百二十三話 ミーレシアという少女
ヘルバトスの思考が一度止まりはしたものの、冷静になって再び脳を回転させる。
「ーー守るって・・・自分で何とかしようとは思わないのか?」
自分の身は自分で守れと、古くからそう言われている伝承染みた言葉が存在するほどだ。
どうにかしてでも生きたいという欲望があるのなら、自分でどうにかするのが一番だとヘルバトスは思う。
誰かに身を任せるより、よほど信頼があるからだ。
だが、ここで勘違いしないで欲しいのは、頼ることが悪いと言っているわけじゃない。
信頼できる仲間が身近にいるのなら、頼ることも時には大切な戦略だが、ヘルバトスとメーリシアはここで初めて会ったばかりの赤人の他人に等しい。
そんな赤の他人に身を任せるメーリシアの本心をどうしても聞き出したかったのだ。
「な、何とかはできない・・・」
「どうしてだ・・・?」
「だ、だって・・・守ろうとしたら・・・みんな・・・殺しちゃう・・・」
慄然とするメーリシアの目に、光は灯っていなかった。
人の死を悔やむことができるメーリシアは優しい女の子なのだろうが、断片的に集めた情報だけではヘルバトスを納得するのには不十分だった。
「どうして殺しちゃうんだ?メーリシアが本気で命がけの戦に臨んでも、そこらの人だったら簡単に死ぬことはないだろうに」
「私はそんなにか弱い女の子じゃない・・・違う・・・私はーー」
メーリシアが何か言いかけたその時、まるでタイミングを見計らっていたかのように、彼女の背後からモンスターが現れた。
そのモンスターは、いかにも大森林という地形を巧みに生かす猿だった。
だが、普通の猿にしてはあまりにも大きすぎる。
恐らくこいつはーー
「ミーレシア!」
考えることよりも先に体が動いていた。
ヘルバトスは、彼女に向けて攻撃を繰り出そうとする大型猿の手を捕まえようとしたが、一歩間に合いそうにない。
「きゃああああ!」
ミーレシアは悲鳴を上げながら、攻撃を仕掛ける大型猿を全力で振り払った。
次の瞬間、思いがけないことが起こった。
ヘルバトスの視界から大型猿の存在が綺麗に消失したのだ。
-- 一体、どうなってんだ・・・?
一瞬の出来事ゆえに、全く状況が把握できていなかった。
だが見たところ、攻撃を仕掛けられていたミーレシアに大きな怪我はなさそうだ。
大型猿がどうなろうとも、ミーレシアが無事ならそれで良い話なのだが、ヘルバトスの心に違和感を残す出来事だったことには間違いない。
「ミ、ミーレシア?どこか痛むところはないか?」
恐怖のあまり腰を抜かしてしまったのか、座り込むミーレシアの肩にヘルバトスはそっと手を置いた。
「ミーレシア・・?」
ーーどこかおかしい。
その答えに辿り着くまで、長い時間はかからなかった。
ミーレシアの肩が小刻みに揺れながら、しゃくり上げている。
間違いなく、彼女は泣いているのだと気が付いたのだが、ヘルバトスには分からなかった。
ミーレシアが一体何を思って泣き出してしまったのか。
「ミーレシア、どうした?大丈夫か?」
優しい言葉で問いかけるが、ミーレシアからの反応が一切ない。
先ほどまでとはまるで違う、その異様な態度にヘルバトスはミーレシアの顔色を窺った。
「ミーレシア・・・?」
真っ青な顔色に、焦点が合っておらず、どこを見ているのかわからない瞳。
そしてその瞳から流れる涙に、感情が一切こもっていないように感じた。
具体的に例えるなら、抜け殻状態になっているといったところだ。
「ミーレシア!おい!しっかりしろ!」
ヘルバトスが必死に呼びかけても、ミーレシアはぐったりとしており、覇気を忘れた野獣のようだった。
--どうして、どうしてこうなった!?
ヘルバトスは事の顛末を一から考え直した。
思い当たる節があるとすれば、やはりさっきの猿の件以外考えられない。
だが、大型の猿は突如姿を消した。
推測にすぎないが、追い払うミーレシアに恐れを成して逃げ出したのだろう。
だとしたら、なぜミーレシアは抜け殻状態になってしまったのか。
彼女の精神状態から考えると、大型の猿が逃げ出したという考えはうまくマッチしない。
「・・・い。・・・な・・・い」
抜け殻状態に陥ったミーレシアが何かしらの言葉を発した。
ヘルバトスは耳を澄ませ、ミーレシアが発する言葉を聞き取ろうとしたのだが、さらに疑問が増えるばかりだった。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・・」
--ごめんなさい?一体何に・・・?
その言葉に隠された真実を読み解こうとするヘルバトスの目の前で、ミーレシアは無情に流れる涙を自身の手で拭った。
次の瞬間、ヘルバトスは見事にフリーズした。
--は・・・?
ヘルバトスが驚きを見せるのも無理はない。
なぜなら、涙を拭った瞳付近の部分が赤い液体のようなもので染まったからだ。
そしてミーレシアが拭った手を見てみると、大量の赤い液体が付着している。
--まさか・・・
ヘルバトスは確実であろう、その真実をすぐに受け止めることができなかった。
血が付着している手は、大型の猿を追い払うために使用した手で間違いない。
泣いたがために、腫れでもしてしまったのか?
いや、そもそも赤い液体が付着しているわけで。
いくら思考を膨らませようにも、この現状を納得させる答えは見つからない。
全てのポイントを、正確に捉えた答えはただ一つ。
「ミーレシア、お前。まさか・・・」
ヘルバトスがミーレシアに尋ねようとした、その時ーーーー
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「ミーレシア!どうした!どうしたんだよ、おい!」
ヘルバトスがミーレシアを落ち着かせようとしたが、理性を完全に失った彼女に声は届かなかった。
「私が!殺した!ごめんなさい!こんな私でごめんなさい!殺して!誰か殺してよー!」
「おい!落ち着け!そんなこと言うなよ!殺せとかそんなこと自分で言うなよ!」
激しく取り乱したミーレシアを、ヘルバトスはなだめるようにして抱きしめた。
この行為自体に、何かしらの効果があるのかどうかはわからないが、彼女を落ち着かせるにはこれが一番だとヘルバトスは考えた。
すると、ミーレシアはヘルバトスの思惑通りに大人しくなったのだが、魂が抜けた状態には変わりないようだ。
--ったく、どうしたらいいんだよ!
悩み込むヘルバトスは、さらに頭を酷使する。
集中し、ミーレシアを正気に戻す方法だけを考えた。
しかし、それがいけなかったのだろう。
集中しすぎて周りが見えていなかったことが。
それに気が付いた時にはすでに遅く、ヘルバトスの肩からは血が滲み出てくる。
--ってぇー!今度は何なんだ!?
ヘルバトスは地に落ちている、自分の体を傷つけた物を拝見した。
--なんだ・・・これ・・・?
そこにあったのは、小さな長方形をした物体に針が付けられた小道具。
なぜこんなものが飛んできたのかがよくわからない。
--クソ、逃がした巨人族の仕業か?
だが、辺り一帯見渡すも巨人族の姿はない。
デメリットである、その巨体を隠すのは至難の業だといえるだろう。
ーーやつらの仕業ではないのなら、一体誰が・・・?
ミーレシアを抱き寄せながら警戒態勢を取るヘルバトスに、更なる針攻撃の追い打ちが降り注ぐ。
ヘルバトスは、咄嗟に『氷壁』を全面に張り、攻撃の源を探す。
「クソ、無駄に森林が多くて敵の発見ができない・・・!」
ヘルバトスが守りに徹している間にも針攻撃は止まない。
--こうなったら・・・!
ヘルバトスは『氷壁』を解除し、冷気纏う『氷龍刀』を全面に大きく振るった。
冷気と風圧によって針は砕け散り、辺りは綺麗な氷の世界と化す。
その攻撃を躱すために、大きくジャンプした人影をヘルバトスは見事捉え、
「見つけた!『氷流氷花刃』」
ヘルバトスはすぐさま『氷龍刀』を地面に突き刺し、スキルを発動させた。
だが、その人影は予想以上の行動を見せた。
「姿を消しただと・・・!?どこだ・・・どこにいる・・・!」
『氷流氷花刃』は不発に終わり、人影の行方を捜した。
どこを見渡しても、やつの姿がないと焦り始めたその時。
「ここだ・・・ここにいるよ・・・」
耳元に低く、暗い声で囁かれる。
一瞬でミーレシアのものではないと分かるほどだ。
ヘルバトスはすぐさま振り返ったが、そこには誰もいない。
完全に弄ばれていた。
「おい!姿を現せ!コソコソしないと勝てない臆病者なのか!?」
こんな安い挑発に乗らないと分かっていた上で、ヘルバトスはあえて挑発した。
すると、その挑発に乗っかってあげたかのように先ほどの人影は姿を現し、
「ボ・・・ボク・・・は臆病なんかじゃ・・・ない。これが・・・ボクの・・・やり方・・・」
そう不気味に呟く彼はこの世の者とは思えないオーラを身に纏っていた。
柴色の髪が長髪であるため、両目が髪に隠されている。
不気味なのはそれにとどまらず、黒いローブを身につけており、片手には刀とは違う曲がり方をした剣を手に持っていた。
まるで、人の死を嘲笑う死神のようだった。
「お前は誰だ?」
威嚇するように尋ねるヘルバトスに、彼は嘘のような言葉を並べた。
今までの常識を覆すような、そんな内容だった。
「ボ・・・ボクは・・・シミタールソードの勇者・・・アギレオン・・・」
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