第28話. エイナル
忠誠の誓いの儀式の後に続いた宴。
それが終わりかけた頃、マルタンはベルトランについて宴会場の隅へ向かった。
ギィッ-
宴会場の片側の壁にくっつくようにある、窓一つなく薄暗い執務室。
その内部を照らしているのは、小さな油灯一つだけだった。
「何の用だ?」
ベルトランがテーブルの上に油灯を置き、ゆっくりと話を切り出した。
「この前、アイマル様が公爵になる条件についてお話ししましたよね。覚えておられますか?」
サンチョが公爵になる方法と比べて、無駄に長かった条件。
当然覚えていた。
「アドゥール川の大領主たちを説得し、ガスコーニュ中部の伯爵たちを片づけ、司教たちの反対を乗り越えろと言っていたか?」
「はい、その間に公爵様やサンチョ公に別の後継者が生まれてはならない、というのもあります。」
改めて考えてみても呆れるような条件。
事実上、ガスコーニュをひっくり返さなければならないという話と変わらなかった。
「まさか新しい条件でも追加されたのか?」
ベルトランが乾いた笑いを漏らした。
「まさか。単に今後の計画をお知らせしようというだけです。」
「計画?」
「アイマル様が後々どうなられるかは分かりませんが、その影響力を増やしておいて損はありませんからね。」
彼が落ち着いた声で話を続けた。
「ひとまずこの冬は、メドックでの影響力を固めることに集中します。領主たちから忠誠の誓いを受けはしましたが、まだ安定してはいませんから。」
彼はしばし息を整えてから、続けて口を開いた。
「冬が過ぎて暖かくなれば、我々はアドゥール川の大領主たちを説得しに出発する予定です。」
「......」
「......」
どこか返事を求めているようなベルトランの顔。
それにマルタンが眉をひそめた。
「まさか、その遠征に俺も含まれるのか?」
「はい、上位君主の召集は封建契約書に明記された義務の一つですので、できる限り同行していただければと思います。」
マルタンがしばし考えてから尋ねた。
「...期間はどれくらいだ?」
「一か月より少し長くかかると予想しています。」
「アドゥール川はそこまで遠くないはずだが?」
ベルトランが当然だという声で答えた。
「一、二か所に立ち寄れば済むわけではありませんから。立ち寄る場所を一つ一つ知りたいのでしたら、お教えすることはできます。」
マルタンが首を横に振った。
「そこまではいい。用件はそれで終わりか?」
「ひとまずはそうです。何か気になることでもありますか?」
仕事もほぼ片づいたので、今後の日程以外には特に気になることもなかった。
「次の宮廷会議は降誕祭ではなく復活祭に開くと言っていたか?宴会場でそう聞いた気がするが?」
ベルトランが頷いた。
「今日、封臣たちも一度集まりましたし、アイマル様も降誕祭の頃にはお忙しい予定ですので、そのまま復活祭に開くことにしました。」
復活祭なら春真っ盛りの時期だから、ほぼ半年近く残っていることになる。
「しばらくレスパールに来ることはなさそうだな。」
ベルトランが人を食ったような表情を浮かべた。
「そんなに寂しいのでしたら、時々お呼びしましょう。」
「その必要はない。必要な時だけ呼べ。」
マルタンはベルトランを後にして、執務室を出た。
***
早朝。
レスパールを発ち、ポワイヤックへ戻る道。
新しい荘園を授けられたのだから、片づけなければならない仕事が残っていた。
「領主様.....これ、本気ですか?」
ピエールが深刻な表情で尋ねた。
「一日でサン=ローランとラマルク、ベシュヴェルを全部回るつもりなんですか?」
ポワイヤックを除いた新しい荘園。
各荘園の管理人を選ばなければならないため、仕方なく一度くらいは立ち寄る必要があった。
「何か問題でもあるのか?」
「いや。時間的に無理だと思うんですが?」
マルタンが大したことでもないように答えた。
「本当に疲れそうなら、お前が馬に乗れ。俺が代わりに歩く。」
ピエールが諦めた顔で頷いた。
「行けるところまで行ってみます。行きますよ。ええ...」
ピエールが黙って歩いている間に、ジャックがゆっくりとマルタンへ近づいた。
「領主様、荘園の管理人はどのような基準で選ばれるおつもりですか?荘園に着いたら、条件に合う者たちを呼んでみます。」
管理人を選ぶ基準。
それほど複雑に考えることでもなかった。
「荘園の人間たちと仲がよく、ある程度身体も大きいほうがいいだろう。」
「なるほど。それでよろしいですか?」
マルタンが言葉を付け加えた。
「それと、息子がいなければならない。」
ジャックがしばし考えると、訳が分からないという表情を浮かべた。
「他は分かりますが... 息子はなぜ必要なんですか?」
「問題が起きた時に使える予備の管理人だ。父親から自然に管理人の仕事を学ぶだろう?」
ジャックが納得した。
「それもそうですね。他にはありませんか?」
「それでいい。 」
あとは適度に言うことを聞きそうな人間を選ぶだけ。
荘園にいる人間の数などたかが知れているのだから、条件はあれくらいで十分だった。
***
コルドバ。
数十万の人口が暮らす巨大な都市にして、輝かしい文明の中心地。
そこは今、カスティーリャの軍勢によって崩れ落ちつつあった。
「いやぁ...」
大柄な金髪の男、エイナル。
彼はあちこちから煙が立ち昇る都市の真ん中を歩いていた。
「俺がこいつらの滅びる様を見ることになるとは思わなかったな。」
彼の隣について歩く細身の男が答えた。
「本当ですよ、一生殴られながら生きることになると思ってました。」
「アル・ムザッファル、あいつが生きていたら今でもそうだっただろうな。」
エイナルがしばし周囲を見回した。
どこか高級そうに見える石造りの塀の内側へ入ってはきたものの、金になりそうな華やかな建物は見当たらなかった。
「ところで、こっちの道で合ってるのか?何か略奪できそうなものが見当たらないんだが?」
「俺だって知りませんよ...? 俺がここの道をどうやって知るんですか。」
エイナルがその場で立ち止まった。
「何だよ、じゃあ何で先頭を歩いてたんだ?」
「俺は横にいましたけど?」
「ちくしょう... とりあえず何かしら奪わねえとな。」
彼は周囲を見回し、視界に入った建物の一つへ駆けていった。
バキッ-
「$%&&^」
扉が壊れる音とともに、その向こうから現れたムーア人。
彼は袋を一つ抱きしめたまま、何を言っているのか分からない言葉を吐いていた。
「何だ、それ貴重なもんなのか?」
エイナルが袋をひったくったが、ムーア人は袋にしがみついたまま泣き叫んでいた。
「$@%#」
「ちっ、面倒くせえ。」
彼が袋にしがみつくムーア人を足で蹴り飛ばした。
ドタドタッ-
「ぐぅぅ...」
エイナルは床に倒れて呻くムーア人を無視したまま、袋を調べ始めた。
「...何だこれ?」
予想していた金銀財宝はなく、正体の分からない器具でいっぱいの袋の中。
それを見た細身の男が口を開いた。
「錬金術師みたいですね?」
「錬金術師?」
エイナルが床に倒れたまま呻いているムーア人を見た。
「じゃあ、頭のいい奴なのか?」
「まあ......そうなんじゃないですか?」
エイナルがしばし顎髭を撫でてから、笑みを浮かべた。
「あいつが何者なのか聞いてみろ。」
細身の男が面倒そうな表情を浮かべた。
「そのまま殺して行けばいいのに、何で急に面倒なことするんです?」
「いいから聞いてみろ。」
「はぁ... そんな暇があるなら略奪でもすればいいのに。」
男は溜息をつくと、床に斜めに横たわっているムーア人へ近づいた。
「おい、お前、何してる奴だ?」
彼の口から出た流暢な異教徒の言葉。
床に倒れていたムーア人はそれが聞こえなかったのか、袋へ手を伸ばしながら呟いた。
「俺の... 俺の器具が。」
男がムーア人の前にしゃがみ込んだ。
相手の首の前へ剣を突き立てたまま、再び質問を投げた。
「聞いただろ、何してる奴だって。」
ムーア人はそこでようやく男と目を合わせ、どもりながら言葉を発した。
「庭園... 庭園の管理人です。」
「庭園...?」
男が顔を上げて周囲を見回してから、独り言を呟いた。
「クソみたいに広いから分からなかったが、確かに庭園ではあるな。」
男が立ち上がり、エイナルを振り返った。
「このムーア人、庭園の管理人ですね。」
「庭園の管理人?何だそれ?」
「その.......いろいろやる奴ですよね?」
エイナルが頭が痛そうな表情を浮かべ、器具の入った袋を指差した。
「もう、それ使えるかどうかだけ聞け。知らねえって言ったら適当に処理しろ。」
男がムーア人を見下ろした。
「袋の中にある物、使えるか?」
「はい... 使えます。私の物です。」
男が顔を向け、エイナルへ伝えた。
「使えるそうです。」
「そうか?そいつ、運だけはクソみたいにいい奴だな。」
エイナルが床に倒れているムーア人へ近づいた。
ムーア人の前に立ち、彼が知っている唯一の異教徒の言葉を口にした。
「名前は?」
ムーア人が震える声で答えた。
「ハ...ハサンです。」
エイナルが眉間に皺を寄せた。
「ハサンデスか・・・妙な名前だな。」
隣にいた男が呆れた顔で彼を見た。
「いや... ハサンが名前なんですよ。」
「そうなのか?まあ、名前なんてどうでもいい。」
エイナルがハサンの襟首を掴んで持ち上げた。
彼と目を合わせると、楽しそうに笑みを浮かべた。
「ハサン、お前は俺と一緒にポワイヤックへ行く。」
ポワイヤックへ行くというエイナルの言葉。
それに男が怪訝そうな表情で尋ねた。
「ポワイヤック?そこ、兄貴が行ったっていう場所じゃないですか?」
「そうだ。こいつはその贈り物だ。頭のいい奴が好きだから、気に入るだろ。」
男はまったくそうは思えないという目でエイナルを見た。
「どうですかね、兄貴が最近、頭のいい奴を探してるところなんて見たことないですけど...
彼は語尾を濁すと、何かに気づいたように慌てて尋ねた。
「 ……ちょっと待って、傭兵団はどうするんですか?」
エイナルがしばし考え込んだ。
「それはまあ... お前が適当にやれ。どうせ運営はほとんどお前がやってただろ。」
男が呆れた顔でエイナルを睨んだ。
「いや、何で傭兵団の頭たちがこんな簡単に抜けるんですか?」
「傭兵団なんて大したもんじゃないだろ。毎回言ってるが、俺が故郷で治めてる村だけでも-」
「またそんな馬鹿げた話を。」
男がうんざりした顔でエイナルの言葉を遮った。
「出ていくのはまあいいとして、まさかそのムーア人を連れて略奪して回るつもりですか?」
エイナルがハサンへ顔を向けた。
「ここで待ってろと言ったら、言うことを聞かないだろ?」
「でしょうね?」
グキッ-
意識を失い、ぐったりしたハサン。
エイナルは彼を持ち上げ、草むらの向こうへ投げ捨てた。
「...あれ、死んだんじゃないですか?」
「なら仕方ない。」
数年ぶりに巡ってきた、まともな略奪の機会。
これを逃すわけにはいかなかった。




