序章:悪夢の門と五人のプロフェッショナル
闇が深く垂れ込め、カビと鉄錆、そして腐敗した血液を模した薬品の臭気が鼻腔を刺す。
サバイバルゲームフィールド兼アトラクション施設「ゾンビの館」。 北関東の山裾に位置する旧紡績工場の巨大な廃墟を丸ごと買い取り、広大な内部構造を組み替えて作られたこの施設は、単なる遊園地のお化け屋敷やテーマパークのアトラクションの類では決してない。
制限時間はわずか50分。 館内は無数の隔壁と迷路、施錠されたセキュリティドアで遮断されており、各区画に散りばめられた緻密な謎を解き明かさなければ先へ進むことすら叶わない。そして暗闇の深淵から襲い来るのは、特殊メイクとプロの演技指導によって生み出された無数の“感染者”――ゾンビや凶悪な変異クリーチャーたちだ。
極限の恐怖と絶望の中で脳をフル回転させ、弾薬を管理し、生存して脱出を目指す。まさにサバイバルホラーの領域を現実世界へと引きずり出した、体感型サバゲーアトラクションであった。
重厚なスチール製ゲートの前で、5人の女性たちが静かに佇んでいた。 サバイバルゲームでその名を知られる女性チーム「Ragdoll」の面々である。
彼女たちのいで立ちは、一般の来場客たちとはあまりにも一線を画していた。 カラフルなカジュアルウェアに身を包み、黄色い悲鳴を上げながらゲートをくぐる若者たちの姿はここにはない。5人が身に纏うのは、暗闇に溶け込む漆黒のロービジビリティ・タフネスウェア。腰元には堅牢なピストルベルトを装着し、ミリタリーグレードのマグポーチが狂いなく配置されている。
チームの最前線、ポイントマンを務めるのは28歳の凛。 俊敏な身体能力と動物的な鋭い直感を誇る彼女は、チームの「目」であり「触角」だ。予期せぬ奇襲や暗闇に潜むわずかな気配、空気の微細な振動すら察知し、最速のレスポンスで危機を回避する。少し感情が表に出やすい性格だが、戦闘時におけるその踏み込みの鋭さはチーム随一であった。
セカンドポジションには35歳の葵。 正確無比な射撃精度と、氷のように冷徹な洞察力を併せ持つ火力の要である。動揺しやすい凛のすぐ背後でセカンドを担当し、冷静沈着な指示とバックアップでポイントマンを完全にコントロールする。彼女が銃口を向けたセクターにおいて、標的が生き残る選択肢は存在しない。
側面および周囲への警戒・火力を担当するのは、32歳の朋佳。 強靭なフィジカルと圧倒的な体幹、そして他を圧する存在感を持つ守護神だ。狭隘な通路や入り組んだ障害物から左右へ突進してくる敵に対し、ブレない強固な体幹と威圧感で圧倒し、チームの側方を完全に死守する。
中央で司令塔の役割を果たすのが40歳の麻耶。 チームの頭脳であり、全体指揮を担う絶対的リーダーだ。サバイバルゲームとCQB(閉所戦闘)研究で培われた圧倒的な tactical brainを持ち、刻一刻と変化する状況をリアルタイムで把握、最適な戦略を組み立てる。
そして最後尾、リアガード(殿)を担うのは、53歳の未来。 チーム最年長であり、数々のシビアな戦場を潜り抜けてきた熟練のベテランだ。小柄な体躯とは裏腹に、修羅場を経験してきた者だけが持つ揺るがないタフな精神力を宿している。背後からの予期せぬ急襲に対しても一切動じず、経験に裏打ちされた冷徹な警戒能力で、チームの後方を完全に遮断する。
5人の女性たちが手にするのは、ブラックカラーの堅牢なポリマーフレームを備えた「グロック17」。 夜間戦闘および閉所戦闘に対応するため、アンダーマウントレールには大光量タクティカルライトモジュールがガッチリと固定されている。光量1000ルーメンを誇る鋭いLEDライトは、暗闇を穿つ武器であると同時に、敵の視界を一時的に奪う眩起効果をもたらす。
ピストルベルトのマグポーチには、各自4本の予備マガジンが寸分の狂いもなく収められていた。 本体にロードされた1本(弾数25発想定)と合わせ、1人あたり計5本。チーム全体で合計125発のBB弾。 一見すれば、ハンドガン戦としては十分すぎる火力に思えるかもしれない。しかし、この悪夢の館では、一発の無駄弾すら命取りになり兼ねない過酷な条件が課せられていた。
なぜなら、このアトラクションのルールは徹底しているからだ。
「敵は、頭部に設置された受光センサーへの着弾でしか無効化できない」
胴体や手足への着弾判定は一切無効。さらに、暗闇とスモーク、そして演出による恐怖が視界と判断力を執拗に奪う。照準がわずかに数ミリブレただけで弾丸は装甲や壁面に弾かれ、貴重な弾薬が一発また一発と失われていくのだ。
それだけではない。 「センサー判定で感染(キャストによる捕獲・接触演出)が一定時間に達したプレイヤーは、即座にゾンビ化(死亡判定)とみなされ、その場で『途中退場』となる」。
ミスは許されない。仲間を一人でも失えば、火力と警戒セクターは激減し、脱出の可能性は限りなくゼロへと不連続に跳ね上がるのだ。
「……残り時間、50分。全員、インカムの感度チェック」
オセロットの低く落ち着いた声が、各自のイヤホンレシーバーから響く。
「リンクス、クリア」 「バーマン、問題なし」 「セラ、いつでもいけるわよ」 「アテナ、感度良好よ」
「よしいくよ。これより潜入を開始する。フォーメーションは基本のスタック、入り口突破後は5マン・ファイルへ移行。……遊園地のアトラクションだからって、絶対に手を抜かないで。相手は『本物』のつもりで挑むよ。全員無事で帰るわよ」
オセロットの言葉に、4人が無言で深く頷いた。
一般の来場客なら「キャーキャー」と黄色い歓声を上げ、冗談交じりに足を踏み入れるであろう地獄の門の前で、彼女たちは一切の無駄動作を削ぎ落とし、静かに整列した。
リンクスを先頭に、バーマン、アテナ、オセロット、セラが寸分の隙もなく距離を詰めて重なるスタック(密着縦隊)姿勢。 全員の銃口は地面に向けられたローレディ(Low Ready)の角度を維持し、指はトリガーガードの外側に添えられている。視線は常に前方、上線、周囲の暗がりへと鋭く走査を続けていた。
その立ち姿、呼吸のコントロール、そして洗練された足運びは、およそ趣味のサバゲーマーの域を遥かに凌駕し、実戦訓練を積んだ特殊部隊のCQBスペシャリストそのものであった。
ブザーが腹の底を揺さぶるような重低音で響き渡る。 錆びついた重厚な鉄扉が、まるで巨大な怪物が顎を開くかのように、ギギギ……とけたたましい金属摩擦音を立てて自動で滑り出した。
扉の向こうから溢れ出してくるのは、外気の爽やかさとは無縁の、生温かく、腐敗した薬品と湿気が混ざり合った濃密な暗黒だ。
オセロットの低く短いコマンドがインカムを切り裂く。
「ゴー」
リンクスを先頭に、5つの漆黒の影が滑らかな滑走のように、底なしの悪夢の中へと消えていった。




