第十話 薔薇の帰り道
王太子ルートヴィヒは、すべての爵位と権限を剥奪された。
幽閉先は北方の砦。かつてクラウスが命を落とした、あの場所の近くだ。
裁きの後、広間は静まっていた。
国王が私に声をかけた。
「リーゼロッテ。近う」
玉座の前に進み出た。
「クラウスの無念を——晴らしてくれたな」
「夫が遺してくれた手紙のおかげです。私は——それを届けただけです」
「届けるだけで、命がけだった。それを勇気と呼ぶ」
「陛下——」
「ヴァレンシュタイン伯爵家の名誉を回復する。先代の冤罪も含めて、すべてだ。そして——」
国王はフェリクスに目を向けた。
「オーレンドルフ男爵。そなたの働きも聞いている」
「恐れ入ります、陛下」
「辺境の小さな男爵家が、ここまでの調査を成し遂げた。見事だ」
フェリクスは深く頭を下げた。
エレノアにも。マルタにも。
そして——シュトラウス公爵にも、国王は感謝を述べた。
「この国は腐りかけていた。だが——まだ、こうして真実を追う者たちがいる」
◇
すべてが終わった後、屋敷に戻った。
庭の薔薇が、満開だった。
クラウスが植えた薔薇。毎年、丁寧に手入れをしていた。
今年は——私が手入れをした。
クラウスが植えた薔薇。
毎年、丁寧に手入れをしていた。
品種ごとに植える場所を決めて、季節に合わせて剪定する。
「薔薇は手をかけただけ応えてくれる」と、嬉しそうに語っていた。
今年は——私が手入れをした。
クラウスの手帳に書かれた薔薇の管理メモを頼りに。
筆圧の加減から、どの品種を特に愛していたかが伝わってきた。
深紅の薔薇が、今年も一番に咲いた。
ベンチに座り、手紙を開いた。
何度も読んだ便箋。途切れた最後の一行。
「どうか——」
その先を、今なら分かる気がする。
義母が庭に出てきた。
杖をつきながら、ゆっくりと。
「終わったのですね」
「はい」
「クラウスは——喜んでいるでしょうか」
「分かりません。でも——怒ってはいないと思います」
義母は微かに笑った。
この屋敷に来てから、初めて見た笑顔だった。
「お義母様。一つだけ、聞いてもいいですか」
「何を」
「手紙を開けるなとおっしゃったのは——私を守るためですか」
「……ええ。あの子と同じように、あなたまで失いたくなかった」
「でも、結果として——」
「あなたは帰ってきた。それだけで十分です」
義母の手を握った。
今度は——温かかった。
フェリクスが来た。
旅装束のまま。相変わらず貴族とは思えない風体。
「やあ。薔薇がきれいだな」
「初めて花に感想を言いましたね」
「そうか? 前から思っていたが、言う機会がなかった」
「どんな機会を待っていたんですか」
「……さあ。平和な午後とか」
「今がそうでは?」
「そうだな」
フェリクスはベンチの隣に座った。
肩と肩の間に、手のひら一枚分の距離。
「リーゼ」
「はい」
「辺境に帰る前に、一つだけ」
「何ですか」
「クラウスの手紙——最後の一行、何が書いてあったと思う」
「分かりません。途切れていたから」
「俺には——分かる気がする」
「何て?」
「『どうか——幸せに生きてくれ』」
涙が溢れた。
ずっと泣けなかった。
夫が死んでから、手紙を開けてから、真実を知ってから——ずっと、泣く暇がなかった。
フェリクスは何も言わなかった。
ただ、隣にいた。
しばらくして、涙が止まった。
「フェリクス」
「何だ」
「辺境に帰るって言いましたね」
「ああ」
「いつ?」
「……急がない」
「いつ?」
「……急がない。領地の報告書もある。しばらくは王都にいる」
「そう。なら——しばらくは来てくださいね。庭の薔薇、見頃ですから」
「薔薇を見に来るのか、茶を飲みに来るのか」
「両方では」
「……ああ。両方だ」
フェリクスの目が、庭の薔薇を見ていた。
けれど——ときどき、私の方を見ていた。
私も見ていた。
ときどき。
エレノアの手紙を読み返す。
「国王陛下の処方が正常に戻り回復に向かっています。魔法局の改革も始まります」
マルタがキッチンから声をかけた。
「奥様。夕食の支度をしましょうか。オーレンドルフ様もご一緒ですか」
「お願い。マルタさん。クラウスが好きだったメニューで」
「はい。坊ちゃんの好物ですね。承知しました」
マルタが嬉しそうに台所に立つ。
この屋敷に笑顔が戻ってきた。
「お茶を淹れましょうか」
「頼む。今度は俺のより美味く淹れてくれ」
「ハードル低いですね」
「うるさい」
笑った。泣いた後に笑えるなんて、久しぶりだった。
屋敷に入り、茶を準備した。
キッチンの窓から庭が見える。
フェリクスがベンチで空を見上げている。
義母が薔薇に水をやっている。
エレノアから手紙が届いていた。
「国王陛下の処方が正常に戻り、回復に向かっています。魔法局の改革も始まります。また会いましょう」
マルタが台所に立っていた。
「奥様。お客様にお菓子はいかがですか。坊ちゃんが好きだった焼き菓子のレシピが——」
「お願い、マルタ。作って」
「はい。喜んで」
マルタの笑顔は、クラウスの笑顔に似ていた。
茶とお菓子を持って庭に出た。
フェリクスが受け取った。
「美味い」
フェリクスが受け取った。
一口飲んで、少し目を見開いた。
「美味い」
「驚くことないでしょう。お茶くらい淹れられます」
「いや——前より美味い」
「前はフェリクスが淹れたでしょう」
「だから前より美味いと言っている」
「……自分の腕を貶してますよ」
「事実だ」
マルタの焼き菓子を一つ取った。
クラウスが好きだった、シナモンの香りの焼き菓子。
「これは——美味いな。誰が作った」
「マルタです。夫の好物でした」
フェリクスは二つ目に手を伸ばしかけて、止めた。
「あ——食べていいですよ」
「いいのか」
「クラウスは独り占めする人じゃなかったですから」
「お茶? お菓子?」
「両方」
短い言葉。けれど——温かかった。
便箋のことを思い出す。
途切れた最後の一行。
「どうか——」
フェリクスが言った通りかもしれない。
「幸せに生きてくれ」——と。
けれど、私はもう一つの読み方を思いついていた。
「どうか——真実を」
真実を知ってくれ。
真実を守ってくれ。
真実を、次の人に渡してくれ。
クラウスは外交官だった。
言葉を選ぶ人だった。
最後の手紙で途中で筆を止めたのは——どんな言葉でも足りなかったからかもしれない。
だから、私が自分で埋める。
手紙は読んだ。
真実は知った。
夫が知らなかった、私の強さも——見つけた。
薔薇が風に揺れる。
フェリクスが隣にいる。
義母が庭にいる。
マルタがキッチンにいる。
失ったものは大きかった。
けれど、得たものも——ある。
便箋を懐にしまった。
もう何度も読んだ手紙。これからも、きっと読む。
——風が薔薇の花弁を一枚、私の膝に落とした。
窓の外で、深紅の薔薇が風に揺れている。
クラウスが一番好きだった品種。今年も一番に咲いた。
根は生きている。
この家の根も。この国の根も。
そしてきっと——新しい花も、咲く。
夫が守った根を、私が受け継いだ。
そしていつか——誰かに、渡す日が来るかもしれない。
——風が薔薇の花弁を一枚、私の膝に落とした。
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