第50話:暗黒騎士の誕生
「が、ああああああああっ!! ぐ、あ、あああっ!」
漆黒の瘴気が、まるで無数の毒蛇のように勇者の皮膚を突き破り、全身の血管を容赦なく駆け巡る。
肉体と魂が内側からドロドロに溶かされるかのような絶大なる激痛に、勇者は黒大理石の床を転げ回り、爪から血が滲むほどに床を掻きむしった。
「お、俺は……俺は神だぞっ! 世界の半分を支配する、新たな王になる男だ! こんな、こんなところで……っ!」
激痛にのたうち回りながらも、勇者は己の偉大さと底なしの野望を必死に喚き散らした。
だが、その執念すらも、大魔王の放つ絶望的な闇の奔流の前では無力であった。
「俺は、俺は……、あ……」
咆哮はやがて、空気が漏れるような虚ろな掠れ声へと変わっていく。
脳髄の奥底深くまで侵食したどす黒い力が、彼を形作っていたあらゆる「自我」を塗り潰し、溶かし始めていたのだ。
元の世界で最強の召喚師であり、「勇者」とまで持て囃されていたかつての栄光。
ダークエルフの罠にはまり、魔力も地位も全てを奪われ、薄汚い地下牢で看守たちに見下されながら泥水をすすっていた屈辱の記憶。
そして、心優しい砦の民衆を騙し討ちにし、己の欲得のためだけに弱者を蹂躙して満たしていた、途方もない権力への強欲な感情。
それらがまるで、黒い絵の具に塗り潰されるように、彼の中から次々と剥がれ落ち、消失していく。
(俺は……誰だ? 何を、望んで……)
その最後の疑問すらも、完全な漆黒に飲み込まれた。
彼が自我を喪失していくのと呼応するように、身に纏っていた四つの伝説の武具にも劇的な変化が訪れる。
大魔王の威圧に軋みを上げながらも物理的な破壊を免れていた白銀の兜、盾、鎧、そして大剣。それらは勇者の肉体を満たした極濃の瘴気をスポンジのように吸収し、完全に同化していく。
かつて世界を救うはずだった神聖な光の武具は、見るもおぞましい禍々しい漆黒へと染まり上がり、絶望と死を振りまく暗黒の鎧へと変質を遂げたのである。
「…………」
やがて、悲鳴は完全に途絶えた。
床に伏していた漆黒の鎧の怪物が、ゆっくりと、何の感情も感じさせない機械的な動作で立ち上がった。
兜のスリットの奥にあるはずの瞳には、かつての傲慢な光も、卑劣な欲望も、己が何者であったかという記憶すらも一切存在しない。
そこにあるのは、完全に自我を失った絶対的な虚無。そして、大魔王から与えられた次元の違う圧倒的な闇の力と、玉座の主に対する絶対的な忠誠心だけであった。
己の保身のためだけに全てを裏切り続け、最後に自らの存在そのものを裏切られた哀れな男。
こうして、最も愚かで身勝手な偽りの勇者は、この世界から完全に消滅した。
静寂に包まれた魔王城の謁見の間。
玉座の下で静かに傅くその禍々しき巨影は、のちの歴史において本編の勇者たちの前に最大の絶望として立ちはだかる、大魔王の側近――正体不明の「ダークナイト」であった。




