海馬にて待つ2
道の反対側から、高栄情報プラントの自社ビルを見つめる二人が居た。人通りの多いビジネス街の一区画に32階立ての薄青いビルだった。二人はゆっくりと歩きながら、警察関係者がたまに入って行く玄関を雑踏に紛れて見つめる。
「昨日の今日だからな、部外者は、入れないんではないか?」
爆破事件の警察の現場検証が終わってからにしようと、道中でうながしていた不知火は、実際に警察の姿を見て心の中では「今日は無理だな」そう思っていた。マモラは、不知火の冷静な勧告に「大丈夫だって」理由も言わず、上の空にそう諭して居た。
高栄プラントを歩き過ぎて、程無くした横断歩道を不知火を連れるようにしてポケットに手を突っ込んだマモラは渡り、高栄プラントの自動ドアの前で立ち止まった。
「気持ち悪いけど・・・俺の半径50センチに体を入れて居ろ」
「汗だくの男に引っ付かれて気持ち悪くないのか?」
「これから、お前を透明人間にする・・・その条件が、俺の体から50センチだ・・・いいな」
妙に真剣な顔を作ったマモラに、不知火も気を引き締める様に短く返事を返す
「おう」
「侵入する」
二人は、高栄プラントの自動ドアをくぐった。
行き会った社員を止めて、質問している、刑事が一人、後は、それぞれの予定で会社から出たり入ったりする、背広姿の社員達が行き交っているエントランスを真っすぐに、受付の処まで、マモラは歩いた。不知火は、刑事の方をちらりと見て、刑事もこちらを見た・・・。不知火はともかく、俗臭漂う姿のマモラに対しても特段、気にも留められなった。妙だった・・。
「情報心理課は何処です?」
受付のアンドロイドにしても、そうだ、不審がらずにすんなりと丁寧に教えてくれた。
エレベーターの中。
「もう一つ、妙な事がある」
透明人間と言われてから、マモラは不知火を無視していた様に見受けられたので、黙していた。声も透明人間の解除の条件になってしまうのでは?そういう事を質問する前に、社内に入ったと言うこともあった。このエレベーターの中には、もう一人男がいる。その男を気にせずマモラは不知火に話しかけた。「何だ、しゃべっていいのか」そう思って軽く緊張感を解くように、不知火は息をついた。
「何だ?まだあったのか?」
「中村チハタの破損した人体には、下腹部に生の器官があったそうだ」
「下腹部と言うと?」
「子宮だ」
「子宮?でも、生殖器官の培養は禁止されている筈だが・・・」
西暦5076年、ラニ・ラビッド社の子会社ラビット製薬から、驚くべき錠剤が発表された。コールカルト錠と名付けられたその小さな粒は、常用的に服用すると、人間の生命を延ばす事が出来る。理論上永久に死ぬ事は無い。副作用も微細な物で、今では殆どの人間が服用している。コラーゲンの研究をしていた際偶然できた薬で、発表者コールカルト・ジョシュアは『不死の薬を作ってしまった』と意味深な名言を残している。ジョシュアのその言葉に人口への懸念が含まれていたかは分からないが、死ななくなった人間は増えた。国は、人口増加を制御する、政策をいくつか行ったが、人口増加に決定的な歯止めとはならなった。5671年。日本政府は、すでに、国連関連機関『世界倫理機構』で倫理規範内であると議決していた。『人口完全管理』という概案を採用し、5671年4月1日、『人口完全管理』の施行決定時の2億673万7290人を人口絶対数とし、比例した増減で、人口の管理を図った。すでに、死の概念が遥か彼方の美醜の神話と化していた。生存本能=子孫の繁栄と言いう概念は存在していなかったし、人の肉体の殆どは、もう人その者ではなく、赤子を規定量生産すると言うのは、交換のきく人体と同じような認識にあった。セックスの悦びも、バーチャルが現実を凌駕していた。こうして、人なる物は、生産されるに至った。生殖器を持つ人間は、殆どいない。生殖器官の培養は法律で禁止された。ちなみに、過去10年の死者数は、1人高栄プラント社のそれだけであった。
不知火の疑問には、応えられないマモラはぎこちなく頷く。
「しかも、人絨毛性ゴナドトロピンが検出されたそうだ」
驚きに不知火は一瞬制止する。
「妊娠していたと言う事か?」
「受胎を成功させている」
「池上の子供か?」
マモラは首を横に振る。
「分からない・・・ただ単純に池上と中村の愛の結晶なのか?完全に生身の子供を作る事も何かの思惑の一部なのか?・・・」
「もしかして、一ノ瀬は、その子供の誕生を阻止する為に、今回の爆破事件を起こしたのか?」
「今は、分からない」
エレベーターは、情報心理課がある32階を示して止まった。途中同乗していた男は降りていた。区切りをつける様に、エレベーターの到着音が『チン』と話を遮った。
「行くぞ」
32階すべてが情報心理課となっている。
「この広さで中村一人が、一体何をしていたんだ?」
不知火は独り言のように呟く。
何処と知れない、爆破事件の現場を求めてマモラは廊下を進み、一つ角を曲がった。そこで止まり「あそこか」見詰めて確認する。廊下の先には、ねじ曲がった扉が殴られて伸びた人間の様に壁に凭れ掛かっていた。索敵する様に軽く目を走らせ耳を澄ませた。人の気配はない・・・おかしい・・・。
「警察が居ないな・・・」
「ああ、おかしいな」
室内は黒く煤けていて、戸枠の向こうは闇へ通じている様に異様な雰囲気を籠らせていた。
キープアウトの黄色いテープを潜り二人は室内へ侵入する。室内も警察の姿はなく爆破跡を全面に残していた。手の甲から、ライトを出し、マモラは辺りを照らした。
「便利だなエレクトは」
「別に、ライトなんてなくても、俺の目は見えるんだけど、お前が居るから便利さを使って不便になってんだよ」
「ホントに現場検証に入ってんのか?何も持ち出されていないようだし、マーキングもされてない。コーションテープ以外は、何もだ・・・」
マモラは、デスクの上にあるリソースであろうそれを手で擦って煤を払った。「有線か・・・」そう呟いたのち、自分の体のどこかからアクセス端子を引っ張り出して差し込む。
「とりあえず・・・行けそうだからデータを閲覧してみる」
爆破前のそもそものレイアウトが余りにもシンプルだと容易に予想でき、そのデスク以外は何もない部屋であった。必然紙の媒体資料や物理的な証拠品は、無く。こうなってくると不知火はすべき事がなくなった。不知火は空勇に高栄プラント社への侵入直後と同じ語気の短い返事でマモラに頼る。
「おう」
手持無沙汰に辺りを見渡す不知火。ほかの部屋でも見てこようかな?そう検討し始めた時にマモラが唸った
「中村チハタが、此処でしていた事の内容についてはデータ自体が無かったから、閲覧できんかった。どうも、有線でどっか違う処に転送してる・・・」
暇そうに辺りを眺めていた不知火は、マモラの方に向き直り、質問する。
「有線て事は、このビルの何処かに、隔離されたハードディスクがあるってことか?」
「いや・・・離れた場所にある施設だろう・・・回線がワンウェイになってる。よほど大事な業務内容なんだろうよ・・・お!とっちょっと待てよ・・・会社名が無記述で取引先からの入金が記録されているファイルがある・・・!!」
何かに驚いて、目を大きく開けて、マモラは止まった。それを察して、不知火が内容を言うよう促す。
「どうした?何があった?」
「今月末に入金の記述があるが・・・23億円となってる・・・」
不知火はマモラがそのデータを見た時と同じく驚愕した。その後、あほらしく何度か『23億円、23億円だぞおい』そう自らの虚空に言い聞かせた。
「内訳は、(研究費)となっている・・・しかも、高栄プラントの会計には、入ってない・・・」
「と言う事は?・・・・この情報心理課だけの金・・・つまり中村チハタだけの金と言う事か?」
「そうなるな、しかも、申告していない脱税だな・・・それが、毎月入金の記述が並びそろっている」
「一体、幾らの裏金があるってんだ?その前に、毎月23億円を出す会社って一体?」
「研究費の入金は長期にわたって継続されている・・・申告せずにお咎めなしって事は・・・やはり」
「やはりって?」
「国だ」
「そう来るか・・・」
かぶりを振って不知火は後頭部をふけを出しながら強く掻いた。
アクセス端子を外して、中腰になっていた姿勢を戻して不知火に向かい合う。姿勢を戻す間に妙な符合がマモラの頭の中に浮かんだ。
「中村チハタの出身の大学は、なんてたっけ?」
「あ?美佐原工科大学の情報分析学部だが?」
「ちょっと待て・・・」
マモラは、それを聞くと、自分の脳を検索に集中させ、無表情となった。検索はすぐに終わった。
「匿名での献金があるな・・・しかも、毎月7億円」
「中村チハタからの献金って事か?」
「おそらくは・・・」
「美佐原工科大学の情報分析学部に行けば中村の業務内容の手がかりが出てきそうだな」
「行ってみるか?」
「おう」
二人が、部屋を出ようと、足向きを変えた時であった・・・。廊下の方から三々五々人の気配がこちらに近づいてきた。
マモラは戸枠を見つめ、不知火を一瞥して、不知火の前に手を翳し動きを止めさせた。不知火は、頷く・・。『透明人間の条件を覚えているな?』マモラの目はそう言ったように感じられた。
人影は外の廊下に映り出し、会話はされていない。
「一課から二課への引継ぎで誰もいなかったのだろう・・・」
廊下の人間を警察関係者と推し量るマモラ。
「引継ぎまでの現場保安をせずに、もぬけの殻なんて事があるか?」
「殺人事件自体、1000年ぶりぐらいだからな、気が抜けてんだろう」
5人の男が部屋に入ってきた。二人は確かに透明人間で、男たちは、現場を調べると言うよりか・・・ただ見に来た様に窺えた。一人はしゃがんで、深い意味も無く人差し指で床の煤をすくって、掃除のチェックでもするように、顔の前に持っていき見つめた。一人は、ポケットに突っ込んだ手をそのままに仰け反って立ち尽くしている。一人は、先ほどマモラがアクセスしていた端末に端子を通した・・・。余りにも落ち着き払った声だった・・・データを見ている男が、程無くして呟く。
「どうやら、輩が入っているようだな」
もう一人は気怠そうに呟く。
「外の刑事何やってんだよ、お前らも誰もこの階には入るな、入れるなって連絡してんのに・・・」
「公安だ!」
明らかに仲間以外の誰かに伝える声量であった。
マモラは、眉間に皺を寄せる。
「公安?」
やはり二人は透明人間であった。所属を告げた一人が見ている目線は、二人を捉えてはいなかった。
場は静まる。他の4人も臨戦態勢を取り、声を張った男の眼差しに合わせる。
「名乗り出なければ、こちらからいくぞ?」
マモラは厄介な溜息を重たそうに吐いた。
公安と名乗る男は自分のこめかみに、手遊びでピストルを作り、似せもしようとしない発射の擬音を口から出した。
マモラは、男を凝視する・・・取り合えず様子を見ている。
男どもは、その音と共に、一斉に視線を変える。迷うことなく二人に5つの視線を交える。
5人は、形相を変え、マモラを撃ち殺そうとするかのように強い視線を向ける。
マモラの馬鹿にするような短い笑い。
「こいつら、俺にハッキング掛けようとしていやがる」
見た処、武器を持っていない5人の男は、目で人を殺そうとしているのか?そんな皮肉った笑いを浮かべ、不知火は状況を眺める。
マモラは、不知火を連れ、その場から1歩左へと移動した・・・。5人の男の視線は、マモラの一歩前のまま動かなかった。マモラはからかう様に笑うが、直ぐに深刻そうな顔を見せる。
「こいつら・・・・電子レンジクラスのセンチ波を照射している・・・しかも、5人で、俺の脳の位置に局部照射て、俺の脳を融解させる気だ・・・」
マモラの作ったトークンに気づいた一人が困惑した表情を見せる。「なかなか、やるじゃないの」男の一人が、にたりと余裕を見せる様に笑みを作って「さあ?どうしようかな?」自分の頬を掌でさすって、どう出るか、えり好みしている。
頬をさすり終えると、5人はマモラの瞬きの裡に透明人間となった。「クっ!!」マモラは力を入れた歯の間から苦しそうに音を出す。視野へのハッキングを許してしまった。しかし、直ぐに、5人は、視認でき、マモラがそうしたように、1歩位置を変えていた。5人は移動してはマモラに視認されを繰り返し、おそらく5人から見たらマモラも同じように無可視、可視、無可視、可視を繰り返しているのであろう。こうなってくると、脳機器の処理能力が速い方が身を隠し相手を視認できる。しかし、荒いパラパラ漫画の様な攻防戦は続いていて、機器脳のスペックが拮抗している事をものがたっていた。書き換えられたフォスメモリーを己の類比によって淘汰し、相手に虚構を植え付ける。まずは相手たる者の存在を認めなければ行けない。そんな、強靭な精神の戦いが繰り広げられている事を、露ほども知らずに不知火は只、力んだマモラの手にエスコートされるがまま、何拍が置いて、その場を数歩移動していた・・・そう、不知火は始終オール可視であって、真剣な顔の男が小さな部屋の中を少しずれた位置を睨み数歩づつ動いている様をきょとんとした面て、見ているのである。
2時間ほどの、社交ダンスは、はたっと止まった。公安5人がマモラを殺そうとするのに対して、マモラは、逃げの一手だと言う事が、敵意のない事を示している事にやっと気がつき、さらに、たった一人で5人の情報処理能力と拮抗しているマモラに心当たりがあった所為もあった。
5人は、マモラからの視認を認めた。
「傀儡子のマモラか?」
マモラも、姿を5人に現す。
「そうだ」
「これは驚いた。こんな処で何やってんだ?この件に関わっているか?」
「いや、只の人探しの経路の途中だ」
リーダー格であろう男が、マモラ個人である事を確認すると、残りの4人は、「おいおい、あのマモラか?本当に実在してたんだな、5課が知ったら騒然となるぞ」などと内輪で私語をした。
「お前の存在の有無については、公安5課の仕事だ。我々にお前への興味はない」
「そうかい・・・そりゃよかった・・・で?あんたらは?公安の何課だ?」
「諸所の事情で言う事は出来ない」
「あっそ。で?此処に何を調べに来た?」
「それも、言う義理はないが・・・」
マモラは、矢継ぎ早に質問する。
「中村チハタの裏金の件か?き傷のテロ行為の件か?それとも・・・瞳ちゃんの?」
「瞳ちゃん?」
リーダー格の男は首を傾げる。不知火はマモラに突っ込みを入れる。
「中村チハタの金については、国府で、把握されている。人類の繁栄の為の必要枠だそうだ」
「これ以上繁栄してどうすんだろうね・・・」
「同感だ」
「き傷は?」
「今回の爆破事件に対して、き傷はなんの動きもない・・・だから調査しているんだ」
「第三者の現体制に対する発言と言う事は?」
「その線で調べている」
「そっちの見立ては?」
「永久化してしまった時間に疑問を抱かせるための、外部者巻き込み型のオルガナイザーが居るとみている」{オルガナイザー:本部から派遣されて、末組織の労働者などの中にはいり、政党、組合を作り、その組織の拡大・強化をはかる人}
「漠然としているな・・・オルグの見当はついてんのか?」
「き傷の創設者、天野道彦が候補だな」
「やはり、き傷か・・・あの島は厄介だな・・・」
しかめた顔を下に向けて首を振るマモラ。
「ところで?その、人類繁栄の為の必要枠は、一体何に使われているんだ?」
「それは、我々にも分からない。最高機密の部類に属している。こちらは、独自に捜査を行っている。そのうち、知る事になるがな」
「独自にって、お前らまさか?」
「所属部所は言えない」
今度は公安の男の方からの情報の開示を求められる。
「そっちは?」
「大した事は無い、赤髪の若い女が、ある男を虜にしちまった。煙の様に消えたその女を鼻の下延ばした男の要望に沿って探している・・・それだけだ」
公安の男は笑った。
「あの、マモラが、なんて情けない仕事をしてるんだ?」
「惚れた女は、ハッカーだ。しかも、中村チハタと防衛省職員の池上忠雄の浮気調査のデーターを盗んでいった。そして、社会保障の登録も、スカイ内の個人記憶の集積群も無い。」
綻んでいた顔をきりっと元に戻した公安男
「その赤髪の女が、天野道彦のアカウントキャラクターだと言う事か?」
「もしくは、お前らの知らないオルグかもしれんよ」
公安の男は顎に手を当てながら、しばし、思案した。
「良い事を聞いた。こちらからも、もう少し教えてやろう。中村チハタの金は、防衛省の予算として組まれた物だ。正確には、中村敏夫への研究資金としてだ」
「全てのテクノロジーは中村敏夫へと通ずる・・・か」とマモラは呟いた。
「もう一つだけ、中村チハタのここ最近の研究対象は、一ノ瀬和人だ」
「!?なんだと?じゃ、自分のモルモットにやられたって事か?」
「和人自身に認識はない。中村チハタが和人に何らかの操作を行ったわけではなく。解っているのは、一ノ瀬和人の心理を観測し記録していたと言う事だけだ」
「和人も只のエキストラでは、無いと言う事か・・・いよいよ、中村チハタがなんの研究をしていたかが焦点になってくるな」
公安は短く頷く。
「ああ・・・」
そして、話を切り替える。
「ところで?最近仕事はしているか?」
「いや・・・休業中だ・・・しばらくするつもりはない」
「マモラよ、バイオコンピューター部分さえも無機質の素子に置き換えた人間を人間と呼べると思うか?」
「えらく、哲学的だな?」
「現在、精神と肉体は、可分なものとなった。全く同じものをもう一つ作ったとして、それは、後継か?それとも、新しい物の始まりか?」
「神様の創ったあらゆる物は、目的を持っている・・・その目的への到達という概念を一方向の進行として、時間がある。あらゆる物は、目的までのギアートレインのギアーの一部でゆえに自らの役割の欠損を生存本能として持ち合わせている。目的を見失い、自分たる自分、他の何者も似つかない純粋な個、そう言う物に固執する事は、混沌、カオス、ソドム・・・そう呼ばれる。摂理の目で見れば重要なのは存在ではなくマーチングだ。桃の種程の大きさしかない扁桃核で決められる快、不快が偉大な摂理の承認、不承認を決定できる程の真理を持ち合せていると思うか?」
「逆だな・・・目的が無いから我々は、混沌を迎えている」
マモラは鼻で笑った。
「目的ならあるさ・・・悩み苦しむと言う目的、快楽に逃げず、見つめ続ける・・・そう言う過程を経て、認められる目的だ・・・」
「それを、混沌と呼ぶのだよ」
「混沌に目的があれば、それは混沌ではない。物事を整理し、整理された物のみを見ていては、物事の本質は見えないぞ、公安よ」
「現在の人間の混沌に、そのような、逆説的な目的があるとは知らなかったねぇ」
公安の男はそう言って立ち去ろうとしたが、部屋から出る態勢で二人に背を向けて何かを思い出したように止まった。
「あんたの隣にいる人間が、鼻の下延ばした助平野郎か?」
マモラは、『自分の罠にまんまと掛かったのだよ』そう言う様に偽証した。嘲笑うかのように、片側の口角を上げて鼻で笑った。
「何故?5人分のデータ処理と互角だったかわかるか?」
「?」
「疑問だ。ナンセンスな不思議の園さ」
「我々の認識処理の容量に確かにお前のお友達の存在への疑問、空白があった。何もしない、ハッキングも発現しない。何者なのだ?と・・・噛ませ犬だったとはな・・・さすがは、マモラだ。視野の情報を体現せずに、何かを隠していると言う存在だけ作りながらこちらへのハッキングをするとは、しかも、我々の到着直後から、今もそれを解かずにいる・・・しかしな・・・余りにも自然な存在すぎる。君が巧妙なのか?ブラフなのか?・・・君とやり合うのはもう疲れた。今日の処は以上言及しないでおこう」
不知火の存在は、公安に対して、透明人間で在り続けたらしい。マモラは、果たして、不知火の存在を公安に隠した。
公安が立ち去ったのち、独り言の様に、公安が抜けていった戸枠を見ながら呟いた。
「厄介だな・・・」
「あいつら、ホントに公安なのか?」
「公安と言えば公安だが、テロリストと言えばテロリストだ・・・大昔に自国に戦争仕掛けた偏執狂だ」
褒めているのか酔狂とけなしているのか、マモラは公安に向け再び呟く。
「義を見てせざるは勇無きなり・・・か・・・・あいつら、まだ、盗波してる。此処を離れるぞ」
「おう!」
・・・・・・・・
・・・・・・・・
二人を認めるとトコトコと歩き出てきて、眩しそうな顔で出迎える博士。
「なんじゃい?また来たのか?」
博士に片手をあげて、軽くあしらい、不知火に顔を向ける。
「美佐原工科大学で今夜、アーベントが開かれる」
「また、急な話というか、とんとん拍子というか・・・」
「表向きは、学生の発表会だが、招待客は、著名な研究所の局長だの、省庁の高官だの官僚だのだ。中には、池上忠雄もいる。一所に集まれば、世界を変えられる役職が勢ぞろいだ。世界倫理機構の副理事のスコット・リエールも招待されている」
「演奏会と名を打っての、非公式の会合て事か?」
「おそらく・・・」
「その会合での内容が聞ければ、何らかの手掛かりが掴めそうだな、もしくは、事の全容がわかるかもしれん」
「いや、そちらには、幾らか耳を澄ませる程度にして、探すのは、高栄プラント社からの中村チハタの研究データの記憶媒体だ」
「美佐原工科大学内にあるって事か?」
「可能性は、高い・・・デジタルセキュリティーの高い施設だ」
自分の恰好がアーベントに、相応している事を確認して、その後見下す様にマモラを見つめた不知火。
「・・・・その恰好じゃ行けねーぞ・・・」
手を開いて、自分の体を見るマモラ。
「これじゃ、芥だ」
自分で、自分を皮肉って、笑って見せるマモラであった。博士にそのまま笑いかけた。
「博士、愛娘に舞踏会へ出かける服を拵えてくんなせぇ」
「おーよしよし」などと博士は頷きながらマモラを手招きして茶目っ気に肩を落とした仕草をしたマモラと共に階上へ服の新調に行った。マモラは、振り向きざまに「すぐ戻る」と言い残していったので、不知火はその場で、待っているしかなかった。革靴の先をパタパタ動かして、片腕を組んで煙草を吸って、そこいらを見つめている。待ち合わせのパートナーの到着を待つそれであった。
思うに、一向、例の少女の気配が捜査線上に現れない所を考えると、少女と言うレッテルを使った一時の道具の様なモノであったのかもしれない。その正体は、自身を認めず、投影させた理想のみが現実であると断固として是認している不細工野郎なのかもしれない・・・。辿りつくは、そんな野郎が魔が差して作り上げた巧妙な自分たる理想像でそこで行き止まりかも知れない。
煙草を2本吸い終えたところで、階段から二人が降りてくる足音に顔を向ける。
博士が、先に視界に入るが、妙にゆっくりとして、心なしか顔は、にこやかに見える。後ろから手を引かれてマモラ・・・もう一人はマモラの筈だが・・・。
博士にエスコートされ、現れたのは、深い青のドレスを身にまとい控えめで美しい宝石の様な女性で、髪はしなやかに結ってあり、コーディネートはアンサンブルな女が歩みも優雅に現れた。
唖然とする不知火の前まで来ると、ドレスの両裾を持ち上げて、上目遣いに挨拶をした。
勿論、それは、マモラの冗談の内で、しかし、不知火は、まんざらでも無かった。
「行くぞ」
声は、女性の声であるが、語気は、男の物であった。
「お・・・おう」
明らかにマモラに魅了されている不知火を、マモラは、鼻で笑った。照れ隠しに、マモラに「気持ち悪い」と言い告げ突っ込みを入れる。
「男が女装なんて、しかも、そもそもの、糞みたいなお前を見た直ぐ後じゃ・・・吐き気がするな」
マモラは、俯瞰的に弄ぶ(もてあそ)様に嬉しそうに鼻で笑い不知火の目を観察する様に見るが、不知火は、目を合わせなかった。
「俺は、そもそも、女だ」
「え!・・・そうだったのか?」
「ああ」
「女の体に、脳みそを入れ替えただけだろう?・・・そもそも、男か女かどう判別する?」
「脳梁の大きさが違う」
「大体、女になって何の意味がある男のまま正装すりゃいいだろう?え?」
「女の脳で男の恰好をしていれば、変装した不審者だと、セキュリティーにマーキングされる」
「それでか・・・」
不知火は、マモラが、とても美しい女性だと、認めたくはない様子であった・・・。
「ダメか?」
「いや~駄目じゃないけど・・・やりずらいんだよなー」
「可愛い奴だな」
「うるせぇ」
「ほら、遅刻するぞ、助平野郎」
そう言って、マモラは不知火に手を差し出した。不知火は、観念して、拳をお腹の前に付け肘と脇腹の間に空間を作って、そこを見つめて、待った。不知火の見つめるその隙間に、白い華奢な手が差し入れられて不知火に体を預けた。
そんな事をやっていると、後ろから、クラクションの音が聞こえて二人は振り返った。まるで、本当の愛娘の恋事を幸せそうに見守るかのような笑顔を作って、いつの間にかタキシードに着替えて、こちらが乗り込むのを待っている。
不知火は、二人を見比べて、かぶりを振って、落ち込んだ。
「ブラック・タイなの?」
ドレス・コードを確認する不知火に頷きかけるマモラ。不知火は、普段から、フォーマルな恰好でいるが、殆どの服は着古していて、綻びがあちこちにあった。今着ている物も、パーティーに行ける事には行けるが・・・・博士とマモラと並べば、みすぼらしく見えるに違いなかった。
二人が乗り込むと、車は上昇し、高速流線の入り口へと自動運転を開始した。
3467年8月10日地上から100メートル上空に作られた道路網“高速流線”の設立が果たされ、地上の舗装道路の廃止(自動車走行禁止)が決定された。北海道から沖縄まで伸びる一本の大きな筒状の幹線道路一号線から、枝分かれする、支線が2万3千程ある。道路壁を構成する筒は、極小のエナメル線をコイル状に配置した。エナメルファイバー外郭によって形作られ、筒内部には電界が生じている。磁気を帯びた自動車がここを筒内部の電束密度制御によって、自動車を航行させ、最高時速は700㎞/hであるが理論上はさらに高速の航行が可能である。応用リフター技術の発展により、3000年頃から車は空を飛んだ。高速流線の管制から離れ、出口から出ると、リフター機構による推進力によって、航行を開始する。自動車の航行は、運転者と搭乗者の情報領域慣性航法装置(ITINS)を高速流線運営団体ネクスコが管制し制御している。
不知火は琥珀がかった風景を扉のひじ掛けに手を乗せ眺めていた。いつもなら、大股を開いてふんぞり返っているマモラはお淑やかに小さくまとまって、太ももの上に添える様に手を重ねて、少し下を見ていて、女性が幸福の時に人知れず見せる微笑みの様なモノを作っていた。清楚と言うしかなっかた。
「なあ?マモラ?」
にこやかな顔をそのままに、マモラは不知火に顔を向けた。
「マモラとは呼ばないで・・・」
「口調まで女に成りやがった・・・」
「そうだな・・・瞳ちゃんで」
仮想空間での風俗嬢の名前をあえて持ってきたマモラに、少なからずそういう目を意識してしまい、話し掛けたさい、マモラを見た目線を歩合悪そうに景色に逸らしながら話す不知火。
「公安に言っていた事はどういいう事だ?混沌がどうのって?」
「あらゆる事は、一つながりで限りなく一次元的な一つの塊で、それは、混沌に他ならない・・・我々が認識できるものは、その塊のある部分に着目した整理物でしかないと言う事だ」
「そう言う事か、しかし、ある部分への着目・・・そんな基準を設けた仰角でしか、人は物事を見る事は出来ないぞ、全てを見る事の出来るのは神様だけだ」
「基準を設けた視野の人間を見る第三者は、仰角ではなく、俯角を得る。『宇宙上の思考を合成すれば、神の目を得る』」
「スコット・リエールの『愛すべきは精神か肉体か』の一節だな?」
「そうだ、この言葉は、同時に、神の存在も暗示している。もし、我々に統合されるべき一つの精神があればそれは神だ、我々は、神の手足指先で神の末端である、故に神の一部、ひいては神様その者であるとも言える」
「博士が言っていた・・・夢に対するある考え方に似ているな・・・」
「我々と神様とは繋がっている・・・この考え方から、他人を考察する力それは、考察者のみの見解ではなく、必ず無意識の中に裏付けを持っている事になる・・・・しかし、夢が末端から得た情報の精神への帰還を司っているとすれば、現在は危機だ」
「なぜ?」
「人は、睡眠をとる必要がなくなった・・・夢を見なくなったのよ」
「でも、結局、さして問題はないじゃないか」
「そうだな、結果からすると、夢が精神への帰還だと言う事は、どこかの誇大妄想野郎が作り上げたSF論だったと言う事だ」
「科学的には夢に対してどういう見解が成されているのだ?」
「覚醒時の情報を処理する機能だと言う処で止まっている。人が夢を見なくなった頃から、その研究は、放置されている」
「まあ、そうだろうな」
「不思議なのは、覚醒時の情報を処理するだけなら、大したコンピューター容量を使わないと言う事だ」
博士が急に話に入ってきた。
「テクノロジーの進歩によって、情報処理エンジンは、銀河規模の空間想定や物理運動の連鎖想定、テンソルの相対性まで再現できるようになった。しかし、現在の情報処理エンジンは、人間の脳には遠く及ばないと言われている。その脳が、平均6時間をかけて、覚醒時の情報を処理しているだけだとは考えにくい」
マモラが博士に、言葉を返す。
「コンピューターでの想定は、質量を持たない物だし、睡眠は、覚醒時の情報処理以外にも、物質的な肉体の修復と回復を行っている」
「そんな物は大した領域を持たない。肉体を金属に変更すると言う人間に容易にできた事だ」
博士は妙にマモラに反論してくる。
「博士?さては、誇大妄想狂はお前だな?」
「ちがわい!」そう言って博士は又眩しい顔をしてフロントガラスを見つめた。
「現在の人間が何故?もっと画一された性格をしていないか?不思議だと思わないか?」
「色んな物が制御されている時代に、人間の私利私欲が制御されていないと言う事か?」
「2000年頃から人間の性格は、殆ど変わっていない・・・これは、おかしなことなのよ」
「そうなのか?個性の尊重と言うのは、守られるべき倫理だと思うが・・・」
「確かに、機械の人体の参入の頃から、原則的に個性の保護がある。しかし、効率的で合理的な思考を持っている方が物事をうまく行えると言う事は周知の事実だ。だから、論理的思考を持ち合せた人間がもっと多くいてもいいと思うのよ」
「ちょいちょい、女口調になるのやめてもらえる?どっちかにしてくれ」
「あら、ごめんなさい」
「曖昧で不規則な性格が人間には必要だと言う事か?」
「その通りよ。しかし、誰がその曖昧さを必要としているの?」
「その人本人ではないのか?」
「それを個性と呼ぶことはできない、只の遠回りでしかない。個性はもっと違う方向にあるし、曖昧で優柔不断な性格は、個性を延ばす事を邪魔してしまう」
「では?誰がそれを必要としている?」
「世界とか社会もそんな事は淘汰したいはず・・・・分からないわ・・・だから不思議なのよ」
「ふーん」
「処で、話は変わるが・・・・興味本位で聞くが・・・」
「なに?」
「その、その体は、セックスできるのか?」
恥ずかしそうに聞く不知火をマモラは笑った。
「するか?」
「しねーよ」
「とりあえづは、できないが、できる様には出来るぞ」
自分でした質問にこっぱずかしくなった不知火は、『こいつを好きになってはいけない』そう自分を諭しながら頷いて外に目をやった。マモラは、そこから到着するまでの間、不知火の情けない助平心をクスクスと笑い続けていた。
車は、高速流線を抜け、緑豊かな丘陵地に広大な敷地を持つ、美佐原工科大学を上から見下ろす。会場は、殆どが学生の講堂で構成された学生棟に隣接するホールで行われる。向かっている会場から離れたところに、研究棟が緑に包まれ、いくつか点在していた。
「あそこの何処かの施設に侵入するのか?」
「それなら、わざわざアーベントに参加する必要はないな・・・侵入するのは、学生棟の地下だ」
「地下何階だ?」
「25階だ」
不知火は重たい溜息を吐いた。
「侵入するのも難しそうだし、抜け出して来るのも難しそうだな」
「もしも、見つかったら・・・・終わりだな」
「・・・・そう・・・一体どんな人の研究室なの?」
「中村敏夫博士だ。あらゆるテクノロジーが生まれる所だ」
「なんでまた、そんな厄介な所へ目星を立てたわけ?」
「他の研究棟は、殆ど有線を使っていない。使っていたとしても、敷地内に限られる。しかし、中村博士の研究室は、外部施設と有線でつながっている。その部分の施工は、建築ゼネコン下での施工ではなく、中村博士の個人所有の労働型アンドロイドによって行われている。だから、工程記録はあるが、どこと繋がっているかは、工事記録の中には記載されていない。美佐原工科大学から、4本の光子ケーブルが何処かの外部施設に行ってる」
「今時光ファイバーか?」
「電荷軌跡を残さないからな、絶対読み取られたくないらしいな」
車は、美佐原工科大学の門前へと降り立った。車が止まって誰も降りようとはしない。こういう時マモラが先陣を切って「侵入する」などと言って先立つのだが・・・不知火はそれを待つ・・・・「ああ、そうか・・・」そう言って、不知火は、外に出て、マモラの乗っている席の扉を開けた。不知火のエスコトートを待っていたのであった。
「どうぞ・・・瞳さん」
「遅いぞ!我々は、不知火博士とその息女と召使と言う事に成ってる」
「俺が・・・博士か?」
「博士は博士だ。お前は、召使の方だ」
「へいへい、ご息女様」
三人は車を降りて、会場へと向かった。
温和な顔つきの老人が番頭をしており、マモラが偽造した招待状を見せると「どうぞ」とにこやかに体を開いて会場へ通した。
会場までの広い廊下の両端には、学内の功績を飾ったガラス棚が並んでおり、そこを見て品評する者や、互いの研究について話している紳士淑女が立ち話に花を咲かせていた。
会場には、丸テーブルが無数に並んでおり、晩餐会の形式を取った演奏会であった。開演には、まだ、時間があるので、席に着く人は疎らで、軽いBGMの様な演奏が流れていた。『不知火様』そう書かれた小さな立て札のあるテーブルに三人は座った。
「行かないのか?・・・ウンッ・・・行かないのですか?」
「そう急ぐ事もあるまい。召使よ」
「そうですか・・・」
まだ、空席の隣のテーブルをちらりと、不知火は見た。
『ハシビロコウ様』
そう書かれた札を声を出して読んで、又、鳥の名前か?そう呟いた。
「ハシビロコウだと?」
マモラは不知火の呟きを拾う様に反応する。
「ああ」
「そりゃ・・・5課だな」
「お前を探してるってやつらか?」
「ああ、あの時の公安が、俺の脳を盗波した時の情報をリークしたんだろう」
「隣の席で大丈夫か?」
「100年捜査して、私が居るか、いないかさえ解らない奴らだぞ」
不知火は、5課を笑った。
正装した学生が、音の足らない『奇奏』を一小節聞き、マモラは立ち上がった。
「施設全体との同期を完了した。これで、我々は、怪盗二十面相だ」
眩しい顔を演奏へ向けて、時たま、静かな拍手を送っていた博士が、立ち上がったマモラを見上げる。
「気をつけろ・・・」
「ああ、では、行ってきます。博士の方も頼みます」
「ああ・・・」
「今回は、博士と俺の脳の二つで疑似物のリストラルチュアリング行う。セキュリティーが異常を観測したら、解析段階に移る前に再構築してなかったことにする。それの羅列を行い不確定性原理だとセキュリティーには、処理させる。セキュリティーが規則性を見つけるのは、今から4時間てとこだな・・・」
「なんとも、微妙な時間だな」
「侵入する」
マモラは、そういうと、ステージ横の扉へと急ぐ事も無く向かった。そこにも、温和な顔つきの老人が扉を挟むように2人立っていた。二人の存在を認めたが特別警戒する様子もなく扉を抜けた。マモラの後ろをついていく不知火は、老人を足の先から頭まで流して見た。きっと、温和な様に見えるが、体は老人の物では無いだろう・・・少し怯えながら扉を抜ける不知火であった。
扉が閉まると・・・その音が、キーンと響いたように感じられた。その音は何だか淋し気で、一人きりだった。
会場を包むように照らしていた夕方のオレンジの様な雰囲気の照明が、一日の内ほんの一瞬しかないマジックアワーの夕暮れの時間の様に思えた。扉の先には、無機質な白い廊下があり、左右の壁には、扉が幾らかの間隔で羅列していた。標札は無い。白い蛍光灯がそんなに遠くない廊下の突き当りまで、透明に照らしている。
透き通った白い肌の悲しげな少女が何処か一点を見つめている絵画の様な廊下に思わず一瞬静止してしまった不知火。
特別の警備システムは見当たらない・・・。
マモラは、歩き進んで、廊下の突き当りにあるエレベーターのボタンを押した。
「まさか、このまま、地下25階まで行けちゃうのか?」
「ああ」
「なんだ?大したことないな」
エレベーターの扉が開き二人は乗り込んだ。
25階のボタンは、平然と並んでいた。さらに、下へ、78と言う数字でボタンは終わっている。
マモラは、25階のボタンを押して、二人を収めた小さな箱は動き出した。
「一番下の階て、わけではないんだな?」
「この建物の地下は、全て中村博士の研究室に成っている」
「ほら、敵のボスとかって、ダンジョンの一番上か一番下に居る物だろう?なんで25階に見当をつけたんだ?」
「25階から下は、基本的には閉鎖されているらしい。行くのは難しい・・・ちょうどいい事に、中村博士は、人の心理と電子エンジンとの研究に力を入れて居る。ここ最近の研究発表や活動内容を見るとこの25階の心理研究室3室で行っている事が分かる。25階までの研究はそれぞれ、大学のホームぺージに開示されている」
「と言う事は・・・中村博士とバッティングする可能性があるって事か?」
「そうだな・・・中村博士に話を聞ければ、進展があるかもしれないな」
「見つかったら、アラームを鳴らされて、終わりだろう?」
「その可能性は、高いな・・・」
「おいおい・・・」
「中村博士は、この世界に5人いる。オリジナルから、クローンを作って、5つの脳で世界の真理を研究している。現在の法律では、自らのクローンを持つことは禁止されているが中村博士は政府公認だ。その5人の中村博士は、常に所在を政府に提示している。5人の内の1人は、この、美佐原工科大学に常駐している事になっている」
「もしかして、中村博士に会いに来たって事か?」
「中村博士が企ての主犯格であるのなら、結局行きつく所は、同じだ。高栄プラントからの、データ転送先の媒体を探しに来たのは変わらないがそこに中村博士が居るのは、不自然な事ではないし、もしも、行き成りラスボスに話を聞ければ、かえって好都合だ」
「まあ・・・それはそうだな・・・」
エレベーターはものの10秒程で、再び扉を開いた。10秒間箱の中に入って、又同じ廊下に出た様な錯覚にとらわれる。25階と言うボタンを点滅させているエレベーターの表示を2度見する不知火。扉の先は、全く同じ雰囲気の白い廊下だった。
「言い忘れていたが、私が触る扉以外不用意に触れないで」
「分かった」
各扉には標札は無い。初めの廊下を進んでボタンを押したように、マモラは、廊下を歩き進んで、突き当りの・・・今度は、扉を開けた。扉の上には、『心理研究室 第3室』そう標札があった。
研究室内は薄暗く、蛍光色の液体が沸騰しているガラス容器がミラーボールの様に、室内を幾つかの色に染めていた。人の気配はない。乱雑に重ねられた資料やデータグラフの記録紙が机には積みあがっており、人間的な乱雑さを帯びた研究室に不知火はなぜか、ほっとした。
「天才はこうでなくてはいけないな?」
マモラに、問い掛けた不知火の唯物的な自尊心は無視された。3つ程ある端末の一つにマモラは線を繋いだ。高栄プラントの一室とは違い、マモラの検索の最中に置き去りにされることは無かった。不知火は、自分の太ももを気合を込めてさすり、「よーし」そう意気込んで紙の資料に目を通し始めた。
・・・・しかし、究めて専門的な記号や数式やグラフは不知火には、簡単に理解できなかった。グラフを見て「おお・・・右肩上がりだな・・・」そんな、事を情けなく呟いていた。
「結局俺は金魚の糞か・・・」
口を窄めて(すぼ)開き直った不知火が机の上の資料を見ながら歩き回っていると、レポート形式の文章を見つけた。一段と高く積まれた山の殆ど底から少しだけ文章が窺えるものであった
慎重に上の紙を落とさない様に、引き抜こうとした。しかし、紙の山は無残に床に散らばってしまった。
「静かにしろ!」
不知火は面目なさそうに苦り切った(にがり き)顔でマモラを見て、手にしていた紙を見せた。
「?」
端子を挿したまま、リール状のコードを延ばす音を立ててマモラは、その紙を受け取って、凝視する。




