春風
大学3年生の蓮見は、ある日同級生の春川の様子がおかしいことに気づき、そのわけを尋ねるのだが……。
〔プロローグ〕
「約束を違えるというのか」
目の前の人物に対して、そう糾弾するとその人物は、複雑な表情をした。申し訳なさそうな、それでも強い決意に満ちた、しかしながらどこかで自分を哀れむような顔だった。
「いったい、どうなるのかわかっているのか」
「覚悟できている」
ばかばかしい。覚悟できている、なんて言葉は最初に聞いた。今とは違う意味合いだが、確かに「覚悟できている」と言った。しかし今の彼の言葉は、それを裏切るということに直結していた。
なんて不遜な覚悟だろうか。
「やらなければいけないことがあるんだ」
「それは、我々の目的ではないのか」
やらなければいけないこと。それは自分も持っている。そしてこの人物も同じものを抱えていたはずなのに、それを否定するのか。あり得ない。
「すまないとは思っている」
「そんな問題ではない」
「わかっている。けど、仕方ないんだ」
長いつきあいをしてきた。話し合えば、わかってくれるかと思っていたが、どうやら決意は揺るがないようだ。今はどんな言葉も無意味だろう。
だが、決意が揺るがないのも、覚悟しているのも、自分も同じだ。
だから、これしかないなと思った。
ゆっくりとポケットからナイフを取り出していくと、その人物は驚きもせずにじっとこちらを伺っていた。まるでこうなることをわかっていたかのようだ。
「やめよう」
優しい口調でそう言ってくる。
それが、最期の言葉になった。
一章【女には向かない職業 “An Unsuitable Job for a Women”】
春が悪い。
ビール業界と税金のいたちごっこの産物、第三のビール。値が安いことが強みであるが、本来のビールのうまみが失われてしまっているのが残念なところだ。
そんなビールの缶が五本入ったビニール袋を足下においてある。最初は十本入っていたのだが、消えた半分は空になって目の前の机の上で転がっている。
大学の部活棟の一室であるここ、一応写真部の部室ということにんっている私の寝床兼休憩室。置いてあるものは机と、キャスターのついた回転イス。私は今、イスに座ったまま、窓の外を眺めていていた。
手に持っていた缶を口の上で逆さにしてみるが、もう一滴もでてこない。空になったみたいなので、またテーブルの上に放り出す。そしてイスの足下へ置いていた袋からまた一本取り出す。
プルタブをあけると、心地いい音が鳴る。
大学の中での飲酒は原則禁止されている。もう何度も破ってきた規則なので、破ることに罪悪感はない。しかし今日に限っては、私は悪くないんだと言いたい。
春が悪い、と。
この部屋は部室棟の三階にあり、そこから大学を見渡せる。今日、春休みがあけて初めて、睡眠のために訪れたら大学内にある桜が満開を迎えているのが窓の外からよく見えた。こうなると、一杯呑みたくなるのは仕方ないことである。
だから、次の授業は休むという連絡を友人にして、出席点だけは稼いでもらうことにして、私は大学の近くのコンビニでビールを買い込んで、そして今現在、桜をあてにして酒を楽しんでいるというわけだ。昼間から飲み過ぎたとは思っているが、それもひっくるめて、春が悪い。
もとより、私は数日前まで少し遠出をしていて、その間禁酒を強いられていたので少しだけ暴飲したかった。
程良く体が温まってきたところで、外の様子をゆっくり眺めていたら、部室棟の前を歩いている女性が目に入った。長い黒髪を優雅に揺らしながら、真っ直ぐとした背筋のきれいな姿勢で歩いていく姿。
春川だ。一目で分かったのはさすがだろう。私が彼女を見間違えるはずがない。この春でお互いに三回生になった、まだ二年のつきあいだが、かなり深い交流の仕方だから。
けど、明らかにいつもと様子が違う。彼女を見かけるのは久しぶりだが、それでもおかしいとは分かる。上から眺めるだけなのでなんともいえないが、彼女はうつむいて歩いていた。
これはとんでもないことだ。春川という女性はそんじょそこらの二十歳とは違う。何か悩みや困難があっても、それをどんな手段を使っても解決できる精神力の持ち主だ。だから彼女がうつむくというのはすごいことだ。
これは放っておけないなと思って、イスから立ち上がるとやはり酔いが少しきているようで、立ち上がった瞬間によろめいてしまった。
「おっとっと」
バランスを整えて、空き缶を部室のゴミ箱へつっこみ、のこっているものは鞄につめた。部室からでて、急いで春川をおいかけねばと考えていたため、少し早歩きで廊下を歩いていたら角から出てきた人物とぶつかりそうになったのを、何とか回避する。
「すまないね」
ぶつかりそうになったのは、私より身長が低めの女だった。見たことがないので、もしかしたらこの春に入学してきた生徒かもしれない。青のジーパンに、黒の上着を着こなしながら、大きなサングラスをかけている姿はずいぶん派手だ。
彼女は別に私のことなど気にしてないのか、こちらこそと一言無機質に答えて、そのまま歩いていった。私もかまっている時間がないので、そのままその場を去った。
部室棟から出てしばらく歩くと、大学から外へでる西門がある。日中はほとんど解放されているので門という感覚はないが、夜間は一応ふさがる。
そこから外へでると、車道横の歩道を歩いている春川の後ろ姿をとらえた。どうやら見失わずに済んだようだ。
「ハニー、待っておくれ」
そんな声を彼女にかけるのは、私だけだから彼女は振り向くこともせず、ただ立ち止まってため息をついた。
「相変わらずね、一ヶ月ぶりなのに」
「そんな時間で私の君に対する愛が冷めるわけがないじゃないか」
「恥ずかしいから、やめてよね」
そこでようやく彼女が振り向いた。同じく二十歳だというのに、彼女の方が大人っぽい。私が子供っぽいというのなら別にいいのだが、彼女がずば抜けて大人っぽいのだからうらやましい。
「お久しぶりだね、会いたかったよ。感動の再会?」
「残念ね。あなたにあげるほど、私の涙は安くないの」
「あはは、つれないね。安心したよ」
春川が私のおちゃらけを相手にしてくれないのはいつものことだ。それでこそ彼女だ。多少、顔色がよろしくないように見えるが、彼女は変わっていない。
顔色がよろしくないと思ったのは、色白の彼女だからよく目立つのだが、目の下にくまが見えたからだ。
「さて、どこへ行くのかな。まだ授業中のはずだけど。まじめな君らしくないね」
「授業中だというのならあなたもよ。それにその顔の赤さ、また校内で呑んでたでしょう。禁止だって、何回言えば分かるのよ」
「顔が赤いのは君がいるからさ」
「真剣に言ってるの」
「じゃあ真剣に答えよう、春が悪い」
もう何を言っても無駄と分かったのだろう、彼女は肩をすくめて「もういいわ」と会話を終わらせた。真剣に答えたのにこんなリアクションって、あんまりじゃないか。
彼女がこういう規則ごとにうるさいのは、根の性格がまじめだというのが一番の理由だが、彼女の役職も問題だ。彼女は去年の冬、見事に大学自治会の会長となった。この大学の生徒のトップということになる。好き好んでそんな面倒な立場になるというのだから、彼女はずいぶん変わっている。
私なんかはそういう面倒なことは避けて生きているので、理解できない。けれど、大学自治会など一般の生徒からすればあってもなくても同じだが、トップが彼女だということだけで個人的のは安心できる。リーダーシップと、冷静沈着すぎる性格はそういう役職にはもってこいだろう。
無駄に世話焼きなのはなんとかした方がいいと思うが、これを言う度に「あなたにだけは言われたくない」と返されるので何とも言いがたい。
「まあ、私のことが気になるのは分かるけど、私としては君のことの方が気になるね。せっかくの美人がもったいないくらい、疲れた顔をしているよ。しんどいのなら私の胸の中で眠るかい。安心してくれて大丈夫だよ、変なことは少ししかしないから」
ちなみに少しのさじ加減はこちらにゆだねてもらう。
「……私、そんな顔をしているかしら」
私の誘いを見事に無視した彼女は、自分の頬をさすった。
「少なくとも私には元気には見えないね。弱ってるように見える。けど安心するといい、弱っている君もまた可愛いから。私が男ならちょっとあぶなかったね」
「今日いろんな人にあったけど、そんなこと言ってきたのはあなただけよ」
ああ、悪癖がでたな。彼女の顔色は確かに悪い、いつもの調子では絶対にない。きっと彼女はそれを無意識に隠したのだ。人のことはさんざん心配するくせに、自分の心配はさせない性格なのだ。
私が気づけたのは、彼女が油断していたからだろう。
「みんな真剣に君を見ていないのさ。私はいつだって真剣だからね。今だって胸の高鳴りが止まないよ」
三回目でようやく彼女がリアクションをしてくれた。チョップを額に当てられただけだが。
「恥ずかしいことばっかり道で言わないでよ」
「恥ずかしがることはないよ、ハニー」
「そのふざけた言い方もやめなさい」
「分かったよ。けどね君、冗談でもおふざけでもなく、君の顔色は悪いね」
じゃなきゃ一人花見を中止してまで追いかけてくるものか。
彼女は少し困った顔をしていた。たぶん、疲れそのものは彼女だって自覚しているだろう。ようはそれを指摘されるなんて思っていなかったんだ。性格的に、倒れるまで動くタイプだから。
「友人としてのアドバイスさ。今日は家に帰って休みなよ。私の胸の仲でもいいよ」
「そういうわけにはいかないわよ」
彼女はそういうと左腕にした腕時計を見た。
「誰かと待ち合わせでもしているのかい」
「そうなの。やっと話し合いの場を設けてもらったのよ。ここで断ったら次いつになるか分からないわ」
誰との約束かはしらないが、どうやら会うのにわざわざアポイントメントをとらなければいけないほどの人物らしい。しかも断ると次いつになるか分からないなんて、彼女はどんな大物と会うつもりなのか。
「一体誰と約束しているのさ?」
そんな当たり前に気になることを尋ねると、彼女は口ごもった。答えたくないということか。
「まさか私というものがありながら男かい?」
「あなたというものって何よ。大した約束じゃないわ」
「なら教えて欲しいね。それとも何かい、私にストーキングして欲しいのかい。君が相手なら地獄の果てまでだって追いかけてあげるよ」
こんなふざけた感じで言っているが、彼女が教えてくれないなら追いかけることくらいのことは本気でする。気になる気にならないの問題じゃなく、放っておけない。
彼女は私の発言が本気だと察してため息をついた。
「……お節介ね、本当に」
「ほめ言葉と受け取っておくよ、お互い様だけどね」
彼女はまた腕時計を見て、何かに納得しように頷いた。
「時間はまだあるし、どこかでお茶でもしながら話しましょう」
「できればお酒がでるところがいいね」
「分かった。おいしい喫茶店が近くにあるわ」
なるほど、笑えない冗談じゃないか。
お読みいただき、ありがとうございます。
内容は「あらすじ」に書いた通りで、今回は1回目に更新となります。
まだ何も事態は動きませんが、しばらくは生暖かく見守ってくださればと思います。
この作品と同じ主人公の物語が、この作品が公開されると同時に完結してるはずです。
もしよろしければ、そちらもどうぞ。




