7 .彼女は幸せだった
いやいやいや。なんで笑っていられるんだ、この人は。
戦いの最後に目と利き腕と母親を失って、なぜこうも穏やかでいられる?
二十年の歳月が傷を癒やしたというよりは、さっきの話から察するに、戦いが終った直後に受け入れているように思えた。
僕には魔法少女の知り合いに、魔法少女の戦いとは無関係に両親を失った者も、四肢に欠損がある者もいる。みんな平気そうな顔をしつつ、それぞれに生きている。
けれど心の根底にはどこか、やりきれない悲しさを抱えている様子だ。それがなにかの拍子にふと表に出て、けれどまた心の中にしまい込む。悲しさを表に出して感情のままに泣き叫び、怒り狂い、暴れても、周囲に迷惑をふりかけるだけと知っているから。
"普通の人"でいるために、悲しさを少しだけ顔に出して、それでおしまいにしているだけ。
たぶんこの人も同じなのだろうな。そしてこの人には、悲しみを共有できる相手がいる。
僕の知り合いと同じように。
鍵が開く音がした。ただいまと、少し渋めの声がした。声の主は、玄関に知らない靴があるのを見て不審に思ったらしい。子供サイズの靴なら尚更だろう。
「美里、誰か来ているのか?」
「ええ。今話題の魔法少女さんが来ていたの。魔法を使って戦う先輩として、昔のことを話していたのよ」
「魔法少女……」
買い物袋を提げた、四十代半ばくらいの男が家に上がった。
「紹介するわ。彼がチッチよ」
「よろしく。君たちは……」
「僕はラフィオ。魔法少女の妖精だ。こっちが青い魔法少女の」
「御共つむぎです! チッチさんこんにちは! 犬になれるって聞きましたけど、ちょっとやってみむぐぐ……」
モフモフが全てに優先されるつむぎの口を塞ぐ。
チッチは僕たちを見て、少し悲しそうな目をした。
「そうか。君が妖精で、その子が魔法少女なのか」
「はい。僕は、あなたとは違う世界から来ました。けれど美里さんは、僕とあなたが似た空気を持っていると」
それがどんなものなのか、僕にはよくわからない。
チッチも困惑した顔を見せたから、彼にもわかっていないのだろう。ただ目の見えない者にだけ伝わること。
間違いなくあるのだろう。異世界の匂いのようなものが。
「チッチ。今日の夕飯はなにかしら」
「鰤が安かったんだ。照り焼きにしようかな」
「素敵ね。ふふっ」
そう笑う美里の顔つきはとても穏やかで。
冷蔵庫に買ったものをしまった後、チッチは彼女の隣にごく自然に座った。欠けた腕を補うように、右側に。
きっとこれが、彼の普段の立ち位置なのだろう。
美里は自然とチッチの方に左手を伸ばした。自分の体の前を経由して、そこにいるはずの愛しい人の所へと。
チッチもそれを優しく握った。
ああ。この人は腕と視力の代わりに、大切なものを得たのだな。二十年前からそれをわかっていた。
失った悲しみはある。けど、それだけじゃない。
美里の柔らかな笑みの意味が、わかった気がした。
夕飯を食べていかないかと言われたけれど、それは丁寧にお断りさせてもらった。僕たちにも、帰りを待つ人がいるのだから。
この世界でこの街にだけ存在する魔力。そこにも歴史があった。
帰り際、地面を流れる魔力に目をやる。今、僕たちが戦っている原因にもなっているこれが、いつもよりも違って見えた。
「魔力の中心を誰にも悪用されないように、ああやって上に住んでいるんだな」
「そうなんだねー。意味があったかはわかんないけど」
「街の中だとどこにでも、僕たちの敵は出てくるからね」
それでも、彼女たちは今でもこの街を見守っている。自分たちが守った土地がこれからどうなるのか知るために。
新たな怪物が出てきても心配している様子はなくて。前と同じように世界は守られると思っているのだろう。
僕たちは、あんな大怪我する気はないけどね。もっと穏当に世界を守ってみせるとも。
二十年前の件がきっかけで建造されたというショッピングセンターで夕飯の買い物をして、その途中で帰りが遅いからと心配して連絡してきた同居人に返事を返す。
いつもより少しだけ遅い時間の近所を、小学生ふたりで歩く。仕事終わりの大人たちが、それぞれの家に足早へ向かう。家族に会いたいとか、楽しみなテレビがあるとか、そんな気持ちが見ていると伝わってくる。
「なんか、いいね」
「うん」
「わたしたちが、こういうのを守るんだよね。美里さんみたいに」
「そうだね。僕たちでこの街を守るんだ」
僕はつむぎをそこまで好きではないけれど、つむぎは僕のことが好きみたいだ。手を繋いで体をくっつかせて並んで歩いた。
帰ったら、子供だけで遅くまで外に出てはいけませんと、同居人から少しお説教されてしまった。うん、わかってるとも。反省はしてないけど。
数日後、僕とつむぎはもう一度、美里の家に行ってみた。
けれどそこは、もぬけの殻だった。
霊脈の中心は依然としてある。そこに家も建っている。けれど表札は外されていて、リビングの窓から見える中には何の家具もなく、人の気配もなかった。
「引っ越しちゃったのかな?」
つむぎが、少し寂しそうに言った。
「だろうね。ふたりがここに住み続ける意味はない。この街のどこかで、またふたりだけで生きてるのだろうさ」
この街を見守るのは変わらないだろう。けど、自分たちの偉業を広めることは望まない。だから、ひっそりと生きる。
それが、あのふたりの望んだ生き方。
「ねえラフィオ」
「うん」
「ああいう大人になりたい?」
「どうかな。わからない。……けど、ちょっとだけ、いいと思った」
「うん」
つむぎはまた、僕の手を握った。
じゃあ、帰ろうか。
今作はXでのフォロワー、関守乾さんとの会話に着想を得て書いたものとなります。