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第二十話 サウスポーなアイツ

 こんにちは! ワセリン太郎です!

「いやー、オジサン達もびっくりしちゃってねぇ。まさかこんな事になるとは……」


「ですよね。普通、こんな事になるとか考えもしませんよね……」


 悲しそうに話すおじさんに相槌を打ち、破壊された熊の檻をまじまじと見つめるクソ森。


 うわぁ、何というか……これは確かにひどい。


 そう私達が言葉を失って熊舎を覗き込んでいると、ふと背後から別の人の声が掛けられたのだ。


「君達は高校生かい? 珍しいね、年頃の子達がこんな流行らない場所に来るなんて。ああそうか、例の事件に興味があって来たんだね? おや、外国の娘さんもいるじゃないか」


「こんにちは。はい、俺たちは神丘高校の生徒です」


「おじちゃん、こんちは! あたしね、ミク!」


「こんにちは、お邪魔しています」


 振り向き、口々に挨拶すると、そこには胸に“飼育員”と刺繍のあるツナギを着た、垂れ目の優しそうなおじさんの姿が。


「飼育員の方ですか?」


 質問したクソ森の言葉に、被っていた帽子を取りながら『うんうん』と頷くおじさん。


 それを見ていたミクが、空になった熊の檻を指差しながらボソリと呟いた。


「これ……熊さんかわいそう」


「だよな。これ明らかに外側から襲われてるし、これで事件性がないとか……流石にちょっとありえないって」


 そう言ったクソ森に、最初に私達を園内に通してくれたおじさんが困った様子で口を開く。


「そうだろう? おかしいだろう? 私達だって警察に何度もそう言ったんだよ。絶対にこれは熊が暴れてどうこう出来るものじゃあないって。でも『飼育施設の老朽化により、熊が暴れて脱走』っていう結論か出たんだって。あまりにも子供騙しな回答だよ。大体あの()は人間が大好きで、気性もすごく穏やかだったんだ。ねえ、重田さん」


 そう言われた飼育員のおじさんも、悲しそうに頷いた。


「あの日は少し忙しくてね。閉園後に別の用事があって、二十分ほど動物達から目を離していたんだよ。それで戻って来たらこの状況になっていたんだ。私がもっと早く裏の寝床に戻しておいてやれば……」


「いやいや、重田さんのせいじゃないよ。私だってね、役所の打ち合わせをもっと早く切り上げて戻ってさえいれば……」


 首を傾げるクソ森。


「警察もこの状況は説明が難しいだろうし、捜査の折り合いがつかなくて面倒臭かったんでしょうね。でもいくら熊の力が強いって言っても、動物の力でこんな檻を破壊できるワケがありませんよ。少し、見せて貰ってもいいですか?」


 飼育員の重田さんは頷く。


「ああ、そう思うだろう? そうだよ、そうなんだ! 君達みたいな高校生が見てもそんなことは明らかで、この壊され方は間違いなく“異常”なんだよ! まるで檻を、何か鋭利な刃物で斬り落としたみたいに……」


 おじさん、熊が居なくなってしまった責任をすごく感じてる。この人が悪い訳じゃないのに……


 皆で空になった檻へと近付き、中を覗き込むと……そこには黒く変色してこそいるが、恐らく熊のものと思われる大量の血痕が飛び散ったままになっていた。ミクがハッと息を飲み、えるるん(・・・・)がボソリと呟く。


「これは……本当に酷いですね」


「ああ、そうだろう? 担当の獣医さんにも見て貰ったんだけど、多分これじゃあ助からないだろうって言われたよ。きっとあの子は、何か“とんでもない怪物”から襲われたに違いないんだ。誰も信じちゃあくれないが、私は絶対にそうだと思ってる」


 手に持っていた帽子を深く被り、悲しそうに項垂れる重田さん。


 おじちゃん、可哀想だ……


「現場は“そのまま”にしてあるんですね」


「ああ、どうせ暫くは閉園だしね。でも知人の入れ知恵で、現場は片付けずにあえてそのままにしているんだ。まだ熊自体は見つかっていない訳だし、もしかすると後になって警察の方針が変わるかも知れないだろう? こんな酷い事をした“犯人”を何とか捕まえて貰わないと……」


 そこまで聞いたクソ森は、急に軍手をはめると檻の手前の柵をよじ登り、切り裂かれた熊舎へと歩み寄る。それから何を思ったか、バラバラになって落ちている檻の破片をいくつか拾い上げ、ガチャガチャとパズルの様に組み合わせ始めたのだ。


 あやつ、一体何やってんだ?


「マコト、ちょっといいか?」


「……ん?」


 奴はそう言うと、ポケットから丸っこい物を取り出し、手にした破片へ次々と合わせ始めた。


 何だろう? 少し気になって、柵をよじ登りながら見ると、あれは……メジャーだろうか? どうやら、散らばった破片の長さを細かく測っている様子。


「うーん。間隔は少しバラバラだけど、大体……五から六センチってところか? うん、他の破片もそこまで差は無いな。それより切断されたパイプが全く歪んでない、凄い切れ味だ」


 森はそう言うと、細かい檻の破片を縦に二つ並べ、さらにそこへと長いパイプを継ぎ足してゆく。


「ウンコ森、何やってんの?」


「えっと、これはな、こうすると……」


 奴は更に、長いパイプの反対側へと細かい破片を拾い上げて二つ添え……一本の長い、檻の一部を復元して見せたのだった。


「あっ、これ……」


 頷くハゲ坊主。


「そうだよ。切り口を合わせて復元したのは一本だけだけど、多分他の落ちてるパイプも似たような感じになると思う。まあ当たり前って言やぁ、当たり前なんだけど」


 うーん。良くワカラン。だがその檻の破片がどうしたというのだろう? そう思っていると、私の背負ったリュックから、ボソボソとアル君の小さな声が響いた。


「ふむ。檻のパイプの破片は、斬り口ごとに二つずつだね。つまり奴の指は……いや、“鎌”は片手につき三枚って事になるのかな?」


 ああ、アル君はオジサン達に見つからない様にしているのか。そりゃまあネズミがベラベラと言葉を話してたら、知らない人は絶対ビビるわ。マコトはもう慣れたけど。


 アルの言葉に森も頷く。


「ああ。切り口が手元側から放射線状に伸びてるのは間違いなさそうだけど、角度的に少しバラバラが過ぎる気がする。この“鋭利な刃物”が怪物自身の指なのか、もしくはそういう武器なのかは断定できないけど……仮に武器であるなら、パイプがもっとキッチリ等間隔に斬られていても良いんじゃないだろうか?」


 うん??


「うん、そうだね。確かに少しばらつきを感じるね。という事は、例の“一つ目”と同じく腕の一部、もしくはその全てが“鋭利な刃物”になっている可能性が高いと考えても良さそうだ」


 うあぁぁ、まーた何か小難しい話を始めおった!


「あと、斬られた檻の飛び散り具合、バラされずに残った檻の状態から見ると、檻の上部は右腕を使って左側へとほぼ水平に切り裂き、その後同様に左手で下側を薙ぎ払って大穴を開け、そこから侵入して熊を襲った……って事で間違いはなさそうだな」


「その様だね」


「そして血痕は檻の右奥へと集中。少しも手前部分に飛び散っておらず、隅っこだけに固まっているという事は……熊に交戦の意思なし。襲撃者を見て相当に怯えたんだろう。可哀想に」


「恐らくそうだろうね。しかしいくら温厚とはいえ熊は熊。長い動物園暮らしで人間の姿にも慣れていただろうし、それが怯えて檻の隅へと後退るのなら……そのお相手は、きっとマトモな風貌ではなかったのだろうね」


 森は両手を広げて……まるで事件当時の犯人の動きを再現するかの様に、ゆっくりと檻の斬り口をなぞってゆく。


「斬られた上部の破片が檻の左奥へ、そしてそれ以外が右寄りに固まって落ちていたのも貴重な物証か。それと……うん、一撃目の軌道は水平より、やや左下り。二撃目は微妙に右上がりだし、これはどう見ても返し手って角度じゃあない。犯人は重心が左寄りの右利きか。でも金属だぞ? こんな切れ味、物理的にあり得るんだろうか? 正直、ちょっと信じられねぇ」


「森君、残念ながらその切れ味については“十分にあり得る”とだけ伝えておくよ。あと気になるのが、上側の切り裂かれた位置が随分と高い事だね。そして逆に下側は手が届く程に低い。自らが檻に入ろうとして大きく穴を開けるつもりでやったんだろうけど、正直な所この位置だと地に足を付けてやったとは到底思えない」


 二人共、一体何の話をしてるんだろ? よくわからん。でも何か聞いてたら頭痛くなりそうだし、こういった場合は“心の耳栓”を使うに限るのだ。


 よし、マコトちゃん、思考停止モードッ!! 何か持ってきたおやつ(・・・)たーべよ。


「うん。高さ的にちょっとありえないな。これをもし外側から棒立ちでやったのなら、身長が三メートル半越えで、切り裂かれた幅的に手の長さが二メートル近くか? いや、ないない。これでミクの言ってた『怪物は宙に浮いてる』って話の信憑性が高まって……っておいマコト! なに阿呆みたいな顔してお菓子食ってんの!? とにかくちょっと、これを見てくれ」


 森はそう言うと、先程地面に並べていた檻の一部を拾い上げ……その切り口を私の目の前へと近づけて見せた。こやつ、えらく活き活きしてるなぁ。


「それがどしたの?」


「いいかマコト。細かい理屈は一切何も考えなくていいから……これを見て、単純にお前の“直感”で答えてくれ。俺はそれを信じる」


「この斬られた鉄パイプを?」


 真顔で頷くクソ森。


「そう、これだ。考えるな、斬り口をしっかりと見て感覚で答えて。いいか? これを斬ったのは、お前を襲った怪物……いや、別のヤツでもいい。とにかくそれと“似たような奴”の仕業で間違いないと思うか?」


 言われるがまま、じっと斬り口を見つめる。


 うん。これはあの日、私へと向けられた(もの)だ。


 正直、違和感は微塵も感じない。多分本当は、こんな硬い鉄の棒をバターみたいに斬り飛ばす怪物の存在に違和感を持つべきなのかも知れないけど、奴等と一戦交えて生き残った今の私にとっては……それが何か特別に不思議なものだとは思えなかった。


 自信を持って答える。


「うん。これ、間違いない。アイツらだよ」


「そうか、わかった。実際のところ、そいつらを自分の目で直接見るまでは、恐らく半信半疑のままだと思ってたけど……この状況を見て、ある程度の感覚を持てたよ。てかマコト、お前よくこんな奴等とやり合って生きてたなぁ」


 そう言った彼の顔は、何故だか自信に満ちて見え、不思議とこれからの事態の進展を予感させられる様な気がしたのだった。




 それから暫くして、熊の檻を離れた私達は……事務所前の休憩スペースでおじさん達とお茶を飲みながら色々と談笑をしていた。


 どうでもいいんだけど、こういう場所へ来ると、何故だか“子供の頃に遊びに来てたよアピール”をしたくなる、不思議あるある。


「あんねオジちゃん、マコトね、前はよくおじいちゃんと一緒にここに遊びに来てたよ!」


 そう言われ、嬉しそうな受付のおじさん。


「おや、そうなのかい? 中学校に上がるまでは料金も二百五十円だし、園が再開したらまた遊びにおいでよ」


「……は?」


 おい。マコトは現在、絶賛高校生の最中なんですけど。今まさに進行形で華の女子高生なんですけど。それを今このオヤジ、『中学生になるまでは半額だから遊びにおいで』とか抜かしやがりました??


 コ〇ス! このおやじ、絶対今ここでぶっコ〇ス!!


「何が二百五十円じゃぁあ──!? マコトは小学生と違うぞおるぁぁぁあ!?」


 突然、バタつく私の足が地面と別れを告げる。


 ミクが、おじさんに飛びかかりそうになる私をスッと背後から抱き(かか)えたのだ。園内を見回し、奥に停車中の色褪せたゴーカートを指差す彼女。クソ! 離せ、マコトを幼児みたいに抱っこするな!!


「あたしも小さい頃、たまにお父さんと来てたなー。そうそう、あのゴーカートとかめっちゃ乗った! パンダの乗り物とかも、緑色ですっごい特徴的だし覚えてるよ! あとあれ、何かすごい独特な臭いするんだよねー」


 こちらの気も知らず、楽しそうにミクと話すクソオヤジ。


「うんうん。神丘市の子供達はねぇ、みんなここで遊んで大きくなるもんさ。実はここね、おじさん達が若い頃には既に存在してたんだよ? まだその頃は、あのパンダもコケが生えてなくて真っ白でねぇ。懐かしい。でもまさか役所を退職して、定年後にここで働く事になるとは思わなかったけどね」


 おいコイツ、お役人様上がりの天下りやぞ――!!


 お茶を啜りながら、ホカッと緩みきった表情のえるるん(・・・・)


「そうなんですね。確かに古いですけど……でもずっと大事にされてきた事だけは遊具を見ているだけで伝わって来ます。市民の皆さんの思い出がいっぱい詰まった、とても素敵な場所なんですねぇ」


 天下りやぞコイツ――!!


「そうそう。何かめっちゃ動物のウ〇コ臭いけど、三十分ぐらいしたら鼻が馬鹿になって全然気にならなくなるしねー」


 このオッサン天下りやぞおるぁぁぁぁぁ!!


「おいミク、お前は余計な事を言うな」


 そう顔をしかめたクソ森が、これまた懐かしそうにライオンの檻を覗き込んだ。


「俺も……少年野球のレクとかで小学校の頃、たまーに皆と来てたなぁ。そういや、あのライオンも随分と歳をとったみたいだ」


 そう、この神丘市立城山動物園には……実は極小の規模に似合わず、ライオンがいたりする。


 ちなみに何故か、昔から存在するのはメスだけだ。普通は動物園というと、オスのライオンが目玉になりそうなものだけど、ここには何故だかずっとメスしか居ない。そして彼女もここでの生活が長すぎたのか、その表情からは一切の野生が失われ、同じ檻の中で床を掃除し始めた重田さんの足元へと欠伸をしながら腹を見せて寝転がり……それはまるで、デカイ猫か何かを見せられているかの様な気分だった。


「あれ、重田さんライオンの檻の中に入ってますけど大丈夫なんすか? まあ見た感じ、スゲー慣れた風ですけど……」


 あまり心配した様子のない森の言葉に、笑う受付のオジサン。


「ああ、あれね。私がここへ再就職した時には既にああさ。だいたい重田さんは長いからね、彼に言わせると『なぁに、もう年寄り同士じゃ襲う気力もないだろう?』って事らしくてね」


 年寄り同士じゃ襲う気力もない? 嘘やん。ウチの近所のジジババ、ゲートボールでしょっちゅう(いさか)い起こしてドツキ合いの流血事件起こしとるぞ! こないだも救急車とお巡りさん来てたし! オラついた祖父祖母(ジジババ)の集う地区のゲートボール場より、猛獣飼ってる檻の中の方が平和で安全ってどういう事だ??


 だが当の重田さんといえば、檻を掃除しながら『なに、もし私が喰われたら“彼女の食費”が一食分浮くだけのハナシさ 』等と、笑えるような笑えないような冗談を言って笑顔を見せている。その様子をチラリと伺い、再び欠伸を見せる婆ちゃんライオン。まるで彼女はこちらの会話の内容を理解し、それを鼻で笑っている様にも見えた。


 そういやこの動物園って、他にどんな動物が居たんだっけ?


 まずは……残念ながら今はもう居なくなってしまったが、壊された檻には大きなヒグマ。そして目の前のメスのライオンに、その隣の檻にはくたびれた孔雀が二羽。因みにコイツら、さっきからまったく動かない。ちっとは愛想良くしろや。


 更にその隣には、何か良くわからん謎のアナグマみたいなヤツ。名札は無い。コイツは薄暗い奥に隠れていて姿を見せないし、よく考えるとマコトは一度も見た事がないかも! あ、でもウンコ臭いし、ちゃんと奥に居るのはわかるよ。


 あと、何でここで飼われてるのか知らんけど……こちらも良くわからないサギみたいなデカい鳥が二羽。説明書きも何もないので、あれが一体何という鳥なのかは昔から謎のままだ。そしてヤツラは突然、急に何かを思い出したかの様に大声で鳴き出す。くっそビビるわ。


 それと事務所前にある触れ合いコーナーには、茶色く薄汚れたウサギがいっぱい。大量のフンが落ちている簡易柵の中へ入って一緒に遊べるのだが……言うまでもないが、奴等は売り物の野菜スティックを持っていないと此方へ見向きもしない。あと、エサをあげずに触ろうとすると、噛むヤツもいる。人だけでなく動物まで、カネ、カネ、カネと、本当に世知辛い世の中になったものだ。


 そういや昔からそうだったので特に気にした事は無かったけれど、冷静になるとイマイチ良くわからん飼育動物のラインナップであり、これはこれで田舎町のセンスが大爆発な感じもする。あっ、それと最後に一匹忘れてた……


 そう思ってミクの腕を振り解いた私は、皆と離れてテクテクと歩き……園の一番隅っこに位置する“檻”の前までやって来たのだ。


 じっと中を覗き込む。


 すると薄暗い中、高所に吊るされた木へぶら下がり、ジッとこちらを見つめる瞳が二つ。


 固く黒い毛に身体を覆われた類人猿。そう、ヤツはチンパンジーだ。


 私に興味を抱いたらしきソイツは、登っていた遊具からスルスルと降り、床に座って頭部を上下にユサユサと揺らし始めた。


 それを確認した私は……ガニ股でしっかりと腰を落とした後、頭上で眼鏡橋の如き両腕のアーチを作り、指先を己の頭頂部へピタリとくっつける。


 そうして……目の前の相手との対話を開始したのだ。


「ウキョッキョッキョッ!!」


 こちらへ呼応し、小刻みに頭を左右へ揺さぶるチンパン。


「ヲッオッ!? ヲッオッ――!?」


 ヤツはゆっくりと立ち上がり、肩を上下に揺らし始める。これは多分、威嚇だ。


 私が、やり合うに足る相手なのかを見定めるつもりだ。


(やるというのか? いいだろう、相手になってやる)


 私はガニ股中腰で白目を剥き、両手を身体の前でブラブラと左右に揺らして相手を挑発する!!


 ピタリ……先程とは打って変わり、本気の目になるチンパンジー。


 そう、真に好敵手(ライバル)だと認められたのだ。


 続いて、ヤツの強烈なヘッドバンギング。やるではないか。釣られて私もゆっくりと同じ動きに入った。


 遠く、クソ森達が怪訝な表情で『マコトのやつ、一体何やってんだ?』という風にこちらを見ていたが……そんな事は些末な事であり、一切気にも留めない。所詮、彼らは凡夫であり、私とチンパンの高度な応酬の意味など全く理解出来ないだろう。可哀想に、本当に気の毒な人々である。


 私はチンパンとガッツリ目を合わせたまま、再びヤツと(しのぎ)を削る。


「ヲッオッオッオッオッ──!?」


 寄り目にし、挑発の舞いを繰り出す私の姿が逆鱗に触れたのか、ヤツは強烈な敵意を剥き出しにし始めた。


 ふん、お猿さんめ、人間を甘く見るなよ? 更に挑発の動きを強める。チラリ、横目で見ると……完全にえるるん(・・・・)達がドン引きしている。まあ、別にどうという事はない。私は己の優位を誇示するべく白目を剥いたまま首を斜めに傾げ、全力で鼻の下を引き伸ばしながら……小指で小刻みにハナクソをほじって見せた。


「キキーッ!? ウキキキーーーッ!!」


 (いか)れるチンパン。


「ヲッオッオッオッオッ──!?」


 ヤツは両手を振り上げ地団駄を踏み、その場で激しく猛り狂う。


 ジャージのポケットから、アル君の呆れた様な声が聞こえて来た。


「マコトちゃん……君は一体、何をしているんだい?」


「ネズミにはわからんかも知れないけどね、人間には負けられない戦いというやつがあるのだよ」


 呆れた様子のドブネズミ。


「あの受付のおじさんの言うとおり、マコトちゃんの入園料は……年齢に関わらずに非常に複雑な事情の割引が適用され、半額の二百五十円になるのが妥当だと思うよ。ちなみにその理由は身体的な発育の不良ではなくて、その残念で不自由な脳味噌に起因するものなのだろうけど」


「なにおう!?」


 そう振り返って気を抜いた瞬間、隙を見せてしまった私を恐るべき悲劇が襲った。


「ヲッ! ヲッ! ヲッ! ヲッ!?」


 突然、一際興奮した様な、ヤツの甲高い鳴き声。慌てて振り返るが……時、既に遅し。


「なっ!? しまった――!?」


「ヲッキイィーーーーッ!?」


 私の優れた動体視力が仇となり、一瞬ヤツの動きに見入ってしまった為に反応が遅れる。そう、そこからはまるで、何かスローモーションの映像でも見せられているかの様だった。


 檻の中でチンパンの重心がゆっくりと右斜めに崩れ、ヤツが全力で歯を食いしばるのが目に入った。それから肌色の素足が砂の大地を掴んだ瞬間、その右手にしっかりと握りしめられた“茶色い物”が……地面すれすれの位置から、まるで弾丸が弾けるように射出されたのだ!!


「ああっ──!?」


 降り注ぐ太陽の下、黄金色に輝く“何か”が私達へと迫る。


「ちょっ、マコトちゃん──!?」


 そう。ヤツは口論するこちらの隙を突き、“茶色い何か(うんこ)”を全力のアンダースローで顔面へと投げつけて来たのである。


 通常であれば、避けようのない直撃コース。


 しかし……ふん、甘いわ。


「ふはは! エテ公め、このマコトさんを甘く見たな!!」


 私は反射的に上体を限界まで逸らし、まるで迫り来る銃弾でも避ける様に、勢いよく仰け反り空を仰ぎ見た。


 正中線……その数十センチ上空を飛翔して行く“茶色い固形物。それを悠然と見送りつつ、体重が乗り、グッと沈み込んだ軸足へと跳躍の為の力を込める。同時に、アル君を潰してしまわない様にと、空中へ放り投げ――


「ちょっ! 何を――!?」


 弾丸の様に飛び去ってゆく“アレ”を追う様に、全身のバネを使って骨盤をせり上げる。そうして体重の抜けた右脚を勢い良く振り上げつつ、同時に軸足で思い切り大地を蹴りつけた!


「ほっ!!」


 世界がゆっくりと縦に回転し、頭上から降ってきた大地へ柔軟に掌をつくと……まるでスプリングの様にクッションした両腕へと反発を加え、顔面へと迫り来る地球を全力で押し戻す――!!


 そうして華麗にバク転を決めた私は、とっさに行った後方回転の力を逃がす為、また空中に放り投げたアル君を無事キャッチする為に、今度は揃えた両脚へと体重をグッと預けて……


「とりゃっ!!」


 再び地面を蹴り、今度は下がりながらのバク宙。


 空から落ちてきたアル君を、フワリと優しくお腹でキャッチし、そこを軸に空中でクルリと一回転。


(ふはは、見たかチンパン! 貴様らエテ公の不意打ちなど、このマコトさんに通用する訳が……)


 そうやって空中で、“ヤツ”の悔しがる顔を見ようとした私なのだが……回転し切った直後、恐るべき光景を目にする事となる。


「――!?」


 ブォオンッ――!!


 ニヤリと歯を剥き出す“チンパン”。刹那、“何か”がヤツの左腕から全力で撃ち出されたのだけはわかった。


 この瞬間になり、(ようや)く私は真実に気付いて焦り始める。そう、先程右手で投げて来た“モノ”はフェイク。最初からその“本命”は……ヤツ左掌の中へ、しっかりホカホカと握り込まれていたのだ!!


「は、嵌められた!?」


――ダンッッ!!


 その全力の踏み込みと同時、歯を食い縛って振りかぶるチンパンの唇が風圧で大きく膨らむ!


「ヲッ! ヲヲヲッッ――!!」


 うわあぁぁぁぁぁ!?


「おのれ! 謀ったなぁぁぁ!?」


 咄嗟に回避を試みるが、重力に逆らって大地から放り出された私の身体は……最早、一切の言う事を聞こうとはしなかった。


 そうしてヤツは空中で一切身動きの取れない私の顔面を目掛け、全身全霊、神速で振り抜いた黄金の左腕(さわん)から……“ホカホカの物体(うんこ)”を爆速で射出して来たのである。

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