受諾
春川の件を確認するために、蓮見が今度は一人で協会へ乗り込む。
3
昨日の建物に乗り込むと、まず一つ異変に気がついた。昨日はいなかった警備員が出入り口に立っている。ただ怪しげな行動をしたわけではないので、私が入っても一瞥くれるだけで何にもしなかった。
カウンターには昨日と同じく矢倉さんがいる。私と目が合うと、昨日と同じように頭を下げてきた。
「立浪さんに会わせてもらえるかい。アポは取ってないけど、緊急なんだ。呼び出して欲しい」
矢倉さんは一度こくりと頷くと、電話をとっておそらくは立浪さんにかけた。そして「いらっしゃいました」と一言。短い会話がすぐに終わり、彼女は電話を置いた。
「昨日と同じ部屋で立浪様がお待ちです」
「気になるんだけど、いらっしゃったとはどういうことかな」
「あなたが来るかもしれないという連絡が入ってました」
それ以上言う必要はないということか、彼女はそれで黙った。本当に機械的だ。私は礼も言わずエレベーターに乗って昨日と同じ部屋「相談室」に向かった。
ノックをして中から「どうぞ」という返事がきた。扉を開くと、ソファーの前に立った立浪さんがいた。
「いらっしゃると思ってましたよ」
「ということは、春川の事件のことは聞いてるんだね」
「ええ、今朝警察の方が事情聴取にきました」
「なら単刀直入に伺うけど、あなたがたは自分が無関係だと思っているのかい?」
攻めるように質問すると、立浪さんは少し黙ってから「はい」と答えた。
「警察にもこちらは無関係だと主張しました」
「ふざけてるね。なら昨日たまたまこの怪しげな協会に足を踏み入れた二十歳の女が、たまたまその夜に襲撃されたと? 言っておいてあげるけどね、彼女は刺されるほど恨まれるようなことはしない!」
声が大きくなってしまったが、譲れない主張だったから仕方ない。
「いいかい、彼女は明らかに悪意を持った人間に襲われたんだ。それがこの協会と無関係だとは、私は絶対に思わない」
彼女が襲われた事件と、彼女と私がここに昨日訪れたことは、無関係だとは思わない。なにかしら、ここに原因がある。
「言い分は理解させていただきますが、こちらとしても困っています」
「困ってる?」
「あなたがたが昨日ここに訪れたのは、私と矢倉さん、そして教祖くらいしか知りません。しかしこの三人には全員アリバイがあり、それは警察も確認していきました」
確かに、こんな大きな建物なのに私たちが会ったのは二人だ。教祖という言葉がでてきたが、業務連絡としてだろう。
「けど失礼な言い方になるけど、あなたが信者に命令することはできるんじゃないかい?」
私は宗教というものをあまり深くはしらない。ただ九十年代初期には教祖の馬鹿げた発想から、日本史に残るような大事件を起こした宗教団体があったという記憶があるため、信者は盲目的だというイメージがある。
そしてあの受付の彼女、矢倉さんがこの立浪さんを様をつけて呼んでいたので、この宗教もそうではないかという疑いがあった。
「警察の方々もそれを疑っています。ですが、この前の事件ならともかく、昨日は違います。春川さんはただただ大学での活動を控えろという要求をしてきました。しかし、ご存じの通り私たちはそれを拒否し、彼女も身を退きました。私たちが信者を使って彼女を襲うメリットなど、ないのです」
もっともな言い分だった。というのも、私も昨日からそれを考えていた。協会にメリットがない。春川は身を退いていた。その彼女を襲撃したところで、なにもならない。もし協会に牙をむいたということで攻撃されたのなら、彼女が書類を協会に送ったときに狙われているはずだ。
「……それでも、私はあなた方を疑う。あなたじゃなくても、可能性はあるからね。自分たちが疑わしいことまで、否定はしないだろ?」
「ええ。ですからこそ、あなたをお待ちしていたんですよ、蓮見レイさん」
彼は私に座るように促した後、自分も座った。
「失礼ながら、昨日あなた方が帰った後、二人については調べさせていただきました」
やっぱり、そういうことができる組織力はあるわけだ。口には出さないが、私の中で疑いが濃くなった。
「蓮見さん、私どもも今回の件で対策を講じることを決めました」
「前回からそういう動きはあったのかい」
「前回より、ずっと前からです」
彼はそういうと一度立ち上がり、デスクへ向かった。そこの引き出しをあけて、何枚かの封筒を取り出した。そして再びソファーに腰掛け、それを差し出してきた。
「去年の暮れから私に届いた脅迫状です。ほかの代行のところへも似たようなものが届いています」
封筒を手に取り中から紙を取り出すと、ドラマで見るような新聞の切り抜きから作った文章が現れた。文面は「すぐに代行をやめろ」というもの。
「最初はいたずらだと思っていましたが、あの事件です。それでも彼の元には脅迫はいっていなかったので、警察にはこの事実を話していません」
「それはまずいね。どんな些細なことでも何かの手がかりになり得るんだ。……いや、私のことを調べたというなら、もう隠す気もないのかな」
この協会がどういった手法で、どのくらい私について調べたかは聞きたくもないが、家族構成くらい把握してるはずだ。父が刑事であることはちゃんと知っているだろう。
「ええ、あとで警察に話してください。さきほど話しても良かったのですが、そうするときっと持っていかれてあなたに見せられないと思いまして」
「私に?」
「蓮見さん、あなたは今まで何度か、いろいろなトラブルを解決していますね」
そこまで調べてるのか。確かに高校時代から周りから厄介ごとを持ち込まれることが増えて、それを解決していった。けど高校の頃は校内限定の活動だったし、大学生になった今でもそのスタンスは変わっていない。
「まさか、たかが二十歳の女に事件について調べろとでも言うつもりかい」
「そのまさかです。さきほども言いましたが、あなたについては調べました。去年母校で起こった事件を解決されていますね」
つい舌打ちをしてしまった。彼が言っているのは、去年私の母校の高校で起こった悲劇のことだ。別に忘れていたわけではないが、思い返して気持ちいいものでじゃない。
「それだけじゃありませんね。この前の冬も――」
「その話はやめてくれ」
私が素早く遮ったので彼もそれ以上は言葉を続けなかった。私としては、もうなかったことにしたい出来事だ。それに昨日会ったばかりの人間にあの件について何か言って欲しくはない。
「失礼しました。しかし、あなたには実績がある。ですからこれは『クロスの会』としての依頼です。殺人事件を解決しろとはいいません。この脅迫状の送り主は誰なのか、なにが目的なのか、それだけでもつきとめていただけませんか」
「私にメリットがないんだけど」
「春川さんの事件を調べるのにいろいろと、我々との連携が必要かと思います。あなたがきたらどんな質問にも答えるよう、全ての協会関係者には連絡しておきましょう。教祖の名前を出せば従うはずで、すでに教祖の許可はとっています。……悪い話ではないと思いますが」
協会としてはあくまで春川の事件は無関係だと主張している。そして容疑者たちにはアリバイがある。不利なのはこっちだ。しかし、事件をうやむやにする気はない。そんなことはさせない。
解決するための調査にここの協力は必要不可欠。
「ここの出入りも自由にさせていただきます」
まるでVIP待遇してやると言われている気分だ。普通の店なら嬉しいんだろうね。
「……これを拒否したら、どうなるのかな」
「さあ、そこはわかりません」
誤魔化してくれるね、絶対に非協力的になるに決まってる。これはいわば契約だ。春川の事件を調べたいなら、こっちの言うことを聞いてもらうという、非常に身勝手な代償を要求されている。そして腹立たしいことに拒否すれば、私の負けだ。
「どうして警察に素直に頼らなかったのか、知りたいんだけど」
「警察を悪く言うつもりはございませんが、協会に権力が入ることを私はよしとしません。それは教祖の意向でもあります」
協会としては警察につきまとわれるより、無害な大学生に動き回ってもらっていた方が目障りではないんだろうか。それとも、イメージとしてそっちの方がいいのか。
どっちしても、私には選択肢はないのだけど。
「脅迫状の送り主と目的。それを調べればいいんだね」
「はい。もちろん、そこから派生していろいろなことを調べてもらって構いません。あなたについては話を通しておきます。代行のほかのメンバーにも、すでに脅迫状のコピーをとってもらっています。警察に本物を預けても、あなたに見せられるはずです」
最初から私がこの依頼を引き受けると分かっていたんじゃないか。もとより、拒否させるつもりなどなかったということか。
「依頼を受けるよ。けど、私の一番の目的は春川を襲った犯人を突き止めることだ。それが最優先だから」
「それは構いません。私たちも、無関係だと証明したい」
契約が結ばれたということで、立浪さんが立ち上がり握手を求めてきた。私はそれに座ったまま応じる。心を許したわけではないという、自己アピールだ。
「ところで、脅迫状の犯人が分かった場合、私はまず警察に言うからね」
もしも素直に報告したら、この組織がなにをするのか分かったものじゃない。
「ええ、構いません」
「あと、あなたの連絡先がほしい。あとほかの代行にも会いに行きたいから、できれば住所か電話番号を」
「用意しましょう」
立浪さんがデスクの上のパソコンを開き、何か作業をし始めたので、その隙を狙って携帯をチェックすると着信が一件入っていた。誰からかというと春川からだ。
少し失礼するよと断ってから部屋を出て、廊下の壁に背を預けながら彼女に電話をかけた。
「ハロー。ハニー。ラブコールに答えられなくてすまなかったね。お詫びになにをしたらいいかな。抱擁?」
電話にでた彼女に間髪入れずそんなことをまくし立てた。返事はため息だったけど。
『ふざけて誤魔化してもだめよ。あなた、やっぱり「クロスの会」に行ったでしょ。お父様や、大学の方に確認はとれてるんだからね』
いつの間に父とそんな仲良しになったのか、そして父も連絡先を教えたのか……。なんだか友人と親が親密になっているというのは、変な感じだ。
大学の方には一応午前の授業はでたが、午後は友人に託してきた。彼女の人脈ならそれを確認するのはわけないか。
「ふふん、その通りだけど、手荒なことはしてないよ。暴れてないし、浮気もしてない。安心していいよ」
『やっぱり誤魔化そうとしてるでしょ。一体どうなったのか、説明して』
少しは私のジョークにつき合ってくれる優しさを持ってくれてもいいと思うね。けど、どうやら彼女は真剣らしいから、嘘偽りなく立浪さんとのやりとりを説明した。
これからは脅迫状の調査をすることになったと明かすと、彼女の「もうっ」というあきれた声が電話口でして、色っぽかった。
『どうしてそんな危険な契約するのよ。危ないじゃない』
「君には言われたくないけど、どうしてかっていうのは、なにも言わずに分かって欲しいね」
電話の向こうで彼女がどもってしまう。私がこんなことをする理由は分かってるはずだ、彼女の、友達の為だということは。
「……結局、あなたはこういうことが向いてるのかしら」
こういうことというのは、変な事件に首を突っ込み、調べていくということだろうか。向いてないと思う。私はたぶん、巡り合わせが悪いんだ。
『私もできる限りのことするから。あなたが言ったことだけど、私たちは二十歳の女なの。大してなにもできないことを、忘れないで』
「ああ、分かってるよ」
彼女が「手伝うからね」と念をおして通話を終えた。携帯をしまってから、ぼんやりと思いを巡らす。
私には事件を調べる才能なんてない。母校で起こった事件だって、たまたま解決できただけだ。彼女の言うとおり、私たちは二十歳の女で、ふつうはこんなことをするべきじゃない。
だけど、私はこういうことに平気で関わる。
だから、私は単純に、女という性別が向かないだけだ。
「……イヤになるね」
ニコチンが欲しいなと思って胸ポケットに手を入れるのと、壁に張り出されていた「禁煙」というポスターを見つけたのが同じタイミングだったことが、私の不幸を象徴している様に思えた。
これにて一章はおしまい。