風の紋章士と水の占術士断片
ダールバイ国を滅ぼしたクヴァルティス帝国第三軍が、駐留していたタクラス市を離れ、更に西へ侵攻を開始したとの報が、レイザスにもたらされたのは、アンゼリク・ロートース(アンジー)とティケ&サトゥラヒンが出会ってから2カ月程が経過した頃のことだった。この間、ティケ達はアンジーの屋敷に逗留を続けていたわけだが、そうなるとつまりアンジーの家族にも会うことになる。
アンジーの父親カイゼルが、この国の元首であることをティケが知ったのは、逗留開始後まもなくのことだ(サトゥラヒンは当然、アンジーに会った時点で知っている)。
夕食の席に招かれ、その場での挨拶でティケは、いったい誰の屋敷にお世話になっているのかを知ることになったのだが、その時のティケの慌て振りを、カイゼルは笑って許してくれた。
カイゼルは40代半ばほどの中年だが、どちらかと言えば筋肉質な身体付きに、鋭い目つき、物腰柔らかな人物だった。
ティケは研究塔育ちのために、人物評価は疎いところがある。しかし、それでもこのアンジーの父親が迂闊に触れて良い人物ではないことは理解できた。おそらくは、鋭い刃を心に持ちながら、それを優しさで隠すようなタイプだ。こう言う人物は、いざとなったら慈悲もなく切り捨てることが出来る。
まあ、ティケにとって幸いだったのは、その愛娘の友人という地位を手に入れられたことだろうか。娘の存在は、カイゼルにとってはほぼ唯一の弱点のようだった。
「アンゼリクの友人ならば、わたしにとっても大事な客人だ。どうか、気になさらず、好きなだけ逗留してください。いや、むしろ、娘の友人としてできるだけ傍に居てやって欲しい」
カイゼルはティケにそう告げた。
この台詞だけでも、カイゼルがアンジーには甘いことが伝わってくる。もちろん、カイゼルから見てティケが人畜無害と思われていることもあるだろう。
ただ、そんなカイゼルも、サトゥラヒンには尋常ならざる物を感じ取ったようだ。
「サトゥラヒン殿はティケトス殿の従者とのことだが、以前は何をしておられたのかな?」
「我が主の師であるギムル・ラージュ師に仕えていた。今の主が諸国を旅することになった時、その護衛として付けられた、と言うことだ」
「ふむ、しかしティケトス殿も優秀な符術師であれば、護衛は必要だったのかな?」
「我が主の符術は確かに優れているが、彼女も符術師である前に年端のいかぬ少女だ。一人ではどうにもならないことも起こりうる、と言うことだ」
「ほう、それほどの危険が、お二人を待ち受けている、と?」
このカイゼルの問いは鎌かけに近い。
「こちらにお世話になる限り、危険も遠ざけられると安心しているのだが?」
サトゥラヒンはカイゼルの意図に気付いた上でそう答えた。つまり、危険は認めつつも、カイゼルには信用を置くという意味になる。
こう言われてしまっては、カイゼルも認め、信用せざるを得ない。カイゼルの目尻が少し上がり、表情全体では見分けられないが、笑っているようだった。
「了承した、サトゥラヒン殿。お二人がアンゼリクの友である限り、わたしもできる限りのことをお約束する」
「はい! ありがとうございます!」
話の流れの真意を理解して居るのか居ないのか、ティケははきはきと答える。微かなため息をもらすサトゥラヒンだった。
その後、ティケとアンジーの二人は、如何に『クヴァルティスの侵攻』に耐え、『千年紀戦争』を生き残るかについて話し合った。前途が明るくなるような要素はほとんど出てこず、2人とも状況の深刻さにげんなりすることも多かった。
それでもアンジーにとっては、ティケという盟友ができただけ心の重荷が軽くなっていたのだ。
そして、クヴァルティスの軍隊がレイザスに向けて動いたとの報告が、アンジーの耳にも届いたのだ。
アンジーがそれを聞いたのは、元首たるカイゼル・ロートースから国民向けに声明が出されたタイミングでのこと。つまり、カイゼルは娘だからと言ってアンジーに先に教えるようなことはしなかったことになる。いや、それは逆に、先に教えることで娘の不安を増やすことを恐れたからかもしれないが。
旧ダールバイ国の首都タクラス市からレイザスとの国境まではい5日、さらにレイザスの首都、港湾都市アーティブモールまで5日ほどの距離がある。
レイザス国はすでに、傭兵軍を主体とした軍を国境付近に展開、自国内には国軍と傭兵軍の混成軍を何重にも陣を構える態勢を整えていた。
しかし、国境の傭兵軍は2日ともたず、その後も前線は後退に後退を重ね、最後の防衛ラインまで侵攻を許すことになる。
そして、最終防衛ライン、それは首都アーティブモールから2日の距離にある平原だったのだが、そこにクヴァルティス軍が近づきつつあった日の夜のこと。
なかなか寝付けずに、寝室で窓の外を眺めていたアンジーの下に、サトゥラヒンが1人訪れた。
「サトゥラヒン様、どうやってこの部屋に?」
鍵は内側からかけてあったし、サトゥラヒンが部屋の合鍵を持っているはずもない。
「鍵程度では、俺の障害にはならないのでな。それより、今日は耳に入れたいことがあってきたのだ」
「それは、ティケには教えられないことでしょうか?」
ティケがこの場に居ないことからアンジーはそう察した。ティケと共に過ごして判ったことだが、サトゥラヒンという従者はティケを遥かに凌駕する知識と技量を併せ持ちながら、どんな時でもティケを第1にして行動する。従者の鑑とも呼べば呼べるだろうが、ただ従者という立場に甘んじている訳でもないと思える。例えば、ティケにとっての父であり、兄であるかのうな。一人っ子のアンジーには、それが少し羨ましい。
「そうだ。これを教えることは、この世界では残酷な部類に入ると判断している。ゆえに、聞くか聞かないは、君の判断に任せる。我が主に教えるつもりは俺にはないし、君が知ったとしても、そのようにお願いしたい」
「秘密にすることは承知しました。ですが、何に関するお話かも判らなくては、判断しようもありませんね」
「そうだな。俺が持ってきた話を君が実行すれば、戦況を打開できる。敵は退けられるか、少なくとも痛み分けには持ち込めるだろう。その代わり多くの命が失われ、君が大事にしているものが失われる可能性がある。そしてこれは、君にしか出来ないことだと、付言しておこう」
「つまり、多くの人命が失われることに、わたしが責任を持つことになる、と言うことですね?」
「その通り。人間の命には差が無いが、やり方によっては敵味方の命が失われるだろう」
「敵のみを対象にすることも出来る、と言うことですか?」
「それは君次第だ」
「……」
アンジーは逡巡する。
自分の所為で多くの人命が失われると言葉で言われただけでは、実感が湧かないのだ。何より、アンジーには人の命を奪う手立てがない。剣を振ったこともない細腕で何が出来るというのか。だから尚更、自分が他人の命を奪うと言うことがピンとこないのである。
果たして自分にそんな力があるのか、アンジーは疑問に思わないではいられないが、戦況を覆せるというなら、聞かないという策はない。
もし戦いに負けたら、元首の娘の命など保障されるはずもないのだから。
「判りました。お聞かせください」
意を決して、アンジーはサトゥラヒンを促した。
サトゥラヒンはうなずき、説明を始める。
「君が所持している『星駆』だが、あれは本来の用法ではない」
「あれは占魔術の一種と伺っております」
『星駆』は、アンジーは母から受け継いだものだ。
「その認識からして違うのだよ、確かに占術として使うことも出来るだろうが、それはあくまでも副次的なものに過ぎない。『星駆』の本来の使用法は、『兵器の制御』にある」
「『兵器』、ですか?」
アンジーにとっては聞き慣れない言葉だ。
「兵器というのは、精霊を使った高度な武器のようなもの、と言うべきか。『星駆』で君を表すという中央の水晶球が『兵器』を制御する核になる。そして、制御される『兵器』は……」
すっと、サトゥラヒンは人差し指を上に向ける。釣られるようにアンジーが上を見る。そこには天井が見えるだけなのだが、サトゥラヒンは告げた。
「遥か上空、目で見ることも出来ない空の上に、その兵器は浮かんでいる」
「おっしゃっている意味が判りません」
アンジーは困惑するしか無い。サトゥラヒンの言っている意味が理解できないのだ。
この時代、空を昇っていけば宇宙に到達するという知識は忘れ去られている。地動説ではなく天動説が一般に信じられ、空とは、昼は青く、雲が流れ、夜は月と星が輝く天蓋のようなもの、という程度の認識しかないのだ。
そこに『兵器』なる物が浮かんでいる?
浮かんでいるとして、それがなんの役に立つのか?
「なるほど君たちティレリア人は、歴史を失っているのだったな。……ふむ、君たちに判りやすいように言い換えるなら、その『兵器』は神代の遺物、つまり、『神々の戦争』で使われた遺物だ。神話にあるだろう、天から下り、全てを焼き尽くす光の柱」
びくりと、アンジーは肩を振るわせる。
『光の柱』は確かに神話に含まれる逸話の1つ。
突如、天から下った光の柱が、地上の全てを焼き払った。
命在る者はそれを失い、
形在る物はそれを失った。
なべて地上は平らとなり、光沢を装う大地へと変わった。
実際にそれが起こったされる場所がある。セツェン国領にあるその平地は、一面硝子質の物質で覆われ、太陽や月の光に反射して輝く。それは幻想的に綺麗であり、非現実的な光景だとアンジーも聞き及ぶ。
「では、『星駆』が、光の柱を制御するためのものだと?」
「物分かりが良くて助かる。つまり、君は『光の柱』を操作することが出来る。どこに柱を下ろすかも自在だ。ゆえに、柱を敵軍に向けて落とせば……?」
「敵は焼き尽くされる……」
ごくりと喉を乗らすアンジー。
『星駆』にそんな能力があったことへの驚き。
その能力を自分が使えることへの恐怖。
その能力とは他でも無い、大量殺人。
「ほう? 俺の話を信じるのだな」
「はい、あなたほどの博識の方が、こんな荒唐無稽なお話を、こんな切羽詰まった状況でするからには、事実なのでしょう」
「本当に物分かりが良いな」
その言葉に、ティケへの当てつけのニュアンスが含まれていると察したアンジーは、ほんの少しだけ、表情を綻ばせた。
「決心が付いたら言ってくれ。操作方法を教える。もし、決められないなら、この話は忘れることだ」
こくりと頷くアンジー。
それに頷きを返したサトゥラヒンは、「では」と告げると一瞬でかき消えた。
残されたアンジーは、窓の外へと目を向ける。
天には月が輝いていた。
その光を見つめる瞳には、決意が宿っていた。




