第64話-楽しいがいっぱい
お出かけの日の朝。
レトは、いつもより早く起きた。
早く起きすぎた。
監理局の廊下はまだ静かで、照明も夜間運用から朝の明るさに切り替わる途中だった。
淡緑の髪を左側のワンサイドテールにまとめ、青いキューブの髪飾りを揺らしながら、レトは廊下の真ん中でそわそわしていた。
「まだかな……」
集合時間まで、一時間半あった。
レトは足元を見る。
「早すぎたかな」
廊下は答えない。
レトは少し考えて、こくんと頷いた。
「でも、遅刻よりえらい」
そう自分に言い聞かせた直後、背後から声がした。
「早すぎ!」
ロジーだった。
ピンク髪のツインおさげを揺らし、頭上デバイスに大きく**『おでかけ記録モード』**と表示している。
厚めの上着。
ふわふわのマフラー。
ポケットは明らかに多い。
そして本人は、集合時間一時間半前にもかかわらず、すでに全力で浮かれていた。
レトはぱっと振り向いた。
「ロジーも早い!」
「私は記録準備があるから早いの!」
「わたしも準備があるもん!」
「何の?」
「わくわくの準備!」
ロジーは一瞬黙った。
そして真顔でデバイスに入力した。
「記録。レト、集合一時間半前からわくわくの準備を開始」
「ロジー、それ書くの?」
「重要記録だよ!」
「重要なの!?」
「重要! 今日のレトは朝からかわいい!」
「もうっ!」
レトが頬を膨らませた時、廊下の奥から小さな足音がした。
二人は同時にそちらを見た。
エルだった。
白髪のボブの毛先が淡くピンクに揺れる。
髪には、小さな淡いリボンと、レトが作った硝子の星飾り。
胸元には月のブローチが一つ。
白いフリルの服に、ふわふわした淡い青の上着。
鞄は昨日よりずっと軽い。
足元は、片方が淡い青、片方が淡いピンクの靴下。
整えられた、エルのおでかけ服。
エルは二人の前で止まった。
「おはよう」
レトの目が輝いた。
「エル、かわいい!」
ロジーが両手を上げた。
「完成度が高い! 昨日の作戦成果が朝日を浴びてさらに上がってる!」
エルは自分の髪飾りに触れた。
「朝でも、かわいい?」
「かわいい!」
「かなり!」
エルは少しだけ満足そうに頷いた。
「じゃあ、成功」
レトはエルの周りを一周した。
「鞄、軽い?」
「うん。かわいい石は待ってる」
「お留守番できてる?」
「できてると思う」
ロジーがすかさず記録した。
「かわいい石、自室待機中。帰還後にただいま予定」
「ロジー、それも書くの?」
「書くよ! 今日の全部を書く!」
エルは首を傾げた。
「全部?」
「そう! 今日の楽しいを全部!」
その言葉に、エルは少しだけ目を瞬かせた。
「楽しい、全部」
「全部!」
レトが両手を握った。
「今日はね、いっぱい楽しい日になるんだよ!」
エルは二人を見る。
「いっぱい」
「うん! お店を見る楽しい、選ぶ楽しい、食べる楽しい、歩く楽しい、写真を撮る楽しい、帰ってお兄さんに報告する楽しい!」
ロジーが指折り数える。
「あと、迷わない楽しい、外務班職員さんの胃を痛めすぎない楽しい、ロジーちゃんの完璧記録が残る楽しい!」
「最後のはロジーの楽しいだよ!」
「楽しいは共有可能です!」
エルは、少しだけ考えた。
「楽しい、多いね」
レトは大きく頷いた。
「多いよ!」
その時、玄関ホールの方から外務班の職員が現れた。
きっちりした制服。
手元には行程表。
表情は落ち着いているが、目の奥にはすでに覚悟があった。
「三名とも、おはようございます。集合時間よりかなり早いですが」
ロジーが即答した。
「おでかけは集合時間の前から始まってます!」
外務班職員は一拍置いた。
「……精神状態の確認としては良好ですね」
レトが手を挙げる。
「職員さん! わたし、今日は走らないようにします!」
「ありがとうございます。大変重要です」
「あと、商品を制圧しません!」
「それも重要です」
ロジーも手を挙げる。
「私は無許可で店舗システムにアクセスしません!」
「最重要です」
エルも手を挙げた。
「あたし、作らない」
外務班職員は少し表情を和らげた。
「はい。欲しいものがあっても、まず見る。選ぶ。買う。分からなければ聞く。よろしいですね」
エルは頷いた。
「買う過程が大事」
「その理解で問題ありません」
そこへ、ジェレミーが現れた。
レトの姿勢が一瞬でぴんと伸びた。
「お兄さん!」
「早いな」
「うん! おでかけだから!」
ジェレミーは三人を順に見た。
レト。
ロジー。
エル。
そしてエルの服装で、わずかに視線を止めた。
「エル」
「うん」
「よく似合っている」
エルは胸元の月のブローチに触れた。
「レトとロジーが整えた」
「そうか」
ジェレミーは短く頷いた。
「良い仕事だ」
レトがぱあっと顔を輝かせた。
「ほんと!?」
ロジーはデバイスを光らせた。
「局長評価、良い仕事! これは正式記録!」
ジェレミーはロジーを見る。
「公開範囲は?」
「三人と局長と、あと私の心!」
「心は管理できないな」
「はい!」
レトはその横で、もうすでに手を振る準備をしていた。
ジェレミーは淡々と言う。
「行ってこい。外務班の指示に従うこと。帰還後は報告」
「うん! 行ってきます!」
レトは手を振った。
一回。
二回。
三回。
そして、我慢できずに四回目を少しだけ振った。
ロジーが小声で言う。
「予想より一回多い」
「ロジー!」
エルも小さく手を上げた。
ふり。
「行ってくる」
ジェレミーは頷いた。
「行ってこい」
その言葉を背中に受けて、三人は監理局を出た。
移動ゲートを抜けた先は、商業惑星の雑貨街だった。
空は明るい。
建物の壁には、星や花や小さな魔術灯が飾られている。
道沿いには、硝子細工の店、布小物の店、香りのする焼き菓子屋、映える飲み物の屋台、手作りアクセサリーの露店が並んでいた。
人の声がする。
店員の呼び声。
子どもの笑い声。
食器の音。
魔術灯の柔らかな鳴動。
靴音。
遠くの噴水。
レトはその場で固まった。
「……いっぱい」
ロジーのデバイスが高速で記録を始める。
「雑貨街到着! 視覚情報多め! 匂い情報、焼き菓子強め! レト、現在語彙が『いっぱい』になりました!」
エルは周囲をゆっくり見回した。
「人が、選んでる」
レトが顔を上げる。
「うん!」
エルは店先の小物を見る。
「こっちも、あっちもあるのに、一つずつ見てる」
ロジーは少しだけ声を柔らかくした。
「そう。選ぶのも楽しいんだよ」
「全部じゃなくて?」
「全部じゃなくても楽しい」
エルは、雑貨街の人々を見た。
親子がリボンを選んでいる。
友人同士が同じ形の飾りを色違いで見比べている。
店員が、迷っている客に箱を開けて見せている。
エルはぽつりと言った。
「昨日の、引き算のかわいい」
レトがぱっと笑う。
「そう!」
ロジーも頷く。
「お買い物も引き算がある! 全部買うんじゃなくて、今日の自分に合うものを選ぶ!」
エルは真剣に頷いた。
「今日のあたし」
最初に入ったのは、硝子細工の店だった。
透明な棚に、小さな動物。
星。
花。
月。
鳥。
小瓶。
羽。
指先ほどの硝子の靴。
光が当たるたびに、店内のあちこちで淡い色が揺れた。
レトは完全に目を奪われた。
「きれい……!」
店員が微笑んで近づく。
「いらっしゃいませ」
外務班職員が、自然に一歩前へ出た。
「惑星監理局です。事前申請済みの外出です。購入と見学のみ、魔術行使なし」
店員は慣れた様子で頷いた。
「承っております。ご自由にご覧ください」
レトは小さな硝子の星を見つめた。
「わたしのと違う」
エルが隣に立つ。
「レトの硝子は、青白い」
「うん。ここのは、やさしいね」
レトは手を伸ばしかけて、止めた。
「触っていいですか?」
店員が嬉しそうに頷く。
「はい。こちらは大丈夫ですよ」
レトはそっと星を持ち上げた。
壊さないように。
熱を出さないように。
戦闘用の短剣を扱う時とは全然違う慎重さで。
「……かわいい」
ロジーが撮影許可を確認してから、写真を撮った。
「レト、硝子細工店で硝子細工に感動中!」
「ロジー、実況しないで。星がびっくりする」
「星はびっくりしないよ」
「でも、やさしいから」
エルが硝子の鳥を見ていた。
透明な鳥。
翼に淡いピンクが入っている。
エルはしばらく黙って、それを見た。
レトが横から覗く。
「エル、それ好き?」
「うん」
「買う?」
エルは一瞬、指を動かした。
作る、という選択が頭をよぎったのが分かった。
でも、エルは手を止めた。
「買う」
ロジーが小さく拳を握った。
「えらい!」
外務班職員も静かに頷いた。
「適切です」
エルは店員へ顔を向けた。
「あの鳥、ください」
店員は硝子の鳥を小さな箱に入れた。
包装紙を選べます、と言われて、エルは固まった。
「包装紙も、選ぶ?」
ロジーが目を輝かせる。
「そう! ここにも楽しいがある!」
包装紙は三種類あった。
星柄。
花柄。
無地に小さなリボン。
エルは迷った。
長く迷った。
普段なら、欲しい結果を即座に作れるエルが、包装紙三枚の前で真剣に迷っていた。
レトは隣で待った。
ロジーも待った。
外務班職員も、何も急かさなかった。
エルは、やがて星柄を指差した。
「これ」
「理由は?」
ロジーが聞く。
エルはレトの髪飾りを見て、自分の髪の硝子星に触れた。
「今日、星だから」
レトは両手を胸の前で握りしめた。
「エル……!」
ロジーは小声で言った。
「これは記録していい?」
エルは頷いた。
「いいよ」
次に向かったのは、布小物の店だった。
そこでは、ロジーが完全に主役になった。
リボン。
ポーチ。
マフラー。
小さな巾着。
刺繍の入った手袋。
色違いの靴下。
ロジーは店内に入った瞬間、深呼吸した。
「かわいい布の気配!」
レトが真剣に言う。
「気配が分かるの?」
「分かる!」
「すごい!」
外務班職員は否定しなかった。
たぶん、否定しても仕方がないと思った。
ロジーは小さなポーチを手に取った。
「これ、デバイス用の記録タグ入れにいい!」
レトは別のポーチを持つ。
「こっちはお菓子入るよ!」
「それも重要!」
エルは、二人が迷っている様子を見ていた。
「ロジーは、いっぱい見るね」
「見る! 全部見る! でも買うのは選ぶ!」
ロジーは胸を張る。
「全部残したい気持ちと、今日持ち帰るものは別!」
その言い方は、ロジーらしく明るかった。
でもエルは、少しだけ真剣にそれを聞いた。
「残すと、持つは違う」
ロジーは一瞬だけ瞬いた。
それから、にっと笑った。
「そう! 記録に残すのと、鞄に入れるのは違う!」
レトが横から言う。
「石もそうだったね」
エルは頷いた。
「石は待ってる」
ロジーはエルの鞄に合う小さなリボンチャームを見つけた。
淡い青と淡いピンクが半分ずつ。
「エル、これどう?」
エルはそれを見る。
「レトとロジー」
「そう!」
レトが笑う。
「また左右だ!」
エルは少しだけ迷って、店員に言った。
「これも、ください」
ロジーは嬉しそうに跳ねた。
「採用された!」
レトも跳ねた。
「おそろい気持ちチャーム!」
「名前それ?」
「今つけた!」
「採用!」
エルはチャームを鞄につけてもらった。
小さく揺れる、青とピンクのリボン。
エルは歩くたびにそれを見る。
「揺れる」
「かわいい?」
レトが聞く。
「うん」
「楽しい?」
ロジーが聞く。
エルは少し考えた。
「ちょっと楽しい」
ロジーはデバイスに入力した。
「エル、揺れるチャームに“ちょっと楽しい”判定!」
「ちょっとじゃなくなるかも」
エルが言った。
ロジーの手が止まる。
「更新可能?」
「うん」
「じゃあ、記録に余白を作る!」
次はカフェだった。
ロジーが朝からずっと言っていた、映えるカフェ。
店内は淡い色の壁紙と、星形の照明。
飲み物には小さな魔術光が浮かび、ケーキには惑星みたいな飾りがついている。
レトはメニューを見て、真剣な顔になった。
「プリンがある」
ロジーも真剣になった。
「映えるパフェがある」
エルはメニューを見た。
「人が美味しそうに食べてるものが、いっぱいある」
外務班職員は席に着きながら言った。
「一人一品まで。追加注文は食べ終わってから判断です」
レトはうなずいた。
「わたし、プリン!」
ロジーは言った。
「私は星雲パフェ!」
エルは迷った。
メニューを見る。
周りの席を見る。
レトを見る。
ロジーを見る。
「エルは?」
レトが聞く。
エルは少し考えて、店員を見た。
「あたし、人が笑ってるやつがいい」
店員は一瞬だけ驚いたあと、にっこりした。
「では、こちらのミニパンケーキはいかがですか。焼きたてで、皆さんよく笑ってくださいます」
エルは頷いた。
「それ」
ロジーが小声で言う。
「注文理由がエルすぎる」
レトも小声で言う。
「でも、いいね」
料理が運ばれてくるまでの間、ロジーは撮影許可を取り、レトはそわそわし、エルは店内の人々を見ていた。
「みんな、食べる前から嬉しそう」
エルが言った。
レトは足をぱたぱたさせる。
「待ってる時間も楽しいよ!」
「まだ食べてないのに?」
「うん! もうすぐ来るって思うと、胸がぽかぽかする!」
ロジーが頷く。
「期待の楽しいだね!」
エルは胸に手を当てた。
「期待」
「エルもある?」
エルは少し考えた。
「パンケーキ、まだ来てない。でも、来るのを見てる」
「それ!」
ロジーが指を立てる。
「それが期待!」
やがて料理が来た。
レトの前には、つやつやのプリン。
ロジーの前には、星雲みたいにきらきらしたパフェ。
エルの前には、小さなパンケーキが三枚。白いクリームと、星形の砂糖飾りが乗っている。
レトは両手を合わせた。
「いただきます!」
ロジーも言う。
「いただきます! その前に写真!」
レトがスプーンを構えたまま止まる。
「早くして!」
「はいはい! 一枚! 二枚! エルのも撮っていい?」
エルは頷いた。
「いいよ」
ロジーは撮った。
エルはパンケーキを見て、フォークを持つ。
小さく切る。
口へ運ぶ。
少し噛む。
止まる。
レトが覗き込む。
「どう?」
エルは、しばらく考えた。
「……ふわふわで、あったかい」
「美味しい?」
「うん」
エルはもう一口食べた。
今度は少しだけ早い。
「人が笑う理由、少し分かる」
ロジーが目を丸くした。
レトは嬉しそうに笑った。
「よかった!」
エルはパンケーキを見た。
「これ、作るの難しい?」
レトとロジーは同時に身構えた。
「エル?」
「魔法じゃなくて」
エルはフォークを持ったまま言う。
「あたしが、焼く」
レトの顔がぱっと輝いた。
「ミニキッチンで!?」
「うん」
ロジーが興奮で震えた。
「本格おままごと調理設備の活躍予定が増えた!」
外務班職員が静かに紅茶を飲んだ。
「帰還後、生活班の監督下でお願いします」
「はい!」
三人は同時に返事をした。
カフェを出たあとは、街の広場へ向かった。
中央には小さな噴水があり、水が光を反射してきらきらしていた。
噴水の周りには、休んでいる人、写真を撮る人、子どもを抱いた人、買ったものを見せ合う人たちがいた。
ロジーは足を止めた。
「集合写真撮りたい!」
レトが手を上げる。
「撮る!」
エルも頷く。
「撮る」
外務班職員が周囲を確認し、邪魔にならない場所を選ぶ。
ロジーのデバイスが浮かび、カメラモードになる。
「はい、三人寄って!」
レトはエルの左に立った。
ロジーは右に立った。
エルは真ん中に立った。
レトがエルの手を握る。
ロジーもエルの手を握る。
エルは二人を見た。
「真ん中」
「うん!」
「今日の主役だからね!」
エルは瞬きした。
「あたし、主役?」
レトは当然のように言った。
「エルのおめかしお出かけの日だから!」
ロジーも当然のように言った。
「記録タイトルもそうだよ!」
エルは少し考えてから、カメラを見る。
「主役、する」
ロジーが笑った。
「はい、撮るよー! 楽しい顔!」
レトは満面の笑顔。
ロジーはにっこり。
エルは少しだけ迷って、それから小さく口を開けて笑った。
撮影音。
デバイスに写真が表示される。
レトが歓声を上げた。
「かわいい!」
ロジーが胸を張る。
「完璧!」
エルは写真をじっと見た。
画面の中の自分は、二人に挟まれていた。
手を繋がれていた。
胸元の月が光っていた。
青とピンクの靴下が並んでいた。
「これ、今日?」
ロジーは頷いた。
「今日!」
エルは写真を見たまま言った。
「今日、見える」
ロジーの表情が少しだけ柔らかくなる。
「そう。記録すると、今日が見える」
「ロジーは、こういうのを残してる?」
「うん」
「楽しいも?」
「楽しいも」
エルは頷いた。
「じゃあ、今日、残して」
ロジーは、一瞬だけ黙った。
それから、いつもの調子で大きく頷いた。
「任せて! 今日の楽しい、全部じゃなくても、ちゃんと残す!」
レトが言う。
「全部じゃないの?」
ロジーは笑う。
「全部は無理! でも、大事なのは残せる!」
エルは言った。
「全部じゃなくても、楽しい」
ロジーが指を鳴らした。
「そう!」
その後も、楽しいは次々に増えた。
レトが露店の小さなプリン型キーホルダーを見つけて、真剣に「これはお兄さんに見せるべき」と言い出した。
ロジーが星型のメモ帳を買って、今日の記録専用にすると宣言した。
エルは小さな白い鳥の刺繍が入ったハンカチを選び、「買うと、持って帰れる」と確認した。
途中、レトは噴水に落ちそうな小さな紙袋を見つけて、反射的に空間魔術で取ろうとした。
外務班職員が静かに言った。
「レト」
レトはぴたりと止まった。
「……魔術、だめだった」
「緊急性は低いです。手で届きます」
レトは慎重に手を伸ばし、紙袋を拾った。
「手で取れた!」
ロジーが拍手した。
「魔術なし救助成功!」
エルも拍手した。
「手、便利」
レトは少し得意げになった。
「うん。手もすごい」
持ち主の子どもが戻ってきて、紙袋を受け取る。
「ありがとう」
レトは胸を張った。
「どういたしまして!」
その後、子どもが走って戻っていくのを見ながら、エルがぽつりと言った。
「ありがとうって言われる楽しい」
レトは頷く。
「それもある!」
ロジーが即座に記録した。
「楽しい分類、ありがとうって言われる楽しい。発見者、エル」
夕方が近づく頃、三人は雑貨街の入口に戻ってきた。
鞄の中には、それぞれが選んだもの。
レトの硝子の星。
ロジーのポーチとメモ帳。
エルの硝子の鳥と、青とピンクのリボンチャームと、小さなハンカチ。
たくさん買ったわけではない。
けれど、たくさん見た。
たくさん迷った。
たくさん笑った。
たくさん待った。
たくさん選んだ。
外務班職員が行程表を確認する。
「帰還時間です」
レトは名残惜しそうに雑貨街を振り返った。
「もう?」
ロジーも振り返る。
「まだ記録できる楽しいがあるのに!」
エルも振り返った。
「でも、帰る楽しいもある?」
レトとロジーは同時にエルを見た。
エルは、買った硝子の鳥の箱を抱えている。
「帰って、見せる。話す。石にただいま言う。パンケーキのこと考える」
レトの顔が輝いた。
「そうだ! 帰ってお兄さんに報告する楽しい!」
ロジーも頷く。
「帰還後記録整理の楽しい!」
外務班職員が静かに言った。
「帰還報告までが外出です」
レトが元気よく返事をした。
「はい!」
帰還ゲートを抜けた時、監理局の玄関ホールは夕方の光に包まれていた。
レトは帰ってきた瞬間、ぱっと顔を上げた。
「お兄さんいるかな!」
ロジーがデバイスを確認する。
「局長、たぶん執務室」
外務班職員が言う。
「まず帰還報告です。順番に」
レトは姿勢を正した。
「帰還しました! 魔術は使ってません! 商品を制圧してません! プリンを食べました!」
「最後は報告対象ではありませんが、良好です」
ロジーが続く。
「帰還しました! 無許可アクセスなし! 撮影は許可範囲内! 記録分類も設定済み!」
「良好です」
エルは少し考えてから言った。
「帰った。作らなかった。買った。楽しかった」
外務班職員は微笑んだ。
「大変良好です」
その後、三人は局長室へ向かった。
ジェレミーは執務机にいた。
三人が入ると、顔を上げる。
「戻ったか」
レトは一歩前に出た。
「お兄さん! ただいま!」
「おかえり」
その一言で、レトはもう嬉しそうだった。
ロジーが早速デバイスを展開する。
「局長! 本日の外出記録、要約版があります!」
ジェレミーは椅子に座ったまま言った。
「長さは」
「短縮して三十分!」
「三分にしろ」
「かなり圧縮されました!」
レトが硝子の星を見せる。
「これ買ったの! わたしの硝子と違って、やさしい硝子!」
ジェレミーはそれを見た。
「良いものを選んだな」
「うん!」
ロジーはメモ帳を見せる。
「これは今日の楽しい専用!」
「記録しすぎるなよ」
「分類します!」
「ならいい」
エルは、星柄の箱を両手で持っていた。
少しだけ前に出る。
「ジェレミー」
「何だ」
「買った」
箱を開ける。
中には、淡いピンクの翼を持つ硝子の鳥。
ジェレミーはしばらくそれを見た。
「綺麗だ」
エルは頷いた。
「作らないで、買った」
「その過程も含めて、君のものだ」
エルは、少しだけ目を細めた。
「うん。あたしの」
レトが嬉しそうに言う。
「エル、包装紙も選んだんだよ!」
ロジーが続ける。
「星柄! 理由は今日が星だから!」
ジェレミーはエルの髪飾りを見る。
「そうか」
エルは髪の硝子星に触れた。
「今日、星だった」
その日の夜。
エルは自室に戻ると、机の上のかわいい石に向かって言った。
「ただいま」
石は答えない。
でもエルは気にしなかった。
「今日は、楽しいが多かった」
机の上に、買った硝子の鳥を置く。
隣に、ロジーからもらった記録写真の小さな印刷版を置く。
そこには、噴水の前で三人が写っていた。
レトは笑っている。
ロジーも笑っている。
エルも、笑っている。
エルは写真を見た。
「見る楽しい。選ぶ楽しい。待つ楽しい。食べる楽しい。ありがとうって言われる楽しい。帰る楽しい。話す楽しい」
それから少し考えて、付け足した。
「一緒の楽しい」
部屋の外から、レトの声がした。
「エルー! ロジーが今日の写真見せてくれるって!」
続いてロジーの声。
「上映会! ただし公開範囲は三人限定!」
エルは写真を机に置いた。
そして、扉へ向かう。
「行く」
扉を開けると、レトが待っていた。
ロジーも待っていた。
二人とも、まだお出かけの余韻で目がきらきらしている。
レトが手を差し出す。
「今日、楽しかったね!」
ロジーも手を差し出す。
「まだ終わってないよ。振り返りの楽しいがある!」
エルは二人の手を取った。
「うん」
そして、小さく笑った。
「今日、いっぱい」
レトが言う。
「いっぱい楽しい!」
ロジーが言う。
「いっぱい記録!」
エルは言った。
「いっぱい、あたしの」
三人は廊下を歩き出した。
レトは跳ねるように。
ロジーは騒がしく。
エルは二人に手を引かれながら。
お出かけの日は終わりかけていた。
でも、楽しいはまだ少し残っていた。
写真を見る楽しい。
買ったものを並べる楽しい。
明日のパンケーキを考える楽しい。
そして、今日のことを何度も話す楽しい。
その日は、最初から最後まで。
たくさんの楽しいで、いっぱいの日だった。




