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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
長編-星の内側にある図書館

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105/135

第105話-星の臓器

第103話-星の内側にある図書館

から続くコズミックホラー的なおはなしだよ。

対象恒星は、まだ閉じていた。


外縁観測網第十九支域。

共同監理対象となった終末期恒星は、前回の共同分析以後も、通常恒星としての外形を保っている。


赤く膨張した外層。

不安定化した表面活動。

ゆるやかに崩れつつある燃焼均衡。

周期的に強まる恒星風。

終末期に特有の外縁魔力流の乱れ。


どれも、観測記録上は恒星の老いとして説明できる。


ただし、すべての記録には、今や同じ注記が付く。


対象恒星は、通常恒星としての外形を維持している。

ただし、内部に未分類閉鎖構造を含む可能性あり。

対象恒星内知識層への再突入禁止。

未確定本文の読解禁止。

暫定方針、閉鎖維持。


その注記が付いているだけで、ただの恒星は、ただの恒星ではなくなる。


観測室の巨大画面に映る対象恒星は静かだった。

赤い。

大きい。

老いている。

燃えている。


何も知らなければ、宇宙に無数にある終末期恒星の一つにしか見えない。


だが、惑星監理局と上位委員会は知っている。


その内側には、図書館状空間がある。

その図書館には、正常な恒星一生過程の学術記録があった。

その正常記録は本物でありながら、対象が恒星であり続けるための外形定義でもあった。

そして、その奥には、読まれてはいけない未確定本文がある。


未確定本文は封鎖された。


表示禁止。

検索禁止。

反復禁止。

音読禁止。

全文復元禁止。

語順復元禁止。

アカシックレコード・オフライン接続禁止。


それでも、完全に無視することはできなかった。


対象恒星は終末期である。


いずれ、崩壊する。


普通の恒星ならば、崩壊予測を立てればよい。

外層放出、魔力流束反転、重元素散布、周辺宙域への影響、必要なら封鎖と避難。


しかし、この恒星は違う。


恒星活動そのものが、内部の未分類閉鎖構造を維持するための外形だった可能性がある。

ならば、外層が失われた時、内部構造はどうなるのか。

魔力流束反転が進んだ時、閉鎖は保たれるのか。

黒化領域が再び開いた時、図書館は反応するのか。

前回、エルの口から漏れた“内側へ孵す”ような文は、崩壊時に進行するのか。


閉じるためには、知らなければならない。


だが、知るために開いてしまえば、閉じていたものに触れることになる。


第三章の共同分析は、その矛盾の中で始まった。


惑星監理局本部、第三封鎖語彙解析室。


普段は使われない区画だった。


第一封鎖は、危険物。

第二封鎖は、危険記録。

第三封鎖は、危険な意味。


第三封鎖語彙解析室は、物体や術式や魔力災害ではなく、言葉そのものが危険である可能性を扱うための部屋だった。


入口扉は三重。


第一扉で身体認証。

第二扉で魔力波形認証。

第三扉で記録接続の切断確認。


扉の上には、赤い文字が並んでいる。


未確定語群隔離分析中。

未承認者立入禁止。

全文復元禁止。

語順復元禁止。

音読禁止。

意味確定禁止。

名称化禁止。

知識誘引反応確認時、即時退室。


室内には大きな机はない。


代わりに、いくつもの独立した小型端末が、互いに視界を遮る角度で配置されていた。

端末同士は直接接続されていない。

一つの端末に一語だけ表示できる。

表示時間は最大十二秒。

表示後は自動消去。

表示履歴は人間可読形式では残らない。


中央には、透明な遮断柱が立っている。


その中に、未確定語群の封鎖原本がある。


ただし、誰にも読めない。

文字として表示されていない。

語群は、情報班が封鎖前に切り出した安全タグとしてのみ存在している。


上位委員会と監理局が、今回扱うことを許可したのは、全文ではない。


単語だけ。


しかも、一語ずつ。


それでも、部屋の空気は重かった。


ジェレミー・クリエットは、中央の監督席にいた。

隣には副長。

監理局側からは、情報班主任、魔術制御部長、調査班主任、医療班主任、倫理監査主任、技術班長。


ロジーは、通常の解析席ではなく、封鎖操作席に座っていた。


頭上のデバイスには、普段の明るい表示は一切ない。


接続制限中。

外部記録参照禁止。

アカシックレコード・オフライン接続禁止。

語順形成警告、有効。

反復概念検出、有効。

自己認識保護、強化。


ロジーは、その表示を見上げて小さく言った。


「今日の私は、情報班なのに情報を繋げない係」


情報班主任は横で答えた。


「正確には、繋がりそうになった情報を切る係です」


「さらに情報班っぽくない」


「ですが、あなたにしかできません」


ロジーは口を尖らせた。


「そう言われると、ちょっと頑張るしかない」


彼女の隣、少し離れた待機席にはレトがいた。


レトは正式な分析参加者ではない。

今回の主役でもない。

戦闘班としての出番もない。


ただし、ロジーの近くにいることを許可されていた。


理由は、情報班主任が簡潔に説明した。


「ロジーが“見たい”に傾いた時、最も早く日常側へ引き戻せるのがレトさんです」


レトはそれを聞いて、真剣に頷いた。


「わたし、ロジーを引っぱる」


ロジーは苦笑した。


「物理で?」


「袖を」


「袖ならいいか」


エルは、まだ入室していない。


エルの役割は限定されている。


単語を見た時、前回の接触感覚と近いかどうか。

その語が「開く感じ」か「閉じる感じ」か。

生命感、苦痛感、願望感があるかどうか。


それだけを確認する。


意味は考えない。

文章は読まない。

複数語を連続提示しない。

魔法は使わない。

願いに聞こえても叶えない。

思い出しすぎたら退室。


エルの入室は、分析がある程度進んだ後だった。


まずは人間たちだけで見る。


上位委員会側の一行も到着していた。


前回の共同分析を主導した老解析官。

記録審査官。

旧世代由来未分類記録の管理官。

未分類語彙管理官。

倫理監査系の議員補佐。


そして今回は、追加で二組の専門家がいる。


一組は、選抜された天文学者たち。


終末期恒星の専門家。

恒星魔力流束の観測家。

星間物質循環の理論家。

恒星災害統計を扱う解析官。


彼らは全員、機密契約と記憶制限同意を済ませている。

ただし、監理局職員ではない。

上位委員会が選び、監理局が承認した外部専門家である。


もう一組は、選抜された魔術師たち。


魔力生命体の身体構造に詳しい魔術師。

大規模魔力循環の専門家。

危険語彙と術式化の関係を研究する魔術師。

記録媒体と生体情報の境界に詳しい魔術師。


彼らもまた、今回の語群を術式として扱わない誓約を結んでいた。


この分析では、知っていることが危険になる。


天文学者は、恒星現象に寄せすぎてはいけない。

魔術師は、魔術器官や術式部品に寄せすぎてはいけない。

情報班は、語群を繋げすぎてはいけない。

上位委員会は、名前を与えすぎてはいけない。

監理局は、分かったことにしすぎてはいけない。


ジェレミーが全員を見渡した。


「確認する」


声は低く、短い。


「本日は未確定本文を読解しない。全文は開かない。語順は復元しない。音読しない。正式名称化しない。分析結果は意味ではなく、機能仮説として扱う」


上位委員会の老解析官が頷いた。


「上位委員会側、同意します」


終末期恒星専門の天文学者が続けた。


「天文学者側、同意します。恒星構造との対応は可能性に留め、断定しません」


魔術師側の主任も言った。


「魔術師側、同意します。語群を術式部品として扱わず、対応構造を固定しません」


情報班主任が言う。


「語順形成兆候、反復概念形成兆候、本文復元兆候が出た場合、ロジーが全表示を遮断します」


ロジーは手を上げた。


「閉じる係です」


副長が薄く笑った。


「非常に重要な係です」


「分かってます」


ジェレミーはロジーを見た。


「見たいと思っても、閉じろ」


ロジーは真顔で答えた。


「閉じます」


「よし」


第一語が表示された。


端末の一つに、白い文字が浮かぶ。


光になれなかった光


表示時間は十二秒。


音読は禁止されている。


だから、誰も声に出さない。


ただ見る。


十二秒後、文字は消えた。


記録審査官が、表示された語を音読せず、分類記号だけを読み上げる。


「未確定語、光性残余語候補。分析開始」


最初に発言したのは、終末期恒星専門の天文学者だった。


「恒星学上、“光にならなかったエネルギー”という概念なら、未放射熱、内部吸収、あるいは観測不能放射として扱う余地があります」


魔術制御部長が即座に言った。


「ただし、前回の安全要約では、熱、質量、魔力流、神性圧のいずれにも分類されないとされています」


「それが問題です」


天文学者は眉を寄せた。


「光でないなら、光ではない。熱でもないなら、エネルギー収支から外れる。しかし“なれなかった”という語は、物理状態ではなく過程失敗を示している」


魔術師側の主任が言う。


「魔術的にも、これは単なる未発光ではありません。発光術式の不発なら残留魔力が出る。幻光なら認識反応が出る。これは、光として成立する前の可能性が失敗状態のまま閉じている、という方が近い」


ロジーは慎重に入力する。


分類:光性残余語。

仮説:放射未遂ではなく、光として成立しなかった可能性状態。

熱・質量・魔力流・神性圧に分類不可。

注意:詩的比喩として処理しない。


入力しながら、ロジーは少しだけ眉を寄せた。


「これ、言葉として嫌だね」


レトが小さく聞く。


「嫌って、怖い?」


「怖いというか……光って普通、出るものじゃん。届くものじゃん。でもこれは、出る前に失敗してる。しかも失敗したまま残ってる」


「残ってるの、だめ?」


「だめかどうか分からない。でも、忘れられなかった失敗みたいで嫌」


老解析官が静かに言った。


「“失敗”という表現も、正式記録には入れない方がいいでしょう」


ロジーは頷いた。


「はい。機能仮説だけ」


第一語の分析は終わった。


ただし、終わったというより、閉じた。


第二語。


端末に表示される。


眩嚢


十二秒。


消去。


未分類語彙管理官が分類記号を確認する。


「未確定器官様語候補」


終末期恒星専門家は、最初から困った顔をした。


「これは天文学用語ではありません」


星間物質循環の理論家も言った。


「既存の恒星内部構造にも該当しません。核、対流層、放射層、燃焼殻、魔力層、どれにも当たらない」


魔術師側の一人が言った。


「嚢という字面に引っ張られすぎない方がいい。ただし、機能的には貯留部位を想起させます」


魔術制御部長が補足する。


「前回の安全要約では、この語は光性残余語と結びついていました。発光器官ではなく、光性残余を保持する部位として扱われている可能性が高い」


記録審査官が確認する。


「発光器官ではない、保持部位」


ロジーは入力する。


分類:器官様語。

仮説:光性残余を保持する閉鎖部位。

発光器官ではない。

内圧・重さ・閉鎖感と関連する可能性。

注意:生物の袋状器官と同一視しない。


選抜魔術師の一人が言った。


「通常の魔力生命体にも、魔力を貯留する部位はあります。しかし、それは生命活動のためです。この語は、生命活動というより、成立し損ねたものを内部に抱え続ける構造に見える」


倫理監査主任がすぐに言った。


「“抱える”は正式記録には不向きです」


魔術師は頷いた。


「では、保持」


ロジーは画面を見ながら小さく言った。


「閉じてるのに、いっぱい」


情報班主任がロジーを見る。


「それはどこから」


ロジーははっとした。


「エルが前に言いそうな感じがしただけ。記録には入れない」


情報班主任は数秒ロジーを見た。


「今の段階では入れないでください」


「はい」


レトが、袖を少し握った。


ロジーはその手を見て、小さく息を吐いた。


「大丈夫。繋げてない」


第三語。


名未骨


表示。

十二秒。

消去。


室内の空気がわずかに変わった。


旧世代由来未分類記録管理官がすぐに言った。


「旧世代真名反応との一致はありません」


その言葉に、何人かが視線を向ける。


管理官は続けた。


「“名”という字に引かれるでしょうが、少なくとも前回取得時の波形と安全タグからは、旧世代の真名圧は検出されていません。これは名前そのものではなく、名づけられる前の構造、あるいは分類前の形に近い」


天文学者は、今度ははっきりと言った。


「恒星には骨格はありません」


魔力生命体構造の魔術師が答えた。


「通常の物質生物の骨格はありません。ただ、魔力生命体には自己形状を保持する“芯”や“枠”に相当するものがある場合があります。もちろん、それを骨と呼ぶのは便宜的すぎる」


「対象は恒星規模です」


「だから、既知例とは比較できません」


魔術制御部長が言う。


「前回の安全要約では、この語は物質ではなく、散布されず、自己の形を覚えるものとして扱われていた」


若手の天文学者が顔をしかめた。


「自己の形を覚える。恒星が?」


情報班主任が答える。


「本文後半は一人称転位を起こしています。対象が自らの形をどう認識していたかに関わる語である可能性があります」


ロジーは、慎重に分類した。


分類:骨格様語。

仮説:物質骨格ではなく、対象の自己形状記憶に関わる前名称的構造。

恒星としての外形維持と、非恒星的内部構造の不一致を繋ぐ可能性。

旧世代真名反応なし。

注意:正式器官名化禁止。


老解析官が言った。


「これは危険な語です」


副長が問う。


「理由は」


「骨という語は、形を与える。名という語は、分類を与える。未という語は、未確定を残す。この三つが一語に入っている。意味を固定した瞬間、我々が対象の形を補完する可能性がある」


ロジーのデバイスが、微かに点滅した。


概念固定注意。


ロジーはすぐに表示を落とした。


「名未骨、再表示制限を上げる」


情報班主任が頷く。


「許可します」


レトが小さく言った。


「名前をつけすぎると、だめ?」


ロジーは頷いた。


「たぶん。名前をつけると、それっぽくなる。これは、それっぽくしちゃだめ」


レトは考える。


「じゃあ、まだ名前にしない」


「うん」


「難しいね」


「難しい」


第四語。


暗胎腔


表示。

十二秒。

消去。


この語が出た瞬間、天文学者たちは沈黙した。


終末期恒星専門家が、ゆっくりと言った。


「天文学ではありません」


誰も笑わなかった。


星間物質循環の理論家も言う。


「腔という語だけなら、空洞や領域として扱えるかもしれません。しかし、胎という要素が入ると、形成前の内容物を含む場を想起させる。恒星内部構造としては、明らかに不適切です」


倫理監査主任が言った。


「通常生物の胎内や生殖に直結させないでください。人間の身体概念へ置き換えると誤認になります」


魔術師側の主任が頷く。


「ただし、腔所様構造である可能性は高い。空洞ではなく、未形成の何かを含む閉鎖領域」


ロジーは、入力前に一度手を止めた。


「“未形成の何か”って、もう嫌なんだけど」


情報班主任は静かに言った。


「嫌でも、正確です」


ロジーは入力した。


分類:腔所様語。

仮説:空洞ではない閉鎖領域。未形成内容物、または未成立状態を保持する可能性。

成長ではなく、未形成状態の維持または古化と関連する可能性。

注意:通常生物の胎内構造と同一視しない。


選抜魔術師の一人が、眉を寄せた。


「魔力生命体の内部に、空間そのものを保持する部位がある例はあります。ですがこれは、空間ではなく“まだ何にもなっていないもの”を保持するように見える」


老解析官が言った。


「何にもなっていないものがある、という表現自体が危険です」


「では、未成立内容物」


「それで」


記録が修正される。


未成立内容物。


ロジーはその語を見て、すぐに視線を逸らした。


レトが袖を握る。


「ロジー」


「大丈夫。今の、見続けると良くない」


「じゃあ見ない」


「うん」


第五語。


老解析官が表示前に手を上げた。


「この語は、端末異常が出る可能性があります。表示時間を八秒に」


ジェレミーが頷く。


「許可する」


端末に表示された。


朽光腺


八秒。


消去。


消えた直後、ロジーのデバイスに薄いノイズが走った。


ぴ、と短い警告音。


ロジーは反射的に表示を閉じる。


「再表示禁止」


情報班主任がすぐに確認する。


「デバイス異常は」


「軽微。表示語に反応。接続はしてない」


技術班長が端末ログを見る。


「解析端末には異常なし。ただし、ロジーさんのデバイスが語表示中に自己保護反応を出しています」


ジェレミーが言った。


「この語はロジーの端末から外せ」


「はい」


ロジーは悔しそうな顔をした。


「私が見られない語があるの、本当に腹立つ」


情報班主任は言った。


「腹を立てても構いません。見ないでください」


「見ない」


魔術師側の主任が、慎重に発言する。


「腺という字面に引かれれば、分泌器官様語です。しかし、朽光という語は既知の光属性魔術にも、恒星学にもありません」


天文学者が続ける。


「光の減衰、吸収、赤方偏移、散乱、消失。どれとも違う。“朽ちる”は時間的劣化を含みますが、光そのものはそのように腐敗しない」


魔術制御部長が言う。


「前回の安全要約では、照らさない光、あるいは光として成立しなかったものの滲出に近い扱いでした」


倫理監査主任が眉を寄せる。


「滲出という語も、生理的比喩に寄りすぎます」


魔術師側主任が答える。


「では、非照射性光性残余の外部化」


ロジーは表示から外されたため、情報班主任が代わりに入力する。


分類:腺様語。

仮説:非照射性光性残余を外部化、または内部層へ拡散させる構造。

通常の発光・減衰・吸収とは異なる。

視覚・認識系への影響注意。

再表示制限強化。ロジー端末表示禁止。


ロジーはむすっとしていた。


レトが小声で言う。


「見なくてえらい」


「今日のえらいは、かなり苦い」


「でもえらい」


「……うん」


第六語。


逆殻膜


表示。

十二秒。

消去。


この語は、すでに前回から危険視されていた。


外へ向かって割れない。

内側へ向かって割れる。

内側へ孵す。


本文は開かない。

だが安全要約に残された機能タグだけでも、十分に不気味だった。


終末期恒星専門家が、投影モデルを表示する。


「通常の恒星崩壊では、外層放出は外部へ向かいます。中心部は収縮し、外層は散逸する。ですが対象正常記録の魔力流束反転と、この語の機能タグを重ねると、外部散逸より内部移行を示す」


副長が言った。


「“内部移行”で統一しましょう」


「はい」


魔術師側の主任が続ける。


「膜様境界と見るなら、これは防護膜ではありません。開放膜でもない。割れることで対象を外へ出すのではなく、別の内部層へ移す」


若手理論解析官が言う。


「別の内部層とは、どこですか」


誰も答えなかった。


答えられる者はいない。


ロジーは、ゆっくり入力する。


分類:膜様語。

仮説:外部解放ではなく、内部層への移行を起こす境界構造。

通常の殻・膜と異なり、破断が外部開放を意味しない。

対象恒星終末時の魔力流束再配置と関連する可能性。

注意:孵化・誕生・開放と断定しない。


老解析官が言った。


「これは、おそらく今回の分析で最も重要な語です」


ジェレミーが問う。


「理由は」


「閉鎖維持方針に関わるからです。もし対象の危険が“外へ出る”ことではなく、“内側へ移る”ことなら、通常の封鎖や外部遮断だけでは不十分です」


戦闘班長が腕を組んだ。


「外へ出ないなら被害は少ない、とは言えない」


魔術制御部長が頷く。


「内側へ移った先が分からない。対象内部なのか、図書館状空間なのか、恒星自己記録の深層なのか、あるいは我々の分類に存在しない方向なのか」


ロジーのデバイスが小さく警告を出した。


方向概念不安定。


ロジーはすぐに手を止める。


「これ以上、“どこへ”はやめた方がいい」


ジェレミーが即座に言う。


「この項目は一時停止」


記録審査官が入力する。


“移行先”に関する推論凍結。


第七語。


内側へ孵す


表示は十秒に制限された。


消去後、解析室には、誰もすぐには口を開かなかった。


これは単語ではなく、過程語だった。


孵す。

しかも、内側へ。


終末期恒星専門家が言った。


「天体現象として、中心崩壊に似ている部分はあります。しかし、“孵す”という語は、生物的過程を含みます」


魔力生命体専門の魔術師が答える。


「魔力生命体の変態や相転移とも違う。通常、変態は外界との関係が変わります。これは外界から遠ざかる」


倫理監査主任が言う。


「もし生命活動なら、止めることは殺害に近い可能性があります」


戦闘班長が即座に返す。


「もし災害なら、止めないことが被害になる」


老解析官が静かに言った。


「だから、我々はまだ決めない」


ジェレミーが頷く。


「決める材料ではない。危険を増やす材料だ」


ロジーは入力する。


分類:内部移行過程語。

仮説:外部出生ではなく、内部層への状態移行。

誕生、崩壊、封鎖失敗、生命活動のいずれにも確定不能。

生命認定・災害認定の双方を保留。

注意:過程語として扱い、目的語を補完しない。


第八語。


第九の朝


表示。

六秒。

消去。


老解析官が、表示前から短縮を求めた語だった。


理由は、彼自身もはっきり説明できなかった。


ただ、危険だと感じた。


朝という語は、始まりを含む。

第九という数は、段階か周期か回数か方向か分からない。

終端相なのか、開始相なのかも不明。


若手理論解析官が、慎重に言う。


「第九という数が、恒星の燃焼段階や魔力流束反転周期に対応している可能性は」


老解析官が首を横に振った。


「今は触らない方がいい」


「なぜですか」


「開始条件を、こちらで定義してしまう恐れがある」


その言葉に、室内の温度が少し下がったように感じた。


未分類語彙管理官が言う。


「第九の朝は、終端相語候補。ただし、時間表現とは限らない。数詞の意味も未確定。機能仮説は最小限に留めるべきです」


ロジーは入力する。


分類:終端相語、または開始相語候補。

仮説:内部移行後の状態、または開始条件を示す可能性。

数詞、時間、段階の意味未確定。

分析凍結推奨。


入力した直後、デバイスがまた小さく警告を出した。


反復概念形成注意。


ロジーは即座に表示を消した。


「第九の朝、最上位封鎖に上げる」


情報班主任が言う。


「許可します」


老解析官も頷いた。


「上位委員会側も同意します」


そして最後。


封鎖要求文。


これは単語ではない。

文である。


直接表示はしない。


記録審査官が、本文そのものを出さずに、安全タグだけを投影した。


封鎖要求文。

対象一人称。

恒星外形維持要請の可能性。

読解禁止。


誰もその文を読まなかった。


しかし、その場にいる全員が知っている。


前回、エルの口から漏れた最後の一文。


私を恒星として閉じて。


その本文は表示されていない。


それでも、部屋の全員が、そこにある空白を見ていた。


エルの聴取は、その後で行われた。


第三封鎖語彙解析室の隣にある、短時間接触確認室。


ここは、分析室よりもさらに小さい。

表示端末は一つだけ。

椅子は三つ。

ジェレミー。

エル。

医療班主任。


室外には、副長、情報班主任、精神保護担当、上位委員会の老解析官が控えている。


ロジーとレトは別室から見守る。


エルは椅子に座っていた。


白髪のボブ。

毛先の淡いピンク。

いつもの淡々とした顔。


だが、今日は少しだけ目が重い。


ジェレミーが言った。


「エル。確認する」


「うん」


「意味は考えない」


「うん」


「感じだけ言え」


「うん」


「願いに聞こえたら」


「叶えない」


「思い出しすぎたら」


「止まる」


「よし」


最初に見せられたのは、光性残余語だった。


表示時間は四秒。


エルはそれを見て、すぐに目を伏せた。


「明るくない」


医療班主任が聞く。


「暗い?」


「暗いでもない」


「どう感じる」


エルは少し考えた。


「光る前に、疲れてる」


記録される。


次に、器官様語。


四秒。


エルは眉を寄せる。


「重い」


「身体が?」


「違う」


「どこが」


「中」


「痛い?」


「痛くない」


「怖い?」


「怖いじゃない」


「では」


エルは言った。


「閉じてるのに、いっぱい」


医療班主任は、その言葉をそのまま記録した。


三つ目。


骨格様語。


表示。


エルは、しばらく黙った。


「これ、間違ってる形」


ジェレミーが聞く。


「間違っている?」


「うん」


「不要か」


エルは首を横に振る。


「ないと、ばらばらになる」


「正しい形ではないが、なければ崩れる」


「うん」


記録される。


四つ目。


腔所様語。


エルは表示された瞬間、目を細めた。


「ここ、開けたくない」


医療班主任が聞く。


「危険だから?」


「違う」


「なぜ」


「まだ、なにもなってない」


「なにもなっていないなら、安全では?」


エルは首を横に振った。


「なにもなってないまま、いっぱいある」


医療班主任の手が、一瞬止まる。


それでも記録する。


五つ目。


腺様語は、エルには見せない判断となった。


ジェレミーが事前に決めた。


「ロジーのデバイスに反応が出た。エルには見せない」


誰も反対しなかった。


六つ目。


膜様語。


エルは、表示された瞬間に言った。


「これ、いや」


医療班主任が聞く。


「怖い?」


「いや」


「どう嫌?」


「外に出ない」


「外に出ない?」


「うん。もっと内側に行く」


「開けると?」


エルは少し黙る。


「出てこない。いなくなる」


ジェレミーが、わずかに目を細めた。


「いなくなる、とは」


「外にいなくなる」


「内側には」


「分からない」


記録される。


最後に、内部移行過程語。


表示。


エルは、しばらく何も言わなかった。


医療班主任が中断を提案しようとした時、エルはぽつりと言った。


「生まれるじゃない」


ジェレミーが問う。


「では、何だ」


「もっと閉じる」


「閉じる」


「うん。閉じすぎる」


「それは幸せか」


エルは首を横に振る。


「分からない」


「開くことは」


「幸せじゃない」


「閉じることは」


エルは、少しだけ困った顔をした。


「閉じるだけでも、幸せか分からない」


室外で聞いていた副長が、静かに目を伏せた。


エルは続けた。


「まだ、さわらない方がいい」


ジェレミーは短く答えた。


「よし」


その時点で、エルの接触確認は終了した。


エルは退室し、生活班が用意した休憩室へ向かった。


レトがすぐに迎えに行く。


ロジーも少し遅れてついていく。


「エル、大丈夫?」


レトが聞く。


エルは頷いた。


「うん」


ロジーは少し慎重に聞いた。


「嫌な感じ、残ってる?」


「少し」


「じゃあ、甘いものいる?」


エルは少し考えた。


「いる」


レトの顔がぱっと明るくなる。


「食堂行こう!」


ロジーも頷く。


「情報班推薦、糖分補給!」


エルは二人の顔を見て、小さく頷いた。


「行く」


三人は休憩室から出ていった。


その背中を、医療班主任が見送る。


「エルさんの負荷は軽微。ただし再提示は推奨しません」


ジェレミーは答えた。


「再提示しない」


「ロジーさんも」


「同じだ」


「はい」


エルの確認結果が、分析室へ戻された。


そこで、全体分析の最終段階が始まった。


単語群を並べてはいけない。


だが、機能分類は並べなければならない。


この時点で、上位委員会と監理局は、慎重に表を作った。


元語は表示しない。


代わりに分類記号を使う。


A:光性残余語。

B:器官様語。

C:骨格様語。

D:腔所様語。

E:腺様語。

F:膜様語。

G:内部移行過程語。

H:終端相語。

I:封鎖要求文。


元語は出ない。


けれど、分類だけで輪郭が見えてしまう。


光性残余。

それを保持する器官。

形を覚える骨格。

未成立内容物を満たす腔所。

非照射性残余を外部化する腺。

内部層へ移行させる膜。

内側への移行過程。

その後に来る何かの朝。

そして、恒星として閉じてほしいという要求。


天文学者の一人が、乾いた声で言った。


「これは恒星構造ではありません」


魔力生命体専門の魔術師が続けた。


「既知の魔力生命体構造でもありません」


老解析官が言った。


「しかし、身体図としては整いすぎている」


その瞬間だった。


ロジーのデバイスが、鋭く警告を鳴らした。


語順形成兆候。


中央投影の分類記号が、一瞬だけ揺れた。


本来は、解析上の安全のため、分類記号はランダム配置になっている。

意味の順番を持たないよう、位置も秒ごとに変わる。


しかし、その一瞬。


A、B、D、F、Hが、縦に並びかけた。


光性残余。

器官。

腔所。

膜。

朝。


元語は表示されていない。


それでも、形ができかけた。


ロジーが叫ぶ。


「順番が出た! 閉じて!」


情報班主任より早く、ロジーの手が封鎖操作へ走る。


全端末が暗転。

中央投影が消える。

分類表も消える。

封鎖柱の表示が赤に変わる。


語順形成遮断。

本文復元リスク。

全表示停止。


解析室が真っ暗に近くなった。


非常灯だけが点いている。


誰もすぐには喋らなかった。


ロジーの肩が小さく震えていた。


レトは、席を立ってロジーのところへ駆け寄った。


「ロジー!」


ロジーは、画面を見ていた。


いや、もう画面は消えている。


それでも、彼女の目は、何かを追いかけようとしていた。


「……あと少しで」


情報班主任が立ち上がる。


「ロジー」


ロジーは息を吸った。


「あと少しで、繋がりそうだった」


レトがロジーの袖を握る。


「ロジー」


ロジーの目が、レトへ向く。


レトは真剣な顔で言った。


「閉じる係」


その一言で、ロジーの表情が戻った。


「……うん」


彼女は、もう一度封鎖操作を確認する。


「全表示遮断。分類記号停止。語順形成ログ、封鎖。本文復元なし。接続なし。閉じた」


情報班主任が静かに言った。


「よくやりました」


ロジーは、唇を噛んだ。


「見たかった」


「でしょうね」


「すごく見たかった」


「それでも閉じました」


ロジーは小さく頷いた。


「私、記録係だから。残すだけじゃなくて、残さない形も決める」


情報班主任は、少しだけ目を伏せた。


「はい」


上位委員会の若手理論解析官が、まだ消えた投影を見ていた。


「しかし、あと少しで構造が」


老解析官が、彼の言葉を遮った。


「その“あと少し”が本文です」


若手解析官は黙った。


老解析官は続ける。


「我々は単語を見ていたのではない。単語が互いを探す様子を見ていたのかもしれない」


その言葉に、魔術師側の主任が頷いた。


「語群が、身体図へ戻ろうとした可能性があります」


副長が言った。


「正式記録には、“分類記号配置中に語順形成兆候を確認。即時遮断”とだけ記載してください」


記録審査官が答える。


「了解しました」


ジェレミーは、しばらく黙っていた。


そして言った。


「今日の分析はここまでだ」


誰も反対しなかった。


ただ一人、若手理論解析官だけが、まだ何か言いたそうにしていた。


老解析官が彼を見る。


「続きを見たいなら、まず自分が何を見たがっているのかを疑いなさい」


若手解析官は顔を伏せた。


「……申し訳ありません」


「謝る必要はありません。知りたがるのは仕事です。ただし、今回は知りたがる心も観測対象です」


その言葉は、解析室に重く残った。


分析は中断された。


だが、結論は出た。


最終報告の草案は、上位委員会の記録審査官と監理局の情報班主任によって共同で作成された。


表題は、


特定終末期恒星内知識層関連異常体・未確定語群隔離分析報告


結論欄には、こう記された。


本分析は、前回封鎖された未確定本文の全文読解ではなく、封鎖前に安全タグとして分離された未確定語群の機能仮説分析である。

未確定語群は、単なる比喩、詩的表現、恒星学用語の翻訳揺れとは断定できない。

語群は、光性残余、器官様構造、骨格様構造、腔所様構造、腺様構造、膜様境界、内部移行過程、終端相、封鎖要求文として互いに機能的関係を持つ可能性がある。

ただし、これらを正式器官名、正式構造名として確定することは、対象内部構造の概念的補完を招く危険があるため禁止する。

本分析中、分類記号配置に語順形成兆候を確認。即時遮断により本文復元は発生せず。

未確定語群は、同時表示、語順復元、反復表示、正式名称化を禁止する。

対象恒星への再突入、未確定本文読解、語群再分析は凍結継続。

暫定方針、閉鎖維持。


さらに補足として、


未確定語群の分析行為そのものが、対象との概念的接触となる可能性あり。


と記された。


その一文が、今回の最大の成果だった。


または、最大の危険だった。


分析室から人が出ていく。


上位委員会の老解析官は、退室前にジェレミーへ言った。


「局長」


ジェレミーが見る。


「何だ」


「我々は、名前を付ければ管理できると思いがちです」


「そうだな」


「今回は逆かもしれません。名前を付けすぎれば、管理できないものをこちらで完成させる恐れがある」


ジェレミーはしばらく沈黙した。


そして答えた。


「なら、名前にしない」


老解析官は頷いた。


「上位委員会側も同意します。未確定語群の正式名称化を凍結します」


副長が静かに言った。


「名称凍結。分類は記号化。閲覧は承認制。よろしいですね」


「はい」


こうして、単語たちは名前にならなかった。


残ったのは、記号だけ。


A。

B。

C。

D。

E。

F。

G。

H。

I。


それでも、その記号たちは、並べると何かになりかけた。


だから、並べないことになった。


その夜。


ロジーは情報班の小さな休憩室にいた。


頭上のデバイスは、睡眠前の低負荷モードに移りかけている。

だが、ロジーはまだ眠っていなかった。


目の前には、私用記録が開かれている。


正式記録ではない。

公開もしない。

反復表示もしない。


ただ、自分の中で、今日のことを閉じるための記録。


レトは隣のクッションに座って、温かい牛乳を飲んでいる。

エルは丸いクッションを抱いて、半分寝ているような顔をしていた。


ロジーは、ゆっくり入力した。


読まない。

並べない。

名前にしない。

形にしない。


レトが覗き込む。


「形にしないって、どういうこと?」


ロジーは少し考えた。


「たぶん、あれは形になりたがってる」


「形?」


「うん。単語だけなら、まだばらばら。でも、並べると、向こうの形になる。私たちの頭の中で完成しちゃう」


レトは少し怖そうな顔をした。


「頭の中で?」


「うん」


「じゃあ、ばらばらにしておく?」


ロジーは頷いた。


「ばらばらにして、閉じておく」


エルが、小さく言った。


「ばらばらなら、まだ閉じてる」


ロジーはエルを見る。


「繋がったら?」


エルは少し黙った。


「たぶん、開く」


レトは牛乳のカップを両手で握った。


「じゃあ、繋げない」


ロジーは笑った。


「うん。繋げない」


「ロジー、できる?」


ロジーは少しだけ胸を張った。


「できる。今日やった」


「えらい」


「うん。今日の私は、かなりえらい」


エルも小さく頷いた。


「ロジー、閉じた」


ロジーは、一瞬だけ目を伏せた。


「うん」


その声は、いつもより静かだった。


「閉じた」


同じ頃、遠く離れた辺境星系。


対象恒星を監視する外縁観測網が、微弱な変化を記録していた。


外縁魔力流の同期乱れ。


ごく小さい。

通常なら誤差として処理される程度。

恒星終末期には珍しくもない揺らぎ。


だが、発生時刻が問題だった。


第三封鎖語彙解析室で、分類記号に語順形成兆候が出た時刻。


それと、完全に一致していた。


観測担当は、報告書に短く記した。


対象恒星外縁魔力流に微弱同期乱れ。

発生時刻、未確定語群分析中の語順形成兆候と一致。

因果関係、不明。

継続監視。


報告は、すぐにジェレミーへ回された。


ジェレミーはその記録を見て、表情を変えなかった。


ただ、短く指示した。


「未確定語群の分析凍結を継続。観測強度を上げろ。ただし刺激するな」


副長が答える。


「はい」


「上位委員会へ同報」


「すでに準備しています」


ジェレミーは、画面に映る対象恒星を見た。


赤く膨張した老いた星。

ただ燃えているだけに見える星。


その内側には図書館がある。

図書館には本がある。

本には、読んではいけない本文がある。

本文には、存在しない器官名がある。

その器官名は、並べると身体になりかける。


そして、その身体は、遠く離れた分析室で人間たちが言葉を並べかけた瞬間、微かに反応したかもしれない。


ジェレミーは言った。


「読解は接触だ」


副長は頷いた。


「そのようですね」


「今後の記録に入れろ」


「はい」


ジェレミーは画面から目を離さなかった。


「閉じるために、読まなければならない。だが、読めば触れる」


副長は静かに言った。


「厄介ですね」


「ああ」


ジェレミーは短く答えた。


「厄介だ」


その頃、休憩室では、ロジーが私用記録を閉じていた。


最後に一行だけ残す。


閉じるために、少しだけ知った。

少し知っただけで、向こうも少し動いたかもしれない。

次は、もっと閉じ方を考える。


ロジーはその記録を非表示にした。


レトは眠そうにしながらも、まだ隣にいる。


「ロジー、寝る?」


「寝る」


「見ない?」


「見ない」


「繋げない?」


「繋げない」


「えらい」


ロジーは、少し笑った。


「レト、それ毎回言ってくれるの?」


「うん」


「じゃあ、助かる」


エルはクッションを抱いたまま、目を閉じていた。


起きているのか眠っているのか、分かりにくい顔だった。


けれど、ぽつりと言った。


「名前にしないの、いい」


ロジーはエルを見た。


「うん」


エルは続けた。


「名前にしたら、起きるかも」


レトが小さく息を呑む。


ロジーは、慎重に聞いた。


「何が?」


エルはしばらく黙った。


それから、首を横に振った。


「分からない」


ロジーは頷いた。


「じゃあ、分からないままにする」


「うん」


休憩室の照明が少し落ちた。


監理局の夜が来る。


食堂の音は遠ざかり、廊下の照明は夜間運用へ切り替わる。

情報班の端末群は低負荷処理に移り、監視室の職員たちは対象恒星の観測値を静かに追い続ける。


宇宙には無数の恒星がある。


そのほとんどは、ただ恒星として燃えている。


だが、一つだけ。


一つだけ、正常の顔をした異常があった。


その内側には、読まれない器官名がある。


名前にならない骨がある。

光になれなかったものを抱える器官がある。

何もなっていないものが満ちる腔所がある。

照らさない光を滲ませる腺がある。

外へ割れず、内側へ移す膜がある。

第九の朝と呼ばれる、まだ始まってはいけない何かがある。


それらは、まだ正式な名前ではない。


名前にしてはいけない。


並べてはいけない。

読んではいけない。

形にしてはいけない。


それでも、そこにある。


閉じられた恒星の内側で。


静かに。


まだ、恒星として。



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