59.家族に平穏が戻った
「俺たちも逃げるぞ」
「ええ。このふたりは?」
「舌を抜いた」
レオンは二枚の生々しい舌を摘んで揺らしている。やめなさい悪趣味だから。
それを崩れ始めた家の方に放り投げながら、ユレーヌを見下ろしていた。
「話せないし、そもそもふたりとも恐怖と痛みで正気を失っている。何があったか話すことはできないだろう」
「でも、誰かが調べるでしょう」
「そうだな。鍛冶屋のギルド長とかがな」
妻がこんな風になって娘とその婿は行方不明。そりゃ、そのままにはしないだろう。
「けど、関係者はみんないなくなった。ジャンとアニエスは見つからないだろう。ここの工房の職人とか、共通の依頼主である男爵家に聞きに行くことはあるだろうけどな。彼らは俺たちの素性を知らない」
「なるほどね。私たちは安心か。じゃあいいわ。……ジャンさんたちも、無事に逃げるだろうし」
「そうだな。俺たちも行くぞ。そろそろ人が集まってくる頃だ」
有力な鍛冶屋の建物がメキメキと倒壊するわけだ。人払いしたとはいえ。限界はある。
私たちが逃げた後、背後でついに家が倒れる音がした。
――――
「ヘクトル……どうして……」
男爵夫人のローラは、部屋でしばらく頭を冷やせと言われた。
ヘルターの言ってることは正しい。ヘクトルの好きにさせるべきだ。けれど、私は。
「お母様」
呼ぶ声がした方を見ると、娘のヘレンが部屋に入ってきた。
「お母様。お兄様の鎧はいつ完成するの?」
「っ……」
この子はまだ、兄の気持ちも父の方針も知らないのだ。ローラが返答に困っていると、彼女は無邪気に続けた。
「ねえ。その鎧って、私も着れるかしら?」
「え?」
思ってもみなかった質問が来た。
ヘレンは無邪気で、自分の質問がおかしなものとも思っていない様子だった。
「着たい、の?」
「ええ!」
やっと口にできた母の問いかけに、満面の笑みを浮かべた。
「格好よくて好き! 私もあんな風になりたいわ! おとぎ話のお姫様よりも、それを守る騎士様の方が好きなの……女の子がこういうのって、変かしら?」
「いいえ。いいの。すごくいいことよ」
「本当!? ねえお母様。私、騎士になれるかしら?」
「どうでしょうね。けど、目指してもいいと思うわ。まずは体を鍛えることから始めましょう」
「ええ! どうやればいいの?」
「お母さんのお父さんやお兄さんが、昔やってた方法を教えるわね。私も一緒にやってあげるわ」
「やったあ! ……でも、お父様は許してくださるかしら。変って言わないかな」
「平気よ。お父様は、子供のやることをちゃんと聞いてくれるから」
「そうよね。……ふふっ。あのねお母様」
「なあに?」
「お母様、お父様の話をする時、すごく幸せそうなの。いいなって思って」
「そう……そうよね」
愛娘の頭を愛おしむように撫でる。
そうだ。
私は、夫を愛している。
――――
「ジャニドさん。あなたを殺した悪は制裁を受けました。息子さんは残念ながら、引き継いだ仕事を完遂はできませんでした。しかし奥さんと共に、幸せに暮らすことでしょう。なんの心配もありませんよ」
鍛冶屋街から逃げた後、私たちは教会へ行ってエドガーに祈りを捧げてもらった。
レオンに祈らせてもいいのだけど。せっかくだから神父様のちゃんとした祈りで送りたい。
エドガーがちゃんとした神父かはともかく、祈りはしっかりしているからな。
「行ってくれたよ。ジャンが鎧を完成させられなかったこと自体は、未練じゃなかったんだな」
「そういえば、ジャニドさんも言ってたそうね。ジャンさんには、鎧を完成させるのは無理だって」
「そうだな……」
元々、鍛冶屋として突出していた技術を持った親子ではなかった。
他の方法でも幸せならば、父は満足なのだろうな。
「ヴィオバル家は平穏そのものらしいですよ! 今回の件で、家族仲が深まって仕事がしやすくなったと、使用人が言ってました!」
「そう。それは良かったわ」
「奥様と娘さんが、騎士を目指すために体を鍛え始めたそうです!」
「へえー。いいじゃない」
「ルイーザ様! お疲れでしょうか!? なんだか返事が雑な気がします!」
「いえ。疲れてはないわ。ただ」
「ただ!?」
「私もこの仕事にかなり慣れてきたはずだけど、なんでリリアの方が手際がいいのかなーって」
「メイドですから!」
「便利な言葉ねー」
ドヴァンたちに制裁が下ってから数日後。私はヘラジカ亭の手伝いという、平凡で平和な日常に戻っていた。
今日も開店準備として野菜の皮むきをしていたところ、リリアが情報をもってきたわけだ。
そして私の手伝いとして、対面に座って話しながら皮むきをしている。適当に相槌を打ってるだけの私よりも、作業がうまい。
「家事に関してはリリアに勝てないものね」
「はい! メイドですから!」
「それはさっき聞いた」
とにかく、男爵家が丸く収まったみたいで良かった。
ドヴァンとユレーヌは、あの後すぐに救出された。発見者の必死の治療もあって、一命は取り留めたらしい。
もちろん、今後まともに生活できる体ではない。鍛冶屋も廃業だ。
私たちの存在は、鍛冶屋ギルドには把握されていない。ドヴァンの部下たちが証言したのは、母親が娘に望まぬ結婚を強いるために誘拐したという、ギルド長にとっては信じがたい話。
恋人を助けるため、ドヴァンとユレーヌに大怪我を負わせたジャンの方に、鍛冶屋街の世論は同情的になっているらしい。




