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横暴

春川の様子がおかしいわけを聞き出すため、二人は喫茶店で話をすることにした。

 冗談ではなく、本当に喫茶店だった。私の小さな抗議は「さんざん呑んでるんでしょう」と指摘され却下された。さんざんといっても、缶をたったの五本なのに。

 彼女ももう二十歳なのだから一度ゆっくり呑みたいのだけど、彼女は私とはあまり呑みたくないようだ。『あなたにあわせたら、倒れちゃう』という。倒れたら介抱するくらいしてあげるのに。

 もちろん、介抱のやり方は私に一任してもらうことになるけれど。

 彼女は店の一番奥にあるテーブルを選び、二人でそこに腰掛けた。注文したコーヒーは、確かにおいしかったので文句はない。

「さて、こんなところで話さないといけないくらい人に聞かれたくない話なのかな」

「少なくとも聞いたら気持ちよくはないわ。おいしいコーヒーがもったいないわね」

 どうやら彼女は私たちの話を聞かれたくないというより、聞かしたくないらしい。それほど気を遣う話とはなんだろうかと思っていると、彼女がテーブルの上に一枚のチラシを出した。

 コーヒーを片手にそれを見ると、見たことのある、ある組織の名前が大きく書いてあった。

「これは『クロスの会』のチラシだね」

 カラーのチラシに目立つように大きく『クロスの会』と書かれていた。この系統のチラシなら私も入学してから何度か配られたことがある。

 『クロスの会』はこの周辺の地域で根強い人気を持つ宗教団体だ。

「そう。今年の入学式に配られたものよ」

「毎年のことじゃないか」

 この辺で強い人気の宗教なので、大学内、ないしは周辺で布教活動を熱心にしている。昔からそういうことが行われていたので、学生の中にも信者が少数だがいる。サークルの勧誘活動に紛れて、布教しているのだ。

 けれど、言ったとおり毎年のこと。私が入学したときもそうだったし、それ以前もそうだったのだ。春川がこんなに頭を抱える問題ではない。

「一応、大学としても抗議しているわ。けど向こうにだって権利があるの。校内での布教活動は確かに控えてもらってるけど、信者が勝手にやったことなら、それを向こうの責任にはできない。入学式でこれをくばっていた生徒も、勝手にやったって言ってるし」

「校内での布教活動は原則禁止にしてるんだ」

「ええ、それが今までの大学と教団との約束ごと。けど今年から変えるべき。私は、少なくとも今年だけはこの宗教を大学に関与させるようなまねをさせてはいけないと思ってる。そして大学側にも自治会としても提案したわ」

「そりゃまた大きく出たね。けどね春川、向こうの肩を持つようで悪いけどそれは横暴だと思うよ」

 確かに大学内で布教活動をやられるのはあまりいいことではない。右も左も分からない新入生だっているんだ、そういう人たちが怪しげな組織に誘いこまれるのは避けなければいけないだろう。しかし『クロスの会』はただの宗教だ。

 確かに、この国では宗教というと何か怪しげに聞こえてしまうが、別に特別なことじゃない。平たくいってしまえば、信じてるものがあるというだけで、布教活動とはそれを分かちあえる同士を見つけるためのものだ。

 それを一方的に停止させるというのは、たとえ大学内だけとはいえ、ちょっと乱暴に見える。

「そうね、かなりの横暴よ。けど仕方ないの」

「君のことだからちゃんとした理由はあると思っていたよ。是非、聞かせてもらいたいね」

 彼女はそういうと少し顔つきを変えた。顔が堅くなった。

「レイ、あなたが東北から戻ってきたのは一昨日だっけ?」

「ああ、なんとかギリギリまでいたんだ。さすがに授業が始まってしまったら、学生の身としては帰ってくるしかなかったけどね」

 私は三月に東北を中心に起きた災害のボランティアに一昨日まで行っていた。きっかけはこの大学のボランティア部の知り合いが「人手が足りない。来てくれないか」と誘ってきたからだ。個人的に何か力になればと思っていたので、彼らの追随する形で約三週間、向こうに滞在した。

「そう。なら、知らなくても仕方ないわ」

 春川は今度は小さな新聞の切り出しをテーブルの上に置いた。三面記事扱いの、小さなものだが殺人事件を報じているものだった。日付は三月の二十日。

 記事の内容は男性が何者かにナイフで刺し殺されたというものだ。発見されたのは自宅の一室で、家の中は荒らされた様子もなかったという。悲しい話になるが、よくあることだ。

「最後の一行が問題なの」

 彼女のいう最後の一行は簡潔だった。まるで、そういえば言い忘れてましたけど、というような感じで書かれていた。

「被害者は『クロスの会』という宗教に入信していた」

 それが春川のいう「問題」だ。なるほど、おおかた彼女の言い分は理解できた。

「なるほどね。つまり君は、殺人事件なんて物騒なことがおこる宗教団体を大学に近づいてもらいたくないというわけだね」

「ええ、それが安全上、最善と思うの」

 思わず唇をつり上げて笑みをつくってしまったのは、彼女の口から最善という言葉が出たからだ。彼女が一番好きな言葉にして、私とは一番遠い距離にある言葉。私の口癖には「最悪」がある。

「言いたいことは分かるけど、この事件解決してるのかい」

「いえ、犯人はまだ捕まってないわ」

「なら、君の要求ははねのけられる。君の意見は、被害者が入信していたから被害者になってしまったという理屈でなら成り立つ。けど、犯人が捕まってないんじゃそれは無理だ。むしろ、入信していた者がたまたま被害者になったと考えるのが自然だろうね」

 冷たい言葉になるようだけど、それが真理というものだ。いやむしろ、こんなことは私が言う前に彼女なら理解しているはずだ。私の知り合いの中ではずばぬけて頭がいいんだから。

「ええ、大学にも同じことを言われたわ」

「だろうね。大学という組織としては、宗教だという理屈で彼らの活動に規制をかけることはできない。もしも何か問題になったら、ややこしいことこの上ないから」

 もともと大学内での恐怖活動を制限しているという約束ごとが双方の間で合意されているのだ。そして大学内でそうした活動をしているのは「クロスの会」だけじゃない。

 規約に反し「クロスの会」だけを排除するなど、できるはずがないんだ。大学に関わらず、学校関係者は面倒を避けたがる。それは経験上、身にしみている。

「けどね、それくらい分かってたわ。だから同時に「クロスの会」の代表と話し合いの場を設けてもらうように向こうに掛け合っていたの」

 大学への要求はあくまで彼女が本気だという姿勢を示すためのものだったのか。相手がただのクレーマーではなく、ちゃんとした「生徒代表」であると分かれば、無視はできない。むしろ説得して厄介ごとをさけようとするだろう。

「それで、その代表に今日あえるのかい」

「ええ、代表といっても幹部の一人らしいけど、とにかくこちらとしての意見を聞いてもらわないと」

「……ちょっと聞きたいのだけど、君は大学自治会として行くんだよね?」

 彼女はアイスコーヒーをストローで飲みながらうなずく。

「なら聞くが、君は自治会のほかのメンバーにこのことを話したかい?」

「いいえ、ちっとも。もともとみんな私がそういう要求するって言ったところで乗り気じゃなかったもの。自治会なんてまじめにやってる人いないわ。みんな就活対策よ」

 当たり前だ。大学の生徒数は数千で、自治会はたしかにそれの代表としてあるが、それを意識したことなど生徒にあるはずない。高校などと違って学校あげての行事も少ないのに。ほとんどの生徒は自治会がどういう仕事をしてるかも知らないはずだ。

 みんな適当にやっている。それでいいんだ、そういう組織なのだから。

「つまり君は大学自治会という名前を使って、個人的に教団と関わろうとしてるんだね?」

 よっぽど、無謀にもという言葉を付け足してやろうと思ったが控えた。

 彼女はそんな私の優しさなどどこふく風で、涼しい笑顔をしてみせた。

「とらえ方の問題よ」

 額に手をあててため息を力一杯吐いた。彼女らしいといえば彼女らしい行動だ。まじめすぎて、理解できない。私から言わせたってそんな殺人事件無視すればいいのにと思うが、彼女の脳内ではそうはいかないのだろう。

 責任感があるというか、ありすぎるというか。

「それで顔色が悪かったわけだね」

「それを含めて、最近は結構どたばたとしていたから疲れてたのよ。心配させてごめんなさい、けど私は大丈夫よ」

「あのね、君」

 私はそこでびしっと彼女の顔を指さした。

「心配させて申し訳ないと思ってるなら、今すぐキャンセルの電話を入れてくれ」

 彼女のその行動力はすばらしいと思うし、見習わないといけないかもしれない。けどそれは反面、彼女が危険だという問題を無視している。

「君が『クロスの会』のメンバーが殺されたことを危惧して、生徒を守ろうとしている。君の中で『クロスの会』は危険なんだろ? ならどうして、それに一人で乗り込んでいくのさ」

 少し、怒っていたのかもしれない。だから最後の方になると声を大きくしてしまっていた。春川はそんな私の言葉に、なんと言っていいかわからないという表情を浮かべて、それでも口を開いた。

「私の言い出したことだもの。ほかの人間を巻き込むわけにはいかないでしょう」

「そうだよ。はっきり言ってあげよう、君は言い出さなくてよかったんだ」

「……無視しろというの?」

 春川が怒ったようだ。声や表情には出さないが、雰囲気で分かる。

「そうだよ。うちの大学内で信者がいたり、布教活動をしたりする宗教団体の信者が殺された。それだけだ。大学に危害が加えられる可能性なんて少ない。はっきり言って、君が何をそんなに危惧しているか、私は分からないんだよ」

「もめてるのよ」

「は?」

「『クロスの会』は今、内部で二つに分かれているの。意見の違いらしいわ、詳しくは知らない。けど殺された男が、その抗争に熱心に参加していたのよ」

「それで殺されたとしても、大学には」

「レイ、あなたは甘いわ。今、そんな危うい組織を大学に入れて、生徒の間で諍いが起きたらどうするのよ?」

 突拍子もない発想だと言えば、彼女は否定するだろう。彼女が説いているのは可能性の話だ。可能性に突拍子も何もない。可能性は、あるかないかだけだ。

 彼女は可能性があるので、それを排除したいと言っているのだ。私から言わせれば、いや私じゃなくてもこう思う、心配性すぎると。

 それでも今彼女の瞳に見えるのは、まっすぐと私を見つめ、意見を曲げるつもりはないと伝えてくる、強い意志だった。

 また、ため息を吐く。多分、言葉をどれだけ費やそうと彼女を止めることはできない。言葉は所詮言葉。今彼女の目に宿っている想いにはきっと勝てない。

「いいよ。分かった、君のその熱心さには負けたよ。けどね。一人では行かせない。私も同行するからね」

「危ないとあなたが言っておいて?」

「そうさ。私のこのナイスバディになにかあったら君が責任をとるんだよ。やさしく看病して、同じベットで寝て、熱いキスをするんだ、ディープね。それで許しあげよう」

 少し投げやりになっているのは自覚できた。けどどうしたって彼女が我を通すというのなら、私だってそれに右に倣えをするわけだ。これでお互い文句無しだろ。

「けどちょっと心外だよ。あのね君、私に一声くれてもいいじゃないか。なにも一人で抱え込むことじゃない」

「あなたは疲れてると思ったのよ」

 そりゃ、確かに疲れはまだある。三週間フルに働いてきたのだから当然だ。けどそれを耐えれないほど老いてない。十代はもう終えてしまったが、まだぴちぴちの二十歳だ。

「疲れていたって、君のためならなんとかする。これはおふざけで言ってるんじゃないよ、真剣だ。私は友人として、君を大切にしてる」

 私の身を考えて遠慮したのなら、それはそれでやっぱり嫌だ。私は彼女という友人とはまだ二年のつきあいだが、それでもとてもいい関係を築けていると思っているから。

「私だってそうよ。けど、いいの?」

「何がだい?」

 彼女が上目遣いで尋ねてくる。

「もしかしたら変なことに巻き込んじゃうかもしれないわよ」

 なんだそんなことかと拍子抜けだった。大丈夫さと答えて、私はテーブルの上にあった、『クロスの会』のチラシを人差し指でこつこつと二度叩いて、自嘲気味に笑って見せた。

「厄介ごとと、怪しげな組織に関わるのは慣れてるよ」

大学内での宗教活動は本当に困ります。

うちの大学も困ってました。

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