全て現実ですよ
2022年己酉月
眠ることを忘れた渋谷は、夜になっても人工的な灯りによって、煌びやかに輝いている。
人々は忙しなく歩き、スクランブル交差点を行き交う。
交差点を彩っている電光掲示板には、誰かが誰かを襲撃しただの、芸能人のスキャンダルだのと、聞いているだけで鬱屈としてくる内容ばかりが流れてくる。
俺は、そんな陰陽が交わるこの渋谷で、とある推しアイドルのライブにやって来ていた。
平日は冴えない高校教員として、日々忙しく学校を駆け回っている俺にとっての、唯一の癒しの時間。
……だった、はずなのに……。
「勘解由小路在保」
「は、はいっ……」
地を這うように低く、ドスの効いた声に名前を呼ばれ、俺は思わず萎縮して丸まっていた背筋を伸ばした。
今、俺は、推しのライブが行われていた会場の、裏側のこぢんまりとした一室に連行されて、なぜか正座をさせられている。
「何か、申し開きすることはあるか」
俺の目の前には、さっきまで愛らしくステージを舞っていた推しが、少しばかり汚れてしまっている、朱色のふりふり衣装もそのままに、無機質なパイプ椅子にどっかりと腰掛けている。
「あ、あの、その……」
おかしい。
声が出ない。
さっきまで、推しのために声を張り上げていたからかな。
「……このスーパーアイドル『HARUHI』様の、完璧なセトリをぶち壊しておいて……」
それとも……。
ステージ上では、女神のように透き通るような声で歌っていた推しの口から、思わず咳き込んでしまいそうな煙草の煙と共に、男のような低い声が出ているから……。かな?
「……ふぅー……」
推しが持っていた煙草を、灰皿にザリザリと押し付ける。手の甲には、どこかで見たことのある特徴的な星型と、格子柄の刺繍が施されている手袋が、ところどころ破れて、白く滑らかな肌が見え隠れしていた。
これはきっと夢だ。
だって俺の推しは、『ぶち壊す』なんて乱暴な言葉は絶対使わないし煙草なんて吸わない。
宝石のように煌めき、今にもこぼれ落ちてしまいそうなほど大きな瞳で、俺たちを魅了してくれるんだ。
「何も言わずに帰るなんざ、随分と礼儀がなってねぇなぁ」
だから決してゴミを見るような、死んだ目で人を見下すようなことは絶対にしない。
そう。だから、これは、全て、夢なんだ。
「残念ながら、全て、現実ですよ」
そんな俺の望みを打ち砕くように、俺をここまで連行してきた、グレーのスーツをピッシリと着込んだ長身のイケメンが、笑顔のまま俺の喉元に冷たい何かを当てがう。
あぁ、神様。
まだここから入れる保険はありますか。
新連載、始めました。
性懲りも無く陰陽師ものです。
どうかお付き合いくださると嬉しいです。




