55.男爵夫妻の前で
「そっちはどう? ジャンさんたちはおとなしくしてる?」
「それはもう! 家から出ないよう言ってますので! そうだレオンさん! ヘクトルさんとジャンさん、おふたりで話しましたよ!」
「そっか。どうだった?」
「あまり首尾はよくありませんでした!」
ヘクトルの、鎧自体が嫌だという意見を含めて会話の内容を話してくれた。
「そっか。まあ、お互い前向きになったならいいだろ。ふたりでなんとか決めてくれるさ。とりあえず、ジャンから詳しい方針を聞いて、助言するくらいにしよう」
「そうね。ふたりに任せるべきよね」
そんな会話をしていると、ジャンの工房に着いた。
扉が開けっ放しになっていた。中に人の気配もない。
「外出、しないはずなんだよな?」
「はい! そのはずです……ええっと……ジャンさん! アニエスさん! いらっしゃいますか!?」
「いないみたいだな」
遠慮なく踏み込んだレオンは、迷わず工房へと向かった。
「鎧がないな」
「そんなはずは! 朝はちゃんとありました!」
「けど、ない。他に荒らされた様子はないな。ということは」
「鎧はどこ!? 無事!?」
「うわっ!?」
突然聞こえてきた力強い声に、レオンは驚き飛び上がった。
見れば、見覚えのある人物。ええっと、ヴィオバル家の妻で、ヘクトルの母親。名前は。
「なんだっけ」
「ローラ様です! ちなみにヴィオバル男爵の名前はヘルター様ですよ、ルイーザ様!」
「そうだった。でも声が大きい!」
「ひえー! すいません!」
相手、ローラに配慮して小声で訊いたのに台無しだ。
というか、なんでこの人がここにいるんだ。
向こうも同じ疑問を抱いているらしい。ローラにとっては、私たちは知らない人。それがジャンの工房にいて、こちらの素性を知っているのだから、不審にしか思えないだろう。
「あなたたちは誰?」
「えーっと。ジャンさんの知り合いです。遊びに来たら、なんかこうなってまして。ジャンさんはいません。所在に心当たりはございますか、男爵夫人」
「ドヴァンの所よ! まったく、職人同士で何やってるのか」
「ドヴァン……」
となれば、どう考えてもトラブルの類だ。もちろんアニエスも関わってしまってる種類の。
「待って! 詳しく事情を話して。あんたが行くと余計に混乱するかもしれないし」
踵を返してドヴァンの工房まで行こうとするローラに、レオンが立ちはだかった。とはいえ、女性とはいえ体格がいいローラの前では、子供のレオンは小さい。
止められるものじゃないだろう。
それにレオンは男爵夫人に、随分と無礼な口の聞き方をした。私は丁寧に話しかけたというのに。
ローラの怒りを掻き立てるには十分だろう。彼女自身、発注した鎧が消えていることで焦っているように見える。
「どきなさい!」
「おっと」
レオンに手を伸ばしてどかせようとしたローラだけど、レオンは一歩下がって回避した。
しかしローラの方が強かった。レオンの目的は前に行かせないことだと把握しているし、庶民の大して配慮が必要な相手でもない。
大きな体で前に踏み出し、レオンとの距離を一気に詰めた。
レオンはといえば、ナイフで相手を傷つけるわけにもいかないから、止まるのを期待して立ちはだかり続けるしかない。
ローラの手がレオンの胸ぐらを掴んで、突き飛ばすように強引にどかせた。レオンもローラの手首を掴んで、離さない。けど子供の体重を、ローラは軽々と引きずっていった。
「あんたが何者か知らないけどね! こっちは金を払ってるのよ! ガキが出しゃばるな!」
「知ってる! けどあんたを行かせたくないんだ! トラブルの場に冷静じゃない奴が行くと、余計に収拾がつかなくなる!」
「レオンさん! おっしゃることはもっともですけど、それではローラ様を余計に怒らせるだけです!」
「リリア。あんたもよ」
「はっ!?」
「ローラ。その手を離しなさい」
不意に第三者の声がした。今度は誰だ。
またしても知っている人物だった。ローラの夫でヘクトルの父。ヘルターだ。
「あなた……」
「その子が誰かは知らない。が、庶民に暴力を振るうのが男爵家の女にふさわしいとは思わない」
「けど! この子は邪魔をしたの!」
「なんの邪魔だ?」
「ヘクトルの鎧を取り戻す邪魔よ! あの鍛冶屋、うちの鎧を勝手に着込んでドヴァンの所に乗り込んだの!」
「そうらしいな。だったら、契約を破棄すればいいだけだ。うちは金を出さない。向こうも鎧を作らない。鍛冶屋の側もそれどころじゃないだろうし、文句も出ない」
「鎧はどうするの!?」
「作らない。ヘクトルは、着たくないと言っている。思うことがないではないが、望まないことを強いたくはない」
「なによ! あなただって着せたかったんでしょ! 鎧を!」
「そうだな。けど、ヘクトルがはっきり嫌だと言ったんだ」
「私は嫌よ! 絶対に、あの子には騎士の息子として活躍してもらうんだから! 絶対に、絶対に――」
パンと乾いた音がした。
ヘルターがローラの頬を平手で叩いた音だった。
「聞き分けのないことを言うな!」
「あ、あ……なた……」
へなへなと力なく床に座り込んだローラに、ヘルターが語りかける。
「俺だって悔しい! 鎧を着てヴィオバル家の力を見せつけたい! だがヘクトルにその気がないなら、無理だ! 覇気のない者に鎧を着せても無様なだけだ! だから諦める! お前も諦めろ。……家族同士、意地を張り合うのはやめよう。これからどうするか、お互い話し合って決めるんだ。帰ろう、ローラ」
後半は宥めるような、優しい口調だった。そして妻の体を助け起こしてから、私たちの方を見る。
「君たちは、ジャン殿の知り合いか?」
「は、はい。そうです」
「ジャン殿のことは、任せていいか?」
「はい! 私がなんとかします!」
私というかレオンなんだけど。
「では、頼む。それから、契約は無効だと伝えてくれ。ドヴァンにもな。……これまでご苦労だったとも言ってくれ」
「はい」
ヘルターは放心した妻を伴い、建物から出ていった。
「これ、解決したって言うべきなのかな?」
「解決はしてないわね。それよりジャンさんのことが心配よ。なんでドヴァンの所なんかに」
「どう考えてもアニエス絡みだろ。行くぞ」
「あ! ちょっと待って!」
さっさと先へ行くレオンを、私は慌てて追いかけた。




