17.結婚に向かない男
故にドヴァンは悔しそうな顔をしながら立ち去っていった。ドアの閉まる音と共に、私たちも緊迫から解放された息を吐いた。
「ついてくるなと言っただろ」
「ジャンー!」
アニエスに聞かれたくないような、ドヴァンのひどい侮辱の言葉。それを遠ざけるための忠告だったのにと、ジャンは咎める口調だったけど、アニエスは気にしていない。
パタパタとジャンの方へ駆けていって、勢いよく抱きついた。
「ジャンありがとう! あんな奴のお嫁さんになんか、ならないから安心して! お母さんは絶対に説得するから!」
「あ、ああ……」
ジャンは私たちの前なのもあって戸惑い気味だったけど、婚約者の体を優しく抱きしめた。
なんて平和な光景。それで私の気も少しは晴れたけど、それにしてもあの男は許せない。
「なによあいつ。失礼なこと言って」
「うん。俺もあいつは嫌いだ。絶対に友達にはなれない」
「そうよね! 人の恋路の邪魔なんかして。相手の都合も考えてないし。あいつ絶対、アニエスさんのこと家柄と顔でしか評価してないわ! いえ中身もいい人だけど、あいつはそんな所見えてない!」
「えへへ。褒められると照れますね」
「もっと誇ってくださいアニエスさん! いえ、あの男に惚れられても嬉しくないでしょうけど! ちょっと家が裕福だからっていい気になって! 大した家でもないくせに!」
「ルイも庶民」
「そうだけど!」
元公爵令嬢からすれば、自分もあくせく働く立場の人間は等しく庶民だ。その中で尊敬できる人間か否かは人柄で決まり、ドヴァンのそれは最低だ。
「というか! あいつアニエスさんと比べて年上すぎるわよ!」
「だな。二十歳くらい離れてるかな?」
「そんな年齢なら、普通は結婚してるものでしょうに!」
「ええまあ。そうですよね。あの人お付き合いした女性みんなから嫌われてきたそうです」
私の疑問というか罵倒に、アニエスが遠慮がちに説明をした。
なんとなくわかる答えだな。
「大きな家なので、輿入れしたいって女の子は多かったそうです。それこそ、ドヴァンが若い頃から」
下手をすると、アニエスが物心つく前の出来事だ。アニエスの口調が伝聞形なのも、そういう事情。
「表面的には優しくできるけど、心の底では相手を見下していて。そういう態度を隠すのも上手じゃないし、相手が思い通りにいかないと苛々するし怒りっぽくなるし。女の人はみんな逃げちゃうんです」
確かに、そういう種類の人間だ。
「けど、それで結婚できないってことはあるのか? 大きな家なら、親同士が決めた結婚を強いられて終わり、ってことにもなりそうだけど」
「そうなんですけどね。一度、他の家の娘さんと結婚することになったんですけど、結婚式の直前に娘さんが会場から逃げ出しちゃって。それで馬車とぶつかる事故があって」
「亡くなったの?」
「いえ。怪我だけで済んだそうです」
「そっか」
これは、レオンがドヴァンの周りに死者がいないか知りたかった故だ。
こんなくだらない理由で死んだ娘がいれば、冥界に行ってない可能性が高いからな。無用な心配だったけど。
「結局、ドヴァンの方から破棄を言い渡して、有耶無耶になりました。それ以降、この街の人たちみんな、ドヴァンには娘は出さない方がいいなって認識になって」
で、あの歳まで独身か。
年齢が釣り合う女性はみんな既婚で、年下から探すしかないんだろうな。
なまじ家柄は立派だから、同じく鍛冶屋の中での権威の娘であるアニエスなら「ちょうどいい」と考えたのだろう。
失礼な話だ。
「ドヴァンには家族はいるのか? 他の跡継ぎ候補は」
「家族はいるが、跡継ぎ候補はいない。親父さんは既に引退済で、当主があいつだ。妹がふたりいるが、両方とも既に他所の男に嫁いでいる」
「いい旦那さんと出会って、お子さんにも恵まれて幸せみたいです!」
「そうなのね……ちなみに、お父さんはどんな人?」
「真面目な方ですよー! 仕事一筋って感じではありましたけど、職人たちには尊敬されていました! ぶっきらぼうな性格でも、奥さんとは仲が良いそうです!」
仕事人としては過去形。既に引退してしまったからだな。惜しい人が当主から退いてしまったわけだ。ドヴァンって奴は、そんな人の後を継いでしまった。
自分の大変な状況を理解できているとは思えないけど。彼の頭にあるのは、とりあえず跡継ぎが必要という程度。
鍛冶屋の経営なんて、職人も仕事もいくらでもあるし、金持ちからの依頼でまとまった金額が入るしどうにでもなるという考えなのだろう。
結婚したいという欲望。それもアニエスという、自分の思い通りになりそうな相手を求めることに頭がいっぱいなようだった。
「ほんと、嫌な人だよねー!」
「そうだな。お前も大変だ」
「大変じゃないもん! ジャンがいるし、わたしはなんとかできます!」
ジャンとアニエスの仲の良さを見せつけられて、少し居心地が悪い。
素敵だとは思うけど、他人がいちゃいちゃしてる姿を見るのはね。いいんだけど、こちらの所在がないというか。
当のジャンも同じらしいし。
「アニエス。見られてるぞ」
「見せてあげればいいよ!」
「やめとけ。すまない。この子も、家族のことで大変なんだ」
「ええ。ご両親は、ジャンさんとの婚約に賛成していないんですね?」
「お父さんは好きにしろって言ってましたよー。跡継ぎはいるし、別に他の家との関係は拗れてないって」
婚約しなくても、有力な職人たちとの絆に変化はないか。ただしドヴァンは除く。




