第135話- 旧世代ごっこ
惑星監理局、午後の休憩時間。
技術班の休憩室では、六人の職員が思い思いに過ごしていた。
遅い昼食を取っている者。分解した携帯端末をテーブルへ広げている者。冷蔵庫の前で、誰が最後の牛乳を飲んだのか議論している者。
壁際の長椅子では、夜勤明けの職員が資料を顔に載せて眠っていた。
取り立てて変わったことのない、いつもの休憩時間だった。
そこへ、エルが入ってきた。
いつもの水色の上着を羽織り、両手を背中へ回している。白いボブヘアーの毛先が、歩くたびに淡いピンク色を揺らしていた。
いつもなら、まず冷蔵庫か菓子棚を覗く。
けれど今日は、休憩室の中央まで歩いていくと、職員たちの顔を順番に見回した。
「にんげんども、ひれふせ」
休憩室が静まり返った。
携帯端末を分解していた職員の手から、小さなねじが落ちた。硬い音を立ててテーブルを跳ね、床へ転がっていく。
冷蔵庫の前にいた二人も、扉を開けたまま動きを止めた。
窓際でコーヒーを飲んでいた女性職員は、カップを置いてエルを見つめる。表情は穏やかなままだったが、視線はエルの顔から両手、周囲の空間へと素早く移っていた。
「……エルさん?」
エルは答えなかった。
無表情のまま立ち、数秒ほど待ってから口を開く。
「質問を許した覚えはない」
「そうですか」
女性職員はそれ以上近づかなかった。
端末を分解していた職員が、机の下で手首の操作盤を起動する。室内の魔力濃度と空間座標に異常はない。緊急通報も上がっていなかった。
それでも、誰もすぐには警戒を解かなかった。
エルは再び黙り込んだ。
何かを考えているというより、次の言葉が届くのを待っているような沈黙だった。
やがて、小さく頷く。
「あたしは旧世代。この閉ざされた宇宙を統べる者」
声はいつもより少し低い。
ただし、あまり低くなってはいなかった。
「今日の夜ごはんも、星の一つも、あたしの思うままにできる。おそれ、うやまい、あたしに服従しろ」
言い終えたエルは、わずかに首を傾げた。
「……服従しろ?」
誰かへ確かめるような言い方だった。
その直後、何事もなかったように正面へ向き直る。
「いまのは忘れろ」
職員たちの視線が交わされた。
手首の操作盤を見ていた職員が、室内に混じる微弱な通信波を拾い上げる。発信元はエルの耳元。受信元は、三本の廊下を隔てた資料整理室だった。
結果を隣の職員へ見せる。
そこでようやく、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
エルは胸を張った。
ゆっくりと顎を上げ、右手を職員たちへ差し出す。
それから、堂々と言い放った。
「そこで邪悪に笑う」
沈黙が落ちた。
エルは口元へ笑みを浮かべる。
「ふふふ」
邪悪さはなかった。
棚の奥に新しい菓子を見つけたときと、ほとんど同じ笑い方だった。
コーヒーを飲んでいた女性職員の口元に、小さな笑みが浮かぶ。
その直後、エルの耳元に隠された通信機から声が漏れた。
『なんでそこだけ声に出すの!?』
職員たちの視線が、エルの耳元へ集まった。
『違うよ、エル! 顎を上げて、右手を前に出して、それから邪悪に笑うの! そこは台詞じゃない!』
エルは通信機へ指を添えた。
「声に出したほうがおもしろいと思った」
『分かっててやったの!?』
遠くから、何かを激しく叩く音が聞こえた。
続いて、息の途切れた笑い声が通信機から流れてくる。
『そこで邪悪に……! エルが、自分で……!』
『レト、笑ってないで! 声が全部入ってる!』
『だってぇ……!』
端末を操作していた職員が、検出した通信情報を女性職員へ見せる。
音声だけでなく映像も送られており、休憩室の様子が資料整理室へ中継されていた。
女性職員は事情を理解すると、何も知らない顔でエルへ向き直った。
「偉大なる旧世代さま」
「なに」
『エル、威厳! もっと威厳たっぷりに!』
エルは顎を上げ直した。
「なんだ。人間」
「我々へ服従を求めるのであれば、その偉大さをお示しいただけますか」
通信機の向こうで、紙をめくる音がした。
『来た! 予定と違うけど、こういうときの台詞もあるよ!』
ロジーの声が少し遠ざかる。何枚もの紙を慌ただしく探り、すぐに戻ってきた。
『おまえたちなどちいさい、容易く踏み潰せる!』
エルは職員たちを見回した。
「おまえたちなどちいさい、容易く踏み潰せる」
右足をわずかに持ち上げ、床をたんっと踏み鳴らす。
「ぷちっ」
通信機の向こうが静まり返った。
職員たちの視線が、エルの顔と小さな足元を往復する。
『……ぷちっ?』
ロジーの声がした。
「うん」
『“うん”じゃない! いまの、書いてないよ!?』
「付けたほうが、踏み潰した感じがする」
『自分で考えたの!?』
その直後、レトが吹き出した。
『ぷちっ……! エルが、たんってして、ぷちっ……!』
『レト、笑わないで! せっかく威厳が出てたのに!』
『むりぃ……!』
女性職員は一度だけ目を伏せ、何事もなかったようにエルへ頭を下げた。
「恐れ入りました」
そのまま恭しく続ける。
「どの程度ひれ伏せば、お許しいただけますか」
エルは黙った。
通信機の向こうも静かになった。
『ロジー、どのくらいひれ伏すの?』
『私に聞かないで!』
『ちょっとだけ? いっぱい?』
『いっぱい! 旧世代なんだから、ものすごくいっぱい!』
エルは職員たちへ頷いた。
「ものすごくいっぱい、ひれ伏せ」
「承知いたしました」
女性職員は表情を崩さずに応じた。
その頃には、ほかの職員たちもそれぞれの休憩へ戻り始めていた。
端末を分解していた職員は床のねじを拾い、作業を再開する。ただし、エルが次に何を言うのかは気になるらしく、ときどき手を止めて様子を見ていた。
冷蔵庫の前にいた二人も牛乳を巡る話し合いを再開したが、そのうちの一人は、エルの小さな足元を見て微笑んでいる。
遅い昼食を取っていた職員は、食事を続けながら静かに成り行きを眺めていた。
長椅子の職員だけは、資料を顔に載せたまま眠っている。
女性職員が言った。
「では、我々から忠誠の証を献上させていただきます」
『献上! いいね、支配者っぽくなってきた!』
女性職員は棚へ向かい、先ほど補充されたばかりの菓子箱を取り出した。
白い箱の蓋を開ける。
中には、小さな星形のクッキーが並んでいた。
エルの視線が、すぐにそちらへ動く。
「こちらをお納めください」
「うん」
『“うん”じゃない! 威厳!』
エルは箱の前まで歩いていき、クッキーを一枚取った。
「よきにはからえ」
『そう! それ! 今のすごく旧世代っぽい!』
エルはクッキーを口へ入れた。
さくさくと噛み、ゆっくり飲み込む。
「おいしい」
『感想は言わなくていいの!』
「もう一枚ほしい」
『要求はもっと大きく! 金銀財宝とか、星々の支配権とか!』
エルは二枚目のクッキーを取った。
「この箱に入ってるぶん、全部ほしい」
『規模が小さい!』
先ほど牛乳について議論していた職員が、冷蔵庫から一本取り出してエルの前へ置く。
「こちらもどうぞ、旧世代さま」
「ありがとう」
『普通にお礼を言わないでってば!』
牛乳を渡した職員は小さく笑い、そのまま自分の席へ戻っていった。
エルは椅子へ座った。
牛乳を一口飲み、二枚目のクッキーを食べる。先ほどまで人類へ服従を求めていた姿はどこにもなく、完全に休憩時間を満喫していた。
職員たちも、それぞれの時間へ戻っている。
ただ、ときおりエルへ向けられる視線は、どれも穏やかだった。
旧世代による人類支配は、開始から三分ほどでおやつの時間へ変わっていた。
資料整理室では、ロジーが頭を抱えていた。
頭上の思考補助デバイスから投影された中継映像には、星形のクッキーを食べるエルが大きく映っている。
「なんで!? 技術班のみんなを恐怖の底へ落とす予定だったのに、エルだけお菓子もらってる!」
隣では、レトが床に転がっていた。
左側で束ねた淡緑色の長い髪を床へ広げ、腹を押さえたまま足をばたつかせている。笑いすぎて頬は赤く、目元には涙まで浮かんでいた。
「ぷちっ……!」
「まだ笑ってるの!? 計画が大失敗してるんだよ!」
「だって、エルが……ふふっ……ちいさい足で、たんって……!」
「私の完璧な台詞が、全部ぷちってされた!」
机の上には、何枚もの紙が広げられていた。
威厳のある登場方法。人間を震え上がらせる第一声。支配者らしい立ち方。服従を拒否された場合の追加台詞。
字の色まで変えられ、場面ごとに細かな指示が書き込まれている。余白には、レトが描いたらしい王冠をかぶったエルの絵もあった。
中継映像の中で、エルが三枚目のクッキーへ手を伸ばした。
レトの笑いが止まった。
「三枚目!」
「エル、待って! 私たちのぶんも残して!」
ロジーが通信機へ向かって叫ぶ。
エルはクッキーを持ったまま、わずかに首を傾げた。
その動きを見た女性職員が、エルの耳元へ顔を寄せる。
「首謀者のお二人にも、お伝えください」
「なにを?」
「今から三十秒以内にこの休憩室まで来られたら、クッキーを分けてあげると」
一秒の沈黙。
中継映像が大きく揺れた。
ロジーが椅子を蹴るように立ち上がり、レトも床から跳ね起きる。
『行くよ、レト!』
『空間魔術つかっていい!?』
『お菓子のために局内転移したら、ものすごく怒られるよ!』
資料整理室の扉へ飛びついたところで、レトが止まる。
『でも、廊下を走っても怒られるよ?』
ロジーも止まった。
二人で顔を見合わせる。
『……魔術を使うよりは怒られない!』
『そっか!』
『走る!』
資料整理室の扉が勢いよく開いた。
女性職員が壁の時計を見る。
「残り二十六秒です」
二人分の足音が、廊下を激しく蹴り始めた。
『三本先って遠い! なんでそんなに遠い部屋を選んだの、ロジー!』
『近かったら声が聞こえちゃうでしょ!』
『もう聞こえてたよ!』
『それはエルの通信機の音量が大きかったから!』
『エルぅぅぅ! 食べきらないでぇぇぇ!』
エルは手にしていた三枚目のクッキーを食べた。
『食べたああああ!』
「残り十五秒です」
足音がさらに近づく。
その直後だった。
『廊下を走らないでください!』
別の職員の声が響き、足音が乱れた。
『止まれない!』
『ロジー、前! 前見て!』
靴底が床を滑る音が続き、何かへぶつかる寸前で止まった。
『お二人とも、そこで何をしているんですか』
『あと十一秒しかないの!』
『どのような事情があっても、局内を走ってはいけません』
『クッキーがかかってるんです!』
『なおさら走らないでください』
『手を離してぇ! 間に合わなくなるぅ!』
二人とも、その場で職員に捕まったらしい。
エルはクッキーの箱を抱え、通信機から聞こえる説教を静かに聞いていた。
女性職員が時計を見上げる。
「三十秒、経過しました」
しばらくして、休憩室の扉が開いた。
レトとロジーが、二人揃ってしょんぼりと入ってくる。その後ろには、二人を連れてきた職員が立っていた。
「局内を走ってはいけません」
「はい……」
「ごめんなさい……」
エルはクッキーの箱を抱いたまま、二人を見つめた。
「間に合わなかったね」
「途中までは間に合いそうだったの!」
「捕まらなければ、絶対に二十七秒だった!」
「走ったから捕まったんですよ」
二人は返す言葉を失った。
エルは少し考えてから、箱を抱く腕へ力を込めた。
「あたしに服従したら、分けてあげる」
レトとロジーが同時に顔を上げる。
「その台詞、いま使うの!?」
女性職員が口元を緩めた。
端末を組み立てていた職員は、手を止めて三人を眺める。ほかの職員たちも、呆れたような、微笑ましそうな顔をしていた。
レトとロジーの声に起こされたのか、長椅子で眠っていた職員が資料を顔から落とした。
「何があった?」
エルはクッキーの箱を抱えたまま、その職員へ向き直った。
「にんげんども、ひれふせ」
「起きたばかりなので、あと五分待ってください」
職員は資料を拾い、再び顔へ載せた。
レトがまた吹き出し、ロジーが頭を抱える。
エルは二人に見せつけるように、星形のクッキーをもう一枚取り出した。




