45話
午後1時過ぎ
昼食を終えたカリナはポータルを使い、スクルドから1キロ程離れた木の茂みへ移動。
そこで周囲を見渡し、問題ないと確認を済ませ、入口の方に向かった。
スクルドに到着後、通常ならここで門番から身分証だったり、冒険者ギルドから発行される冒険者ライセンスの提示を求められる。
だが、彼女は奴隷落ちした時に冒険者ライセンスを取り上げられたらしく、今も手元にない。
その為、今は身分を証明出来るものを持ち合わせていない訳で、当然ここで門番からストップが掛かる━━
「良し、次…お、カリナじゃないか。」
「お疲れ様です。」
「最近見なかったな?大怪我でもしたのかと心配だったんだぞ。」
━━事はなかった。
門番の男性は彼女が奴隷落ちしたのを知らなかったのもあるが、カリナが奴隷になるまでほぼ毎日会っていた。
仮に見ない日があったとしてもせいぜい2、3日で、ここまで長く空けたのは初めてだったりする。
カリナは心配してくれたのが嬉しくなり、少し口角を上げてみせた。
「ありがとうございます。ですが見ての通り、私は元気です。」
「そうみたいだな。ん?少し見ない間に雰囲気が変わったか?」
そう言って、彼はカリナが羽織るねずみ色のローブに視線を向ける。
彼女のローブ姿は初めてで、剣の数もいつもの1本から2本に増えている。
これを疑問に思うも、これまで何度となく行われたやり取りから、すぐに考えるのを止めた。
「…まぁ、無事なら追及する必要はないか。通って良いぞ。」
結局最後までカリナは疑われず、しかも今では当たり前となった顔パスで許可を得る事が出来た。
「ありがとうございます。」
カリナは会釈し、男性の横を通って中に入る。
「(さて、始めるか。)」
門から50メートル程進んだ所にて、カリナはローブに備え付けられたフードをかぶり、最初の目的地である孤児院の方向へと歩み始める。
これは火燐と雫からの依頼で、先日ここスクルドを歩いた際、経営が苦しいとの噂を耳にしていた。
2人から子供達や先生達に食事等を提供する様にと言われ、今回訪れる形となる。
カリナは駆け出しの頃、お使いのクエストで何度か伺ってはいるが、それっきり来ていない。
なので、今回の訪問を実は楽しみにしていたりする。
孤児院の前に着いたカリナは、何と言って中に入ろうかと考えていると、左方向から声を掛けられた。
「孤児院に何かご用ですか?」
その女性は60代と思われる見た目で、両手に袋を抱え、少しだけ不思議そうにしている。
反対にカリナは一目で知り合いであると分かり、懐かしさを覚えた。
「(でも、前に会った時より少し痩せたか。)」
女性の頬はこけ、白い髪は以前よりもボサボサだと心配しつつ、それでも元気そうで良かったと思いながら質問に答える。
「アマンダさん、お久しぶりです。」
「確かに私はアマンダですが…どちら様でしょうか?」
「私です。カリナです。」
そう言って、カリナはかぶっていたフードを下ろす。
「と言っても、最後にこちらへ来たのは5年以上前になりますし、覚えてないかも知れませんが…。」
「え?カリナだったのかい。」
「はい。」
「まあまあまあまあ!どこの綺麗なお嬢さんかと思っちゃったじゃないか!」
「いえ、私なんて全然…。」
カリナは母に似て綺麗なのに加え、やや厳しめの両親に育てられたのもあるが、元々自分よりも綺麗な人は沢山いると思っている。
故に驕らないよう控え目に徹し、冒険者となって男性から持ち上げられたり、口説かれる様になっても全く靡く事はなかった。
それを並やそれ以下の見た目のトレイシー達が、組み始めた当時から今に至るまで、気に食わないとする理由の1つでもある。(しかしカリナ本人は全く気付いていない)
そんなカリナが凛達の存在を知り、自分なんかが褒められるのは畏れ多いと思ったらしく、やんわり濁そうとする。
これを高齢の女性ことアマンダは奥ゆかしく見えたらしく、彼女に対する好感度が一気に増した。
「ともかく久しぶりだねぇ!ここに立ってたのは中へ入る為だったんだろう?」
「はい。忘れられていたらどうしようかと思い、中々踏み出すまでに至りませんでした。」
「そうかいそうかい。ささ、いつまでもここで立ち話もなんだし、続きは中でしようか。」
「分かりました。」
アマンダが動こうとするよりも先にカリナが動き、扉を開ける。
これにアマンダは「気が利くねぇ」と声を弾ませ、カリナはそんな彼女の後ろに続く形で中へ入った。
2人はそのまま子供達がいる部屋…ではなく、1番奥の院長室(応接室とも言う)へ向かった。
そこでアマンダはカリナを椅子に座らせ、自らお茶を淹れる等して彼女をもてなす。
「まず始めに、同じスクルドにいながら中々顔を出さなかった事、申し訳ありません。」
カリナはアマンダが座ったのを確認すると、そう言って深く頭を下げた。
アマンダはきょとんとするも、すぐに破顔する。
「良いんだよ。それより、あんたの活躍は聞いてるよ?知り合いとして鼻が高い位さ。」
「その話ですが…私、冒険者を続けられそうにありません。」
「? どうしてだい?」
「今の私は奴隷だからです。」
「ど、奴隷…ってあんたがかい?何だってまた…。」
アマンダは慌ててカリナの顔や首に視線をやり、怯えた様子が見られない事から、暴力を受けてはいなさそうだと判断。
だが首元はローブで隠れており、一見すると分からない状態。
問い詰めたいのを必死に堪え、複雑そうにする。
「信じていた仲間に裏切られたからです。疲れて眠っていた所を縄で縛られ、気が付いたら既に奴隷商の中でした。冒険者ライセンスは手元になかったので、運ばれた時に剥奪されたのかも知れません。」
そう言って、カリナは呪いや凛に関する説明をぼかしつつ、最近起きた事情を話し始めた。
アマンダはこれを黙って聞くも、最後まで憂い顔となる。
「…まさか、そんな事になっていたとはねぇ。」
「はい。ですが、そのおかげで良い主人と巡り会う事が出来ました。とても奴隷とは思えない様な厚待遇を受けさせて頂いてますし、出会う切っ掛けを作ってくれた彼女達に感謝ですね。」
「へぇ…今のあんたをそこまで言わせるとは、主人とやらは余程出来た人物なんだね。それじゃ、裏切った仲間達に復讐するって考えはない訳だね?」
「まさか。再び私を捕らえようとするなら返り討ちはしますが、こちらから動く気は全くありません。本日伺わせて頂きましたのは、援助が目的です。」
「援助って…どう見ても手ぶらじゃないか。」
訝しむアマンダに、カリナは「ふふっ」と笑い、白い紙で包まれた袋の様なものをテーブルの上に置いた。
彼女は袋の上に手をやり、白い紙を外側に広げていく。
すると、中からコッペパンが姿を現し、全部で10個入ってるのが分かった。
アマンダは袋の中身をまじまじ見た後、これはパンだと結論付ける。
しかしここまでふっくらとしているパンを見るのは初めてだからか、やや自信なさげに口を開いた。
「これは…パンかい?」
「はい。こちらは私の主人を始めとした、料理の得意な方々が今朝焼いて下さったものになります。」
「料理が得意なご主人様とやらに興味が湧いて来た…けど、それよりもだ。カリナ、あんたこれをどこから出した?」
「実は私、空間収納が使えるんですよ。あ、これは内緒でお願いしますね?」
カリナは話の最後に右手の人差し指を口の前にやり、左目を閉じる等の茶目っ気を見せた。
彼女の口から出た空間収納と言うのは、勿論真っ赤な嘘。
実際は凛とのリンクで使用可能となった無限収納だったりする。
だが、下手に荷物を抱えて目立よりはとの意見から、空間収納持ちである事を前面に出そうとなった。
アマンダはまさかカリナが希少な人材だと思わず、「なんてことだい…。」と天を仰いだ。
カリナはそんな彼女を知ってか知らずか、白い紙袋の両隣に透明な袋に入ったクッキー、それと数枚の金板を置いた。
音に反応したアマンダは金板、袋に入ったクッキーの順番で視線を向けた後に再度金板の方、それも目を見開く形で凝視。
「…は?金板?」
「必要かと思いまして。」
「いや、確かに必要だけど…は?そんな理由でこれを置いたってのかい?」
その後も、アマンダは信じられないとばかりにカリナと金板を交互に視線をやり続けた。
2時間後
カリナは先程の3点を無限収納へ一旦直し、我に返ったアマンダと共に別室へ移動。
そこで子供26人、アマンダ含む大人5人に食事やお菓子をお腹いっぱい食べさせ、衣服、絵本、積み木等の簡単な玩具を提供する。
全員に喜ばれ、彼女は惜しまれつつもまた近い内に来ると言って孤児院を後にした。
それから早足で10分程歩き、第2の目的地となる貧民街へ到着。
「ニコラス。」
「…! おお、カリナか。」
そこで街中や雑用等でたまに話をする内に仲良くなった、30代後半の男性ニコラスと会う。
彼女はニコラスに簡単な食事を提供し、雑談を交えた情報交換を行った。
ニコラスは生まれも育ちも貧民街で、スクルド内に限って言えばそれなりに顔が広い。
その伝もあってカリナと仲が良いのだが、彼女以外のメンバーであるエイジャ、カサンドラ、トレイシーは違っていた。
彼女達が自分達を見る態度から、あまり良い印象を抱いていない事に気付いたニコラスは、カリナの為を思い、自分と関わらないよう促す。
カリナは良い笑顔でニコラスの申し出を断り、何回やってもそれは変わらなかった。
やがてニコラスの方が折れ、渋々注意喚起するだけに留まった結果、カリナは呪いで死にかけた。
しかし驚くことに彼女は火燐と雫、凛に救われた事を美談化し、しかも誇らしげにニコラスへ話して聞かせた。
責任を感じる側のニコラスからすれば堪ったものではなく、何回も間を挟んでは説明を進めるを繰り返していた。
「あいつら、いつかお前に何かやらかすんじゃないかと思ってはいたが…やり方がえげつないなんてもんじゃないな。」
「確かにな。だがもう関わる機会はないし、関わろうとも思わん。まぁ、もし会う事があっても無視するだけだが。」
「ああ、それが良い。」
そう言って、互いに笑い合うのを合図に近況報告が終わった。
ニコラスは安堵から来る疲れに「ふー」と溜め息をつき、カリナから今住んでる所へ働きに来ないかと話を持ち掛けられる。
これに乗り気になり、少し年下の妻や、彼と特に仲の良い知り合い10人に声を掛け、今すぐにでも行きたいとなった。
カリナは念話で顛末を凛に報告し、可能であれば住み込みで来ても良いとの返事を受け、彼らに伝える。
ニコラス達は急いで自分の子供達を迎えに行き、やがて準備を終えた一行は人目のない場所へ移動。
そこでポータルを展開し、驚く彼らを屋敷に向かわせた。
貧民街を出たカリナは、スクルドに存在するもう1つの方の孤児院へと向かう。
「(…付けられてるな。)」
新たに移動を始めてから3分が経った頃。
カリナは自分が尾行されている事に気付いた。
ここで尾行する人物を問い質そうかとも思ったが、予想以上にアマンダとニコラスの所で時間を使ってしまった。
残るもう1つの孤児院でも同様の可能性がある為、これ以上は勿体ないとの判断に至る。
それまでいた大通りから、人の少ない方向へと歩みを進めた。
「(アクセラレーション)」
そして裏通りに入ってすぐ、凛から施して貰った強化魔法の1つ、アクセラレーションを発動。
すると残像だけを残し、その場から一瞬で彼女がいなくなった。
少しして、後ろを付けていた男性が裏通りにやって来た。
しかしカリナにいない事が分かると舌打ちし、急いで周辺の捜索を開始。
だが既にカリナは男性から500メートル程離れた場所におり、慌てる男性とは対照的に悠然と裏通りを出た。
それ以降は何事もなく移動を行い、やがて今回が初めての訪問となるもう一方の孤児院に到着。
先程と同様に食事等を提供し、ここでも全員から感謝と信頼を得る事が出来た。
1時間程で孤児院を出たカリナは、誰もいなさそうな所で使い捨てタイプのポータルを使い、屋敷に帰った。
午後6時半頃
スクルドのとある宿の1室にて
「なートレイシー。カリナが呪いで死ぬ日、確か今日か明日じゃなかったっけ?」
「その筈だけど…どうかした?」
「いやさ、貧民街の入口からローブ姿のあいつが出るのを見たって奴がいるんだ。裏通りに入った所で見失ったらしいけどな。」
「冗談でしょ。昨日の午前中まで奴隷商を見ていたけど、誰もあの子を買わなかった。そこから治療なんて、それこそ帝都にある教会のお偉いさんでもなきゃまず無理だわ。」
「だよな。ただの勘違いか。」
「…けど、ただの見間違いじゃない可能性もある。念の為、調べた方が良いかも知れないわね。」




