第26話. 後継
マルタンは砂利の丘の上に立ち、川を眺めていた。
ひょっとしたら満ち潮に乗って商船がやって来るのではないかという期待感。
この一週間は何の知らせもなかったのだから、そろそろ何かが来てもよさそうな頃だった。
「領主様~!」
背後から聞こえてくるピエールの声。
それにマルタンが振り返った。
「ふぅ、ここにいらっしゃったんですね... 城主様がお見えになりました。」
「誰が来たって?」
「城主様です。公爵様の庶子であられる方です。」
忠誠の誓いの儀式までは、まだ一週間以上も残っている状況。
その意図が分からない訪問だった。
「ひとまず行ってみよう。」
ピエールを連れて到着した屋敷の庭。
そこには十数人の兵士とベルトラン、そしてアイマルが立っていた。
「お久しぶりです、マルタン卿。」
前へ進み出ながら、嬉しそうに挨拶をしてくるベルトラン。
それにマルタンが応じた。
「たった一週間でか?」
ベルトランが人のよさそうな笑みを浮かべた。
「それくらいなら久しぶりに会うと言ってもいいでしょう。」
「まあ.....そういうことにしておこう。」
マルタンがしばし相手の一行を見回した。
「それで、何か用でもあるのか?」
「レスパールもある程度安定しましたし、話でもしようかと思って来ました。」
「話?」
「ガスコーニュについてのあれこれです。」
マルタンがどうにも釈然としない顔で口を開いた。
「ひとまず中へ入ろう。」
ベルトランとアイマルを連れて入った屋敷。
マルタンは客人たちを炉端に座らせ、話を始めた。
「正確には何の話をしようというんだ?」
「はっきり言うのも難しいので、卿がお尋ねになることにお答えしましょう。」
マルタンが聞きたいことなど一つしかなかった。
ガスコーニュ公爵の後継。
これはポワイヤックの安全にも直結する問題だった。
「幼い城主が公爵になれるのか?」
ベルトランがすぐに答えた。
「はい、可能です。」
彼が言葉を付け加えた。
「公爵様とサンチョ公が嫡子を得られないまま亡くなられ、アムール川一帯の大領主たちを説得し、ガスコーニュ中部の大領主たちに勝利すればよいのです。」
ベルトランの答えはさらに続いた。
「ああ、司教たちからの圧力にも耐えなければなりませんね。今は我々の側の者たちなので問題ありませんが、後々には庶子であるアイマル様を認めない者も多いでしょう。」
無駄に蛇足の多い答え。
それにマルタンが再び尋ねた。
「サンチョが公爵になる方法は?」
「公爵様が嫡子を得られないまま亡くなられればよいのです。」
「...短いな。」
マルタンが顔を向け、役立たずの幼い城主を見た。
十歳をようやく越えた程度にしか見えない体格に、バスク人とは思えない暗い金髪。
目が合った途端に縮こまる肩。
「あ...こんにちは。」
礼儀作法まで犬にでも食わせたらしい。
私生児出身の庶子だからなのか、問題が多そうに見えた。
マルタンが再びベルトランを見た。
「実の子なのは確かなのか?」
「それは確かでしょう。アイマル様は公爵様の幼少期に瓜二つだという話をよく聞きます。」
マルタンがしばし考え込んだ。
結局、最も重要なのはポワイヤックの安全。
それを先に確認しなければならなかった。
「サンチョが公爵になったら、メドックはどうなるんだ?」
「それはサンチョ公のお心次第です。」
ベルトランがそのまま言葉を続けた。
「もちろん公爵様が準備されていることもありますし、サンチョ公もわざわざアイマル様を害そうとはしないでしょう。」
「...意外と状況は悪くないんだな?」
ベルトランが返答をためらった。
「そうとばかりも言えませんが... 深く踏み込むと複雑になりますから、この辺りにしておきましょう。」
マルタンが眉をひそめた。
「質問しろと言っておいて、答えはこれで全部なのか?」
ベルトランが大したことでもないというように答えた。
「まだ起きてもいないことに深く踏み込む必要がありますか?」
彼はマルタンとアイマルを交互に見ると、席から立ち上がった。
「それなりにお答えはしたと思いますので、今度はアイマル様と少しお話しください。」
「...何?」
「卿はメドックで最も多くの荘園を持つことになるのですから、城主様と話くらいはしておくべきではありませんか?」
そう言い終えたベルトランは、あっという間に屋敷を出ていった。
ギィッ- バタン-
炉端に残されたマルタンとアイマル。
続くのは静寂だけだった。
パチッ-パチ-
やけに大きく聞こえる薪の燃える音。
沈黙の中、先に口を開いたのはアイマルだった。
「あの... マルタン卿?」
マルタンが幼い城主へと顔を向けた。
「ベルトランが、卿に領主としてすべきことを聞いてみろと言っていたのですが?」
「...領主として?」
マルタンは自分の日常を思い返してみた。
狩りに行く。
荘園を巡る。
鍛錬する。
特に領主として何かをした記憶はなかった。
マルタンは自分の知る他の領主たちを思い浮かべてみた。
国境地帯という険しい場所に暮らしながらも、立派に人々を率いていたイベリアの領主たち。
彼らには一つ共通点があった。
「うーん...」
マルタンがいかにも頼りなさそうだという顔でアイマルを見つめた。
「人を斬ったことはあるか?」
「...はい?」
領主というものは基本的に優れた戦士であるということ。
人間の数人くらいは軽く殺せなければならなかった。
***
パンプローナの若き王、サンチョ3世。
彼は椅子に座り、家臣たちの白熱した議論を見守っていた。
「やはり、コルドバを攻撃するべきだったのだ。」
「戯言を、その後始末をどうするつもりだ?」
「カスティーリャの軍勢が何の抵抗もなく進軍中だというではないか?すでに趨勢は決した。」
「はっ、それも一時的なことだ。十年前にもお前のような連中の言葉に従った挙句、ここが燃え上がったのではないか?
「このクソ野郎、何だと?」
いつものように破局へと突き進む議論。
サンチョが過熱する雰囲気を鎮めた。
「そこまでだ、今さらコルドバへ向かうこともできないのに、何を話している?」
コルドバが揺らいでいるのは事実だが、今は遠征に出られる季節ではなかった。
そもそも遠征に出るとしても、カスティーリャのように全ての力をかき集めるつもりはなかった。
「次の案件は?」
サンチョの問い。
それに老いた家臣が答えた。
「ガスコーニュのサンチョ様から送られた書簡があります。」
「重要な話なのか?」
「単に安否を尋ねるだけの書簡ではないと聞いております。」
サンチョがゆっくりと頷いた。
「我が親愛なる親族から送られたものだからな.. ひとまず読んでみろ。」
「はい、王よ。」
老いた家臣が喉を整え、書簡を読み始めた。
「ええ... 主の恩寵によりパンプローナの王冠を戴いた我が誇り高き親族、ガルシアの息子サンチョへ、ギヨームの息子サンチョが安否を尋ねます。主の慈悲が」
サンチョが眉をひそめた。
「時間がない。本題だけ要約しろ。」
老いた家臣が素早く書簡に目を走らせ始めた。
「イベリアから来たマルタンという傭兵が城主とその配下三十人を惨殺、その者についての情報が必要だという内容です。」
三十という数字。
それにサンチョの家臣たちがざわめき始めた。
「三十人を?あり得んな。」
「別の陰謀が絡んでいたのだろう。頭さえうまく使えば可能なことだ。」
「お前に何の頭が... いや、何でもない。」
サンチョは黙ってそれを眺めてから、老いた家臣に尋ねた。
「死んだ者たちの武装状態は?」
「そのような内容は記されておりません。」
老いた家臣がさらに書簡を調べてから言った。
「マルタンという者の人相風体程度なら記されていますね。他の者より頭半分ほど高い背丈に黒髪、典型的なバスク人の容貌だとあります。」
「他に情報はないのか?」
「はい、これが全てです。」
サンチョが考え込んだ。
どうにか人を絞り込むことはできるだろうが、与えられた情報そのものがあまりにも漠然としていた。
サンチョが思案に沈んでいる間に、家臣の一人がゆっくりと口を開いた。
「マルタンなら... あの不信者ではありませんか?人相風体もおおよそ一致するようですが?」
サンチョが顔を向け、その家臣を見た。
「不信者...? あの者の名はマルタンだったか?」
「私はそう認識しております。」
ガスコーニュのマルタンが、例の不信者だという主張。
それに他の家臣たちが反論した。
「あり得ん話だ!あの者なら当然コルドバへ向かっているはずだ。」
「不信者と共に行動している、あの巨躯のノルド人。あの者をコルドバへ向かう軍勢の中で見たという者がいます。」
『不信者か...』
サンチョには数年前、あの者を直接見た記憶があった。
彼から感じられたものは、コルドバへ向けられた盲目的な憎悪だけ。
そんな者がコルドバへ侵攻する機会を逃すはずがなかった。
「あの者が今のような時期にガスコーニュにいるはずがない。」
彼の家臣が同意した。
「その通りです。それにあの者はここ数年、随分と大人しくなったではありませんか?」
向かい側に座った家臣の一人が、釈然としない顔で尋ねた。
「それは誰もあの者に手を出さなかったからではないのか?」
「...そこまでは分からん。とにかく大人しかったではないか?」
「それはそうだな。」
結論の出ない会話。
サンチョが家臣たちに尋ねた。
「それなら......あのガスコーニュのマルタンは何者だ?」
家臣たちは沈黙に包まれた。
やがて、一人の家臣が慎重に口を開いた。
「おそらく.. 書簡に誇張が混じっているのではありませんか?」
「...そうかもしれんな。」
サンチョはしばらく考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「ひとまず人を放ち、マルタンという名の傭兵について調べさせろ。」
「はい、王よ。」
サンチョがさらに言葉を続けた。
「それから.......不信者がコルドバへ向かったのが本当か、もう一度確認しろ。」
家臣が怪訝そうな目で尋ねた。
「当然コルドバへ向かったのではありませんか?」
「それでも確認はしなければならん。」
不信者。
コルドバへ向けられていた鋭い剣。
その剣先が別の場所へ向いたのなら、軽く見過ごすことのできる話ではなかった。




