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忠告

協会で交渉に乗り出す春川だが……

「お話ししたいことは、先日文書でそちらに送っていますよね」

 春川が口火をきって、立浪さんが神妙な顔でうなずく。

「大学内での布教活動をやめろというものですね」

「はい。大学自治会として、失礼は承知でいいますが、ここの宗教は学生に悪影響を与えかねないという決定を下しました。教えの問題ではありません。事件が解決していなからです。最低限、事件が解決するという期限を設けたいと思っています」

「そちらの大学には信者がいると思いますが」

「はい。確認しているだけで十人を越えています。もちろん、そういった生徒に何かすることはありません。ただ大学内、その周辺での布教活動をやめてください。先に言っておきますが、譲歩してこの要求をしています」

 彼女としてはもっと制限したいということだろう。ただ宗教側には宗教側の言い分はある。だからそこは理解している。その上でこの条件。

「悪影響とは、やはり事件のことが気になりますか」

「はい。無視できません。まだ解決していませんから」

 春川がとても二十歳の女とは思えないしっかりとした態度で挑んでいる。さすがだなと思うと同時に、私は立浪さんの出方に注視していた。彼女の言い分はむちゃくちゃだが、彼がそれをどう片づけるのか興味があった。

「あの事件には私どもの協会は関与していないというのが公に出しているコメントです」

「しかし、殺されたのはここの信者ですよね」

「ええ、ここの信者です。そして私の友人です」

 隣の彼女がえっと声を漏らして口元を右手で隠した。不意の告白に驚いたのは彼女だけでなく、私もだ。ただ本人はきわめて落ち着いた物腰で座っている。

「いい男でしたよ。この協会の発展にも尽力していた。そういった経緯もあって、警察も当初は我々に目を向けていましたが、今は関係ないと見限っているみたいです。私とも個人的に親交があり、二人で飲んだことだってある。断言できますよ、殺されるようなことをする男じゃない。だから、内部分裂の問題であろうと、協会の人間があの男を手に掛けるわけがないと。ですから、あの事件はこことは無関係です」

「そ、それはあなたの感想でしょう」

 なんとか冷静を取り戻した春川の反論。彼女の言うとおり、それは感想だ。しかも事件当事者の希望的な。けど、彼女も分かっているだろうが、それを否定はできない。

 相手が完全に肯定できないだけだ。

「しかし、警察はもう協会を疑っていませんよ。だから建物も静かなものでしょう。事件直後は周りにも中にも警察の方がたくさんいらして大変でした」

 警察から言わせれば被害者がここと深い関わりがあったなら、無視できないだろうし、はっきりマークもするだろう。殺人事件なんて初動捜査が命なんだから、かなりの人員を出す。協会が怪しいと思えば、それに見合った人員を送り出しただろう。

 そうなるとたしかにすごい数になったはずだ。けど、立浪さんの言うとおり今は静かだ。隠れて監視しているにしても、直のセッションをしてないということは、疑いを弱めている証拠。

 うん、これは……。

「春川さん、あなたの言い分は分かりますが、協会としてあなたの言い分を認めるわけにはいきません。今日お会いしたのは、こちらとしての誠意を見せたつもりです」

 ただの否定なら文書でできるのを、わざわざ六人いる代行の一人に時間をとってもらい、話を聞くことができた。確かに誠意だろう。

 同時に、受け入れてたまるかという、決意。明確な、拒否。それらの表明。

「…………」

 春川が口を閉ざした。彼女としては色々と理論武装していたはずだ。何とか説得できるよう、完全に拒否されないよう、一部でもいいから受け入れられるよう、様々なシナリオを用意してきただろうがすべては立浪さんが早々に事件の秘密をさらしたことで主導権を奪い、封じられた。

「この協会にあの男を殺すような不届き者はいないと信じておりますし、そもそも殺人などに手を汚す異常者がここにいるとは思えません。それとも、あなたは何かそういうものがあると?」

 あるはずない。もともとはいきすぎた彼女の心配性の暴走だ。美点であり、欠点でもある、どうしようもない彼女のチャームポイントの暴発なんだ。

 春川が黙ったまま私に視線をくれた。あきらめの色が浮かんでいる瞳。どうやら約束通り、退いてくれるらしい。

 本来なら私は口を挟むつもりはなかったのだけど、少し言いたいことができた。

「今日はこれで失礼させてもらいますが、一つご忠告を」

 私はなるだけ穏やかな笑顔をたもちながら立ち上がって立浪さんを見下ろした。

「殺人は私たちからすれば異常です。ですが、場合によってはそれを異常と感じない人間もいる」

 そしてそんな人間に限ってふつうに生活して、ふつうに日々を過ごす。異常を異常と感じない本当の「異常者」は、きっと隣にいたって気づくことが難しい。

「今回の事件、そういう人間が関わっていたら、今みたいな楽観的なこと言ってると――死にます」

 いきなり訳の分からないことを言われた立浪さんは呆気にとられていたが、私は構わず頭を下げて部屋を出た。春川もその後をついてくる。

「あなたがあんなこと言うなんて珍しい」

「危うい事件が起こってるのにのんきに過ごしてると痛い目にあうって言っただけさ。体験談だよ」

 エレベーターで下まで降りると、カウンターの女性がこちらを見てきた。

「お帰りですか」

 頷くと、最初から用意していただろうパンフレットを二つ渡してきたので、断るわけにもいかず受け取った。

 建物から出ると春川が深々とため息をついた。幸せが逃げちゃうよ、君。

「散々だったわ。成果なし」

「仕方ないさ。というか、なにをそんなに心配してるんだい?」

「別に。ただ可能性があるなら無視できないのよ」

 厄介な性格をしているね。人のことは言えないか。

「私は大学に戻るけど、あなたはどうするの?」

「今日はもう帰るよ、なんだか疲れちゃったしね」

「そう。ありがようね、付き合ってくれて」

「君のためならお安いご用さ。ほっぺにキスでいいよ」

 別れの挨拶にすねを蹴って、彼女は大学へと戻っていった。お礼を言ったり攻撃してきたり、やはり彼女は忙しい。キスくらいいいじゃないか、減るもんじゃないんだから。

 さて、私は帰宅するとしよう。今日は父から珍しく早く帰ると連絡が入ったので、ひさしぶりに手料理を振る舞ってやらなければいけない。

 協会の建物から出てしばらく過ぎてから、人の気配を背後に感じた。振り返ると、中学生くらいの女の子が私の後ろにたっていた。どこかの私立の学校の子だろう、小ぎれいな制服を着ている。よく見るとランドセルをしているので小学生だ。

 体全体が細いので少し不健康に見える。多分平均より身長は高めだろう。

「私に何か用かな?」

 彼女が私を見上げてきた。鋭く細い眼をしていて、眼光が年端もいかない少女のものではなかった。

「あんた、あそこの信者になるの?」

 まだまだ幼さの残る声で、しかも結構な身長差があるのに、いきなり「あんた」呼ばわりされて驚いてしまった。彼女の方は早く答えなさいよという態度で腕を組んでいる。

「いいや、ちょっと用事があっただけだよ。というか、お姉さんと呼んでほしいね」

「誰が呼ぶか、バーカ」

 彼女は私のたった一言の回答に満足したのか、もう用はないといわんばかりに背中を向けて走り出した。背負っている赤のランドセルが激しく揺れる。

 そして私からずいぶん離れたところで立ち止まって、また振り返った。

「あそこに関わると大変なことになるからね」

 唖然とする私を無視して彼女はまた走り始めた。その小さな背中を見つめながら、私は何か表現仕様のない胸騒ぎを覚えた。


 2


「おまえ、それで今日何本目だ」

 自宅のリビングで父が私に向かって訊いてきた。今はテーブルに二人で夕食をとっている。メニューは私特性のシーフードカレー。こいつのレシピを完成させるのに三ヶ月もかかった、私の料理人生最高傑作。

 今日は父が珍しく早く帰れると聞いていたのでこういう用意ができた。いつもは帰ってくるのが不定期すぎてできない。

 そしてそんな父が訊いてきたのは、私の手にある缶ビールについてだ。今はロング缶を片手にしている。

「一本目だよ」

「本当か」

「本当さ。愛娘の言うことを信じなきゃいけないね」

 ただし二リットルペットボトルに換算するとだ。そこまでは言ってやらないけどね。

 父は成人を迎えたとはいえ、未だに私が飲酒と喫煙を愛していることをよしとしていない。もとよりストレスの多い仕事に就いているくせに「体によくない」と若い頃から控えていたらしいから、アルコールとニコチンを恋人と評する私の考えは理解できないんだろう。

 私は中学一年のときには両方に手を出していたので、今じゃもう欠かせない存在になっている。

 ロング缶のプルタブをあけて、冷水の入った父のコップと乾杯をした。特に意味なんかない。ただ久々に家族で食事ができているということだけだ。

「お仕事、忙しいみたいだね。何度も言うようだけど、体には気をつけなきゃダメだよ。この前みたいに倒れられたら困るんだからね」

 昨年の冬、父は過労で倒れた。幸い大したこともなく、数日入院をしただけで無事帰れたが、父が倒れたという連絡がきたときは心臓が止まるかと思った。

「分かってる。だが、仕事に手を抜くわけにはいかないだろう」

 シーフードカレーを頬張りながら父が譲れない一線を主張する。父らしく、それが妙に嬉しかった。私だって父が無理をしないという返事するのを期待してたわけじゃない。そんな返事は死んでもしないということくらい、もう二十年も娘をやっているのだから分かる。

「まあね。けど程々にお願いするよ」

「俺は大丈夫だ。それよりお前こそ、大学はどうなんだ」

「優等生を捕まえて何を言ってるんだい。大丈夫に決まってるじゃないか」

 事実、大学に入ってから単位を落としたこともないし、単位数だって問題ない。授業に出ている回数は平均よりずっと下だが、出席点が重要視される授業では友人たちに身代わりを頼んでいるし、そもそももう卒業していった先輩たちから「とりやすい単位」を教えてもらっているから。

 今日のカレーは上出来だ。今まで作ったものの中でもトップクラスだろう。事前にちゃんと準備しただけある。父もがつがつと食べているので、きっとおいしいんだろう。疲れているのだから、家ではゆっくりおしいものを食べないといけない。

「そういえば父上、今日『クロスの会』に行ってきたよ」

 父がスプーンを止めた。そしてゆっくりと顔を上げて、私の目を見つめ、最後にため息を吐いた。

「どうしてお前はそうやって危ないものばかりに近づく」

「あのね、今回は細かく言うと私のせいじゃないよ」

 そういうわけで私は今日の出来事を事細かに父に説明していった。どうして父にこんな話をするかといえば、父なら事件について何か知ってるだろうと思ったからだ。

 父は勤続四十年近くになるベテラン刑事だ。警察内でも厚い信頼を得ている。きっと最近忙しいのも『クロスの会』絡みだろう。

 私の話を聞き終えた父は渋い顔をしていた。

「その春川って子はもっと危機感を持つべきだな」

「そこは同意だね。危なっかしいったらない」

「お前が言うな」

 あらら、言われてしまったか。

「それでちょっと具体的に『クロスの会』について教えてほしいんだけどね」

 父上は渋い顔でさらに眉間にしわを寄せて悩み始めた。こういう態度から見るにやはり最近の父の多忙は『クロスの会』の事件だったみたいだ。

「安心してよ、今回は事件に介入する気はないからさ」

 今回はと安心を促したのは、私は過去に大きな事件に巻き込まれたことがあるからだ。しかも二回。去年の夏と冬。命があるだけ感謝しなきゃいけない状況にもなった。

「……どの位のことを知ってるんだ」

「事件については新聞報道だけ。『クロスの会』についてはパンフレットを読んだだけだ。初めて知ったんだけど、あそこは神様を信じてるわけじゃないんだね」

「ああ、あそこが拝み奉っているのは――死者だ」

 そのとき、急に家の電話がけたたましく鳴った。どきっとしてしまったが、席を立とうとしている父を止めて、私が電話にでることにした。はいもしもしと応答すると、聞き慣れない男の声がした。

 どなたですかと問う前に向こうが切り出した。警察の者ですと。

「蓮見レイさんですか」

 てっきり父に用事があるんだと思ったが、どうやら私に用件があるらしい。しかし、父と兄以外の警察に世話になるようなことはしていないはずだ。

「はい、そうですけど」

 冷静になってくださいねと前置きをしてから、電話の向こうで警察の男が努めて落ち着いた声であることを報告してきた。それを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になって放心状態になったが、すぐに意識を取り戻し聞きなおした。

「春川が……刺された?」

ランドセルは赤が一番。

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