56.母と話して
ドヴァンに手を引かれるままに、アニエスは彼の工房へと連れて行かれた。
ジャンの家がそうであるように、ドヴァンの家も住処と工房が併設されている形になっている。そして工房がかなり大きい。
そこで働く職人の多くは雇われで、他に自分の家はある。だから住居の方は常識的な規模より少し大きい程度。
儲かっているからだろうか。玄関には高そうな絨毯がしいてある。それから、ピカピカに磨かれた靴箱。
そのままリビングに連れて行かれると、やはり名のある職人が作ったのであろう椅子とテーブル。アニエスの実家にも同じようなものがあり、高かったと母から聞かされていたから知っている。
その母が、なぜかドヴァンの家にいた。
「ようやく会えたわね。手間をかけさせて」
「お母さん。……これ、あなたが言ってやらせたの?」
「そうよ。アニエス、あなたはドヴァンと結婚しなさい。あなたはその方が幸せになるの」
「嫌」
またこれだ。母はずっと、ジャンとの結婚に反対していた。なんでこんな男の肩を持つのかわからない。
「おい。お前ら。アニエスを椅子に縛れ」
「ちょっと! やめて!」
「すいませんアニエスさん……」
ドヴァンの部下が数人、周りにいた。彼らは申し訳なさそうな様子で、縄を用意してアニエスの体を椅子に巻きつける。
「ドヴァン! 結婚相手にこんなことして、好きになってもらえると思ってるの!?」
「それは……」
ドヴァンが一瞬たじろいだ。彼がこちらに好意を持っているのは、アニエスもよくわかっていること。
その気持ちに嘘はない。面と向かって嫌いと言われれば、心が揺らぐ。
けど。
「別にいいじゃない。嫁に嫌われたって。そういうものは力ずくで従わせればいいのよ」
「お母さん……?」
この女は何を言っているんだろう。夫婦って、そういうものじゃないはずだ。
娘の怪訝な視線に、ユレーヌはつり上がった目で睨み返した。
「あんたのためでもあるのよ、アニエス。女は夫になる男に従わなきゃいけないの。特に鍛冶屋はね」
「どうして……そんなことを言うの?」
「私がそうだったからよ!」
獣のような咆哮。自分がこれまで我慢してきたことを、ようやくぶちまけられるといった様子。
我慢してきたことなんかないのに。ただ一点を除いて。
「女は鍛冶の仕事なんかしちゃいけないの! 夫に従って、職人たちの世話をするのが妻の仕事なの! なのになんで! なんでアニエスは! 鍛冶の仕事がしたいなんて! ふざけないで! 私だってやりたかったのに!」
ああ。これが母の、ずっと思っていたこと。たしかにアニエスの父は、母に鍛冶の仕事をさせなかった。それを彼女は今も根に持っている。
そして、娘が理解のある夫を見つけて鍛冶の仕事を手伝えるようになりそうな状況に、嫉妬している。
自分が苦しんだのに、娘だけがそこから解放されるなんて許せない。ずるい。それがこの女の考えていること。
「最低……」
「黙りなさい!」
「やだ! 黙らない! わたし知ってるから! お母さんが、ジャニドさんを殺したことも!」
「なっ……」
その瞬間、母は目に見えて狼狽した。
「セレムって木の実を使ったんでしょ! 公爵令嬢の人からもらったやつ! それで人を殺せると教えたのもお母さんなんでしょ!」
「で、でたらめを言わないで!」
「ユレーヌさん。今のは」
「あんたは黙ってなさい!」
ユレーヌの様子がおかしいことを、ドヴァンもわかったらしい。
こんなに動揺するなら、後ろ暗いことがあると言っているようなものだ。
というか、ドヴァン自身は何も知らなかったんだな。
「ドヴァン。ジャニドさんが亡くなって勝負に勝ちやすくなったのも、全部お母さんの仕業なんだよ。そうじゃないと、あなたは勝てないってお母さんは考えてた」
母が本当にそんなことを考えてたかなんて知らない。けど、これくらい言わせてもらおう。
「ドヴァンは勝てないって、お母さんは思ってた。そこだけは、わたしと同じ意見だね」
「う、うるせえよ!」
「っ!」
ドヴァンが胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。そのまま殴るつもりだったのだろう。
逃げようと思ったけど、椅子に縛られてるから無理だった。無理やりやろうとした結果、椅子ごと倒れてしまって。
「馬鹿ね。この状況で楯突くなんて。大人しく従っていれば、あなたは大きな鍛冶屋の妻として幸せに――」
勝ち誇った母の言葉は、突如建物内に響いた轟音によってかき消された。
「アニエス! いるのか!?」
ジャンの声がした。
「ジャン! ここにいる! 縛られてるけど無事! 助けて!」
返事の代わりに、また音がした。木の板にハンマーを叩きつける音。
それから、木が割れる音。
「お、おい。どうなってるんだよ。お前ら、行ってこいよ」
「で、でも……」
「行けよ! 命令だ!」
職人たちはドヴァンの命令に動揺しながら、おずおずと玄関の方に向かっていく。
直後、悲鳴をあげながら戻ってきた。そしてドヴァンの所を通り過ぎて、家の裏口から逃げていった。
――――
多少家が立派だと言っても、扉は木の板だ。鉄を鍛える鋼鉄のハンマーに勝てるものじゃない。
扉が壊れて倒れていくと、高そうな絨毯の上に破片が落ちていった。扉を踏みしめながら中に入れば、着込んだ鎧のおかげで床板が悲鳴を上げる。
ドタバタと足音がして、ドヴァンの部下と思われる職人たちが駆けつけてきた。
そして、重厚な鎧がハンマーを持って立っているのを見て悲鳴を上げた。
「お前ら、逃げるなら今だぞ。俺は怒っている。今なら殺しも躊躇わない」
努めて冷静に言ったつもりだが、ドスのきいた声になってしまった。ついでに、横にあった靴箱にハンマーを振る。
バキバキと音を立てて粉砕された靴箱を見て、彼らは恐怖し逃げていった。
これがドヴァンの人望だ。大きな工房に雇われているだけで、別にドヴァンへの特別な情を持っているわけじゃない。




