不安定な瞳 -ルパート-
エレインと初めて会った時に一目でこの子だと強く思った。
さらさらした黒髪に紫の瞳をした2歳年下の彼女はどこか不安気に僕を見ていた。公爵家令嬢であるから、7歳であっても挨拶はとても綺麗だ。姿勢もよく堂々としている。ただ、それが見せかけだけなのだということはその不安そうな瞳を見てすぐに分かった。よく観察すれば、握られている手もわずかに震えている。
二人でお話でもしなさい、と勧められて僕は彼女の手を取った。つないだ手がとても冷たくて、彼女の緊張がよくわかる。
護衛達に見える位置に用意された椅子に並んで座った。
「怖い?」
そっと聞いてみれば、彼女は視線をうろつかせて俯いてしまった。その様子から、彼女が公爵家の過去を知らされていることがうかがえる。僕もつい最近、公爵家と王家であった出来事を伝えられていたから、彼女の恐怖を理解できる。
「わたしには無理です」
彼女は泣きそうな顔をしてそう呟いた。
守ってあげたい。
そう思ってしまった。
彼女を幸せにしたい。
そう思ってしまった。
きっと彼女も彼女の家族も望んでいないだろう。
だけど、ずっと側にいて欲しいと思ってしまった気持ちをなくすことはできなかった。この気持ちがどこから来ているのか、わからない。わからないけど、無視したくなかった。
「エレインと結婚したい」
そう国王である父上に伝えれば、困ったような顔をした。父上も公爵家の令嬢たちの不幸を苦しく思っている。大人である父上には父上の心配もあるのだろう。
「これ以上、公爵家の令嬢を不幸にするわけにはいかない」
「わかっています。でも、僕が守ってあげたいんだ」
「その不幸はお前によってもたらされるかもしれないのに? 守ってあげたいと思うのなら手を伸ばさないという選択肢もある」
どうやら父上は縁談をまとめたくないらしい。僕の年齢に合わせて婚約者となれる身分を持つ者は4人ほどいた。その中で一番身分が高いのが公爵令嬢であるエレインだ。他の候補になれる令嬢は伯爵家の者だった。
だからこそ、エレインとの顔合わせをして、お互いに合わないということで伯爵家の令嬢たちとの顔合わせをする算段だったのだろう。僕だってそれぐらいはわかる。エレインとの顔合わせは公爵家を無視しているわけではないという外に向けて示すためのものだ。
でも、エレインに合ってしまった今、大人ではない僕はエレインを選ばないということはできなかった。
あれから10年経って、ようやく婚約者候補から婚約者になった。
こうして婚約者候補の時よりも近くにいるエレインに気持ちが温かくなる。毎日のように一緒にいるが、エレインを見ていると幸せな気持ちになる。
エレインはとても努力家で、わからないところは素直に聞いてくる。丁寧に教えればそれを自分なりに飲み込み、さらに先に進む。その態度がとても好ましくて、しかも時々正しいことを確認するように立ち止まっては僕の意見を聞く。頼るばかりと思いきや、僕の状態を見ては疲れをとろうとしてくれる。何かに迷えば、そっと側に寄り添う。彼女の押し付けない優しさは僕にとっても大切なものだ。
そんな彼女が好きで、愛おしくて。
だから、僕は沢山彼女に愛していると囁く。彼女も愛を返してくれるようになったけど、時折エレインの瞳からは不安が溢れた。幸せは長く続かないのではないかと、そんな不安だ。
「愛しているよ」
ごめんねと謝る代わりに愛を囁く。どうしても手を離してあげられない。
君の不安はよくわかる。
僕も本当のところがわからなくて、不安だ。
何故、過去の王族はあれほど愛していた女性を簡単に捨てて、他を愛することができたのだろう。
これほど大切なものはないのに。
そう、君以外の女性はいらない。
この気持ちに嘘はない。
******
僕の心を揺らすような女性などいるはずはないと自信を持って言えるはずだった。エレインの気持ちを揺らす出会いなどありはしないと心から思っていた。
ところがやはり出会うものなのだ。
一目見て、彼女がそうだとわかった。お忍びで出かけた城下で出会ってしまった。連れとはぐれたのか、不安そうな顔をして立っていた。たまたま通りかかり、彼女と目が合った。
彼女も僕と目が合ったことを認識したのか、沢山いる人の中で僕の腕を掴んだ。
「あの」
なるほど。
頼りなさと不安そうに見上げる目がうっとりとした熱に浮かされたように潤む。
その様子を見て王族がこの目に弱いのだと理解した。
思わず口元が緩む。
不愉快な視線を真正面から受け止めた。
「迷子なら騎士団へ行けばいい」
そう言って、近くを通りかかった騎士を呼び寄せる。もちろんこの騎士は僕の護衛の一人だ。街の中で浮かないように城下を警護する騎士の制服を着ていた。
「……ありがとうございます。あの、お礼をしたいのでお名前を」
「礼は不要です。僕は騎士を呼んだだけですから」
しつこく名前を聞こうとする女に反吐が出た。媚びるような目、自分の思い通りにしようという計算された態度が鬱陶しい。
気がついてしまえば、先ほどの不安定な庇護欲を掻き立てる様子は見えなくなった。もっとドロドロとした人間の欲ばかりが目についた。
「では失礼」
まだ何か言いたそうな女から離れる。
「あの女、調べろ」
後ろについてきている陰に小さな声で告げた。すぐに気配がなくなる。
不愉快な女には出会ったが、それでも収穫があって気分が良い。
王族が何故愛する人を捨ててまで別の女を愛するのか。
単純なことだった。縋るような不安定な眼差しが心を揺さぶるのだ。確かにあの女の一面だけを見ていれば、庇護欲だけを掻き立てられて守らなくてはという気分になるのだろう。だが、あの不安定な目はすでに僕は手に入れている。
いつでも幸せが壊れてしまうと恐れている不安定な瞳はエレインが常に持っている。
やはり、彼女以上の人などいやしない。
そう確信出来て、僕は長年の心配がなくなった。これからもずっとエレインを愛し続けられる。
だから、何もしてこなければ、見逃してあげたのに。
馬鹿な女は自分の立ち位置も知らぬまま、気軽に僕に声をかける。しかも、エレインを同伴している夜会の場だ。あちらこちらから、好奇の視線が向けられていることに気が付かないのか。
エレインの顔を覗き込めば、綺麗に隠していてもその下に不安が渦巻いていた。
ああ、そんな顔をしなくても大丈夫だ。
すぐに憂いを払ってしまおう。