第19話. 責任
シュウウウッ―バキッ!
レスパールから戻って数日が過ぎた頃、マルタンは庭で短槍を投げていた。
「その……領主様?」
おずおずと近づいてくるジャック。
マルタンは彼へ短槍を差し出した。
「投げるか?」
ジャックは顔を向け、短槍が突き刺さった場所を見た。
塀に空いた無数の穴を見ると、首を横に振った。
「いいえ……わざわざあそこへ投げたいとは思いません。」
マルタンは眉をひそめた。
「強くなりたいのではなかったか?」
ジャックはしばらく考え込んだ。
「……もしかして、大工と戦うことは強くなるのに役立ちますか?」
「まったく。いっそ屠殺業者を訪ねて戦え。」
言い終えたマルタンは、手に持っていた短槍を投げ放った。
シュウウウッ―バキッ!
それを見たジャックが、理解できないという顔で尋ねた。
「その……先ほどから、なぜ槍を投げておられるのですか?」
「どうせ、することがないからだ。」
レスパールでの出来事が噂になったのか、村を歩き回っても領民たちとまともに会話一つ交わすのが難しかった。
狩りには飽きた。
金はあっても使うことができず。
訪ねてくる客すら一人もいなかった。
「……なぜ誰も来ないんだ?」
ジャックが不思議そうな顔で尋ねた。
「領主様を訪ねてくる人がいるのですか?」
「何人かは来ると思っていたんだが。」
彼が殺した荘園領主だけでも十数人。
その後継者のうち何人かは、ここを訪ねてくるのが普通だったが、何の知らせもなかった。
「……何かあったのか?」
ジャックが慰めの言葉をかけた。
「誰のことかは分かりませんが……きっと何事もありませんよ。」
「まあ……来る途中で何かあったのなら、良いことではあるが。」
「……?」
マルタンは短槍をジャックへ渡した。
「飽きた。出かけてくる。」
「どこへ行かれるのですか?」
「どこでも。」
庭を出ようとしていたマルタンが、その場で足を止めた。
耳を澄まし、外から聞こえてくる音へ集中した。
ジャラッ―
かすかな鎖帷子の音。
続いて、数十人分の気配が重なって聞こえてきた。
「……正門に閂を掛けろ。」
「はい……?」
しばらく呆けた表情をしていたジャックが、外の音を聞いたのか顔を向けた。
「あ……! 分かりました。」
マルタンは急いで屋敷へ入った。
「ん? 何かあったのですか?」
マルタンは疑問を口にするピエールを無視し、鎧を着た。
剣と粗末な盾まで持って庭へ出ると、誰かが荒々しく扉を叩く音が聞こえた。
ドン―ドン―
「ポワイヤックの領主マルタン卿! 中にいるか? 公爵様からの伝言だ。」
マルタンは地面にある短槍を拾い上げた。
静かに正門へ近づき、扉の隙間から相手を確認した。
鎖帷子を身につけた二人と、綿入り鎧を着た兵士数十人。
ガタッ―ガタッ―
彼らは何度か扉を押してみると、不思議そうに言った。
「確かに物音がしたような気がするが?」
「中にいるのは間違いないが……念のため、少し下がろう。」
「まあ……用心は必要だな。」
武装して来たにしては、どこか気の抜ける会話だった。
それにマルタンが口を開いた。
「伝言を持ってきたと言ったか?」
塀の向こうから返事が聞こえた。
「ああ、やはりいたか。ガスコーニュ公爵様からの伝言だ。」
公爵の伝言を届けに来たにしては、相手の装いが理解できなかった。
鎖帷子。
戦闘の直前にでも着込むような重装備。
何の理由もなく、あんなものを着て歩き回る者はいなかった。
「なぜ鎖帷子を着ている?」
「……あまりにも物騒な話が聞こえてくるので、仕方がなかった。」
「物騒な話?」
相手が答えた。
「我々はレスパールへ行ってきた。メドックにあるすべての荘園の調査も終えた。」
「それで?」
「荘園へ行った兵士たちは、皆物騒な話を持ち帰ってきた。特に、レスパールから生き残った荘園領主がいる場所ではな。」
理解できない返答に、マルタンは考え込んだ。
その表情を見て、隣に立っていたジャックが口を開いた。
「その……かなりもっともらしくありませんか? 私でも鎖帷子があれば、着て来ると思いますよ?」
「なぜだ?」
ジャックがためらいながら答えた。
「領主様と戦うかもしれないからです?」
マルタンは眉間に皺を寄せた。
「俺があいつらを殺さなければならない理由でもあるのか?」
「……ないですよね?」
「では、なぜあんな格好で来たんだ?」
ジャックは頭が痛そうに額を押さえた。
「いや……とにかく、公爵様の使いであることは間違いなさそうです。」
マルタンは正門と塀を見回し、後ろへ下がった。
「……ひとまず扉を開けろ。」
どうせここの塀には、何の防御上の利点もない時間稼ぎ用のもの。
問題が起これば、破られるのはすぐだった。
マルタンは正門から少し離れた場所に立ち、右手で短槍を握った。
ガタッ、ギィッ―
ジャックが扉を開け、ほどなくして相手が庭へ入ってきた。
「マルタン卿はどこに……。」
庭を見回していた相手の視線が、マルタンで止まった。
彼はマルタンの装備を見回すと、素早く後ずさりして庭から出ていった。
「くそっ、本当に狂人だったじゃないか?」
「何だ、どうした?」
「あいつ、戦う気満々だぞ? 短槍に鎖帷子まで着ている。」
それを見たジャックは気まずそうな表情を浮かべ、扉の外へ向かって言った。
「その……伝言を届けに来られたのなら、そのまま入っていただいて大丈夫です。」
相手から返事はなかった。
状況を見ていたマルタンが扉のほうへ歩き、その前に立った。
扉の外の一団を見て、口を開いた。
「戦うつもりはなさそうだ。ひとまず入れ。」
一団の先頭に立つ、鎖帷子を着た二人の男。
彼らは依然として、マルタンを警戒するような目をしていた。
一人の男がマルタンを上から下まで見て、尋ねた。
「……その武装には、どういう意味がある?」
「数十人の武装兵を相手にする際の一般的な対処だ。」
しばしの静寂。
やがて、男の一人が失笑した。
「……まあ、間違ってはいないな。」
男はためらうことなく、庭の内側へ入った。
「騒がせてすまなかった。公爵様の家臣、エネコだ。」
「ポワイヤックの領主、マルタン。」
挨拶を終えたエネコが、もう一人を紹介し始めた。
「あそこでお前を見ている友人は、ラモン卿だ。」
依然として警戒する目でこちらを見ているラモン。
彼はゆっくり正門を越えてきた。
「……ラモンだ。」
マルタンは頷き、外の兵士たちを見た。
「まさか、あいつら全員をもてなさなければならないのか?」
「それは無理だろう。我々二人だけで十分だ。」
「助かった。」
マルタンはエネコとラモンを連れ、屋敷へ向かった。
扉を開けて中へ入ると、客を迎える準備をしているピエールの姿が見えた。
「お二人で、よろしいですか?」
チーズと葡萄酒。
いつもと変わらない、簡素な組み合わせだった。
マルタンは公爵の家臣たちを連れ、炉端を囲んで座った。
「それで、正確にはどんな伝言なんだ?」
エネコがわずかに顔をしかめた。
「……普通は、少しくらい他の話もするものではないか?」
「何か話したいことでもあるのか?」
エネコはしばらくラモンを見た後、再びマルタンへ顔を向けた。
「……まあ、私は構わん。本題を言えば、公爵様がお前を招待された。」
マルタンがゆっくり口を開いた。
「招待か……正確には、どういう意味の招待だ?」
「さあな。ひとまず、お前が不忠な勢力を排除したことは、確かに喜んでおられた。」
相手の反応を見る限り、招待の意味は明らかだった。
だが、それを受け入れるかどうかは別の問題。
「ボルドーへの招待だろう?」
「そうだ。お前は公爵様の直臣ではないから強制ではないが……それでも、ここはガスコーニュだ。できることなら招待を断らないほうがいい。」
目的地がボルドーなら、悩むことはなかった。
「すぐに行こう。」
「……ん?」
巨大な都市は事件や騒動も多く、金を使う場所にも事欠かなかった。
ここで短槍など投げているより、何倍もましな選択肢だった。
「今から出発すればいいのか?」
エネコが戸惑った顔で答えた。
「構わないが……そんな簡単に決めていいのか?」
マルタンはしばらく考え込んだ。
やがて、ここを離れてはならない理由を思い出した。
「いや、訪ねてくる者がいるから行けないな。」
「誰だ?」
「荘園領主たちの後継者だ。何人かは復讐に来るのではないか?」
エネコの表情が固まった。
「……まさか、お前が殺した荘園領主たちの後継者か?」
マルタンは頷いて尋ねた。
「そういえば、メドックの他の荘園を調査したと言っていたな?」
「……そうだ。」
「なら、彼らの近況を知っているだろう。皆、何をしていて来ないんだ?」
エネコはしばらく答えなかった。
彼は目の前の葡萄酒を一口飲むと、低い声で尋ねた。
「もしかして……彼らが来たら、どうするつもりだ?」
マルタンはためらうことなく答えた。
「始末する。」
エネコが沈黙する中、静かに話を聞いていたラモンが口を開いた。
「私には分からんな。こいつを公爵様のもとへ連れていって、本当にいいのか?」
「……判断なさるのは公爵様だ。」
エネコはマルタンを見た。
「兵士を五人、ここへ残してやろう。それだけいれば、他の荘園からの襲撃を抑止できるだろう。」
マルタンはエネコと目を合わせた。
わずかに首を傾け、尋ねた。
「その言葉……責任を持てるか?」
エネコはゆっくり頷いた。
「公爵様の兵士だ。迂闊に襲いかかることはできないだろう。」
マルタンは何も言わず、エネコを見つめた。
五人の兵士。
彼らを完全に信用することもできず、その人数で襲撃を防げるかも確かではなかった。
彼の経験上、考えるべき事柄は少ないほどよかった。
「……ここへ残す兵士を増やそう。」
兵士の数を増やして襲撃を徹底的に防ぎ、兵士たちが問題を起こしたなら、この男に責任を取らせればいい。
「十人は可能か?」
黙って頷くエネコ。
それを確認したマルタンは、席から立ち上がった。
「すぐに行こう。必要な物を持ってくる。」




