伴っておいでです。もし、誰かに尋ねられたら、私が殿下の代行人を買ってでたとご説明ください」
「ご迷惑では…」
「寧ろ、美しい淑女をエスコートできるのですから、私は光栄です。さぁ…」
暗褐色の眼差しが優しさを含み目尻が下がる。
フェリクスへ導かれて、彼の腕へルキアは手をかけた。
ルキアはフェリクスが素直に認めてしまうほど美しい。
白地に薄い青色のオーガンジーを重ねているものの裾の広がりを抑えたドレスはルキアの身体の細っそりした線を包み、すっきりと浮かびあった鎖骨がスクエアネックから覗いている。
歩くたびに揺れ、銀色に煌めく長い直線的な髪は澄み切った闇夜に浮かぶ月光のようである。
月の精霊がいれば、ルキアのような姿だろうとフェリクスは想像した。
「それでは私はこちらで失礼いたします」
ルキアへ一礼すると、一際目立つ集団を見つけフェリクスは踵を返す。
あれ程、慎ましやかな少女が会場入りしたにもかかわらず、誰の関心も引かなかったことにフェリクスは心が痛んだ。
ルキアは視線の先へヴィクトルを見つけた。
ヘレナの肩を抱き寄せ、耳元で何か囁いている。とても幸せそうな恋人たち…。
楽しそうに話に興じている人の中へグイドもいた。
ルキアの存在など忘れ去られている。ルキアの居場所などどこにもなかった。
愛がなくても、ルキアはヴィクトルと信頼関係を構築してきたつもりだった。どうやら、独りよがりだったようだ。
ルキアへ恋愛感情がないヴィクトルが、他の誰かを好きになり、愛を育むのは無理もない。ルキアは元よりヴィクトルから愛されるのを諦めていた。
だが、ルキアに悪意がなくとも、彼らにとって、ルキアはヴィクトルの婚約者という立場で、二人の愛を蝕む悪者なのだ。
彼らだけが愛に満たされていく。哀しみで決壊していくルキアの心を慮る余裕さえない。ただひたすら愛に溺れていく。
ヘレナ様を殺せば、私…。自由になれるのかしら…。
ヴィクトルが婚約破棄を考えている…。
アガタはルキアへ教えてくれたが、国王であるマリウスの許可なく契約の解消は可能だろうか…。
ルキアから婚約破棄を申し立てができない。
毒のこともルキアの関与に気づかれないよう仕組んだともアガタは言っていた。
しかし、それはあり得ないだろう。ヴィクトルは必ずルキアの仕業だと見抜く。
だが、ヘレナを殺害すればこの身は危ういが、確実に婚約の契約不履行となる…。
ヴィクトルが卒業したとしても、宮中で顔を合わせることが婚約者ならば多々あるはずだ。
最近は、ヴィクトルはヘレナを宮廷へ呼び寄せている。彼らが互いの顔寄せ合い仲睦まじい姿を見せつけてくる度、どうしてよいか分からないもどかしい想いをルキアが抱くこともこともなくなる。
卒業式…。
ヴィクトルは卒業生を代表して答辞を堂々と述べ式典が終わり退出した。
だが、再び式場内へもどってくると、大股でルキアの前を通り過ぎ、近くへ座っていたヘレナの前で跪く。
ヘレナの手の甲へ唇が触れ、これ見よがしにヴィクトルは大声で告げる。
「ヘレナ…。夏の大陸からマンゴスチンという珍しい果物を手に入れたのだ…。希少でな…。保存するにも難しく…。今宵の舞踏会でヘレナのためにだけに果実水を準備している…。ぜひ、試してほしい…」
王立学園で一人の女生徒を特別扱いするヴィクトルは王家の一員、王太子である。
職権濫用も甚だしいとルキアは思ったが…。
ヴィクトルから大切にされるヘレナを羨ましいと感じたこともルキアの偽らざる本心であった。
ルキアはマンゴスチンを知っている。ペラギアが珍しい果物だとルキアへ振舞ってくれたことがあるものだ。収穫後すぐに食さねばならないらしく、魔法をかけて状態を維持したのだとか…。
ヴィクトルの発言のお陰でヘレナへ捧げるであろう特別な果実水がどれかルキアは判断できる。
舞踏会場の端、テーブルの上に生徒達へ配られるグラスが綺麗に並べられていた。
無意識にルキアは拳の中で温まった瓶へ力を入れた。幸い周囲へ人気がなかった。
早く実行しなければ、会場で忙しなく働いている侍従に発見されるかもしれない。
寒くもないのに、手先が悴んでいるかのように動きが鈍く、瓶の蓋を開けるだけでルキアは時間を要した。
ルキアはマンゴスチンの果実が沈んだグラスを眺めた。炭酸水で割っているのか、小さな気泡が次々と浮んでは弾かれていた。
やはり…。ダメよ…。殺せない…。
大きく息を吸いこむと呼吸を整え、ルキアは瓶の蓋を閉め、ドレスから覗く胸の谷間へ差し込み隠した。
「このグラスが気になるのか?ルキア?」
背後へ不穏な気配を感じてルキアは振り向いた。ヴィクトルが不適な笑みを浮かべている。
ルキアの腕を乱暴に掴み、ヴィクトルは会場中央へと連行した。途中でルキアの靴が脱げたが、ヴィクトルは気にも留めなかった。
ヴィクトルの片手に曰くのグラスを持っていた。中身の液体が揺れる。
ヴィクトルがルキアの腕を放つと、ルキアは反動で床へ倒れた。何事かと人が集う。
ヴィクトルは群集の真ん中で言い放つ。
「ルキアっ!ヘレナの飲み物へ毒を盛ったなっ!」
「入れてませんっ!」
ルキアは毒は入れなかった…。
「これは毒に反応する液体だ…」
ヴィクトルは内ポケットから瓶を探りだし、無色透明な液体を果樹水へと注ぐ。注入した液体は果樹水へ混じると青黒く変色した。
「フェリクスっ!ルキアを拘束しろっ!」
フェリクスはヴィクトルへ命ずる。フェリクスはヴィクトルの言葉に逆らえず、ルキアの隣へと移動した。ルキアを庇いだてすることもできない。
それでも、か弱い女性を押さえつけるなど不粋な真似はしたくないフェリクスは直立不動のままルキアの横へ待機した。
「アガタ様…」
ルキアは思わずアガタの名前を零していた。
ルキアが無実なのは本人が一番知っている。では、誰が毒を混入したのか…。
「ははっ…。気づいたか?アガタが教えてくれたのだよ…。ルキア!お前が毒を盛るとな!」
「嘘…」
驚愕するルキアへ冷めた口調でアガタは告げた。
「本当です…。私がお伝えいたしました。貴女がヘレナ嬢を毒殺しようと試みていると…」
「何故…」
「貴女には思いとどまってほしかったのに…。貴女がヘレナ様の殺害を予告したとき、説得いたしましたでしょう…。私はどうしても胸の内へ隠しきれず、殿下へ告白したのです!」
アガタ様…。何故、私は心を許してしまったのでしょう…。
私は誰からも愛されない…。そう…。分かっていたのに…。
「ルキアっ!私の愛しい人を殺そうなどとっ!何と醜い心持ちだ!死罪にも値するぞっ!」
ヴィクトルは毒杯を傾け滴らせると、淀んだ色の液体が体をくねらせた蛇のように床を這う。
「王家に関わるものを殺害しようとしたものの行末は死罪だ…」
ヴィクトルに床へ叩きつけられたグラスが弾けて砕けた。
「王家?」
成り行きを見守っていたアガタが呟いた。薄ら首筋に汗が浮かんでいた。
「冬と春の大陸の間の障壁と同じ魔力がヘレナからも感知された。魔導士から申告されている。ヘレナはポラリス王家縁のものだ」
王妃がお茶会へヘレナを招いていたときだった。偶然、同席していた宮廷魔導士がヘレナの特殊な魔力に気づいたのだ。
そして、それはヘレナがとある事件の被害者であることを示していた。
「それは…。まさか…」
アガタがヴィクトルへ答えを促す。
「あぁ…。ヘレナは陛下の叔父、前王弟殿下の孫娘だ。前王弟殿下の息子であるミザール公爵の一人娘だ」
「ミザール公爵様の…」
ミザール公爵はマルクス王の従兄弟にあたる。
ミザール公爵の愛娘は幼い頃、宮中で誘拐されており、身代金目的であったものの調査段階で犯人は自害、そのまま行方不明になった。
安全であるはずの城内部で起こった犯行に、ミザール公爵は怒りを吐露し、マルクス王と仲違いしてしまった。今から12年前のことだ。
この度の王妃の貢献にミザール公爵は歓喜し感謝していた。
ヘレナ様が何者でも構わないわ…。
私は一人の国民を殺そうとしたのよ…。
ヘレナの正体に生徒たちは響めき騒ついた。ルキアにとって、ヘレナが誰であろうと関係がない。生前、ペラギアはルキアをこう諭した。
王家のために民がいるのではない…。民のために王家は存在するのだと…。
王族も貴族も庶民も、皆等しくアストラ王国の民である…。ルキアはそのことを忘れていた。
将来、王妃になろうものが、自身の感情に流されて民を毒殺しようとしたのだ。
「お願いです…。ルキア様をお助けください。私は…。私は…。ルキア様に死んでほしくはありません…」
持っていたグラスへ毒が盛られていたヘレナは、恐怖で小刻みに肩を震わせながら、それでもヴィクトルの腕を掴み願った。
自分を殺そうとした私の命乞いをしてくださるヘレナ様こそ…。国母に相応しいのだわ…。
「ヘレナ…。優しいな…。だが、私はあのものを許せそうにないのだ」
「どうか!どうか!ルキア様を殺さないでください!」
ヘレナは必死な形相で嘆願する。
髪が乱れ、涙で化粧が落ちても、ヘレナは愛らしかった。潤いのある大きな瞳は純真さが増し、庇護欲を掻き立てる。
ヴィクトルはヘレナの柔らかな髪を解きほぐすように撫でた。
「…。わかった。お前の優しさに免じて、ルキアを許そう…。だが、婚約は解消し、彼女の爵位は剥奪する」
虚しい…。
私の今までの努力は何だったの…。所詮、自己満足に過ぎなかったのだわ…。
ヘレナのグラスへ毒が混入されていなくても、ヴィクトルは皆が注目しているこの場で、きっと、ルキアとの婚約破棄を発表するつもりだったのだろう。
「ふふ…。今更何を仰るのですか?許してくださらなくても構いませんわ…。私が貴女を殺したいと望んだ事実は変わりませんもの…」
ルキアはヘレナ様へ殺意がなかったといえば嘘になる。グラスの前で逡巡したのだから…。
私は泣いているのだろうか…。否、笑っているのかしら…。
心が壊れていくときでも笑うことができるのだとルキアは知った。
「ルキアっ!まだ、私の最愛の人を侮辱するのか?それほど死に急ぎたいのかっ!」
嘗て、ヴィクトルの瞳に映るルキアは幸せそうに微笑んでいた。二人で過ごす時間は穏やかで温かく…。
愛されないと思っていても嬉しかったのよ…。
優しい言葉をかけてもらう度に胸がいっぱいになり、ヴィクトルの何気ない一言に喜び、そして、何故か悲しくもなった。
そうか…。
私は…。
私は殿下のことが…。
何故か今更、ルキアへ向けたヴィクトルの様々な表情が思い起こされ、そのときのルキアの心情が巡る。
「えぇ…。ただ、最後に一言だけお伝えしとう存じます…」
怯まず、ヴィクトルを見据え、ルキアは発言の許しを請うた。
「…」
真正面からヴィクトルを見据えるルキア。ヴィクトルはヘレナを宥めることに夢中でルキアへ見向きもしないまま返答もない。
「そうだわ…。ここは学園内でしたわね…。高貴な方へ許しを得なくても発言ができるのでしたわ…」
「はっ?」
ヘレナからルキアへヴィクトルの視線が移る。ヘレナはヴィクトルの胸の中でさめざめと泣いていた。
そうだ…。私は愛されることを諦めていたが、愛すること忘れていなかったのよ…。
母の愛を渇望していたルキアは愛は与えられるものだと信じ、与えるものだと今まで考えが及ばなかった。それが醜い嫉妬だとしても…。
知らなかった…。私は恋をしていたんだ…。
憎々しげにヴィクトルの眼差しがルキアへ突き刺さる。ルキアはそれでも平気だった。
貴方の瞳へもう一度私を映してほしい…。私の願いはそれだけ…。
ルキアの衒いのない眼差し、どこまでも澄み渡る空を映した静かな湖面へ深く引きこまれる。長い髪は倒れて床へついているが、清らかな輝きは色褪せない。
だが、その微笑みは淡く消えてしまいそうだった。
「私…。貴方をお慕いしていたのです…」
今はまで見たことのないルキアの儚げな姿に皆が息を呑んだ。先ほどまで酷く罵っていたヴィクトルまでもルキアから目を離せなかった。
ヘレナ様を殺そうとするのではなく…。私が死んで終えれば…。全てから解放されるのだわ…。
ルキアはその場で立ちあがり姿勢を正すと美しいカーテシーを皆へ披露した。
「さよなら…。愛しい人…」
事態の異変に気づいたフェリクスが足を踏みだしたとき、すでに遅かった。
胸元から取りだした毒をルキアが飲み干していた。あれほど苦戦していた栓を勢いよく開け毒をあおったのだ。
ルキアの口から血が吹き出す。
「「「いやぁーーーーー‼︎」」」
白と青の優しい色合いだった美しいドレスは無惨にも赤く血まみれに染まった。
ご報告いただき誤字訂正を致しました。
ありがとうございます。
誤字脱字が多いと自覚しております。
至らないことも多々ございますが今後とも宜しくお願いいたします。




