58.終焉と、開かれた未来
「お前たちか」
鎧を纏ったジャンは、レオンの登場に大した驚きを見せなかった。
「こいつはアニエスを拐った。無理矢理にでも妻にしようとした」
「そうだな。生かしておく価値はない。俺もそれには同意する。けど殺すな。死んだほうがマシって思えるくらいの怪我に留めておけ。俺は、死者には慈悲しかかけたくないんだ」
「じゃあ、どうすればいい?」
「手足をそのハンマーで砕け」
悲鳴があがった。ドヴァンのものだ。
助かったとでも思ったのだろうか。
子供がそんな残酷なことを言うはずがない。純粋な子供が優しく助けに来てくれたなんて、都合のいい幻想を抱いた。極限状態の心境だから、そう思うしかなかった。
子供は残酷なものなのに。分別のついているレオンは、まだ慈悲深い方だ。
「た、助けてくれ」
「助けただろ。お前はもう少しで死ぬところだった。ジャン、ちゃんと仕留めろよ。俺はアニエスを助けて、あの女を捕まえる」
ドヴァンの命乞いに、レオンは気のない返事をしてアニエスたちの方へ向かっていく。
「待て。その女は親父の仇で」
「知ってる。だからジャンが痛めつけて仇を取れ。俺は逃げられないようにするだけだ」
レオンはナイフを抜きながら、アニエスとユレーヌの方へ歩いていった。
よく研ぎ澄まされたナイフだ。僅かな光を受けてきらりと輝く。それを見たユレーヌは小さく悲鳴をあげた。
「や、やめろ! 来ないで! 来ないで!」
「うるさい」
女性の顔を蹴り上げることに躊躇いがある子ではない。踵がユレーヌの鼻をへし折って、女は金切り声を上げて顔を押さえた。
「アニエス。逃げたければ逃げてもいい。見てて、あまり気持ちのいいものじゃないから」
ロープをナイフで切ってアニエスを解放したレオンは、そう語りかけた。でも。
「ううん。逃げない。ジャンが助けてくれたの。わたしのために。逃げるはずないよ」
「そっか」
アニエスの目は、鎧を纏ったジャンにまっすぐ向いていた。
そんな彼は、ドヴァンにハンマーを振り下ろしたところだった。
足から力が抜けて窯の上から動けなくなったドヴァンの片腕を、ハンマーが粉砕する。
鍛冶屋にとって大事な窯ごと、腕が砕けた。レンガの破片と肉片と血がぐちゃぐちゃに混ざり合う。土の床の上に血の模様が描かれる。
痛みにドヴァンは悲鳴をあげ、なんとか逃げようとした彼の膝も、ハンマーの餌食となった。
骨が割れる音。肉が砕ける音。ドヴァンの悲鳴。
「あ、あがっ、あ、あ……」
最早言葉を話すこともできなくなったドヴァンは、その場で転げ落ちることもせず、怯えた目をジャンに向けるだけだった。
ジャンは次に、ユレーヌの方に歩いていった。
「あ、や、や、やめて……わ、私、悪くないの……。ぜ、ぜん、ぶ。ドヴァンにい、いわ、いわれて、やったの……」
ユレーヌも腰が抜けていた。必死にジャンから逃げようとするけど、無理なようだった。
「親父の仇だ」
「違うの! セレムの実なんか知らない! あいつが! 公爵令嬢が悪いの! そうよ! あいつよ! あいつがジャニドを殺したのよ。あの性悪女が!」
「殺す理由がないでしょ。あと、その公爵令嬢は私の姉よ」
「そうだな。ジャン。こいつはルイの姉を悪く言った。俺にとっても許せないな」
「あああっ!」
別に私にとっては、姉がどう言われようと構わないのだけど。ユレーヌに、墓穴を掘ったと深い絶望を与えるのには十分だったらしい。
ガタガタと震え、白目を剥いて気絶しかけていたユレーヌだけど、投げ出された片足に振り下ろされたハンマーによって強制的に覚醒させられた。
ぎゃあという汚い悲鳴。そこに、さらにハンマーの音がして、ユレーヌの利き腕の肩が砕ける。血が飛び散って、床に赤い模様ができた。
「親父は死んだんだ。お前のせいで。だからお前にも、相応の痛みをくれてやる」
「や、やめ。やめて。わ、わた、わたし悪くない。全部、お父さんが。アニエスが。鍛冶をさせてくれなかった。鍛冶をするって生意気を」
「黙れ」
ユレーヌの、片膝から先がぺしゃんこになった。さらに、無事だった片腕も、手首から先が潰される。この手は一生使い物にならない。
ちょうどその時、家の方からミシミシと音が聞こえてきた。
「潮時か。ジャン。アニエスと一緒に逃げろ」
「いいのか?」
「後は任せてくれ」
「……お前は何者だ?」
「ネクロマンサー。死者に奉仕するのが仕事」
レオンの説明は明らかに不足していて、ジャンは正直なにもわからないだろう。
ただ、信頼はしたらしい。
「わかった。ありがとう。鎧はここに置いていく」
「そうだな。逃げるのに邪魔だからな」
「ジャン!」
ハンマーを捨て鎧を外していくジャンに、アニエスが駆け寄った。
「来てくれるって信じてた!」
「アニエス。怪我はないか?」
「うん! ほらこの通り! 元気だよー!」
「そうか。お前は相変わらずだな」
「どういう意味かな!?」
「強い女ってことだ。俺の妻にふさわしい」
「ふぁっ!? え、えへへ。ジャンの奥さん……ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
「ああ。よろしくな。よっと」
「ひあっ!? ちょっ、ジャン!?」
ジャンはアニエスの体を軽々とお姫様抱っこで持ち上げた。
「疲れただろ?」
「でも! ジャンの方が疲れてるだろうし!」
「俺は平気だ」
「そ、そっかー。えへへ……」
アニエスもまんざらではなく、ジャンの胸板に身を預けた。そしてふたり、工房の出口に向かっていく。家へ続く出入り口以外にも、出口があった。
「アニエス。ごめんな。こんなことをした以上、俺は鍛冶屋を続けられない」
「ううん。いいの。わたし、ジャンと一緒にいるだけで幸せだから」
「そうか……俺も幸せ者だな」
「でしょ? ねえ。遠くに引っ越そう? ギルドがわからない所に。そこで家を建てて、手作りの窯を作って、鍛冶屋さんごっこをするの」
「楽しそうだな」
ああ。ふたりはこの先も、上手くやっていけるのだろうな。幸せそうな会話を聞いて確信できた。




