表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
102/135

第102話-助けが必要な人

助けが必要な人を助ける遊び


惑星監理局の生活区画で、その日の遊びは始まった。


最初に言い出したのは、レトだった。


「今日は、助けが必要な人を助ける日です!」


食堂の片隅。


朝食を終えたレトは、両手をぎゅっと握って宣言した。


淡緑の長い髪を左側で結び、青いキューブの髪飾りを揺らしながら、目をきらきらさせている。


ロジーは即座に頭上デバイスを起動した。


「記録開始! 本日の作戦名、助けが必要な人を助ける遊び!」


「遊びじゃなくて任務っぽくない?」


「遊びだけど任務っぽい! 任務っぽいけど遊び! つまり最高!」


エルは小さなスプーンを置いて、首を傾げた。


「助けが必要な人」


「うん!」


レトは胸を張った。


「困ってる職員さんを助けるの!」


「職員さん、困ってる?」


「たぶん、いっぱい困ってる!」


ロジーが勢いよく頷く。


「生活班さんは洗濯物が多い! 技術班さんは工具が多い! 食堂班さんは食器が多い! 情報班は書類が多い! 監理局、助けが必要な人だらけ!」


「なるほど」


エルは納得した。


「じゃあ、助ける」


それは本当に、ただの遊びだった。


三人はまず生活班へ行った。


レトは畳まれたタオルを両腕いっぱいに抱え、真剣な顔で歩いた。


「タオル運搬任務、開始!」


「記録! レト隊長、タオルを落とさず進行中!」


「ロジー、前方確認!」


「前方、清掃ロボ一機! 動きがかわいい!」


「かわいいけど、今は任務中!」


エルは後ろからついてきて、落ちそうになったタオルをふわりと浮かせた。


「落ちないようにした」


生活班の職員は、少しだけ笑いながら言った。


「ありがとうございます。助かります」


レトはぱっと顔を明るくした。


「助かった?」


「はい」


「助けられた!」


ロジーのデバイスに、ぴこん、と大きなスタンプが出た。


助け成功、一件目。


次に、技術班へ行った。


技術班の作業室では、職員が床に広げた部品を分類していた。


ロジーは目を輝かせた。


「分類! 私の出番!」


「ロジー、これは遊びだから、ちゃんと許可を取ってからね」


レトが真面目に言う。


「分かってるよ! 職員さん、分類していい?」


技術班の職員は、少し考えてから、危険のない部品だけを小箱に移した。


「この色別分類だけお願いします」


「任された!」


ロジーは小箱の前に座り、頭上デバイスに分類タグを表示した。


「青、赤、銀、透明、よく分からないけどかわいいやつ!」


「最後の分類は何ですか」


「かわいいやつ!」


「正式分類にはしないでください」


「じゃあ仮分類!」


レトも横から覗き込む。


「この透明の、硝子みたい」


「レト、持っていいですよ」


「いいの?」


「危険性はありません」


レトは小さな部品を指先でつまみ、嬉しそうに笑った。


「きれい。これも助けが必要だったんだね」


「部品も?」


ロジーが笑う。


「うん。ちゃんと仲間の箱に入れてあげる」


技術班の職員は、少しだけ目元を緩めた。


エルはその横で、小さなネジをじっと見ていた。


「これ、迷子?」


「それは予備部品です」


「迷子じゃない」


「はい」


「よかった」


三人は次に、食堂へ向かった。


食堂班は昼食後の片付けで忙しかった。


レトは食器を運び、ロジーは返却棚の混雑状況を記録し、エルは食器が倒れないように小さな空気のクッションを作った。


食堂班の職員が言う。


「助かりました」


レトは両手を上げた。


「助け成功、三件目!」


ロジーのデバイスがまた鳴る。


助け成功、三件目。


エルはその表示を見た。


「助け、増えると嬉しい?」


「嬉しい!」


レトは即答した。


「困ってる人が、困らなくなるから!」


ロジーも頷く。


「あと、記録が増える!」


「それはロジーの嬉しいだよ」


「みんなの嬉しいにしていこう!」


エルは少し考えた。


「困ってる人がいたら、助ける」


「うん!」


「遠くでも?」


「遠く?」


レトが首を傾げる。


「遠くの職員さん?」


「監理局の外」


ロジーが目を輝かせた。


「なるほど! 助け範囲拡張!」


レトは少し考え込んだ。


「でも、外は外務班さんの許可がいるよ」


「行かない行かない! 探すだけ! 助けが必要な人がどれくらいいるかなって、雰囲気だけ!」


「雰囲気だけ?」


「そう!」


ロジーは楽しそうにデバイスを操作した。


普段なら、ここで止まる。


情報班の業務中ではない。

許可された記録検索でもない。

監理局の通常端末を使っているわけでもない。


ただの遊び。


だから、ロジーが本気で索引範囲を広げる必要はなかった。


けれど、その日のロジーは浮かれていた。


助け成功。

記録成功。

レトが褒めてくれる。

エルが隣で見ている。

職員さんたちが笑ってくれる。


楽しい。


もっと探したい。


もっと助けたい。


もっと、助けが必要な人を見つけたい。


ロジーの頭上デバイスが、いつもより少し強く光った。


「範囲、監理局内から周辺施設へ!」


ぴこん。


「周辺施設から管理宙域へ!」


ぴこん。


「管理宙域から、公開救難記録の残滓へ!」


ぴこん。


「さらに、関連記録の索引へ!」


情報班なら、そこで異常に気づいた。


だが、ここに情報班主任はいない。


食堂班の職員は、食器を片付けている。

レトは、ロジーのデバイスに出るかわいい表示を見ている。

エルは、助けという言葉を考えている。


ロジーは笑っていた。


「いけるいける! 助けが必要な人、検索!」


次の瞬間。


デバイスの表示が、全部消えた。


ぴこん、という音も消えた。


かわいいスタンプも、分類タグも、助け成功の記録も消えた。


黒い画面。


その中央に、赤い文字が出た。


救難信号。


ロジーが止まった。


「……え?」


続けて、文字が増えた。


救難信号。


救難信号。


救難信号。


救難信号。


数が、増えていく。


一つではない。


十でもない。


百でもない。


ロジーの表情から、笑顔が消えた。


「……なに、これ」


レトが覗き込む。


「ロジー?」


デバイスの赤い文字が、さらに増える。


救難信号。

医療支援要請。

避難誘導不能。

魔力汚染区域拡大。

民間居住区壊滅。

通信塔消失。

生存者確認不能。

子供収容施設、応答なし。

第三避難壕、酸素低下。

救助求む。

救助求む。

救助求む。


ロジーの指が震えた。


「待って。待って待って待って」


レトの顔が強張る。


「これ、どこの記録?」


ロジーは答えられなかった。


デバイスが勝手に、断片を表示していく。


星の名前。

都市名。

災害区分。

発生時刻。

被害推計。

死者多数。

原因、人為的魔力災害。

星間政治衝突に伴う軍事行動。


食堂の音が、遠くなった。


食器の触れ合う音。

職員の声。

空調の低い唸り。


全部が、薄くなる。


レトは小さく言った。


「民間人……?」


ロジーは唇を噛んだ。


「救難信号、いっぱい出てる。いっぱい、助けてって」


「場所は?」


「二星間係争宙域。惑星名……出る。出るけど、機密区分がかかってる。上位委員会執行対象。監理局通常介入不可」


「通常介入不可って、なに?」


ロジーはデバイスの表示を見たまま、声を詰まらせた。


「監理局の出る幕じゃないってこと」


「なんで?」


レトの声が低くなる。


「助けてって言ってるのに」


その時、エルが立ち上がった。


いつものふわふわした動きではなかった。


すっと。


何かを決めたように。


「あたし、行く」


食堂班の職員が、はっとした。


「エルさん」


エルはデバイスの赤い文字を見ていた。


「喧嘩してる」


レトが顔を上げる。


「うん」


「喧嘩で、人が死んでる」


「うん……」


「じゃあ、喧嘩をなかったことにする」


その言葉で、食堂の空気が凍った。


ロジーも、レトも、一瞬だけ何も言えなかった。


エルは淡々としていた。


「喧嘩がなければ、死なない。壊れない。助けてって言わない」


「エル」


レトが小さく呼ぶ。


エルはデバイスを見たまま続ける。


「原因を消す。二つの星が争わなかったことにする。兵器を作らなかったことにする。命令を出さなかったことにする。怖いのを、なかったことにする」


「エル、だめ」


食堂班の職員が、低い声で言った。


その声は震えていた。


エルは首を傾げる。


「だめ?」


「ここで判断してはいけません」


「でも、助けてって言ってる」


「はい」


「なら、助ける」


その瞬間、監理局の警報が鳴った。


食堂ではない。


情報班からでもない。


監理班からでもない。


エルの周囲に、魔力干渉警告が出た。


床に薄い白い輪が走る。


食堂の照明が一段暗くなり、緊急遮断術式が起動する。


ロジーのデバイスが赤く点滅した。


願望呼応反応、上昇。


レトは反射的にエルの手を掴んだ。


「エル!」


エルの指先が、少しだけ光っていた。


白く、淡く、幸せそうな光。


けれどその光を見た職員たちは、誰も安心しなかった。


食堂の扉が開く。


副長が入ってきた。


いつもの薄い笑みはなかった。


その後ろに、情報班主任。

戦闘班長。

医療班の職員。

魔術制御部の職員。


そして最後に、ジェレミー・クリエットが入ってきた。


黒い靴音が、食堂の床に静かに響く。


彼らは今、初めてこの事態を知ったわけではなかった。


すでに作戦行動中だった。


上位委員会による執行は開始されている。

監理局も、周辺宙域保護作戦へ移行している。

情報班は避難経路を計算し、外務班は周辺惑星と連絡を取り、戦闘班は出撃待機に入り、技術班は汚染遮断装置を準備している。


箱庭の娘たちに伏せられていただけで、監理局はもう動いていた。


副長は食堂に入るなり、短く言った。


「全員、その場を動かないでください。作戦情報の無許可表示を遮断します」


情報班主任が即座にロジーの横へつく。


「ロジー、デバイスを固定。索引範囲を閉じなさい」


ロジーは震える声で言った。


「でも、救難信号が」


「閉じなさい」


「でも!」


「今すぐ」


ロジーの肩が跳ねた。


「……はい」


叱られている時の敬語だった。


デバイスの表示が、一部遮断される。


赤い文字は消えない。


けれど、流入は止まった。


レトが振り向いた。


「お兄さん!」


ジェレミーはレトを見た。


そして、ロジーのデバイスを見た。


最後に、エルを見た。


「エル」


「ジェレミー」


「魔法を止めろ」


エルは少しだけ目を伏せた。


「助けが必要」


「止めろ」


「死んでる」


「止めろ」


「まだ生きてる人もいる」


「止めろ」


声は荒くない。


怒鳴ってもいない。


だが、逃げ場がなかった。


エルの指先の光が、かすかに震える。


「喧嘩を、なかったことにしたい」


「それは救助ではない」


エルは顔を上げる。


「違う?」


「違う」


ジェレミーは短く言った。


「それは、二つの星の歴史、政治、選択、責任、死者、生存者の記憶、すべてを上書きする行為だ」


エルは黙った。


「君は民間人を救いたいのではない。今の痛みを世界ごと消そうとしている」


「痛いの、消したらだめ?」


「だめだ」


「死んだ人、戻したらだめ?」


「だめだ」


「どうして」


エルの声は小さかった。


責めているのではない。


本当に分からない声だった。


その横で、レトが叫んだ。


「どうしても助けられないの!?」


涙が、もう止まらなくなっていた。


「なんで!? 死んじゃうよ! 今も、助けてって言ってるんだよ! お兄さん、死んじゃうよ!」


ロジーも、震える声で続けた。


「局長、助けられる人、いるよね?」


デバイスの赤い文字を見る。


「全部じゃなくても、いるよね? 外から介入したら、救える人、いるんだよね?」


ジェレミーは、すぐには答えなかった。


嘘はつけない。


ここで綺麗な言葉を言えば、三人はもっと傷つく。


副長が一歩前へ出た。


「説明します。すでに監理局は作戦行動中です。ですが、三人が見ている場所へ直接入る作戦ではありません」


レトが首を振る。


「なんで!? そこに助けてって言ってる人がいる!」


「います」


副長は否定しなかった。


「助けられる人もいます」


レトが息を呑んだ。


ロジーの目が大きく開く。


エルの指先に、白い光がまた灯りかける。


ジェレミーは静かに言った。


「そこは、ごまかさない。監理局が今すぐ外部から入れば、助けられる人はいる」


「じゃあ!」


レトが叫びかける。


ジェレミーは片手を上げた。


「最後まで聞け」


レトは、口を閉じた。


唇が震えている。


ジェレミーは三人を順に見た。


「助けられる人はいる。だが、監理局がその星へ直接入れば、戦争をしている二つの星は、監理局を敵だと思う可能性がある」


ロジーが涙をこぼした。


「民間人を助けるだけでも?」


副長が静かに答える。


「戦争をしている者たちは、そう見ないことがあります」


レトは首を振った。


「なんで? だって民間人だよ? 兵隊さんじゃないよ?」


副長は声を落とした。


「例えば、片方の星の都市から民間人を逃がしたとします」


レトは頷いた。


「うん」


「すると、もう片方の星はこう考えるかもしれません。監理局が敵側の都市を守った、と」


「違う!」


「違っても、そう思われることがあります」


副長は続けた。


「病院へ医療物資を送ったとします。すると、相手はこう考えるかもしれません。監理局が敵側の兵士も治すつもりだ、と」


ロジーが震えた。


「でも、病院じゃん……」


「はい」


「助ける場所じゃん……」


「はい」


「なんでそんなふうに見るの……」


副長は、少しだけ目を伏せた。


「戦争中だからです」


レトは拳を握った。


「おかしいよ」


ジェレミーが答える。


「おかしい」


レトが顔を上げる。


ジェレミーは否定しなかった。


「おかしい。だが、起きる」


食堂は静かだった。


ジェレミーは続けた。


「監理局が直接介入する。片方が監理局を敵と見る。あるいは、両方が監理局を敵と見る。そうなれば、戦争は二つの星だけでは終わらない」


ロジーが小さく言った。


「監理局も、戦争に入る」


「そうだ」


「そしたら」


「もっと大きくなる」


ジェレミーの声は、ひとつずつ落ちた。


「もっと多くの軍が動く。もっと多くの惑星が警戒する。監理局に反発する勢力も動く。難民船団は増える。汚染も広がる。攻撃対象も増える」


レトの肩が震えた。


「もっと、死ぬ?」


ジェレミーは答えた。


「その可能性が高い」


レトは息を詰まらせた。


「でも、今も死んでる」


「そうだ」


「じゃあ、今死ぬ人は、どうするの」


「救えない人がいる」


その言葉は、食堂の床に落ちた。


重く。


冷たく。


でも、逃げずに。


レトの顔がくしゃりと歪んだ。


「そんなの、やだ……」


「私も嫌だ」


ジェレミーは言った。


レトは泣きながらジェレミーを見た。


「お兄さんも?」


「嫌だ」


「じゃあ、助けてよ……」


「助けられる範囲を間違えると、もっと死ぬ」


レトは何も言えなくなった。


エルが小さく言った。


「あたしが、喧嘩を止める」


全員の視線が、エルへ向く。


エルは、静かに続けた。


「二つの星を、戦えなくする。武器をなくす。怒る気持ちを小さくする。怖い気持ちを消す。恨みを、なくす」


「それはだめです」


副長が即座に言った。


エルは首を傾げる。


「だめ?」


「はい」


「戦争、止まる」


「一時的には止まるでしょう」


副長は、三人にも分かるように、ゆっくり言葉を選んだ。


「でも、それは戦争が終わったのではありません」


エルは黙る。


副長は続ける。


「無理やり手を押さえつければ、殴ることは止まります。けれど、怒っている気持ちが消えたわけではありません。怖い気持ちが消えたわけでもありません。奪われたと思う気持ち、許せないと思う気持ち、相手を信じられない気持ちは、残ります」


ロジーが涙を拭いた。


「じゃあ、止まっただけ」


「はい」


「終わってない」


「はい」


ジェレミーが言った。


「力で黙らせることはできる。だが、心が変わらなければ、監理局がいなくなった瞬間にまた始まる。あるいは、監理局に止められたことへの怒りが加わって、もっと大きくなる」


エルは自分の指先を見た。


白い光が揺れている。


「気持ちを消したら?」


「それは人格の上書きです」


副長の声が、少しだけ厳しくなった。


「怒りも、恐怖も、後悔も、恨みも、その人たちの中にあるものです。良いものではないかもしれません。けれど、勝手に消せば、その人たちの歴史を奪うことになります」


エルは小さく言った。


「でも、苦しい」


「はい」


「苦しいの、消したい」


ジェレミーが答えた。


「君がそう思うことは間違っていない」


エルが顔を上げる。


「でも、やってはいけない」


「そうだ」


エルは少しだけ黙った。


「難しい」


「難しい」


ジェレミーは短く返した。


レトは涙を拭きながら、震える声で言った。


「じゃあ、監理局は、何もしないの?」


「違う」


ジェレミーは即答した。


「監理局は、もう動いている」


レトが止まった。


「もう?」


「そうだ」


副長が壁面に表示を出した。


そこには、二つの星と、その周辺宙域の簡略図が映っていた。


二つの星は赤く表示されている。


その外側に、航路、周辺惑星、避難可能区域、魔力汚染の予測線が浮かぶ。


副長が指し示す。


「この二つの星の内部には、監理局は直接介入できません。そこは上位委員会の執行対象です。執行はすでに開始されています」


レトは赤い星を見る。


「そこに、助けてって言ってる人がいる」


「はい」


「そこには行けない」


「はい」


レトの手が震える。


副長は、今度は外側の航路を示した。


「しかし、ここへ逃げてくる人たちは守れます。戦争の被害が外へ飛び火するなら、監理局は介入できます。汚染が広がるなら止めます。難民船団が襲われるなら守ります。周辺惑星が巻き込まれるなら、止めます」


ロジーが画面を見つめた。


「その外側なら、助けられる」


「はい」


「救難信号の全部じゃない」


「はい」


「でも、助けられる人はいる」


「はい」


副長は端末を操作し、別の表示を開いた。


そこには、すでに作戦名が記録されていた。


周辺宙域保護作戦。

避難航路確保。

汚染魔力雲拡散予測。

難民船団受け入れ誘導。

周辺惑星防衛警戒。


レトはそれを見て、かすかに目を見開いた。


「もう、やってたの?」


ジェレミーが答えた。


「やっていた」


「わたしたちが言ったからじゃなくて?」


「違う」


「もう、助ける準備してた?」


「そうだ」


レトの顔が歪んだ。


怒っていいのか、泣いていいのか、少し分からない顔だった。


「じゃあ、なんで教えてくれなかったの……」


副長が答えた。


「君たちが、今のように飛び出そうとする可能性が高かったからです」


ロジーが俯く。


「……当たってる」


「はい」


「悔しい」


「はい」


レトは赤い星を見つめたまま言った。


「中の人は……」


ジェレミーが言った。


「上位委員会が執行する。政治中枢、軍事指揮系統、使用魔術体系、関連施設を止める。監理局ではなく、上位委員会がやる」


「それで、間に合う?」


誰もすぐに答えなかった。


ロジーのデバイスには、まだ赤い救難信号がある。


ジェレミーは、目を逸らさずに言った。


「間に合わない人がいる」


レトは歯を食いしばった。


「……っ」


「だが、監理局が規定を破って入れば、もっと多くの人に間に合わなくなる可能性がある」


ロジーが俯いた。


「助けたいのに、助けたら増える」


「そうだ」


「そんなの、最低じゃん」


「そうだ」


ロジーは泣きながら笑った。


「局長、否定してよ」


「できない」


「最低だよ、こんなの」


「そうだ」


レトがぽろぽろ泣きながら言った。


「じゃあ、わたしたちはどうするの?」


ジェレミーは三人を見た。


「すでに進行中の作戦に、必要な範囲で参加する」


レトが顔を上げる。


「参加?」


「そうだ。ただし、君たちが始める作戦ではない。君たちが勝手に広げる作戦でもない。監理局がすでに進めている作戦の中で、役割を与える」


ロジーがデバイスを押さえながら言った。


「私も?」


「ロジーは情報班主任の監督下に入る。周辺宙域の避難支援情報だけを扱う。戦争当事星内部の救難記録は封印する」


ロジーは唇を噛んだ。


「見ないだけ?」


「今は、見ない」


「消さない?」


「消さない。記録は残す」


ロジーは小さく頷いた。


「じゃあ、今見るべきものを見る」


ジェレミーはレトを見る。


「レトは戦闘班の第二出撃枠に入る」


「第二出撃枠?」


戦闘班長が答えた。


「すでに第一出撃班は準備中だ。お前は、難民船団護衛、汚染魔力雲の切断、航路確保が必要になった場合に投入する。泣いた直後だ。状態確認を受けてから待機に入れ」


レトは涙を拭った。


「逃げてくる人を守る?」


「そうだ」


「その星の中じゃなくても」


「そうだ」


「今、届くところを守る」


「そうだ」


レトは、何度も頷いた。


「わたし、待機する」


戦闘班長が言った。


「医療班で状態確認を受けろ。泣いた直後の出撃は判断が荒れる」


「泣いてない」


「泣いている」


「……泣いたけど、ちゃんとする」


「だから確認を受ける」


「はい」


ジェレミーは最後に、エルを見る。


「エル」


「うん」


「君は直接介入しない」


エルは黙った。


「ただし、作戦監視下で待機する。周辺宙域の航路保護に、環境干渉が必要になる場合がある。その時は、私か副長の承認を待て」


「喧嘩は消さない」


「そうだ」


「怒ってる気持ちも、怖い気持ちも、消さない」


「そうだ」


「でも、帰る道が壊れそうなら」


「確認しろ」


エルはゆっくり頷いた。


「確認する」


ジェレミーは言った。


「今、三人に求めるのは、勝手に助けることではない。監理局の作戦の中で、届く場所を守ることだ」


レトは泣きながら言った。


「少ないよ」


「少ない」


ロジーも言った。


「足りないよ」


「足りない」


エルが言った。


「苦しい」


「苦しい」


ジェレミーは否定しなかった。


「それでも、やる」


その後、三人はそれぞれの部署へ移された。


監理局は、すでに動いていた。


だから、三人が泣いたことで作戦が始まったわけではない。


三人が怒ったから、監理局がようやく助けることにしたわけでもない。


作戦はもう走っていた。


判断はもう下されていた。


各班は、それぞれの職責で動いていた。


そこへ、箱庭の娘たちが途中から組み込まれた。


ロジーは情報班主任の隣で、閲覧制限のかかった画面を睨みながら、周辺宙域の支援資料を作った。


見てはいけないものを見ない。


見えるのに見ない。


それは、ロジーにとって罰のようだった。


それでも、必要な記録を選び、分類し、提示した。


「ここ、危ない。第三航路、魔力汚染の風下になる。こっちに迂回させた方がいい」


情報班主任が端末を覗く。


「根拠は」


「過去の同型災害。あと、今の魔力波形。似てる。完全一致じゃないけど、拡散の癖が近い」


「提示してください」


「出す」


ロジーは泣きながら、資料を組み始めた。


レトは医療班で状態確認を受けたあと、戦闘班の待機室にいた。


膝の上で両手を握りしめ、出撃命令を待つ。


第一出撃班はすでに配置へ向かっている。


外務班は周辺惑星と調整を続けている。


技術班は汚染遮断装置の移送を進めている。


自分は、その中の第二出撃枠。


飛び出したい。


今すぐ行きたい。


でも、行けと言われていない場所へ行くことは、守ることではない。


その言葉を、何度も何度も自分に言い聞かせた。


エルは、ジェレミーの局長室にいた。


椅子に座り、両手を膝に置いている。


机の上には、救難信号の内容は表示されていない。


かわりに、白い小さな石が置かれていた。


ジェレミーが言った。


「この石を見ろ」


エルは石を見る。


「石」


「この石を丸くしたいと思え」


エルは少しだけ首を傾げた。


「できる」


「するな」


エルは黙った。


「次に、この石を割りたいと思え」


「できる」


「するな」


「うん」


「次に、この石を、最初からなかったことにしたいと思え」


エルの指先が、少しだけ光る。


ジェレミーは言った。


「するな」


エルは目を閉じた。


光が消える。


「できた」


「もう一度」


「うん」


これは作戦中の待機だった。


エルを閉じ込めているのではない。


エルを作戦から外しているのでもない。


必要な時に、安全に使えるように、止まる訓練を同時に行っている。


局長室の外では、監理局が動いている。


遠い星では、まだ救難信号が出ている。


上位委員会の執行は進んでいる。


二つの星の戦争は、まだ完全には止まっていない。


誰も、全部を救えていない。


その事実は、局長室にも、情報班にも、戦闘班にも残っていた。


夕方。


監理局が追跡していた難民船団の一つが、周辺宙域へ逃れてきた。


戦争当事星の片方から離脱した民間船団だった。


この船団は、すでに作戦開始時点で監理局が把握していた対象の一つだった。


追撃ではない。


だが、汚染された魔力雲が航路に流れ込みつつあった。


監理局の介入条件が成立した。


第一出撃班が先行する。


続いて、戦闘班長からレトへ命令が下った。


「レト、第二出撃枠、投入」


レトは立ち上がった。


泣き腫らした目は、まだ少し赤い。


でも、声は真っ直ぐだった。


「レト、出ます」


戦闘班長が頷く。


「任務内容」


「難民船団の護衛。汚染魔力雲の切断。航路確保。民間人を守る」


「よし」


レトの周囲に、青白い硝子の短剣が浮かぶ。


いつもより静かな光だった。


レトは転移ゲートの前で、一度だけ振り返った。


そこにはロジーがいた。


デバイスには、避難経路の地図が表示されている。


「レト」


「ロジー」


「第三航路はだめ。第二航路から曲げて。あと、船団の後ろに古い輸送船がいる。たぶん遅れる。置いていかないで」


「うん」


「これは、もう作戦計画に入ってる。私が今見つけたんじゃなくて、情報班が追ってた船。私は補助で、遅れそうな船を拾っただけ」


レトは頷いた。


「それでも、ロジーが教えてくれた」


ロジーの顔が、少しだけ歪んだ。


「うん」


「ありがとう」


「あと、無理しないで」


レトは少しだけ笑った。


「ロジーも」


「私は無理してない」


情報班主任が隣で言った。


「しています」


「してました!」


レトは頷いた。


「帰ってきたら、一緒に泣こうね」


ロジーは一瞬、目を丸くした。


そして、くしゃっと笑った。


「うん」


エルも廊下に立っていた。


ジェレミーの隣で、小さく手を握っている。


「レト」


「エル」


「あたし、喧嘩を消さない」


レトは頷いた。


「うん」


「怒ってる気持ちも、怖い気持ちも、勝手に消さない」


「うん」


「でも、帰ってくる人の道は、消さないようにする」


ジェレミーがエルを見た。


エルは続けた。


「道が壊れそうなら、ジェレミーに聞く」


「そうして」


レトはエルの前にしゃがみ込んだ。


「エル、待ってて」


「うん」


「わたし、行ってくる」


エルは少し考えてから、言った。


「助けてきて」


レトの目が揺れた。


それは、行けなかった人たちのことを忘れた言葉ではなかった。


救えなかった人たちを消す言葉でもなかった。


今、届く場所にいる人を助ける言葉だった。


レトは強く頷いた。


「うん!」


青白い光が、転移ゲートを満たす。


レトの姿が消えた。


残ったロジーは、デバイスを握るように両手を上げ、表示を更新した。


「船団誘導支援、継続」


エルは廊下の先を見ていた。


指先は光っていない。


魔法は使っていない。


ただ、見ていた。


聞いていた。


止まっていた。


それはエルにとって、何もしないことではなかった。


その夜。


監理局の記録には、短い一文が追加された。


二星間政治衝突に伴う人為的魔力災害。

上位委員会執行中。

惑星監理局、周辺宙域保護作戦を継続。

箱庭の娘三名、作戦途中より限定参加。


その記録の下に、ロジーが個人的な非公開メモを残した。


助けが必要な人を助ける遊びは、遊びじゃなくなった。

でも、遊びだったから見つけてしまった。

見つけたから、苦しくなった。

苦しくなった時には、監理局はもう動いていた。


少し間を空けて、もう一行。


私たちが始めた作戦じゃない。

私たちは、途中から入れてもらった。

それでも、全部は助けられなかった。


さらに、最後に。


この記録は消さない。

次に助けられるものを、間違えないために。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の活動場所です! 総合リンクです! TiktokやYouTube、lineスタンプなどの総合リンクになってます!! よかったらみに来てくださいね! 箱庭の娘たちのイラストや動画をAI生成していますっ(*´▽`*) おはなしが気に入ってくださったら、評価やリアクション、ブックマークなどしてくださると、とっても嬉しいです(≧∀≦*)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ