雨宮の変化
あの日から──
雨宮は、時々保健室の神原の光景を思い出した。
息の詰まるようなうわ言。
誰かを喪ったときの、どうしようもない心の中の悲鳴。
神原の苦しげな顔。
夢の中で何度もその声が蘇り、雨宮はベッドの中で目を見開いたまま固まっているしかなかった。
そんな日が何日か重なった。鏡をのぞくと、目の下には薄い隈ができていた。
教室でも、会話の輪に入れない。
前の席に神原が座っているだけで、心臓が不自然に早くなる。
視線は勝手に彼を追ってしまう。でも合いそうになると慌てて逸らす。
その不自然さに、友人の瑞希が気づかないわけがなかった。
「雨宮、最近……なんか変じゃない?」
休み時間。机に突っ伏していた雨宮に、瑞希がそっと声をかけた。
「別に。疲れてるだけ」
「うそ。ぜったい嘘。なんかあったでしょ?」
雨宮は口を閉ざす。
だが、瑞希には見えていた。
雨宮が神原を避けて動いたり、すぐ逃げるように廊下へ出たりするのを。
放課後、瑞希はついに神原のもとへ向かった。
教室に残っていた神原は、机の上のプリントを整理していた。
「……神原くん。ちょっといい?」
「ん? 瑞希さん、どうかした?」
「雨宮のことなんだけど……最近、様子が変なの。
たぶん……神原くんに原因があるんじゃないかって……」
神原は目を丸くした。本気で心当たりがない、という顔だ。
「僕が? まさか……」
瑞希は言い切れなかったが、視線には「絶対何かある」という確信があった。
神原は肩を落とし、ゆっくりと答えた。
「……わかった。僕から話してみるよ」
「いいの?」
「自分に原因があるなら自分でやらないとね…」
瑞希は神原をみていた。
彼にはなんかこういう割り切ったところがある。
責任…というのか、自分で負うべきことは何かをいつもわかってる。
翌日休み時間。
神原は教室の隅でひとり黙って本を読んでいた雨宮に声をかけた。
「雨宮さん、ちょっと…」
ビクッと肩が跳ねる。
「先生が呼んでるよ」
雨宮は返事もせず職員室へ向かった。
するとなぜか神原もあとについていった。
神原が雨宮と並んだ。
雨宮は本能的に距離をとろうとするが、神原はついていく。
「保健室でなにがあったか聞きたいんだって」
神原がそういうと雨宮が止まった。
雨宮は睨むように神原をみた。
「なんで…」
「さあ…でも僕も聞きたいけど…当事者だし…」
「それに僕も知らないのに先生に話されるのはちょっと…恥ずかしいし…」
わざと神原は少し困った感じを装った。
雨宮は素直で優しい。
だから困ってるとこちらに同調してくれるかもしれない。
雨宮は無言だった。
「先になにがあったか話してくれないかな…」
校舎裏のベンチで向かい合うと、神原が柔らかく笑った。
「大丈夫。怒らないし、責めもしないよ。
……あの日、保健室で僕に何があったの?」
雨宮は口を噤んだ。
だが、神原の落ち着いた声に押される。
「……神原くんが……うわ言を言ってて……
誰か、亡くした人のこと……
すごく……怖くて……」
泣きそうな声。
神原は息をのんだ。
あ…そんなこと…
しばらく黙ったあと、神原はゆっくりと口を開いた。
「……見たんだ。
人が死ぬところを。
僕の目の前で。死んでいくのを…
それも、僕のせいで」
雨宮の表情が固まる。
「僕は……守れなかった。泣いたよ…人前なのに…もう大きな声で…恥ずかしげもなく…その後も大変だった…自分が代わりに死ねばよかったといつも思った…死ぬことが怖くないとも思ってた…自分は生きる権利はないとか…そんなことばかり考えるんだ…それでも時間がだんだんそんな気持ちに蓋をしていくんだ…何枚も何枚も…でも…熱くなると蓋が外れて中身が…だから忘れたくても、勝手に蘇ってしまう…」
打算で話しを持ち出したわけではなかった。
本当の自分自身の体験を人に語る…
そんなことはこの世界の神原がしていいこととは思わなかった。
でも、なぜか…
それは神原自身が救われたかった…
正確に言えば別世界の本人が救われたかった…
その気持ちをずっと持ち続けてしまっていたから…
神原は雨宮の顔をみた。
困惑…それはそうだ…
こんな話しされても…
高校生には少し荷が重すぎたかな…
でもそれでいいんだ…
こんなことはわからなくても…
大人になってからでも…
「……言えるのはここまで。
あとは忘れて。
雨宮さんが怖がるのも当然だよ。
ごめん。迷惑かけた」
そうだけ言い残し、歩き去った。
雨宮はあまりの話しの内容にどう考えたらいいのか全くわからなかった。
これをどうしたら…
雨宮は言葉がなかった。
神原は嘘をついているようには見えなかった。
むしろ、本物の“喪失”を抱えた大人そのものだった。
だからこそ、余計に。
(……この人はいったい、何を経験してきたの……?)
(どうして高校生なのに……?)
去っていく神原を雨宮はじっとみていた。
それからの雨宮は一見普通を装っていたがあきらかに今までと態度が変わっていた。
神原は気づかないふりをした。
けれど、雨宮の中にはもう「普通に接する」余裕は残っていなかった。
距離は縮まるどころか、静かに広がっていった。
神原が優しくしても、笑っても、
雨宮の中にこびりついた「疑問」が消えない。
関わらない…距離を保って平静を装ってやり過ごす…それが正解だ…
雨宮はそう思うことにした。
その日以降、雨宮は神原を露骨に避けることはなく、だが、近づきもせずという距離を保っていた。神原自身もそれにきづその変化に気づきながらも、なにもしようとはしなかった。
人の関係は運もある…
無理矢理続けてもいいことはない…
離れていくのにも理由はある…
追いかけることがいいとはかぎらない…
だから神原にはこれを自然だと受け入れることができた。




