激怒
知らせを受けた蓮見が病院にかけつけると……。
私はすでに飲酒をしてしまっていたので、父の運転する車で病院までかけつけた。走ってはいけないと分かりつつ、その動揺を隠しきれずに入り口から走ってしまった。
ただ、私の足はすぐ止まることになった。夜の病院の静かで薄暗く広い待合室に春川が一人で座っていた。そして足音で私に気づくと、うっすらと笑みを浮かべた。
「焦りすぎよ、レイ」
彼女の細い腕の肘から肩くらいまで白い包帯が巻き付けられていた。そして彼女はそこをさすり、大げさなのよとつぶやいた。
「君が刺されたって聞いたんだけど……」
「刺されたんじゃないわ。刺されそうになっただけ。正確には切りつけられたのよ」
それにしたって大変な事だ、全く大げさではない。
それでも刺されたと聞いていたものだから、もっと悪い状況を想像してしまったけど、彼女は今ふつうに話せている。それだけで安心できた。
「ごめんなさいね、夜遅くに。今日の行動を警察に説明したら、あなたにも話を聞きたいって言われて連絡先教えちゃった」
「それくらい構うものか」
後ろから話し声が聞こえるので振り向くと、制服姿の若い警官と父が何か話していた。多分、父が身分を明かして細かく話を聞いているんだろう。
私は彼女の前に立ち、しゃがみこんで包帯を触った。
「痛むかい」
「もう大丈夫よ。通報だって自分でしたんだから」
顔色は良くはないが、彼女が残痛で苦しんでる様子もない。
「一体、何があったんだい」
「私にもよく分からないわ。暗くて犯人もよく見えなかったのよ。ただ刺されそうになったのをなんとかよけたんだけど、そのときに切られちゃったのよ。そこで叫び声をあげたら急いで逃げて行ったわ」
「君を狙ったのかい」
「そこまでは分からないけど、人の気配はずっとあったのよ。それが嫌で人気のない道に入ったんだけど、それが間違いだったみたい」
彼女をつけて、隙を狙って襲撃したんのなら明らかにターゲットは彼女だったはずだ。つまり、犯人は明確に彼女に悪意を持った人間だ。なるほど、警察が私を呼んだ理由が分かった。
事件当日に彼女と行動をともにしていたなら、十分に怪しい。
「レイ」
呼ばれたので振り向くと、父と警官が並んで立っていた。
「話が聞きたいそうだ。大丈夫か」
「ああ、存外元気そうだ。もう落ち着いたよ」
そこから私は若い警官に業務的な事情聴取を受けた。父が身分を明かしたせいか、少し向こうの方が緊張していた。私がされた質問は、春川が語ったことの裏付け。
彼女とは大学の近くで合流し、そこからお茶をしてから『クロスの会』に行き、そしてそこで別れた。それをことこまかに説明すると、どうやら春川の証言と一致したようで問題なく処理された。
「ところで、その帰り道に怪しい人物などはいませんでしたか」
そう言われて記憶を呼び起こすと、帰り道に一人の少女と出会ったことを思い出した。怪しげな警告をしてきた彼女。そういえば、あの警告通りになった。
それを話そうかと思ったが、どうしてか、私は自然と首を左右に振っていた。自分でもどうしてかわからない。あんな小さな子が関係しているはずがないと、身勝手に解釈したのか、それとも本能的に言わない方がいいと咄嗟に判断したのか、自分でもわからなかった。
ただ全く何の根拠もないけれど、これが間違っているとは思わなかった。
「あとそれと申し訳ないですが……」
警官が父に目をやりつつ、言葉をつまらせた。アリバイを聞きたいのだけど、父の目の前で娘をあからさまに疑うのに気が引けているんだろう。
ただ父ははっきりと「アリバイが聞きたいんだ」と言った。父らして、笑いたくなる。
「事件の起きた時刻は八時半頃だそうだ」
「なら私は料理の準備をしていたんじゃないかな。父上も家にいたけど」
「まあ、身内だからな」
「だね。そんな証言意味ないか」
私と父が親子で納得していたら、レイじゃないわよと春川が否定した。
「私より身長高かったから。レイ、私と同じくらいでしょう」
被害者張本人が否定したので、警官はそうですかと納得していた。
「君をおそった奴というのはどういう人物だったんだい」
「さっきも言ったけどはっきりと見てないの。つけられてるって思ったとき、とにかくそれが勘違いかどうか確認したくて、人気のない道へはいたのよ、そこまでついてくれば間違いないと思えるかなって考えたのよ。それで道に入った瞬間に足音が早くなって、驚いて振り向いたら帽子を深くかぶった誰かがナイフを持って突進してきたの。そこはなんとかよけて、けど切りつけられた。相手がまた振り向いて襲ってきそうになったから、叫んんだの。そしたら一目散に逃げていったわ。そんなぎりぎりの状況だったから見てないのよ」
「素直に人通りの多いところを通っておけばよかったんだ」
「いくらなんでも、刺されるなんて想定してないわよ」
そこから私と春川の口論が始まった。彼女が無事だったことに安心して、その反動がきたのか私はあからさまに彼女の不用心を注意した。しかし彼女は彼女で痴漢対策にスプレーを用意していたので、全くの不注意じゃないと主張した。
「君は他人に対しては無駄なくらい心配性のくせして、自分を大切にしてないよ。一歩間違えたら死んでたんだよ」
「私の性格をどうこう言われたくないわ。不注意だったと言われるのは仕方ないけど、まさか殺されるなんて思えるはずないでしょう」
「危ない夜道に入るなんて自殺行為なんだよ。考えたら分かる」
「正論だけどとっさの行動でここまで言われる謂われはないわ」
「いいやあるね。夜道は気をつけろ、人が少ないところには行くな。今時小学生だって理解してることだよ。君は何歳だい」
「理解してたって行動できるかどうかは分からないわね。常識という机上の空論だわ。どこかの機関にどのくらいの人間が咄嗟の時にその常識通り行動できるかどうか調べてもらったらどう?」
「ああ言えばこう言うね」
「あなたにだけは言われたくないわ、絶対に
「私がどれだけ心配したか理解してくれないのかい」
「それは悪いと思ってるわよ。けどそれとこれは話が別」
「別なものか」
「別よ」
そんなやりとりがしばらく続いたが、最終的には父の「二人とも落ち着きなさい」という鶴の一声で舌戦は終わった。私も彼女もたぶん緊張のせいでイライラしていたんだろう。けど素直に謝るのは嫌だったから、お互いに謝らずに気まずい空気が流れた。
「春川さん、申し訳ないがもう少ししたらまた警察がくる。お役所仕事で申し訳ないが、もう一度話を聞くことになると思うが我慢してくれ」
父がそうお願いすると彼女ははいとおしとやかに答えた。
「父上、あとからくる警察っていうのは『クロスの会』の事件の担当者かい」
私たちからすれば大事でも警察からすれば女子大生が襲われただけだ。殺されたわけでも、性的暴行を受けたわけでもない。そんな事件にわざわざ応援がくるということは、やはり彼女が今日『クロスの会』に関わっていたからだろう。
「妙な勘を働かすな。タクシーを呼ぶから、お前はもう帰るんだ」
「ひどいね。私も友人に付き添いたいんだけど」
「お前の証言はもうとってあるから大丈夫だ」
どうやら父としては私にこれ以上関わって欲しくないらしい。どうせここで言い合いをしたって父が折れるはずもないから、おとなしくここで引き下がることにしよう。
私は最後に春川に声をかけた。
「明日は休むんだよ、優等生。無理は禁物だ。何かあったらいつでも連絡してくれ。いいかい」
「やっぱり、心配性はあなたの方よ。けど、分かったわ。言う通りにする」
彼女が素直に了承してくれたので、私は満足した。おやすみと手を振って帰ろうとしたのに、今度は彼女が私を引き留めた。
「レイ、あなた変なことしたらダメよ」
「変なことというのは分からないね。私はいつも常識的さ」
「嘘。あなた、明日にでも『クロスの会』に行く気でしょう」
彼女の指摘は見事すぎた。私は今まさに、明日はそうすると脳内で決定していたところだ。
「おいレイ、それはダメだぞ」
春川の指摘に黙ってしまった私に父が追撃をする。しかしながら、この二人の言葉を聞く気は、少しもみじんもこれっぽっちも、なかった。
「いくらお二方の命令でもそれは聞けないね。分かりづらいかもしれないけど――」
私はそこで言葉を区切って、二人にこれ以上ないという笑顔を向け次のせりふを強調させた。
「私は今、ぶちぎれてるんだ」
最後の台詞をむっちゃ気に入ってます。




