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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
長編-星の内側にある図書館

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104/135

第104話-正常のふりで覆われた胎殻

第103話-星の内側にある図書館

から続くコズミックホラー的なおはなしだよ。

恒星は、まだ燃えていた。


辺境星系、外縁観測網第十九支域。

対象終末期恒星は、前回調査以降も、観測上は大きな変化を見せていない。


赤く膨張した外層。

周期的に噴き上がる炎の柱。

不安定化した恒星風。

薄れつつある外縁魔力流。

終末期特有の燃焼均衡の崩れ。


どれも、通常の恒星終末として説明できる。


ただし、監理局の観測記録には、すでに注記が付いている。


対象恒星表面に周期性黒化領域あり。

黒化領域奥に図書館状安定空間を確認。

当該空間より恒星一生過程に関する正常記録を取得。

同一記録後半に未確定本文混入。

未確定本文、読解禁止。

対象、限定共同監理候補。


それは、ただの恒星ではなくなっていた。


けれど、外から見れば、まだただの星だった。


何も知らない観測者が見れば、老いた恒星としか思わない。

燃え尽きつつある巨大な天体。

いずれ崩れ、散り、星間物質へ戻るもの。


監理局の観測画面に映るその姿は、静かだった。


静かすぎた。


情報班の解析室で、ロジーは画面を見ていた。


頭上のデバイスには、通常の任務記録テンプレートではなく、厳重な制限表示が出ている。


恒星内知識層関連記録。

正常列閲覧許可。

未確定列閲覧禁止。

検索禁止。

全文照合禁止。

アカシックレコード・オフライン接続禁止。


ロジーはその表示を見上げ、口を尖らせた。


「禁止が多い」


情報班主任は隣で淡々と言った。


「必要な禁止です」


「分かってる。分かってるけど、見るな、開くな、調べるな、検索するな、接続するな、って、情報班としては全身を縛られている気分」


「今回は、その縛りを守るのが仕事です」


「正論がずっと痛い」


ロジーは椅子の上で少しだけ丸くなった。


通常なら、未知の記録を前にしたロジーは明るい。

騒がしい。

見たい、知りたい、分類したい、保存したいと、全身で前へ出る。


だが、この記録だけは違った。


前回、エルが本の文章をそのまま読み上げた。

最初は恒星魔力学の高密度学術記録だった。

星間物質雲。

原始星核。

恒星魔核。

熱魔圧。

外縁魔力流。

神性存在発生母床。

終末崩壊時の魔力流束反転。


それらは本物だった。


しかし後半、文章は変質した。


学術文ではなくなった。

三人称ではなくなった。

恒星についての文章ではなく、恒星が自分について語るようになった。


そして最後に、エルの口から落ちた。


私を恒星として閉じて。


その一文は、ロジーの画面には表示されない。


表示しないようにしている。

検索にもかからない。

反復もされない。

引用もできない。


ただ、存在だけは残っている。


記録を閉じるという行為は、ロジーにとって簡単ではない。


でも今回は、閉じることが仕事だった。


解析室の扉が開いた。


レトが顔を出す。


淡い緑色の長い髪を、いつものように左側頭部でワンサイドテールにまとめている。

黒いリボンと、青いキューブの髪飾りが揺れた。


「ロジー」


「ん」


「見ちゃだめなやつ、見てない?」


ロジーは少しだけ笑った。


「見てない。がんばって見てない」


「えらい」


「すごくえらい。もっと褒めていいよ」


レトは真面目に頷いた。


「ロジー、えらい」


ロジーは一瞬黙った。


「……素直に言われると、照れるね」


レトは解析室の中へ入ってきた。


「今日は、上位委員会の人が来るんだよね?」


「うん。共同分析」


「共同」


「監理局だけで抱えるには大きすぎる。でも上位委員会だけで扱うには、現場のことを知らなすぎる。だから一緒に見る」


レトは難しい顔をした。


「見ちゃだめなところは?」


「見ない」


「上位委員会の人も?」


「見ない。見るなら帰ってもらう」


レトは少し安心した顔をした。


「じゃあ、いい」


ロジーは画面を閉じた。


「レト、今日も待機班?」


「うん。ロジーの近くにいる」


「私の見張り?」


「違うよ」


レトは即答した。


「ロジーが見たくなって、我慢して、しょんぼりした時に、隣にいる係」


ロジーは、今度こそ完全に黙った。


それから、ぽつりと言った。


「……それ、かなり助かる」


「うん!」


レトは椅子を一つ引いて、ロジーの隣に座った。


彼女たちは現地には行かない。


戦闘班であるレトは、今回の分析には必要ない。

情報班であるロジーは、必要だが、危険域には入れられない。


二人は、また待機班だった。


しかし今回の待機は、ただ帰還者を迎えるためではない。


開かないための待機。


閉じているものを閉じたままにするための待機だった。


共同解析区画は、監理局本部の奥に設けられた。


普段は高位機密の術式災害や、旧世代由来の遺物、神性存在の残響記録などを扱うための部屋である。


壁は厚く、物理遮断材と魔力遮断材が何層にも重ねられている。

通信回線は限定され、外部への直接接続は遮断されている。

記録は区画内の封鎖端末にのみ保存され、持ち出しには局長と上位委員会側主任の双方承認が必要になる。


入口の認証扉には、赤い表示が浮かんでいた。


共同分析中。

未承認者立入禁止。

未確定本文閲覧禁止。

記録接続制限中。

知識誘引反応確認時、即時退室。


ロジーはその表示を見上げて、少しだけ口元を引きつらせた。


「知識誘引反応って、言葉がもう怖いんだよ」


情報班主任は言った。


「あなたが現地に行けなかった理由でもあります」


「分かってる」


「本気で分かっていますか」


ロジーはむっとした。


「分かってるよ。私が見ようとすると、向こうも私を見るかもしれないってことでしょ」


情報班主任は、少しだけ目を細めた。


「そうです。今回は、“見る”が観測ではなく接触になる可能性がある」


ロジーは頭上のデバイスに触れた。


デバイスは淡く光っている。

いつものかわいい通知音は切られている。

表示も最小限。


「だから私、閉じる係する」


情報班主任は頷いた。


「それが一番重要な役割です」


「うん」


ロジーは深く息を吸った。


「見たいけど、閉じる」


扉が開いた。


共同解析室の中には、すでに監理局側の責任者たちが揃っていた。


中央にジェレミー・クリエット。

隣に副長。

調査班主任。

情報班主任。

魔術制御部長。

医療班主任。

倫理監査主任。

技術班長。

そして、記録封鎖担当の情報班員たち。


エルはまだいない。


聴取の時間になってから呼ばれる予定だった。


今回の主役は、エルではない。


本だった。

記録だった。

そして、その記録が正常でありすぎることだった。


しばらくして、上位委員会の一行が到着した。


先頭に立っていたのは、老人だった。


白い髪を後ろで短く束ね、淡い灰色の長衣を着ている。

議員というより、古い天文台の管理者のような雰囲気を持っていた。

目は細く、声は穏やかだったが、部屋へ入った瞬間、解析室の空気を一段低くした。


彼は、上位委員会恒星魔力学部門の老解析官だった。


後ろには、記録審査官。

旧世代由来未分類記録の管理官。

若手の理論解析官。

倫理監査系の議員補佐。


誰も、軽い顔をしていなかった。


老解析官はジェレミーに向かって頭を下げた。


「共同分析の場を設けていただき、感謝します」


ジェレミーは短く答えた。


「必要だっただけだ」


副長が薄く笑う。


「未確定本文の閲覧制限については、事前合意通りです」


老解析官は頷いた。


「承知しています。こちらの者にも徹底させています。今回、我々が見るのは正常記録のみです」


若手の理論解析官が、一瞬だけ口を開きかけた。


だが、老解析官が視線だけで止めた。


「未確定記録を開いて得られる理解は、理解とは限りません」


その声は静かだった。


「見たあとに、分かったことにされる類いのものもあります。まずは、見なくても分かる部分を見ましょう」


解析室が静かになった。


ロジーは、小さく呟いた。


「上位委員会にも、ちゃんと怖がれる人いるんだ」


情報班主任が横から小声で言う。


「失礼です」


「褒めたんだけど」


「なおさらです」


共同分析は、正常記録列の再確認から始まった。


中央の大型投影面に、前回取得された本文が表示される。


ただし、エルの発話音声ではない。

音声は使わない。

音声には、読み上げ時の接触痕跡が含まれる可能性がある。


表示されるのは、情報班が正常列として分離し、無害化した文字列のみ。


最初の項目。


星間物質雲。


エルが読み上げた本文は、こう記録されていた。


星間物質雲は、低密度物質および遊離魔力粒子が重力場の微細偏差に従って偏在する領域である。

雲内部において局所的な密度上昇が発生すると、重力収縮は魔力圧勾配を伴って進行する。

収縮領域では熱量と魔力流束が同時に増大し、原始星核の形成条件が整う。


上位委員会側の若手理論解析官が、すぐに補助資料を開いた。


「既存恒星形成モデルと整合します。特に、魔力圧勾配を重力収縮と同時進行する要素として扱っている点は、近年の観測仮説と一致しています」


魔術制御部長が頷く。


「監理局側でも同じ判断です。星間魔力流の揺らぎが、原始星核形成にどう関与するかは長年不明瞭でした。この記述はかなり有用です」


老解析官は、画面を見つめたまま言った。


「有用です。あまりに有用だ」


その時点では、誰も深く受け止めなかった。


次の項目。


原始星核および降着円盤。


原始星核は周辺物質を降着し、外縁部に回転円盤を形成する。

円盤内の物質は熱的分化と魔力密度分化を受け、後の惑星母材となる。

分化過程において、遊離魔力粒子は微細鉱物核に捕捉され、後続天体の魔力圏形成に影響を与える。


上位委員会の記録審査官が言う。


「惑星形成研究にも応用可能ですね」


技術班長が資料を重ねる。


「対象星系の周辺小天体の魔力残留パターンと照合すると、この記述は実測値にかなり近いです」


ロジーは、許可された正常列の範囲で補助タグを付ける。


惑星母材分化。

微細鉱物核。

後続天体魔力圏形成。

応用可能。


レトは隣で静かに見ていた。


専門用語は分からない。

だが、ロジーが真面目な顔をしていることは分かる。


第三項目。


恒星魔核。


中心温度が融合閾値に達すると、軽元素核の融合反応が開始される。

融合反応は熱放射と同時に、恒星魔核を介した外向き魔力圧を発生させる。

内向き重力と外向き熱魔圧および魔力圧が均衡すると、恒星は主安定期へ移行する。


この項目で、解析室の熱が一段上がった。


魔術制御部長が言う。


「恒星魔核は、我々の理論体系では仮説上の中枢領域です。観測不能なため、通常はモデル内の仮定として扱うしかなかった」


上位委員会側の老解析官が頷く。


「だが、この記録は恒星魔核を実在構造として扱っている。しかも熱魔圧と魔力圧を分けている。古い観測記録の曖昧な部分が、かなり整理できる」


若手理論解析官が興奮を抑えきれずに言った。


「この部分だけでも、公開可能範囲まで加工できれば、恒星魔力学が十年進みます」


老解析官は、その若手を見た。


「公開の話をする段階ではありません」


「……失礼しました」


「進むかもしれない。だが、どこへ進むのかを確認してからです」


ロジーは、その言い方を記録した。


進む前に、進む先を確認する。


副長がちらりと見た。


「私用記録ですか」


「私用記録です」


「なら構いません」


分析は進む。


外縁魔力流。


主安定期における恒星は、光、熱、恒星風、外縁魔力流を周辺宙域へ供給する。

外縁魔力流は、周辺惑星の上層魔力圏に周期的圧を与え、生命圏成立条件、神性存在発生母床、長期気候推移に影響を及ぼす。


ここで、上位委員会側の議員補佐が表情を引き締めた。


「神性存在発生母床との接続は、上位委員会としても重要です」


倫理監査主任が言う。


「恒星終末期の不安定化が、周辺惑星文明の精神集合に与える影響を再評価する必要があります」


調査班主任が補足する。


「ただし対象星系に現在、主要文明圏はありません。今回の分析は一般化ではなく、対象恒星の個別解析として扱うべきです」


ジェレミーが短く言った。


「本件を一般恒星現象にするな」


その一言で、記録審査官が結論欄に仮タグを入れる。


一般化禁止。

対象恒星限定解析。


その後も正常記録は続いた。


多重燃焼層。


中心領域の重元素比率が上昇すると、燃焼層は多重化する。

燃焼層の境界では、物質対流、熱輸送、魔力流束の不連続面が生じる。

不連続面の安定性は、終末期における崩壊方向と外層放出形式を決定する要素となる。


終末膨張。


外層は膨張を始める。

膨張に伴い表面温度は変動し、放射特性は赤方へ偏移する。

外層魔力圏は薄まり、周辺惑星に与える魔力圧は不安定化する。

恒星半径の増大により、近接軌道上の天体は熱的破壊、潮汐破壊、魔力圏剥離のいずれか、または複合的影響を受ける。


終末崩壊。


中心領域がさらなる重元素を保持し、外向き圧が重力に対抗できなくなると、恒星は崩壊段階へ移行する。

崩壊は中心へ向かって進行し、外層は遅れて反応する。

中心領域の急激な密度上昇は、反発的衝撃波、魔力流束反転、外層放出を引き起こす。


物質散布。


外層放出後、重元素および残留魔力粒子は星間空間へ散布される。

散布物は冷却と希薄化を経て星間物質雲へ再混入し、次世代恒星および惑星母材の形成に寄与する。


ここまでは正常だった。


完全に、正常だった。


そして、正常すぎた。


最初にそれを口にしたのは、上位委員会の老解析官だった。


「これは、教科書ではありませんね」


若手理論解析官が不思議そうに見る。


「教科書ではない、とは」


老解析官は、投影された文章を指した。


「教科書なら、理解しやすくするために整えられている。観測記録なら、個体差と揺らぎがある。理論式なら、未確定部分が残る。だがこれは、そのどれでもない」


魔術制御部長が静かに続ける。


「恒星が恒星として成立するために必要な条件を、過不足なく並べている」


情報班主任が言う。


「記録というより、定義群」


ロジーは小さく呟いた。


「恒星の本じゃない」


全員の視線がロジーへ向いた。


ロジーは少しだけ肩をすくめた。


「未確定列は見てない。正常列だけ見て言うね。これは、恒星のふりをするための本でもないと思う」


レトが首を傾げる。


「じゃあ、なに?」


ロジーは画面を見た。


「恒星であり続けるための本」


解析室が静かになった。


ロジーは続ける。


「自然な恒星の一生を記録したものにしては、綺麗すぎる。全部が“恒星として成立する条件”に寄ってる。揺らぎが少ない。個体差が薄い。あと、終末期の記述が変」


若手理論解析官が画面を見る。


「変、というのは」


「終わり方が、終わり方じゃない」


ロジーは慎重に言葉を選んだ。


「恒星の死って、散ることでしょ。もちろん色々あるけど、外へ行く。物質が散る。魔力流も散る。次へ渡る。でもこの記録、外へ散る説明をしながら、ずっと内側を保ってる」


情報班主任が頷く。


「同意します」


調査班主任も言う。


「現地で取得した時点では、正常列として処理した。だが再解析すると、終末崩壊から物質散布までの記述に、内部閉鎖を維持する方向性がある」


副長が言った。


「未確定本文に近い比喩は避けましょう」


ロジーは素直に頷いた。


「じゃあ、“殻っぽい”は私用記録にだけ入れる」


「正式記録には入れないでください」


「入れない」


レトがロジーの袖を少し引いた。


「殻って、言っちゃだめなの?」


ロジーは小声で答える。


「たぶん、言ったら引っ張られる言葉」


「引っ張られる?」


「分かった気になっちゃう」


レトは難しい顔をした。


「じゃあ、言わない」


「うん。えらい」


上位委員会の老解析官は、ロジーを見た。


「あなたは現地に行かなくて正解でしたね」


ロジーは、少しだけ口を尖らせた。


「それ、褒めてる?」


「はい」


「じゃあ、ちょっと複雑」


老解析官は静かに言った。


「この記録は、読む者に分類を求める。あなたのような記録者が近づけば、分類そのものが接触になる可能性がある」


ロジーは黙った。


その言葉は、情報班主任が言ったことと同じだった。


見ることが、観測ではなく接触になる。


だからロジーは見てはいけない。


記録したいロジーが、記録を閉じなければならない。


解析は、次の段階へ進んだ。


正常記録を、恒星自然史としてではなく、構造維持記録として読み替える。


ただし、読解ではない。

未確定語を使わない。

比喩を固定しない。

あくまで正常列の構造分析。


まず、星間物質雲。


通常、星間物質雲は重力収縮により中心へ集まる。

だが対象記録の密度分布説明は、中心を形成するというより、中心を覆うように読めた。


若手理論解析官が投影モデルを回転させる。


「この密度分布、通常の原始星形成モデルとして成立します。ただし、重力中心への自由落下より、周辺層の形成が先行しているように見える」


魔術制御部長が言う。


「中心を作っているのではなく、中心が見えないように包んでいる?」


副長がすぐに言う。


「断定ではなく、可能性として」


「もちろんです」


記録審査官が入力する。


星間物質雲形成記述に、周辺層先行形成の傾向。

通常形成モデルとして成立。

ただし内部遮蔽的機能の可能性あり。


次に、原始星核。


通常なら燃焼前の中心。

しかし、対象記録における原始星核は、熱源であると同時に、内部構造を観測不能にする遮蔽層のように働いていた。


技術班長が前回無人観測器のデータを重ねる。


「黒化領域発生前の観測値ですが、恒星中心部に向かう魔力波の反射が異様に浅い。中心へ届かず、手前で均されている」


老解析官が目を細める。


「恒星魔核が、本当の中心ではない」


魔術制御部長が続ける。


「熱源としては中心。恒星学的には中心。しかし、対象の本質的な内側を隠すものとして機能していた可能性がある」


レトが小さく言った。


「中心なのに、中心じゃないの?」


ロジーが答える。


「見える中心と、本当に見ちゃいけない中心が別だったのかも」


「……やだね」


「うん。やだ」


次に、外縁魔力流。


通常なら、恒星が周辺宙域へ供給する魔力流。

惑星の上層魔力圏や生命圏に影響するもの。


だが対象記録では、外縁魔力流が終末期にしては整いすぎていた。


上位委員会側の議員補佐が言う。


「終末期恒星の外縁魔力流は、もっと乱れるはずです」


情報班主任が資料を開く。


「対象恒星は表面活動が不安定だったにもかかわらず、遠隔観測では周辺宙域への魔力流出が比較的均一でした。異常空間確認前は、単に特殊な安定性として扱われていました」


老解析官は言った。


「周囲へ“恒星である”と知らせる境界信号」


解析室が一瞬静まる。


副長が言う。


「その表現は、正式記録では調整が必要です」


老解析官は頷く。


「では、外形認識維持信号」


記録審査官が入力する。


外縁魔力流に、外形認識維持機能の可能性。

周辺宙域に対し、対象を通常恒星として安定認識させる作用があった可能性。

断定禁止。


ロジーは、自分の私用記録に小さく書いた。


宇宙に向けた名札みたい。

これは星です、って言い続けてる。


すぐに自分で消した。


そして別の言葉にした。


外形維持。


次は、終末膨張。


通常なら、恒星の老化。

外層が膨らみ、表面温度が変わり、周辺天体を巻き込む。


だが対象記録では、外層膨張が内部圧の逃がし方として異様に整っていた。


技術班長がシミュレーションを表示する。


「通常モデルでは、対象恒星は数百年前から外層不安定化がもっと激しく出るはずでした。実測では、外層膨張が段階的に進み、内部圧の急変を避けるように推移しています」


魔術制御部長が言う。


「自然現象としては可能だが、綺麗すぎる」


老解析官は低く言った。


「割れないように老いている」


その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


副長も、その表現は止めなかった。


ただ、記録審査官が正式文に置き換える。


終末膨張に、内部圧変動緩和機能の可能性。

対象恒星は外層不安定化を段階的に進行させ、内部閉鎖構造の急性破断を避けていた可能性あり。


最後に、魔力流束反転。


前回の正常記録では、終末崩壊時に魔力流束が反転するという重要な知識が得られていた。


だが、ここで最大の違和感が出た。


本来、崩壊時の反転は荒れる。

中心へ落ちるもの、外へ弾けるもの、熱と魔力の逆流、外層放出。

それらが激しく衝突する。


ところが、対象記録の反転は滑らかすぎる。


内側へ戻すための経路のように見える。


魔術制御部長が、長い沈黙のあとに言った。


「これは、崩壊ではない」


若手理論解析官が顔を上げる。


「しかし記録上は終末崩壊です」


「恒星学的には終末崩壊です。だが、魔力流の振る舞いだけ見ると、散逸ではなく回収に近い」


「回収……」


「外へ散るはずの魔力残余を、内側へ戻している」


その瞬間、ロジーのデバイスが小さく警告を出した。


未確定列近接概念。

表現注意。


ロジーは即座に画面を閉じた。


「近い。今の、近い」


情報班主任が確認する。


「何に?」


「未確定列の中身じゃなくて、封鎖タグの近くに概念が触れた。言葉を変えた方がいい」


副長が即座に言う。


「この項目の表現を変更してください。“内側へ戻る”は使用制限」


記録審査官が頷く。


「では、“外部散逸を抑制する魔力流束再配置”とします」


ロジーのデバイスの警告が消えた。


レトが心配そうにロジーを見る。


「大丈夫?」


「大丈夫。開いてない」


「えらい」


「うん。今のは本当にえらい」


ロジーは、少しだけ疲れたように笑った。


分析開始から数時間後。


共同解析室には、最初の暫定結論が投影された。


対象恒星は、通常の恒星として形成・燃焼・終末期進行を示している。

ただし、正常記録列の構造分析により、対象の恒星活動は自然恒星過程であると同時に、内部に存在する未分類閉鎖構造を恒星として維持する外形定義として機能していた可能性がある。


部屋の中は静かだった。


その文章は、決して派手ではない。


怪物の名前もない。

脅威レベルもない。

破壊予測もない。


ただ、恒星が恒星であることそのものが、何かを閉じるための形だったかもしれない、と書いている。


それだけで十分だった。


上位委員会の老解析官が言った。


「偽物ではない」


ジェレミーは答えた。


「そうだ」


「擬態でもない」


「そうだ」


「では、これは恒星だった」


「恒星だった」


「そして、恒星であることが、別の何かの閉鎖として機能していた」


ジェレミーは、わずかに目を細めた。


「現時点では、そう判断する」


老解析官は深く息を吐いた。


「最悪ですね」


副長が薄い笑みを浮かべた。


「上位委員会の方からその言葉が出るとは」


「悪い意味ではありません。いや、悪い意味ですが」


老解析官は画面を見た。


「異常が異常として現れていれば、対処できる。偽装なら剥がせる。敵なら止められる。だが、正常であることそのものが異常の容器だった場合、どこまでを正常として扱うかを決めなければならない」


倫理監査主任が言う。


「対象を生命として扱うかどうかも、まだ確定していません」


その言葉で、次の議題に移った。


魔力生命体性の有無。


監理局の分類では、魔力生命体とは、魔力を生命活動の根幹に持ち、自己維持、反応、学習、自己と外界の区別を行う個体である。


対象恒星は、通常の魔力生命体とはあまりにも規模が違う。


だが、いくつかの点で定義に触れている。


自己維持。

外形維持。

内部閉鎖構造。

自己記録器官と推定される図書館状空間。

一人称転位。

「閉じて」という発話。


情報班主任が言った。


「対象を魔力生命体と断定することはできません。ただし、魔力生命体的な閉鎖性と自己記録を持つ可能性は高い」


医療班主任が続ける。


「生命と断定すれば、保護対象としての扱いが発生します。しかし、生命と断定しないまま破壊判断へ進むことも危険です」


戦闘班長が腕を組んだ。


「危険性が不明なまま生命扱いして封鎖が遅れれば、被害が出る可能性もある」


倫理監査主任が答える。


「その通りです。だから生命認定ではなく、“生命可能性を含む未分類閉鎖構造”として扱うべきです」


上位委員会の議員補佐が言う。


「上位委員会側としても、現時点で保護対象とも処分対象とも断定しません。共同監理対象として凍結するのが妥当です」


ロジーは聞きながら、デバイスに私用タグを作ろうとして、手を止めた。


レトが覗き込む。


「書かないの?」


「うん。まだ名前つけると、近づきすぎるかもしれない」


「名前、大事?」


「大事。特に、分からないものには」


レトは少し考えた。


「じゃあ、ちゃんと決まるまで、閉じてる子?」


ロジーはレトを見た。


「……レトの言葉、たまにすごいところ刺すね」


「刺した?」


「刺した」


「ごめん」


「謝らなくていいやつ」


ロジーは私用記録に、慎重に一行だけ入れた。


閉じてる子。

正式名称ではない。


すぐに、情報班主任が視線を向けた。


「ロジー」


「私用記録です」


「表示範囲は」


「私だけ」


「反復表示は」


「しない」


「よろしい」


次に、受信情報の検討が始まった。


この異常の原因として、共同分析チームが最も慎重になった部分だった。


受信源は不明。


これは全員が一致した。


外部魔力波ではない。

神性存在の精神圧でもない。

旧世代言語でもない。

通常の通信でもない。

術式でもない。

呪詛でもない。

記録媒体でもない。


上位委員会の旧世代由来未分類記録管理官が言った。


「旧世代由来と断定する材料はありません」


解析室の空気が少し変わる。


エルが旧世代であることを知る者たちにとって、その発言は重要だった。


管理官は続ける。


「旧世代の遺物や真名反応なら、名の圧が出ます。今回の記録には、それがない。むしろ、名前以前の形に近い」


魔術制御部長が頷く。


「術式でもありません。術式ならば構文がある。これは構文を持たない。だが、構造を発生させる方向だけがある」


情報班主任が言った。


「記録でもありません。記録なら過去がある。これは、受信後に過去が整っているように見える」


若手理論解析官が困惑した顔をする。


「それは、歴史改変という意味ですか」


ジェレミーが即座に言った。


「断定するな」


情報班主任も頷く。


「対象恒星の自己記録において、受信後の構造が過去の恒星過程へ重ねられている、という意味です。宇宙史そのものが改変されたとは言いません」


副長が記録審査官を見る。


「その表現で」


「はい」


正式記録に入る。


受信情報は、言語・術式・神性圧・旧世代真名反応のいずれにも該当しない。

情報というより、形態成立条件に近い。

対象恒星の自己記録内において、受信後の内部構造が過去の恒星過程へ重畳されている可能性あり。

宇宙史改変は未確認。断定禁止。


老解析官は、その文を見て呟いた。


「“そう在らせる情報”か」


ロジーはその言葉を拾った。


「それ、正式に入れる?」


副長が言う。


「入れません」


「私用記録?」


「それは止めません」


ロジーは小さく書いた。


そう在らせる情報。

読むものじゃない。形にするもの。


分析はそこで一度中断された。


休憩時間。


共同解析室の外にある待機スペースで、レト、ロジー、エルが集まった。


エルは、途中聴取のために呼ばれていた。


白髪のボブ。

毛先の淡いピンク。

いつもの淡々とした表情。

けれど、少しだけ静かだった。


レトはすぐにエルの隣へ座った。


「エル、大丈夫?」


「うん」


「本のこと、思い出した?」


「ちょっと」


ロジーは慎重に聞いた。


「無理に思い出さなくていいからね」


「うん」


エルは待機スペースの小さな机を見た。


そこには、職員が用意した温かい飲み物が三つ置かれている。


レト用の甘いミルク。

ロジー用の果実入りの温かい飲み物。

エル用の、ほんのり甘い白い飲み物。


エルはカップを両手で持った。


「あの本」


ロジーが動きを止める。


エルは続けた。


「あたし、意味は持ってない」


「うん」


「でも、閉じてる感じはあった」


レトが首を傾げる。


「閉じてる感じ?」


「うん」


エルは少しだけ考える。


「箱の中じゃない。部屋の中じゃない。お布団の中でもない」


「うん」


「もっと、星の中で、星をしてる感じ」


ロジーは記録しようとして、手を止めた。


それは、正式聴取で言うべき言葉だった。


ここで私用記録にしてはいけない。


エルはカップを見つめたまま言った。


「開けたら、幸せじゃないかもしれない」


レトもロジーも黙った。


エルは「幸せ」に縛られた存在だ。


エルの魔法は、誰かが願えば何でも叶うものではない。

エルが、それを本当の幸せに必要だと認識した時、世界が結果として応答する。


だからこそ、エルが「開けたら幸せじゃないかもしれない」と言うことには重みがあった。


ロジーは、小さく聞いた。


「閉じてる方がいいってこと?」


エルは首を傾げた。


「分からない」


「うん」


「でも、閉じて、って言ってた」


レトがカップを握った。


「じゃあ、閉じてあげる?」


エルは少しだけ目を伏せた。


「閉じるのを、壊さない」


その言葉は、待機スペースの空気に静かに沈んだ。


ロジーは、ようやく小さく記録した。


閉じるのを、壊さない。

エル発言。正式聴取へ回す。


再開後、エルへの聴取が行われた。


共同解析室の中央席ではなく、少し離れた聴取席。


正面にジェレミー。

隣に副長。

監理局側の医療班主任と精神保護担当。

上位委員会側の記録審査官と老解析官。


ロジーとレトは、室内の端で待機。

ロジーは記録補助をしない。

レトはただ隣にいる。


ジェレミーが言った。


「エル。前回、本を読んでいる時、対象を生命だと感じたか」


エルは少し考えた。


「あたしには、恒星みたいだった」


老解析官の目がわずかに細くなる。


エルは続けた。


「最初は、恒星の本だった」


「途中からは」


「恒星が、恒星って思ってる感じだった」


記録審査官が、そのまま入力する。


ジェレミーが問う。


「苦しんでいたか」


エルは少し黙った。


「あたしの苦しいとは違う」


「どう違う」


「痛いとか、怖いとか、悲しいじゃない」


「では、何だ」


エルは自分の胸元に手を置いた。


「閉じてた」


「閉じていた」


「うん。閉じてることを、がんばってた」


その一言で、部屋の空気が変わった。


閉じていることを、がんばっていた。


それは、単なる封印ではない。

単なる構造維持でもない。

抵抗なのかもしれない。

生命活動なのかもしれない。

救助要請なのかもしれない。


だが、まだ分からない。


ジェレミーは表情を変えずに聞く。


「開けることは」


エルはすぐに答えなかった。


それから、ぽつりと言った。


「幸せじゃないかもしれない」


「なぜ」


「閉じて、って言ってた」


「それを叶えるべきだと思うか」


エルは首を横に振った。


「分からない」


「分からないなら」


「勝手にしない」


ジェレミーは頷いた。


「よし」


エルは小さく頷き返した。


「開けない。壊さない。まだ、決めない」


副長が静かに言った。


「非常に良い判断です」


エルは副長を見た。


「良い?」


「はい」


エルは、少しだけ安心したようにカップを握った。


聴取が終わると、最終協議に入った。


議題は三つ。


一つ。対象をどう分類するか。

二つ。対象恒星をどう扱うか。

三つ。未確定記録と正常記録の今後の管理。


まず分類。


候補は複数出た。


恒星内知識層関連異常体。

現時点で最も無難な分類。


恒星胎殻様魔力生命体疑い。

魔力生命体的閉鎖性を含む分析用分類。


特定恒星内閉鎖構造。

生命性を保留した技術的分類。


受信形態情報関連異常。

原因側に寄った分類。


議論の末、正式分類はこうなった。


特定終末期恒星内知識層関連異常体。


補助分類として、


恒星胎殻様魔力生命体疑い。


ただし、「胎殻」という語は、比喩的分類名として扱い、生命確定を意味しない。


ロジーは私用記録にだけ書いた。


恒星殻卵。

正式名じゃない。

でも分かりやすい。

開けない。


情報班主任が見た。


「ロジー」


「私用記録です。表示範囲、私。反復表示なし。検索対象外」


「よろしい」


次に、対象恒星の扱い。


封鎖派はいた。


上位委員会側の若手理論解析官は、最初は封鎖強化を主張した。


「孵化、あるいは内部破断が何を意味するか不明な以上、対象星系の完全封鎖と、恒星崩壊前の外部介入を検討すべきです」


戦闘班長も慎重だった。


「危険度が読めない以上、最悪の想定は必要です。対象が終末期恒星であるなら、崩壊時に何が起きるか分からない」


一方、医療班主任と倫理監査主任は、即時破壊や強制処理に反対した。


「生命可能性を含む対象に対し、処分前提の計画は早い」


「対象自身の発話が“閉じて”であるなら、開くことも壊すことも、本人の状態を破壊する可能性があります」


上位委員会の老解析官も、封鎖を急ぎすぎなかった。


「同型異常はありません。感染でも群生でもない。急いで破壊する理由は、現時点では危険予測よりも我々の不安に近い」


副長が静かに言う。


「不安で破壊するのは、監理局の判断ではありません」


その言葉に、ジェレミーは少しだけ視線を向けた。


副長はいつもの薄い笑みを浮かべていた。


しかし、その目は笑っていない。


最終判断は、ジェレミーに委ねられた。


上位委員会側もそれを受け入れた。


この対象は、監理局が現地調査を行い、エルを特殊閲覧要員として使い、ロジーを接触させず、未確定記録を封鎖した案件である。


現場の中断判断をしたのは監理局。


今後の実務管理も、監理局なしには成立しない。


ジェレミーは、投影された対象恒星を見た。


赤く燃える老いた星。


その外側は、あくまで恒星だった。


ジェレミーは言った。


「対象を生命と断定しない」


記録審査官が入力する。


「対象を単なる天体とも断定しない」


入力。


「対象を敵性存在と断定しない」


入力。


「破壊しない。開けない。再突入しない。未確定本文を読解しない」


入力。


「対象を共同監理下に置き、閉鎖維持を暫定方針とする」


部屋は静かだった。


ジェレミーは続ける。


「分からないものを、分かったことにするな。開ける理由も、壊す理由も、今は足りない。閉じているものを、閉じたまま維持する」


副長が頷いた。


「暫定方針、閉鎖維持」


老解析官も静かに頷く。


「上位委員会側、同意します」


こうして、方針が決まった。


対象星系は、限定封鎖。

民間船の進入禁止。

観測は遠隔のみ。

黒化領域発生時の無人機投入禁止。

図書館状空間への再侵入禁止。

未確定本文の閲覧禁止継続。

正常記録の応用研究は許可制。

恒星終末予測の再計算。

崩壊時対処計画の策定。

上位委員会と監理局の共同監理。


それは派手な決着ではなかった。


怪物を倒したわけではない。

卵を開けたわけでもない。

受信源を突き止めたわけでもない。


ただ、閉じることを選んだ。


その日の夜。


共同分析区画の照明は落とされ、上位委員会の一行は一時宿泊区画へ移った。


解析室には、監理局側の封鎖担当だけが残っている。


ロジーは最後の記録確認をしていた。


正常記録列は整理済み。

共同分析タグ付け済み。

応用研究許可制。

未確定本文は封鎖継続。


画面には、封鎖タグだけが並んでいる。


未確定本文:封鎖中。

表示禁止。

検索禁止。

反復禁止。

読解禁止。

アカシックレコード・オフライン接続禁止。


ロジーは、それを見た。


見ているのは、本文ではない。

閉じているという状態だけ。


レトが隣から覗き込んだ。


「ロジー、それ、見ちゃだめなやつ?」


「見ちゃだめなやつが閉じてる表示」


「中は見てない?」


「見てない」


「えらい」


ロジーは少しだけ笑った。


「今日、何回もえらいって言われてる」


「何回でもえらいよ」


「やめて。泣く」


「泣く?」


「ちょっとだけ」


レトは慌てた。


「えっ、泣かないで」


「泣かない。たぶん」


そこへ、エルが来た。


足音は小さい。

白髪のボブの毛先が、淡くピンクに揺れている。


エルは画面を見なかった。


ただ、ロジーとレトの横に立つ。


「閉じてる?」


ロジーは頷いた。


「閉じてる」


レトも頷いた。


「開けない?」


ロジーは答えた。


「今は、開けない」


エルは少しだけ目を伏せた。


「うん」


ロジーは私用タグ欄を開いた。


そこには、正式記録には含まれない小さなタグがある。


恒星殻卵。

まだ開けない。


レトがそれを見た。


「ロジー、それ正式?」


「私用」


「怒られない?」


「たぶん、ちょっとだけ」


「だめじゃん」


ロジーは小さく笑った。


「でも、閉じるための名前も必要だから」


エルが首を傾げる。


「名前」


ロジーは頷いた。


「うん。開けるための名前じゃなくて、閉じるための名前」


レトは少し考えた。


「じゃあ、やさしい名前?」


ロジーは困ったように笑った。


「やさしいかは分からない。でも、雑にしない名前」


エルは画面を見ないまま言った。


「雑にしないの、いい」


「うん」


ロジーは私用タグを閉じた。


その時、遠隔観測画面の一つに、対象恒星が映った。


赤く膨らんだ老いた星。

外層は波打ち、表面には炎の柱が上がっている。

終わりへ向かう恒星。


外から見れば、ただそれだけ。


図書館は見えない。

黒い開口部も、今は閉じている。

内部の本も見えない。

未確定本文も聞こえない。


そこにあるのは、恒星だった。


そして、その恒星であることが、何かを閉じていた。


翌日、共同報告書が上位委員会へ提出された。


表題は、長かった。


特定終末期恒星内知識層関連異常体に関する惑星監理局・上位委員会共同分析報告


結論欄には、こう記された。


対象恒星は、通常の恒星として形成・燃焼・終末期進行を示している。

ただし、前回取得された正常記録を共同分析した結果、対象の恒星活動は自然恒星過程であると同時に、内部に存在する未分類閉鎖構造を恒星として維持する外形定義として機能していた可能性が高い。

当該閉鎖構造は、既知の魔力生命体、神性存在、旧世代由来遺物、恒星魔力器官のいずれにも確定分類不能。

受信源不明の形態情報が関与している可能性があるが、発信元、方向、時系列は特定不能。

同型異常は確認されていない。

本件を一般恒星現象として扱うことを禁ずる。

対象は惑星監理局および上位委員会の共同監理下に置き、破壊、再突入、未確定記録の読解を凍結する。

暫定方針は、閉鎖維持。


その報告書は、上位委員会の最上位保管庫へ複製された。

監理局側にも、同一内容の封鎖記録が残された。


ロジーのデバイスには、正式記録とは別に、小さな私用記録が残っている。


共同分析終了。

正常記録は本物。

でも正常記録の中に、正常であり続けるための形があった。

未確定本文は開けない。

恒星殻卵、まだ開けない。

待機班任務継続。

分からないものを、分からないまま閉じておく。


ロジーはそれを一度だけ見て、閉じた。


反復表示はしない。

検索対象にも入れない。


ただ、自分の中にだけ置いておく。


レトはその隣で、眠そうに目をこすっていた。


「ロジー、もう終わり?」


「今日の分は終わり」


「じゃあ、ごはん?」


「ごはん」


「エルも?」


エルは少し離れたところで、廊下の照明を見上げていた。


呼ばれると、こちらを見る。


「ごはん?」


レトが手を振る。


「ごはん!」


エルは小さく頷いた。


「行く」


三人は解析区画を出た。


廊下の照明は、いつもの監理局の明るさに戻っている。

遠くから食堂の音が聞こえた。

職員たちの話し声。

配膳皿の音。

誰かが笑う声。


宇宙規模の異常を扱ったあとでも、監理局には食堂がある。


日常がある。


ロジーは歩きながら、ぽつりと言った。


「ねえ」


レトが振り向く。


「なに?」


「恒星って、いっぱいあるじゃん」


「うん」


「ほとんどは、ただ恒星なんだよ」


レトは頷く。


「うん」


「だから、一個だけ違ったのが怖いんだと思う」


エルが少しだけロジーを見る。


ロジーは続ける。


「全部が変なら、世界がそういうものだったってなる。でも、ほとんどが普通で、一個だけ普通の顔をして違ったから、怖い」


レトは少し考えた。


「じゃあ、その一個を、ちゃんと見てるのが監理局?」


ロジーは笑った。


「たぶん、そう」


エルは言った。


「ちゃんと見て、開けない」


レトが頷く。


「うん。開けない」


ロジーも頷いた。


「今は、開けない」


食堂の扉が開いた。


あたたかい匂いが流れてくる。


レトの目が少しだけ輝いた。


「今日、デザートあるかな」


ロジーがすぐに調子を戻した。


「確認する? 記録する? デザート情報班、出動する?」


「出動!」


エルが首を傾げる。


「デザートも、閉じる?」


ロジーは真顔で言った。


「デザートは開ける」


レトも真剣に頷いた。


「食べるために開ける」


エルは少し考えて、納得したように頷いた。


「それは、いい」


三人は食堂へ入っていった。


その頃、遠く離れた辺境星系では、対象恒星が燃えていた。


赤く膨らみ、静かに揺れ、終わりへ向かっている。


その恒星は、外から見ればただの星だった。


しかし、監理局と上位委員会は知っている。


その内側には図書館がある。

その図書館には、正常な恒星の一生が記録されている。

その正常な記録の中には、恒星であり続けるための外形定義があった。

その奥には、読まれてはいけない本文がある。

さらに奥には、恒星として閉じられた何かがある。


同じものは、他に確認されていない。


宇宙に無数の恒星がある。

そのほとんどは、ただ恒星として燃えている。


だからこそ、ひとつだけ違っていたことが、重かった。


正常の中に、正常の顔をした異常が一つだけ混じっていた。


そして彼らは、その一つを、まだ開けないことにした。



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