35.セレムの実というクスリ
これで、最初に倒れた木こりが見間違っただけの可能性が高まった。
そんなものがいたなら、元から村で噂になってたもんな。
「最後にもうひとつ。木こりたちが食べていたパンは、誰のお金で作られたもの?」
「あれかい? あの偉い人、公爵の令嬢さんだったかが作ってるよ。村の女がたちの手を借りてね。昼も山まで運びに行ってるんだ。材料を誰が用意してるかは知らないよ」
「そう。わかった。ありがとう」
訊きたいことはそれで全部らしい。ユーファは素っ気ない礼と共に、頭を下げた。彼女なりの謝意の示し方。
私たちも丁寧にお礼を言って、山ではなくなぜか村の中心部へ向かっていった。
「セレムの木の実には、お酒と似ている効果があるらしい。お父さんが教えてくれた」
その道すがら、ユーファが説明してくれた。
らしいというのは、ユーファが服用したことがないからだ。セレムの実も、もちろんお酒も。
「秋のこの時期に、実がなる。実を乾燥させて細かく砕いて粉にすれば、薬になる」
「薬か。怪我を治すというよりは、痛みを和らげるものだな?」
レオンの指摘に、ユーファは黙って頷いた。
「酩酊しているのと同じような状態になるんだろう。感覚が鈍くなって、痛みを感じにくくなる。昔から病人の治療の時、酒が使われることも多い」
そうなんだ。知らなかったな。ちびっ子って物知りだな。
「けど、セレムの実はお酒と完全に同じじゃない。酔うわけじゃない」
「というと?」
「意識ははっきりする、らしい。だから体は問題なく動く。むしろ、元気になりすぎる」
「痛みだけじゃなくて、疲れも感じにくくなる?」
頷き。
「そうか。わかった」
レオンの反応を見て、彼が事態をほぼ理解したから、自分が話さなきゃいけない時間は終わったと考えたらしい。
ユーファはレオンの後ろに隠れて、私への解説は一任した。
まあ、私だって鈍くはない。
あのパンを食べた途端に、労働者たちの足取りは軽くなったわけで。
嫌な予感しかしない。山よりも、村に向かっている理由もそれだ。
「セレムの実の粉末をパンに混ぜたんだ。すると彼らは元気になる。理由はわからないけど活力が溢れ疲れ知らずになる。彼らだって仕事が早く終わればそれだけ家に早く戻れるわけで、やる気を出して働く奴もいるだろうさ」
けど、それは本来の力じゃない。薬で無理に引き出したもの。
「元から体力自慢な人たちだから、多少の無理は許容できるだろうさ。けど、人によっては限界に気づかないまま頑張る奴もいるはず」
それは、無理を超えた仕事をしてしまうということ。
薬の作用で頭が冴えていると言っても、まともな判断力が身に付いているわけではない。仕事を頑張るあまり、むしろ注意力は散漫になり、そして事故が起こる。
「夜まで、みんな活気があったのもそういう理由だな」
「昼食も、薬入りのパンらしいものね。元気なのが夜まで続いちゃうのね」
「元気だからって、夜中まで酒を飲んだり遊んだりするかもな。翌朝は、さすがに効果が切れて疲れが押し寄せるから足取りが重くなる」
「でも、そこに新しいパンが来る。ちょっと待って。毎日必要以上の仕事をして疲れている人間に、その疲れを忘れさせる薬を連日で与えてるの?」
「そうなるな。無理に無理を重ねさせている……動かしている体がどこかで悲鳴を上げて、壊れる」
それが怪我や死に繋がる。今も、労働者全員がそこに向かっていく。
元が丈夫な人たちだから、まだ猶予があるかも。けど、実際に死人が出ているわけだし、その数は日が経つにつれて多くなる。それも加速度的に。
「それに、急がないといけない理由が、たぶんもうひとつ。ユーファ、セレムの実はあまり使われないんだよな? 耐えられない痛みを和らげるくらいの状態じゃないと、使われない」
頷き。
「村の人は、それを経験的に知っている。依存性があるんだな? ある程度投与されたら、もう一度それを飲みたくなる」
頷き。ユーファは、話は聞くけど口はしばらく開かないことにしたらしい。その方が楽なんだろうな。レオンも、ユーファの言いたいことはわかってしまったらしいし。
いやそれより。
「依存性?」
「酒と性質が似てるって言ってただろ? あと身近なものだと煙草だな。長時間飲んだり吸ったりできないと、イライラして落ち着かなくなる人間がいる」
「あー。ええ。そうね。いるわね」
もちろんどちらも、適量だと嗜好品になる。けど、それが欲しくて仕方ない人間は確かに存在する。
「同じなんだよ。大量に、あるいは定期的にセレムを摂取すると、その時の感覚がやみつきになって、また欲しいと考える」
「な、なんでそんな効果が木の実なんかに」
「鳥に種を運ばせるためだよ。高いところに生えてるっておじいさんは言ってたけど、実も高いところに生るんだろ?」
頷き。
「鳥が食べやすいように。実を食べた鳥の腹の中で種は消化されず、やがて糞として出た時に新しい土壌で木が育つ。木が果実をつける理由はそれだ」
「それは、なんか聞いたことあるわね。そうやって自分の種を広めていくって」
「その実に依存性があれば、鳥は同じ実を探してあちこち飛び回る。体重の軽い鳥には、その手の毒は実をひとつ食べるだけで十分なんだろう」
そうして、セレムの木は広まっていく。




